2020年11月18日

堂々日本史 「決戦厳島 毛利元就」「島原の乱」

堂々日本史 NHKVHSビデオ 第5巻 「決戦厳島 毛利元就」「島原の乱」 KTC中央出版

「決戦厳島(いつくしま) 毛利元就(もうりもとなり)50歳からの挑戦」
 表題に50歳とありますが、59歳からであり、ほぼ60歳からの挑戦で驚かされました。
 陶晴資(すえ・はるたか)という武将との1555年にあった厳島合戦に関する内容であり、2万人の軍勢に4000人で対抗して毛利元就は勝利しています。
 厳島神社には何度か行ったことがあるので、風景を思い出しながら映像を楽しみました。
 1555年当時にポルトガル人の貿易商人が厳島神社に来ている絵を見て、なんだか感心しました。
 毛利軍が、村上水軍を味方につけたところでは、小説「村上海賊の娘」を読んだことがあるので、これもまた小説の内容を思い出しつつテレビの解説に耳を傾けました。
 「敵の敵は味方」という言葉が頭に残りました。やはり人は利潤の提供をしてくれる側の味方に付きます。
 毛利元就氏は、55歳ごろまでは鳴かず飛ばずでしたが、60歳代から人生の花が咲いたという歴史小説家永井路子さんの解説に聴き入りました。

「島原の乱 矢文(やぶみ。弓矢の矢につけた交渉のための文書、手紙)が明かす真相」
 1637年の出来事です。番組の中では、360年前のこととして語られています。古いビデオテープですので、現在ではさらにそこから20年が経過しています。
 うわべは、キリスト教の弾圧に反対するキリスト教徒の反乱という位置づけだったけれど、実際は、複雑で深い意味合いがあった。キリスト教徒ではなかった農民も多数いた。
 関ケ原の合戦で敗れて武士から村の長になった敗戦の武士たちが立ち上がった江戸幕府に対する反体制運動だった。権力闘争に農民や庶民が巻き込まれています。
 領主の苛政(かせい。年貢の量が多すぎた。厳しすぎる命令があった。江戸幕府の藩とりつぶし策に対する対抗手法として、農民に負担をかぶせた)
 最後は、江戸幕府が幕府と藩制度を今後も維持していくために3万7000人の老若男女を皆殺しにしています。天安門事件とか、香港デモ隊の鎮圧シーンを思い出します。権力者というのはむごいことをします。
 島原と小豆島は関係があるということが初耳で新鮮でした。島原地方の人口が急減したので、小豆島から移り住んだ人たちがいて、小豆島のソーメンをこの地でもつくった。
 島原は平地が少ないので米よりもソーメンの原料となる小麦のほうがつくりやすかった。

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