2022年11月15日

路線バス乗り継ぎの旅 京都~広島県宮島 2009年放送分

人情ふれあい珍道中 春の山陽路ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第4弾 京都三条大橋~広島県安芸宮島 2009年3月28日放送分の再放送 BSテレ東

 古い作品ですが、初めて観ました。テレ東さん、ありがとう。
 ゲストは、根本りつ子さんです。

 太川陽介さん『おいしいものはいっぱいあるが、食べる時間があるかわからない』『こどものころ、京都タワーの展望レストランで、お子様ランチを食べたのが、最高のごちそうだった(太川さんは、京都府出身です)』

 路線バス車内での乗客との会話がひんぱんです。
 これまでの放送で一番良かったのは、宝塚ファンの女子高生とタカラジェンヌ遼河はるひさんとの会話でした。
 たしか、女子高生が、自分は宝塚(受験)をあきらめたと言い、遼河はるひ(りょうがはるひ)さんが、(宝塚で)人生で使う「根性」をすべて使いきったというような趣旨のお話をされていた記憶です。
 女子高生は、遼河はるひさんと話ができて嬉しくて感激して、バスを降りたあと女友だちに抱きついて泣き崩れていました。いいシーンでした。

 途中大阪の枚方(ひらかた)というところの地名がひんぱんに出ました。
 中学のときに枚方市に転校して行った同級生のことを思い出しました。

 一休さんがいたお寺をバスの待ち時間を利用して観光します。
 えびすよしかずさん『とんちというよりも(わたしは)トンチンカンなんです』

 えびすさんがバス停でトイレに行ってなかなか帰って来ず、結局、バスに乗り遅れました。(ふつうはそんなことは、考えられません)
 太川陽介さんから、えびすよしかずさんは、トイレで手を洗ったあと、濡れた手を、自分がはいてるズボンでふくと指摘されます。まあ、手を洗わないよりはいいのでしょう。

 コマーシャルのときに、番組のスポンサーとして『住友林業』の文字が入っていました。
 住友林業の株はすでに保有していますが、この番組を応援してくださるお礼として、どこかの会社の株を売って、住友林業の株を買い増しすることにしました。
 (その後:住友林業の株価は上昇して含み益が増加しました。サンキューです)
 (さらにその後:2023年2月17日金曜日追記:2月になってから、住友林業の株価が急上昇してびっくりしました。含み益がまた増えました。住友林業さん、株主のみなさん、サンキューです)
 
 時間の感覚がなくなりそうな路線バス乗り継ぎの旅です。
 京都から広島まで路線バスで行きます。
 すごいなあ。

 姫路城です。
 姫路城に行って、天守閣のてっぺんまでのぼったことがあります。
 もう体力がない年寄りになったので、お城は、ながめるだけで十分です。

 えびすさんが若い。
 番組内で、60歳だと言っていました。

 えびすさん『国境を越えるのにバスがなかった』
 太川さん『国境は越えない』(県境のこと)
 根本りつ子さん『イメージは、国境よね』(フォローがうまい)

 番組内では、三木露風さん『赤とんぼ』の話が出ます。童謡詩人さんです。(みきろふう)
 次の歌をつくったのは別の方ですが、映像を観ていて『まっかな秋』という童謡を思い浮かべました。
 『まっかだな まっかだな つたーのはっぱもまっかだなー』
 男の孫がまだ2歳か3歳だった頃、渥美清さん『男はつらいよ フーテンの寅さん』で登場する葛飾柴又のお寺さんに親族で行ったことがあります。帝釈天(たいしゃくてん)です。
 孫が渡り廊下の手すりにつかまって、大きな声でこの歌を突然歌い始めました。たまたま廊下を歩いていた見学のご老人男性のみなさんたちが笑いながらじょうずだねーとか、この歌を歌うこどもがいまどきいるのかと驚きながらもうれしそうに通って行かれました。

 兵庫県にある『テクノ中央』というバス停名は、このあとのバス旅シリーズで何度か耳にしたような気がしますが、勘違いがあるかもしれません。工業団地だったかな。
 今回の番組では、メンバーは、スプリングエイトというところを見学されています。

 えびすよしかずさんは、めんどうくさいとか、ぶ厚いから嫌だとかで、お財布を持っていません。
 銀行ATMの横に備え付けてある銀行の封筒にお札を入れて、ズボンの左ポケットに入れています。右ポケットには小銭を入れて、ジャラジャラと音をさせています。
 まあ、マネージャさんがいて、金銭管理をしているのでしょう。

 鉄道であれば、3駅10分で行けるところに、3人は、路線バスで1時間30分かけて移動します。たいへんです。

 広島市内とか、路面電車とか、宮島へは、行ったことがあるので、映像を観ていてよくわかります。
 自分たちのときは、宮島から広島市内まで、路面電車に乗りました。
 宮島の赤い鳥居を初めて見たのは、中学生の修学旅行のときでした。自分はまだ14歳でした。
 当時は、修学旅行専用のディーゼル列車で、九州の地元の駅から京都駅まで往復して移動しました。
 車窓から宮島の赤い鳥居が見えました。
 今はもう地元の鉄路は廃線になって、線路があったところは道路に変わりました。

 番組のほうは、無事にゴールできました。
 太川さん『いやー 遠くまで来たなー』
 ヤッターー
 根本さん『すごろくのような壮大なゲーム』(目が嬉し涙で潤んでいます(うるんでいます))
 太川さん『何回やっても苦しい』
 全員『(だけど)達成感を味わえる』
 三泊四日の路線バスの旅でした。お疲れさまでした。

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