2025年05月07日
「コーダ」のぼくが見る世界 聴こえない親のもとに生まれて
「コーダ」のぼくが見る世界 聴こえない親のもとに生まれて 五十嵐大(いがらし・だい) 紀伊国屋書店
同著者の本を以前読んだことがあります。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
2023年に読んだ時の感想メモが残っています。本の内容は暗かった。
本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。著者の両親は、ふたりとも耳が聴こえないと本の帯に書いてあります。
著者は、ろうあ者の両親のもとに生まれて、いつもひとりぼっちだったそうです。第一章から第五章まで、第一話から第三十話まであります。お母さんのことで情けない思いをされたようなことが書いてあります。親には学校に来ないでほしい。自分の親が恥ずかしい(はずかしい)とあります。けっこうつらい言葉です。親が聞いたら泣きます。
著者は障害者差別に直面しています。47ページあたりは、人間の強さと弱さ、もろさが表現されています。自分を差別した人間を許すことで、笑顔が生れています。
著者は、高校をなんとか卒業されて、母親を捨てる気持ちをもちながら東京へと旅立ちます。仙台駅発の新幹線でしょう。母親とのせつない別れがあります。
本の中では、著者と他人である聴覚障害者たちとの出会いがあります。手話と手話で話すのですが、言葉が通じると、心が通い合ったり、気持ちが通じたりします。ステキなことです。
158ページあたりは、涙なくしては読めないような内容です。
同じ時期に、立場を変えた明るい内容の本を読みました。書き手のご夫婦がろうあの人で、ちいさなお子さんがふたりおられます。
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。
昔風の大学ノートの写真です。たくさんの冊数があります。まんが日記が書いてあります。文章創作の基本は日記を書くことです。『回転と宇宙』『時間』『ぼくたちは手で話す』。会話は手話です。(こういう世界があるのか。手話による子育てです)。
『こどもを「通訳者」にさせない』。力作の本です。こどもさんは、しゃべることができます。『おかあさん 33さいおめでとう』
旅行好きです。熊本県へ行って、高知県へ行って。沖縄県へ行って、石垣島にも行って。飛行機に乗って。こどもにはいろんな体験をさせておくと、将来こどもの役にたちます。まだちびっこですが、なんども飛行機に乗っています。
『ことば』にこだわる本です。耳が聴こえない両親です。会話は手話でします。意思を伝えあうために『ことば』にこだわります。
指文字を使って、我が子をあやすそうです。こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)。こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)。3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。指文字は、スキンシップです。ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。数字も指文字で覚えます。『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
なお、二冊の本の著者は、つながりをもたれています。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
そちらの本の表紙カバーの写真を撮影されたのが、こちらの本の著者斎藤陽道(さいとう・はるみち)さんです。
では、こちらの本を読み始めます。
わたしは、さいしょにページをゆっくりめくりながらどんなことが書いてあるのかを把握します。
(1回目の本読み)
人間はどこの家庭、あるいは家族に生まれてきても、だれしもが満たされない何かを抱えて(かかえて)暮らしながら成長していきます。
貧困であったり、親族からの暴力であったり、両親の不仲であったり、病気であったり、世襲(せしゅう。世継ぎ)の義務など、たくさんの困難があります。
こちらのご家庭では、両親が、耳が聞こえないという障害があるのです。生まれてきた息子さんは耳が聞こえる人です。そして、息子さんがいろいろと悩むのです。
人間界では一般的に、不自由さをかかえている人間同士で集まって、励まし合って、助け合っていきます。
それが、宗教だったり、福祉活動だったりもします。
ときに、音楽や舞台演劇のような文化活動であったりもします。
聴覚障害者に対するいじめ行為が書いてあります。(いじめっこに補聴器を捨てられてしまう)
人間は、残酷で、でも、温かい心もあるという、人間の二面性があります。
アニメ作品の話です。『聲の形(こえのかたち)』、それから、ドラマ作品、『しずかちゃんとパパ』、そして、映画作品として、洋画、『コーダ あいのうた』と、邦画、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が提示されています。
『さまざまなテクノロジーが聴こえない人を支えている』
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』に書いてあったことです。
SNS(ソーシャルネットワークサービス)のアプリケーションソフトが、聴覚障害者の生活をより良い方向へ導いてくれているというようなお話があります。耳が聴こえないといろいろと不便なことが多い。病院での受診者への呼び出しが聴こえないそうです。福祉機器に呼び出しの振動ベルがあるそうです。(本では、このあとのページで、東日本大震災のときに聴覚障害者として困ったことがあったと書いてあります。非常事態発生時に、障害者はおいてきぼりにされてしまいます)
『音声文字変換&音検知通知』というAndroidスマホのアプリケーションソフトがあるそうです。 救急車や消防、警察を呼ぶためのものとして『NET119 緊急通報システム』というものもあるそうです
(2回目の本読み)
コーダ:Children of Deaf Adults チルドレン(こども) オブ デフ(聴覚障害者) アダルト(おとな) 『聴覚障害者を親にもつこどもさん』という意味にとらえました。当事者ではないわたしには、たいへんだなあと思えるのですが、本を読むと、本人たちにとってはたいへんでもなさそうなのです。なのに、なんで悩むかというと、『障害とか障害をもつ人に理解がない一般人の心もち』なのです。人の目が気になる。標準でない物を差別する意識が人間にはある。同情は迷惑、そんなことが出だしに書いてあります。
生まれてきて、自分の親の耳が聞こえないという状態が、苦痛ではない。(それなりに順応して、ほぼスムーズに日常生活を送れるという人間のすばらしい能力があるのです)。自分では、あたりまえだと思っていた生活が、小学校に入ると、あたりまえではないということに気づいてショックを受けた。そんな苦労が書いてあります。
そして、自分はひとりぼっちという孤独の中で、心が屈折していく少年期、思春期があります。親のせいではないのに(むしろ一般的な親よりもこどもさんに心優しいご両親です。両親ともに聴覚障害者です)、親をうらむようになる。
されど、長いトンネルを抜けるときがきます。孤独だと思っていた自分は、実はひとりではなかった。ほかにも同様の立場のコーダがいて、なおかつ、そんな彼女は明るく生きていた。相当なショックと感激を味わっておられます。
本の構成です。
CONTENS(コンテンツ。中身、内容)
3つのかたまり(章)に分かれています。1から12のエッセイ(短い随筆)が書かれています。
『コンテンツ その1 1~3のエッセイ』
小学校就学前、良好な親子関係があった。
完ぺきではないが、生まれてから自然に身に付いた、『手話』と、『口話(こうわ。くちびるや口の動きで言葉を知る』、さらに、『筆談』、小ミューにケーションの方法はいろいろあって、不自由はしていなかった。
親子で外にも行った。虫捕り、山菜取り、釣り、海水浴、潮干狩り、ドライブなど、よそのご家庭よりもアクティブな感じがします。
小学校に入学して、他者からの、『眼差し(まなざし)』がきっかけになって、心がゆがんでいきます。不幸の始まりです。
『標準』でない人間は、他者から攻撃されたり、いじめられたり、さらしものにされて、ばかにされたりするのが、日本社会の通例です。
日本社会では、『みんな同じ』が、大事なのです。
だけど、人間には、『個性』があります。
わたしは長いこと生きてきて、たくさんの人を見てきて感じるものがあります。
いろんな人がいるのです。見た目の印象は、その人の中身とは違ったりもします。また、二重人格と言う言葉がありますが、人はみな、俳優のような役者なのです。時と場所に応じて、複数の人格を演じるのです。家庭、学校、職場などで、ようすが変わったりもします。だから、学歴とか、職業とか、地位は、本当のその人を知るうえで参考になりません。
いい人そうに見えて、実はそうじゃない人もいます。また、その反対もあります。人間は複雑なのです。
両親に怒り(親が障害者であるという怒り)をぶつけて、両親の心を傷つけた時代がある著者です。とても反省されています。
でも、いい出会いがあって、屈折した心理の世界から、自分と同じような体験をもつ仲間のいる心素直な世界にかかわることができて、著者は救われています。
社会人向けの手話サークルで、ひとりの難聴者と知り合っています。人生を変えるいい出会いでした。
ラベル:人間の個性を定義づけるもの
苦労というか、同じような生活内容を、『共有』する。
J-CODA:1990年代創立。関係先として、東京大学多様性包摂共創センター(ほうせつきょうそうセンター)
コーダは、相手の目を見て話す人が多い(なるほど)
ヤングケアラーは、けして、かわいそうな人ではない。
自分は、家族を支えているという自信がある。
その経験は、人間として、貴重なものである。
コーダは、『通訳』の役割は果たすが、親の介護をしているわけではない。親とはちゃんと意思疎通ができる。親もちゃんと生活している。
読んでいて、まじめな人です。立派です。
わたしは年寄りですから、人生を長い目で見て考えます。
どんな状態であろうが、祖父母も父母もいつかは命をまっとうする。自分の命もいつかは尽きる。それまで、どう、人生を生きようかと考える。
『コンテンツ その2 4~8のエッセイ』
ちいさなころの耳が聞こえない両親との体験がおもしろい。ちゃんと意思疎通ができるのです。
手話、音声日本語(聴覚障害者の話し方。肺から空気を口や鼻に通して発声する)、筆談、口話(こうわ)、身振りなど、こどもである著者はそのことを楽しんでいます。親子のコミュニケーションが密なのです。かえって、一般家庭の親子のほうが、親子の関係が薄い。とくに父と子とか。
親から、どうして耳が聞こえない者同士で結婚したかの話があります。
『ちゃんとわかりあえる仲間と家庭をもちたい』(結婚の基本でしょう)
著者の言葉があります。『耳が聴こえない両親は罪人ではない』
コーダの仲間ができてきます。
遠藤しおみさん:コーダのコミュニティ「J-CODA」というグループがあるそうです。
彼女の不思議な思考があります。『両親が聴こえないのに、どうして自分は聴こえるんだろう。自分も聴こえないほうが良かった。聾(ろう)学校に通いたかった』
(なかなか人間の気持ちは複雑です)
手話通訳士:日本に4200人ぐらいいる。1億人以上いる日本の人口のうちの4200人です。少ないと感じます。
ふと思い出したことがあります。昔読んだことがある本を思い出しました。
『累犯障害者(るいはんしょうがいしゃ) 山本譲司 新潮文庫』
なんというか、障害者の世界の中にも犯罪はあるのです。一般人と変わりありません。
累犯:るいはん。何度も罪を犯すこと。
その本に書かれていたことです。日本式の手話の教科書での手話は、生まれながらの聴覚障害者には通じないというのは新鮮な情報でした。手話は、日本語ではないそうです。『手話語』という外国語のようなものだそうです。
テレビやステージ横でやっている手話は、生来のろうあ者には通じていないようです。彼らには彼ら仲間同士で通じる手話語があるという記事内容です。
耳が聞こえる人の手話と生まれながらに聞こえない人の手話は異なるそうです。よって、裁判の時の手話通訳者の手話も通じていない。世の中は、聞こえる人たちの自己満足で成立しています。人と人とがわかりあうということは、むずかしいと感じる内容でした。
今読んでいるこちらの本にも、似たような話が書いてあります。
手話にはふたつあって、生まれながらに耳が聴こえない人たちが使う手話と、耳が聴こえる人たちが学んで覚える手話とは異なるそうです。そして、その手話は、英語とかフランス語みたいに、ひとつひとつの異なる言語なのです。
母語(ぼご):幼児のときから自然に身につけた言語。著者の母語は、手話だそうです。
コロナ禍当時の話があります。
話は飛びますが、先日の夜NHKニュースで、デフリンピックというスポーツ大会に20歳のろう者の若者がチャレンジすると放送されていました。デフ=聴覚障害者です。
『音楽』との関りについて書いてあります。ろう者の世界に、『音楽』はないのです。
耳が聴こえない両親に音楽を楽しむ習慣がなかったので、ふたりのこどもである著者は、音楽のことを知りません。カラオケはできません。曲を知りません。(ただ、先日、テレビ報道で、音楽やダンスを楽しむろう者のみなさんの映像を観ました。振動で音楽を感じることができるようです)
それでも、おかあさんは、著者が幼児のころ、子守唄を歌っていた。
『ね~ね~ね~』の連続という内容です。
(わたしが思うに、子守唄というものは、「ねむたい、ねむたいよ~」の連続でいいのです。幼いこどもを寝かしつけることが目標なのですから)
日本手話:聴覚障害者が使う、独特な文法体形をもつ手話
日本語対応手話:日本語の文法と語順に従う手話
渋谷智子さんが記した:『コーダの世界』
著者は、ろう者の代弁者です。
ろう者のまわりには、耳が聴こえる援助者のような人がいるが、援助が目的ではない。
自分をいい人に見せようとする偽善者がいる。それが目的ということです。
自分が多くの人から注目されたいという承認欲求をもつ人がいる。
ろう者を自分の利益のために利用している人がいる。
(なかなか厳しい話です)
ろう者を扱ったドラマ、『星の金貨』:1995年放送。同じ年に、『愛していると言ってくれ』
ろう者を、「哀しみ(かなしみ)」の対象として感情誘導する作品はイヤだったそうです。耳が聴こえないから、かわいそうという見方はしてほしくない。同情されるとプライドが傷つくのです。
聲の形(こえのかたち):マンガ。映画作品。こどもたちの世界です。聴こえないということで主人公がいじめられるそうです。
コーダあいのうた:2022年公開の洋画
しずかちゃんとパパ:NHKBSプレミアムドラマ
デフ・ヴォイス法廷の手話通訳士:2023年のドラマ
市川沙央(いちかわ・さおう):2023年第169回芥川賞受賞者。作品、『ハンチバック』
『コンテンツ その3 9~12のエッセイと、おわりに』
聴覚障害者向けのデジタル機器について書いてあります。
『ビデオ通話機能』:リモート電話で、手話を映像に出して活用する。
当初の、ガラ系携帯電話では、両親と電話での意思疎通ができなかった。
『ブギーボード』
電子メモパッド。付属のペンで画面に文字を書く。
ボタンを押すと瞬時に文字は消える。
筆談用ですな。
お年寄りになって、耳が遠くなってしまった人にも使えそうです。
富士通の、『Ontenna(オンテナ)』
映画鑑賞に活用できる。
クリップ式の小型機器
振動や光で、音楽を体感できる。
『電話リレーサービスの開始』
手話ができる通訳オペレーター(機器操作者)が介在して、ろう者(聴覚障害者)が聴者(ちょうしゃ。聴覚に障害がない人)と話せる。
『AIで動くロボット犬 aibo』
著者の愛犬は、「ししまる」というお名前だそうです。
機械ではありますが、自分の家族だそうです。なんだか、わかる気がします。人は、話し相手が欲しい。
『ノートパソコン』
ろう者である著者の父親が血液のがんで入院します。
担当医師が、パソコンを使って、ディスプレイ(画面)に文字を打ち込んで、父親を含めたご家族に病状説明をします。『死』という文字が、画面に出たそうです。
不備のある規則について書いてあります。
『聴覚障害者だけでは、ロープウェイにはのれない』
『テーマパークで、聴覚障害者はアトラクションに乗れない』
理由は安全のため。いざというときに、音が聞こえないと危険だそうです。
事前に、聴こえない人の意見を聞いてくれない。
当事者不在でものごとを決めないで欲しいという希望があります。希望を聞けば、代案が出てくるそうです。
聴こえない人に聞くことが、ハードルが高いのだろうかとあります。(困難度が大きい。まあ、そんなことはないとは思いますが、どこにたずねればいいのかがわからないのかもしれません)
耳が聴こえないからといって、同情されると、心が傷つくそうです。
著者の家族のなかがけっこうたいへんです。
祖父:元ヤクザ。短気、お酒のみの暴れん坊
祖母:穏やかだが、宗教に没頭。人生のすべてを神にささげる暮らし
父:4歳の時、結核治療のための注射の副作用で、聴力を失った。
母:生まれつきの聴覚障害者
なんだか、以前読んだ本にあった、にしおかすみこさんのご家庭を思い出します。
『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』
2023年(令和5年)に読みました。そのときの感想メモの一部です。
しっかりものの看護師をしていた母親が『(自分の)頭をかちわって死んでやるーー』と大きな声を出していたそうです。驚きました。認知症で人格が変わってしまったようです。
ぱっと本に目をとおして、おかあさんが認知症、お姉さんがダウン症、お父さんはお酒飲み、にしおかさんは芸人さんです。なかなかハードなものがあります。
ダウン症:ダウン症候群。染色体が1本多い。遺伝子疾患。身体的発達の遅延。軽度の知的障害。特徴的な顔つき。
中学のときに病気で亡くなりましたが、うちの親父もお酒飲みで苦労しました。お酒飲みの親をもつと、こどもは、ふつうなら体験しなくてもいい苦労を体験させられます。そうでない家がうらやましかった。
にしおかファミリーです。
お母さん:80歳。認知症で無表情。いろいろなことの管理能力なし。機械が壊れるように人間が壊れています。糖尿病があります。
お姉さん:47歳。ダウン症
お父さん:81歳。酔っ払い。耳が遠い。
著者:45歳。元SM女王さまキャラクターの芸人。独身とあります。なかなか厳しい生活環境です。
こちらの本に戻ります。
それぞれが、それぞれの境遇の家庭に生まれてきた。
どうしようもない。しかたがない。
いつも、心の中で、気持ちに折り合いをつけて、今ある環境に自分を適合・適応させていく努力を続けていた。
正直な気持ちとして、耳が聴こえない人を、憐れんでもらいたくない(あわれんで。かわいそうだと思う)。腫物(はれもの)に触るように接してもらいたくない(相手を傷つけないように慎重に接する)。
S0DA(ソーダ):Siblings Of Deaf Adults/Children):聴こえないきょうだいを持つ聴こえるきょうだいのこと。たとえば、聴こえない弟がいる兄
聴こえないというだけで、期待されていない弟の姿を見ることがつらかった。自分は弟をかわいそうだとは思っていなかった。ふつうの兄弟だった。
聴こえないきょうだいがいることで、結婚が破談になった。理由は遺伝だった。
聴こえない人間=不幸ではない。
人はいつも、『知らないもの』を排除しようとする。
141ページにある11番目のエッセイは秀逸です。
わたしは本を読んで、この部分が一番良かった。
タイトルは、『父について』です。
母親のことばかりを気にして、父親のことは気にしていなかった。
父親は立派な人で、自分でなんでもできる人だと思っていた。父は大丈夫な人だと思っていた。
だから、父親のことは頭から離れて、母親のことばかりを考えていたそうです。
ところが、父親はそんなに強い人ではなかったのではないかということです。
父親は、血液のがんで入院してしまいます。
父は耳が聴こえなかったが、著者である息子をかわいがり、小さいころからいろいろなところへ連れて行ってくれた。アウトドア派の父で、虫捕り、釣り、山登り、潮干狩り、海水浴、映画(ドラえもんほか)。父親は耳が聴こえないので、字幕がある映画を観たがったそうです。こどもである著者は、それはイヤだったそうです。(わたしもおやじがよく映画に連れて行ってくれました。怪獣映画とか、クレージーキャッツの映画とか。字幕の有無は、自分は気にしませんでした。映像を観ることで、自分が見たことがない世界があることを楽しめました)
2023年にお父さんは血液のがんで入院されます。
そのあたりの記述は、以前読んだ別の本を思い出しました。
『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社』
俳優さんですが、いろいろたいへんな経験をされて、余命宣告から生還されています。
こちらの著者のお父さんも生還されています。
父親は天体に興味があり、大学に進学して、天文学者になりたかった。
夢はかなわなかった。大学への進学は無理だった。父親は、塗装職人になった。
その部分を読んで、ふたつ思い出しました。
ひとつは、小説作品、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』、それからドラマになった、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10 毎週火曜日午後10時放送 全10話』です。登場人物のひとりが、宇宙にかかわる仕事をしたいのですが、思いどおりの進路をたどれないのです。定時制高校に通う生徒たちが、火星に関する研究発表に挑みます。
もうひとつが、映画、『ぼくが生きてる、ふたつの世界 邦画 2024年(令和6年)』です。
こちらの本の著者の家族が主人公の映画です。
映画のスタートは、無音です。ろう者の世界ですから、音のない世界で、主人公のお父さんが、漁船の船体にブルーの塗料を塗る作業をしています。それが、お父さんの仕事です。
親の耳が聴こえないということは、ほかの人から見れば、いろいろ不都合があると思うのだろうが、当事者にとっては、不都合はありませんということを説明されています。
今度生まれ変わることができるなら、今回と同様に、耳が聴こえない同じ両親のもとに生まれてきたいそうです。
著者は、耳が聴こえる両親のもとで育つことの、なかみのイメージが想像できないようすです。
自分たちは、かわいそうな人間ではありませんと表現されています。ぜんぜん、かわいそうじゃありませんと強調されています。
158ページまで文章を読んできて感じたことです。
きれいな言葉を使うと、「幸せ」が近づいてきます。
乱暴な言葉を使うと、「不幸せ(ふしあわせ)」が近づいてきます。
障害者が生活しにくい環境構造はだれがつくりあげたものなのか。
この社会は、『健常であること』を前提につくられている。
標準からこぼれ落ちてしまう人たちのことを踏まえずに設計されてきた。(今のアメリカ大統領に聞かせたい言葉です)
合理的配慮:障害者差別解消法。2013年制定(平成25年)。2021年(令和3年)改正。2024年(令和6年)施行。①物理的環境への合理的配慮 ②意思疎通への合理的配慮 ③ルールや慣行の柔軟な変更
してはいけないこと。①前例がないので、対応できません ②障害のある人だけを特別扱いできません ③もしなにかあったらいけないので、対応できません ④なになにの障害がある人には対応できません
わたしが長いこと生きてきて思うに、人は歳をとれば、最終的にはだれもが障害者になります。歩くことができなくなって車いす生活です。寝たきりの介護状態になります。だんだん、体の耐用年数が近づいてくるのです。足腰も目も歯もぼろぼろになっていきます。そういうことも含めて、障害者の人たちが楽に利用できる施設などは、年寄りや、当然健常者にとっても利用しやすい施設なのです。
損か得か、お金もうけのことばかり考えていたら、人間界は、くちゃくちゃになってしまうのです。
同著者の本を以前読んだことがあります。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
2023年に読んだ時の感想メモが残っています。本の内容は暗かった。
本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。著者の両親は、ふたりとも耳が聴こえないと本の帯に書いてあります。
著者は、ろうあ者の両親のもとに生まれて、いつもひとりぼっちだったそうです。第一章から第五章まで、第一話から第三十話まであります。お母さんのことで情けない思いをされたようなことが書いてあります。親には学校に来ないでほしい。自分の親が恥ずかしい(はずかしい)とあります。けっこうつらい言葉です。親が聞いたら泣きます。
著者は障害者差別に直面しています。47ページあたりは、人間の強さと弱さ、もろさが表現されています。自分を差別した人間を許すことで、笑顔が生れています。
著者は、高校をなんとか卒業されて、母親を捨てる気持ちをもちながら東京へと旅立ちます。仙台駅発の新幹線でしょう。母親とのせつない別れがあります。
本の中では、著者と他人である聴覚障害者たちとの出会いがあります。手話と手話で話すのですが、言葉が通じると、心が通い合ったり、気持ちが通じたりします。ステキなことです。
158ページあたりは、涙なくしては読めないような内容です。
同じ時期に、立場を変えた明るい内容の本を読みました。書き手のご夫婦がろうあの人で、ちいさなお子さんがふたりおられます。
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。
昔風の大学ノートの写真です。たくさんの冊数があります。まんが日記が書いてあります。文章創作の基本は日記を書くことです。『回転と宇宙』『時間』『ぼくたちは手で話す』。会話は手話です。(こういう世界があるのか。手話による子育てです)。
『こどもを「通訳者」にさせない』。力作の本です。こどもさんは、しゃべることができます。『おかあさん 33さいおめでとう』
旅行好きです。熊本県へ行って、高知県へ行って。沖縄県へ行って、石垣島にも行って。飛行機に乗って。こどもにはいろんな体験をさせておくと、将来こどもの役にたちます。まだちびっこですが、なんども飛行機に乗っています。
『ことば』にこだわる本です。耳が聴こえない両親です。会話は手話でします。意思を伝えあうために『ことば』にこだわります。
指文字を使って、我が子をあやすそうです。こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)。こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)。3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。指文字は、スキンシップです。ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。数字も指文字で覚えます。『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
なお、二冊の本の著者は、つながりをもたれています。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
そちらの本の表紙カバーの写真を撮影されたのが、こちらの本の著者斎藤陽道(さいとう・はるみち)さんです。
では、こちらの本を読み始めます。
わたしは、さいしょにページをゆっくりめくりながらどんなことが書いてあるのかを把握します。
(1回目の本読み)
人間はどこの家庭、あるいは家族に生まれてきても、だれしもが満たされない何かを抱えて(かかえて)暮らしながら成長していきます。
貧困であったり、親族からの暴力であったり、両親の不仲であったり、病気であったり、世襲(せしゅう。世継ぎ)の義務など、たくさんの困難があります。
こちらのご家庭では、両親が、耳が聞こえないという障害があるのです。生まれてきた息子さんは耳が聞こえる人です。そして、息子さんがいろいろと悩むのです。
人間界では一般的に、不自由さをかかえている人間同士で集まって、励まし合って、助け合っていきます。
それが、宗教だったり、福祉活動だったりもします。
ときに、音楽や舞台演劇のような文化活動であったりもします。
聴覚障害者に対するいじめ行為が書いてあります。(いじめっこに補聴器を捨てられてしまう)
人間は、残酷で、でも、温かい心もあるという、人間の二面性があります。
アニメ作品の話です。『聲の形(こえのかたち)』、それから、ドラマ作品、『しずかちゃんとパパ』、そして、映画作品として、洋画、『コーダ あいのうた』と、邦画、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が提示されています。
『さまざまなテクノロジーが聴こえない人を支えている』
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』に書いてあったことです。
SNS(ソーシャルネットワークサービス)のアプリケーションソフトが、聴覚障害者の生活をより良い方向へ導いてくれているというようなお話があります。耳が聴こえないといろいろと不便なことが多い。病院での受診者への呼び出しが聴こえないそうです。福祉機器に呼び出しの振動ベルがあるそうです。(本では、このあとのページで、東日本大震災のときに聴覚障害者として困ったことがあったと書いてあります。非常事態発生時に、障害者はおいてきぼりにされてしまいます)
『音声文字変換&音検知通知』というAndroidスマホのアプリケーションソフトがあるそうです。 救急車や消防、警察を呼ぶためのものとして『NET119 緊急通報システム』というものもあるそうです
(2回目の本読み)
コーダ:Children of Deaf Adults チルドレン(こども) オブ デフ(聴覚障害者) アダルト(おとな) 『聴覚障害者を親にもつこどもさん』という意味にとらえました。当事者ではないわたしには、たいへんだなあと思えるのですが、本を読むと、本人たちにとってはたいへんでもなさそうなのです。なのに、なんで悩むかというと、『障害とか障害をもつ人に理解がない一般人の心もち』なのです。人の目が気になる。標準でない物を差別する意識が人間にはある。同情は迷惑、そんなことが出だしに書いてあります。
生まれてきて、自分の親の耳が聞こえないという状態が、苦痛ではない。(それなりに順応して、ほぼスムーズに日常生活を送れるという人間のすばらしい能力があるのです)。自分では、あたりまえだと思っていた生活が、小学校に入ると、あたりまえではないということに気づいてショックを受けた。そんな苦労が書いてあります。
そして、自分はひとりぼっちという孤独の中で、心が屈折していく少年期、思春期があります。親のせいではないのに(むしろ一般的な親よりもこどもさんに心優しいご両親です。両親ともに聴覚障害者です)、親をうらむようになる。
されど、長いトンネルを抜けるときがきます。孤独だと思っていた自分は、実はひとりではなかった。ほかにも同様の立場のコーダがいて、なおかつ、そんな彼女は明るく生きていた。相当なショックと感激を味わっておられます。
本の構成です。
CONTENS(コンテンツ。中身、内容)
3つのかたまり(章)に分かれています。1から12のエッセイ(短い随筆)が書かれています。
『コンテンツ その1 1~3のエッセイ』
小学校就学前、良好な親子関係があった。
完ぺきではないが、生まれてから自然に身に付いた、『手話』と、『口話(こうわ。くちびるや口の動きで言葉を知る』、さらに、『筆談』、小ミューにケーションの方法はいろいろあって、不自由はしていなかった。
親子で外にも行った。虫捕り、山菜取り、釣り、海水浴、潮干狩り、ドライブなど、よそのご家庭よりもアクティブな感じがします。
小学校に入学して、他者からの、『眼差し(まなざし)』がきっかけになって、心がゆがんでいきます。不幸の始まりです。
『標準』でない人間は、他者から攻撃されたり、いじめられたり、さらしものにされて、ばかにされたりするのが、日本社会の通例です。
日本社会では、『みんな同じ』が、大事なのです。
だけど、人間には、『個性』があります。
わたしは長いこと生きてきて、たくさんの人を見てきて感じるものがあります。
いろんな人がいるのです。見た目の印象は、その人の中身とは違ったりもします。また、二重人格と言う言葉がありますが、人はみな、俳優のような役者なのです。時と場所に応じて、複数の人格を演じるのです。家庭、学校、職場などで、ようすが変わったりもします。だから、学歴とか、職業とか、地位は、本当のその人を知るうえで参考になりません。
いい人そうに見えて、実はそうじゃない人もいます。また、その反対もあります。人間は複雑なのです。
両親に怒り(親が障害者であるという怒り)をぶつけて、両親の心を傷つけた時代がある著者です。とても反省されています。
でも、いい出会いがあって、屈折した心理の世界から、自分と同じような体験をもつ仲間のいる心素直な世界にかかわることができて、著者は救われています。
社会人向けの手話サークルで、ひとりの難聴者と知り合っています。人生を変えるいい出会いでした。
ラベル:人間の個性を定義づけるもの
苦労というか、同じような生活内容を、『共有』する。
J-CODA:1990年代創立。関係先として、東京大学多様性包摂共創センター(ほうせつきょうそうセンター)
コーダは、相手の目を見て話す人が多い(なるほど)
ヤングケアラーは、けして、かわいそうな人ではない。
自分は、家族を支えているという自信がある。
その経験は、人間として、貴重なものである。
コーダは、『通訳』の役割は果たすが、親の介護をしているわけではない。親とはちゃんと意思疎通ができる。親もちゃんと生活している。
読んでいて、まじめな人です。立派です。
わたしは年寄りですから、人生を長い目で見て考えます。
どんな状態であろうが、祖父母も父母もいつかは命をまっとうする。自分の命もいつかは尽きる。それまで、どう、人生を生きようかと考える。
『コンテンツ その2 4~8のエッセイ』
ちいさなころの耳が聞こえない両親との体験がおもしろい。ちゃんと意思疎通ができるのです。
手話、音声日本語(聴覚障害者の話し方。肺から空気を口や鼻に通して発声する)、筆談、口話(こうわ)、身振りなど、こどもである著者はそのことを楽しんでいます。親子のコミュニケーションが密なのです。かえって、一般家庭の親子のほうが、親子の関係が薄い。とくに父と子とか。
親から、どうして耳が聞こえない者同士で結婚したかの話があります。
『ちゃんとわかりあえる仲間と家庭をもちたい』(結婚の基本でしょう)
著者の言葉があります。『耳が聴こえない両親は罪人ではない』
コーダの仲間ができてきます。
遠藤しおみさん:コーダのコミュニティ「J-CODA」というグループがあるそうです。
彼女の不思議な思考があります。『両親が聴こえないのに、どうして自分は聴こえるんだろう。自分も聴こえないほうが良かった。聾(ろう)学校に通いたかった』
(なかなか人間の気持ちは複雑です)
手話通訳士:日本に4200人ぐらいいる。1億人以上いる日本の人口のうちの4200人です。少ないと感じます。
ふと思い出したことがあります。昔読んだことがある本を思い出しました。
『累犯障害者(るいはんしょうがいしゃ) 山本譲司 新潮文庫』
なんというか、障害者の世界の中にも犯罪はあるのです。一般人と変わりありません。
累犯:るいはん。何度も罪を犯すこと。
その本に書かれていたことです。日本式の手話の教科書での手話は、生まれながらの聴覚障害者には通じないというのは新鮮な情報でした。手話は、日本語ではないそうです。『手話語』という外国語のようなものだそうです。
テレビやステージ横でやっている手話は、生来のろうあ者には通じていないようです。彼らには彼ら仲間同士で通じる手話語があるという記事内容です。
耳が聞こえる人の手話と生まれながらに聞こえない人の手話は異なるそうです。よって、裁判の時の手話通訳者の手話も通じていない。世の中は、聞こえる人たちの自己満足で成立しています。人と人とがわかりあうということは、むずかしいと感じる内容でした。
今読んでいるこちらの本にも、似たような話が書いてあります。
手話にはふたつあって、生まれながらに耳が聴こえない人たちが使う手話と、耳が聴こえる人たちが学んで覚える手話とは異なるそうです。そして、その手話は、英語とかフランス語みたいに、ひとつひとつの異なる言語なのです。
母語(ぼご):幼児のときから自然に身につけた言語。著者の母語は、手話だそうです。
コロナ禍当時の話があります。
話は飛びますが、先日の夜NHKニュースで、デフリンピックというスポーツ大会に20歳のろう者の若者がチャレンジすると放送されていました。デフ=聴覚障害者です。
『音楽』との関りについて書いてあります。ろう者の世界に、『音楽』はないのです。
耳が聴こえない両親に音楽を楽しむ習慣がなかったので、ふたりのこどもである著者は、音楽のことを知りません。カラオケはできません。曲を知りません。(ただ、先日、テレビ報道で、音楽やダンスを楽しむろう者のみなさんの映像を観ました。振動で音楽を感じることができるようです)
それでも、おかあさんは、著者が幼児のころ、子守唄を歌っていた。
『ね~ね~ね~』の連続という内容です。
(わたしが思うに、子守唄というものは、「ねむたい、ねむたいよ~」の連続でいいのです。幼いこどもを寝かしつけることが目標なのですから)
日本手話:聴覚障害者が使う、独特な文法体形をもつ手話
日本語対応手話:日本語の文法と語順に従う手話
渋谷智子さんが記した:『コーダの世界』
著者は、ろう者の代弁者です。
ろう者のまわりには、耳が聴こえる援助者のような人がいるが、援助が目的ではない。
自分をいい人に見せようとする偽善者がいる。それが目的ということです。
自分が多くの人から注目されたいという承認欲求をもつ人がいる。
ろう者を自分の利益のために利用している人がいる。
(なかなか厳しい話です)
ろう者を扱ったドラマ、『星の金貨』:1995年放送。同じ年に、『愛していると言ってくれ』
ろう者を、「哀しみ(かなしみ)」の対象として感情誘導する作品はイヤだったそうです。耳が聴こえないから、かわいそうという見方はしてほしくない。同情されるとプライドが傷つくのです。
聲の形(こえのかたち):マンガ。映画作品。こどもたちの世界です。聴こえないということで主人公がいじめられるそうです。
コーダあいのうた:2022年公開の洋画
しずかちゃんとパパ:NHKBSプレミアムドラマ
デフ・ヴォイス法廷の手話通訳士:2023年のドラマ
市川沙央(いちかわ・さおう):2023年第169回芥川賞受賞者。作品、『ハンチバック』
『コンテンツ その3 9~12のエッセイと、おわりに』
聴覚障害者向けのデジタル機器について書いてあります。
『ビデオ通話機能』:リモート電話で、手話を映像に出して活用する。
当初の、ガラ系携帯電話では、両親と電話での意思疎通ができなかった。
『ブギーボード』
電子メモパッド。付属のペンで画面に文字を書く。
ボタンを押すと瞬時に文字は消える。
筆談用ですな。
お年寄りになって、耳が遠くなってしまった人にも使えそうです。
富士通の、『Ontenna(オンテナ)』
映画鑑賞に活用できる。
クリップ式の小型機器
振動や光で、音楽を体感できる。
『電話リレーサービスの開始』
手話ができる通訳オペレーター(機器操作者)が介在して、ろう者(聴覚障害者)が聴者(ちょうしゃ。聴覚に障害がない人)と話せる。
『AIで動くロボット犬 aibo』
著者の愛犬は、「ししまる」というお名前だそうです。
機械ではありますが、自分の家族だそうです。なんだか、わかる気がします。人は、話し相手が欲しい。
『ノートパソコン』
ろう者である著者の父親が血液のがんで入院します。
担当医師が、パソコンを使って、ディスプレイ(画面)に文字を打ち込んで、父親を含めたご家族に病状説明をします。『死』という文字が、画面に出たそうです。
不備のある規則について書いてあります。
『聴覚障害者だけでは、ロープウェイにはのれない』
『テーマパークで、聴覚障害者はアトラクションに乗れない』
理由は安全のため。いざというときに、音が聞こえないと危険だそうです。
事前に、聴こえない人の意見を聞いてくれない。
当事者不在でものごとを決めないで欲しいという希望があります。希望を聞けば、代案が出てくるそうです。
聴こえない人に聞くことが、ハードルが高いのだろうかとあります。(困難度が大きい。まあ、そんなことはないとは思いますが、どこにたずねればいいのかがわからないのかもしれません)
耳が聴こえないからといって、同情されると、心が傷つくそうです。
著者の家族のなかがけっこうたいへんです。
祖父:元ヤクザ。短気、お酒のみの暴れん坊
祖母:穏やかだが、宗教に没頭。人生のすべてを神にささげる暮らし
父:4歳の時、結核治療のための注射の副作用で、聴力を失った。
母:生まれつきの聴覚障害者
なんだか、以前読んだ本にあった、にしおかすみこさんのご家庭を思い出します。
『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』
2023年(令和5年)に読みました。そのときの感想メモの一部です。
しっかりものの看護師をしていた母親が『(自分の)頭をかちわって死んでやるーー』と大きな声を出していたそうです。驚きました。認知症で人格が変わってしまったようです。
ぱっと本に目をとおして、おかあさんが認知症、お姉さんがダウン症、お父さんはお酒飲み、にしおかさんは芸人さんです。なかなかハードなものがあります。
ダウン症:ダウン症候群。染色体が1本多い。遺伝子疾患。身体的発達の遅延。軽度の知的障害。特徴的な顔つき。
中学のときに病気で亡くなりましたが、うちの親父もお酒飲みで苦労しました。お酒飲みの親をもつと、こどもは、ふつうなら体験しなくてもいい苦労を体験させられます。そうでない家がうらやましかった。
にしおかファミリーです。
お母さん:80歳。認知症で無表情。いろいろなことの管理能力なし。機械が壊れるように人間が壊れています。糖尿病があります。
お姉さん:47歳。ダウン症
お父さん:81歳。酔っ払い。耳が遠い。
著者:45歳。元SM女王さまキャラクターの芸人。独身とあります。なかなか厳しい生活環境です。
こちらの本に戻ります。
それぞれが、それぞれの境遇の家庭に生まれてきた。
どうしようもない。しかたがない。
いつも、心の中で、気持ちに折り合いをつけて、今ある環境に自分を適合・適応させていく努力を続けていた。
正直な気持ちとして、耳が聴こえない人を、憐れんでもらいたくない(あわれんで。かわいそうだと思う)。腫物(はれもの)に触るように接してもらいたくない(相手を傷つけないように慎重に接する)。
S0DA(ソーダ):Siblings Of Deaf Adults/Children):聴こえないきょうだいを持つ聴こえるきょうだいのこと。たとえば、聴こえない弟がいる兄
聴こえないというだけで、期待されていない弟の姿を見ることがつらかった。自分は弟をかわいそうだとは思っていなかった。ふつうの兄弟だった。
聴こえないきょうだいがいることで、結婚が破談になった。理由は遺伝だった。
聴こえない人間=不幸ではない。
人はいつも、『知らないもの』を排除しようとする。
141ページにある11番目のエッセイは秀逸です。
わたしは本を読んで、この部分が一番良かった。
タイトルは、『父について』です。
母親のことばかりを気にして、父親のことは気にしていなかった。
父親は立派な人で、自分でなんでもできる人だと思っていた。父は大丈夫な人だと思っていた。
だから、父親のことは頭から離れて、母親のことばかりを考えていたそうです。
ところが、父親はそんなに強い人ではなかったのではないかということです。
父親は、血液のがんで入院してしまいます。
父は耳が聴こえなかったが、著者である息子をかわいがり、小さいころからいろいろなところへ連れて行ってくれた。アウトドア派の父で、虫捕り、釣り、山登り、潮干狩り、海水浴、映画(ドラえもんほか)。父親は耳が聴こえないので、字幕がある映画を観たがったそうです。こどもである著者は、それはイヤだったそうです。(わたしもおやじがよく映画に連れて行ってくれました。怪獣映画とか、クレージーキャッツの映画とか。字幕の有無は、自分は気にしませんでした。映像を観ることで、自分が見たことがない世界があることを楽しめました)
2023年にお父さんは血液のがんで入院されます。
そのあたりの記述は、以前読んだ別の本を思い出しました。
『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社』
俳優さんですが、いろいろたいへんな経験をされて、余命宣告から生還されています。
こちらの著者のお父さんも生還されています。
父親は天体に興味があり、大学に進学して、天文学者になりたかった。
夢はかなわなかった。大学への進学は無理だった。父親は、塗装職人になった。
その部分を読んで、ふたつ思い出しました。
ひとつは、小説作品、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』、それからドラマになった、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10 毎週火曜日午後10時放送 全10話』です。登場人物のひとりが、宇宙にかかわる仕事をしたいのですが、思いどおりの進路をたどれないのです。定時制高校に通う生徒たちが、火星に関する研究発表に挑みます。
もうひとつが、映画、『ぼくが生きてる、ふたつの世界 邦画 2024年(令和6年)』です。
こちらの本の著者の家族が主人公の映画です。
映画のスタートは、無音です。ろう者の世界ですから、音のない世界で、主人公のお父さんが、漁船の船体にブルーの塗料を塗る作業をしています。それが、お父さんの仕事です。
親の耳が聴こえないということは、ほかの人から見れば、いろいろ不都合があると思うのだろうが、当事者にとっては、不都合はありませんということを説明されています。
今度生まれ変わることができるなら、今回と同様に、耳が聴こえない同じ両親のもとに生まれてきたいそうです。
著者は、耳が聴こえる両親のもとで育つことの、なかみのイメージが想像できないようすです。
自分たちは、かわいそうな人間ではありませんと表現されています。ぜんぜん、かわいそうじゃありませんと強調されています。
158ページまで文章を読んできて感じたことです。
きれいな言葉を使うと、「幸せ」が近づいてきます。
乱暴な言葉を使うと、「不幸せ(ふしあわせ)」が近づいてきます。
障害者が生活しにくい環境構造はだれがつくりあげたものなのか。
この社会は、『健常であること』を前提につくられている。
標準からこぼれ落ちてしまう人たちのことを踏まえずに設計されてきた。(今のアメリカ大統領に聞かせたい言葉です)
合理的配慮:障害者差別解消法。2013年制定(平成25年)。2021年(令和3年)改正。2024年(令和6年)施行。①物理的環境への合理的配慮 ②意思疎通への合理的配慮 ③ルールや慣行の柔軟な変更
してはいけないこと。①前例がないので、対応できません ②障害のある人だけを特別扱いできません ③もしなにかあったらいけないので、対応できません ④なになにの障害がある人には対応できません
わたしが長いこと生きてきて思うに、人は歳をとれば、最終的にはだれもが障害者になります。歩くことができなくなって車いす生活です。寝たきりの介護状態になります。だんだん、体の耐用年数が近づいてくるのです。足腰も目も歯もぼろぼろになっていきます。そういうことも含めて、障害者の人たちが楽に利用できる施設などは、年寄りや、当然健常者にとっても利用しやすい施設なのです。
損か得か、お金もうけのことばかり考えていたら、人間界は、くちゃくちゃになってしまうのです。
2025年05月05日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 岐阜県からなばなの里
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 岐阜県五宝滝から三重県なばなの里への旅 テレビ東京 TVerとかネットもテレ東とか
岐阜&愛知&三重の“名城街道”125キロ!美しき五宝滝から国宝“犬山城”通って絶景イルミネーションの“なばなの里”へ!ですが井上咲楽&たんぽぽ川村は食べまくり!ヤバいよヤバいよSP
ゲストの井上咲楽さんが豪快な食べっぷりです。びっくりしました。
ロケ前の朝食は、納豆ごはんを2杯食べて来たそうです。結局この日は、お昼にごはん2杯、夕食で同じく2杯、合計6杯は食べられて、ロケ終了で充電旅から抜けていかれました。
フルマラソン42.195キロを何度も走っておられるそうです。若さがうらやましい。
井上咲楽さんは、美人さんなのに、動きは、おっさんのようです。
お昼のとんちゃん屋のごはんは、どんぶり飯(メシ)のように見えました。土方仕事(どかた仕事。肉体労働者)の男性が食べるメシです。(とんちゃん屋の奥さんのコメントが良かった。『主人は、あの世にいっちゃって、ひとりでやっているので……(時間がかかる)』
メニューは、とんちゃん(ブタ)、てっちゃん(ウシ)、けいちゃん(ニワトリ)というお肉です。
夕食の飛騨牛のお店では、井上咲楽さんは、ぶ厚い飛騨牛のお肉を、まるで、握りずしのようにして食べておられました。料理の宣伝番組に出ることができますなーー おいしそうに食べておられました。
自分は、井上咲楽さんについて、前回この番組に出演されたときの好印象があります。
おととしの出演でした。
『行くぞ!九州最強の温泉街道120キロ!九重(くじゅう)“夢”大吊橋(おおつりばし)から“黒川温泉”を通って名湯“湯布院”へ!ですが竹山&咲楽(さくら)がノンビリすぎて前に進まなーい!ヤバイよヤバイよSP』
井上咲楽さんのお名前は本名です。邦画『男はつらいよ』に出てくる倍賞千恵子さんの役名『さくら』からきているという話が出ました。井上咲楽さんのお父さんが、邦画、『男がつらいよ』のファンだそうです。お父さんは東京葛飾柴又のご出身だそうです。
井上咲楽さんの姉妹は、咲楽さんの下に妹が三人いるそうで(井上咲楽さんは、4人姉妹の長女)、一番下とは11歳、歳(とし)が離れているそうで、番組の映像のなかでは、たまたま知り合ったお宅の小さな女の子をおんぶされていました。いつも妹たちをおんぶしてましたみたいなコメントがあって、好感をもちました。
井上咲楽さんは、ロケの途中で出会った幼稚園の年長さんらしき坊主頭の男の子に、『どこに住んでいるの?』と聞かれて、東京の目黒区だよと返事をして、『泊まりに来ていいよ』と声をかけたのでびっくりしました。
男の子は、『おかあさんがいいって言ったらね』と返していました。ほほえましい。井上咲楽さんは、人慣れしています。
井上咲楽さんの親御さんがじょうずに子育てをされたのだということがよくわかります。
今回の城めぐりロケでは、井上咲楽さんは、歴史がにがてということが表面に出てしまいました。犬山城で、織田信長のことを、織田信成(フィギャスケートの選手)さんと言って、まわりにいた人たちが、ぼーぜんとしていました。おもしろい。
犬山城の天守閣の登り階段ですれ違ったアフリカナイジェリアの男性が、出川さんの番組を見ていますと言ったのでびっくりしました。先日の台湾ロケでは、台湾のお宅で、充電バイクの放送がされていましたが、アフリカナイジェリアでも放送されているのだろうか。あるいは、DVDを見ておられるのかもしれません。
犬山城の天守閣から見下ろした風景がとてもきれいで良かった。木曽川、それから、岐阜市の山のてっぺんにある岐阜城も見えました。わたしもそこへ行ったことがありますが、もうずいぶん昔のことで記憶が薄れています。
木曽川にかかる橋について、昔は、名鉄電車が橋のまんなかを走っていて、その隣を乗用車が走っていた記憶ですが、現在は新しい橋が架けられたのでしょう。電車と車は別々の橋を渡っている映像が見えました。
岐阜県各務原市(かかみがはらし)は、以前、用事があって、何度も行きました。映像に出てきた長い橋を車で渡ったこともあります。
映像では、こどもたちとのバスケット対決(意外に出川さんのシュートが次々と決まって驚きました。野球対決では負けてばかりですが、バスケットでは勝ちました)、そのあとの、野球の打撃対決(出川さんは負けました)など、楽しいシーンがありました。
夕日がきれいでした。
飛騨牛料理はおいしそうですが、かなりお高い。ステーキセットヒレが、おひとりさま1万8000円です。手が出ません。
ライトアップされた山のてっぺんにある岐阜城が美しかった。
途中、生後7か月のあかちゃんを出川さんがだっこさせてもらいましたが、あかちゃんがおびえて泣き出しました。やっぱり、ママの胸のなかが落ち着くのでしょう。
今回の放送は、前半でした。
終わりの部分で、川村エミコさんが登場しましたが、川村さんは相当緊張されていたようすで、入り方がぎこちなくて、なんだか変でした。野球のシーンの最後、みんなで記念撮影のシーンだったのですが、川村エミコさんがしゃべり過ぎて、その場の雰囲気が損なわれた(そこなわれた)ようなようすでした。まあ、しかたがありません。
(後半の放送)
なんというか、前半も含めて、ひたすら食べるシーンが続くようなロケでした。それは、それでかまいません。
自分にとっては、見慣れた景色でした。河川敷とか、鉄道の駅とか、道の駅とか、温泉とか、身近な地域です。いいお天気で良かった。
大垣市の水まんじゅうが、よかった。水圧でひっくりかえす技(わざ)があります。味もおいしそうでした。以降、かつ丼、ラーメン、パン、コーヒーと続きます。
床屋さんでのロケも良かった。芸能人に出会えて、うれしさのあまり、涙が湧いてきた高齢男性の気持ちがわかります。人生のいい思い出です。
温泉も、映像を見ているだけで、自分も入ったような気分になれます。だいたいの体験はしてきたので、そのときのことを思い出しながら想像します。
川村エミコさんの、温泉タオルの旅番組というのは見たことがないのですが、川村さんも出川さんもかなり感激されていましたから、よほど、いいことがあったのでしょう。温泉タオルを手に入れられました。
『なばなの里』のイルミネーションは、きれいですなあ。
わたしなんぞは、品(ひん)がないから、電気代の経費について考えてしまいます。入場料等で稼がねば(かせがねば)なりませぬな。
光のトンネル200mが良かった。幸せになれるような気がします。きれいで、豪華、そして、雄大です。富士山を素材にしたイルミネーション(照明)も良かった。光のショーですな。
岐阜&愛知&三重の“名城街道”125キロ!美しき五宝滝から国宝“犬山城”通って絶景イルミネーションの“なばなの里”へ!ですが井上咲楽&たんぽぽ川村は食べまくり!ヤバいよヤバいよSP
ゲストの井上咲楽さんが豪快な食べっぷりです。びっくりしました。
ロケ前の朝食は、納豆ごはんを2杯食べて来たそうです。結局この日は、お昼にごはん2杯、夕食で同じく2杯、合計6杯は食べられて、ロケ終了で充電旅から抜けていかれました。
フルマラソン42.195キロを何度も走っておられるそうです。若さがうらやましい。
井上咲楽さんは、美人さんなのに、動きは、おっさんのようです。
お昼のとんちゃん屋のごはんは、どんぶり飯(メシ)のように見えました。土方仕事(どかた仕事。肉体労働者)の男性が食べるメシです。(とんちゃん屋の奥さんのコメントが良かった。『主人は、あの世にいっちゃって、ひとりでやっているので……(時間がかかる)』
メニューは、とんちゃん(ブタ)、てっちゃん(ウシ)、けいちゃん(ニワトリ)というお肉です。
夕食の飛騨牛のお店では、井上咲楽さんは、ぶ厚い飛騨牛のお肉を、まるで、握りずしのようにして食べておられました。料理の宣伝番組に出ることができますなーー おいしそうに食べておられました。
自分は、井上咲楽さんについて、前回この番組に出演されたときの好印象があります。
おととしの出演でした。
『行くぞ!九州最強の温泉街道120キロ!九重(くじゅう)“夢”大吊橋(おおつりばし)から“黒川温泉”を通って名湯“湯布院”へ!ですが竹山&咲楽(さくら)がノンビリすぎて前に進まなーい!ヤバイよヤバイよSP』
井上咲楽さんのお名前は本名です。邦画『男はつらいよ』に出てくる倍賞千恵子さんの役名『さくら』からきているという話が出ました。井上咲楽さんのお父さんが、邦画、『男がつらいよ』のファンだそうです。お父さんは東京葛飾柴又のご出身だそうです。
井上咲楽さんの姉妹は、咲楽さんの下に妹が三人いるそうで(井上咲楽さんは、4人姉妹の長女)、一番下とは11歳、歳(とし)が離れているそうで、番組の映像のなかでは、たまたま知り合ったお宅の小さな女の子をおんぶされていました。いつも妹たちをおんぶしてましたみたいなコメントがあって、好感をもちました。
井上咲楽さんは、ロケの途中で出会った幼稚園の年長さんらしき坊主頭の男の子に、『どこに住んでいるの?』と聞かれて、東京の目黒区だよと返事をして、『泊まりに来ていいよ』と声をかけたのでびっくりしました。
男の子は、『おかあさんがいいって言ったらね』と返していました。ほほえましい。井上咲楽さんは、人慣れしています。
井上咲楽さんの親御さんがじょうずに子育てをされたのだということがよくわかります。
今回の城めぐりロケでは、井上咲楽さんは、歴史がにがてということが表面に出てしまいました。犬山城で、織田信長のことを、織田信成(フィギャスケートの選手)さんと言って、まわりにいた人たちが、ぼーぜんとしていました。おもしろい。
犬山城の天守閣の登り階段ですれ違ったアフリカナイジェリアの男性が、出川さんの番組を見ていますと言ったのでびっくりしました。先日の台湾ロケでは、台湾のお宅で、充電バイクの放送がされていましたが、アフリカナイジェリアでも放送されているのだろうか。あるいは、DVDを見ておられるのかもしれません。
犬山城の天守閣から見下ろした風景がとてもきれいで良かった。木曽川、それから、岐阜市の山のてっぺんにある岐阜城も見えました。わたしもそこへ行ったことがありますが、もうずいぶん昔のことで記憶が薄れています。
木曽川にかかる橋について、昔は、名鉄電車が橋のまんなかを走っていて、その隣を乗用車が走っていた記憶ですが、現在は新しい橋が架けられたのでしょう。電車と車は別々の橋を渡っている映像が見えました。
岐阜県各務原市(かかみがはらし)は、以前、用事があって、何度も行きました。映像に出てきた長い橋を車で渡ったこともあります。
映像では、こどもたちとのバスケット対決(意外に出川さんのシュートが次々と決まって驚きました。野球対決では負けてばかりですが、バスケットでは勝ちました)、そのあとの、野球の打撃対決(出川さんは負けました)など、楽しいシーンがありました。
夕日がきれいでした。
飛騨牛料理はおいしそうですが、かなりお高い。ステーキセットヒレが、おひとりさま1万8000円です。手が出ません。
ライトアップされた山のてっぺんにある岐阜城が美しかった。
途中、生後7か月のあかちゃんを出川さんがだっこさせてもらいましたが、あかちゃんがおびえて泣き出しました。やっぱり、ママの胸のなかが落ち着くのでしょう。
今回の放送は、前半でした。
終わりの部分で、川村エミコさんが登場しましたが、川村さんは相当緊張されていたようすで、入り方がぎこちなくて、なんだか変でした。野球のシーンの最後、みんなで記念撮影のシーンだったのですが、川村エミコさんがしゃべり過ぎて、その場の雰囲気が損なわれた(そこなわれた)ようなようすでした。まあ、しかたがありません。
(後半の放送)
なんというか、前半も含めて、ひたすら食べるシーンが続くようなロケでした。それは、それでかまいません。
自分にとっては、見慣れた景色でした。河川敷とか、鉄道の駅とか、道の駅とか、温泉とか、身近な地域です。いいお天気で良かった。
大垣市の水まんじゅうが、よかった。水圧でひっくりかえす技(わざ)があります。味もおいしそうでした。以降、かつ丼、ラーメン、パン、コーヒーと続きます。
床屋さんでのロケも良かった。芸能人に出会えて、うれしさのあまり、涙が湧いてきた高齢男性の気持ちがわかります。人生のいい思い出です。
温泉も、映像を見ているだけで、自分も入ったような気分になれます。だいたいの体験はしてきたので、そのときのことを思い出しながら想像します。
川村エミコさんの、温泉タオルの旅番組というのは見たことがないのですが、川村さんも出川さんもかなり感激されていましたから、よほど、いいことがあったのでしょう。温泉タオルを手に入れられました。
『なばなの里』のイルミネーションは、きれいですなあ。
わたしなんぞは、品(ひん)がないから、電気代の経費について考えてしまいます。入場料等で稼がねば(かせがねば)なりませぬな。
光のトンネル200mが良かった。幸せになれるような気がします。きれいで、豪華、そして、雄大です。富士山を素材にしたイルミネーション(照明)も良かった。光のショーですな。
2025年05月04日
対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~ 第5話
対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~ 第5話 TBS火曜ドラマ 22:00~22:57 動画配信サービス
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
第5話:子供の将来は親の責任払い?
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます。調べたら3歳の子役さんでした。もうすぐ4歳です。かなり演技がうまい)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)(先日動画配信サービスで、邦画、「はたらく細胞」を見ていたら、一ノ瀬ワタルさんが出てきたので、楽しい気持ちになりました。体が大きい人です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。中谷達也は、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
こどもさんの、『体験』の話です。『体験格差』とか、『「体験」は親から子へ送る武器』とか、そんな話が出ます。だけど、まだ、こどもたちはちっちゃい。1歳から3歳ぐらいに見えるちびっこたちです。
それから、共働きの子育てで、夫が、家事に協力してくれないことについて、妻が猛烈に怒る(いかる)話です。ドラマのなかで、江口のりこさんが、夫の川西賢志郎さんに、猛烈にくってかかります。それを見ていたうちの奥さんには大うけで、奥さんは、そうだそうだと吠えて(ほえて)いました。横で見ているだんなのわたしは恐縮です。されど、うちら夫婦にとってはもう30年ぐらい前の話です。反省しております。
江口のりこさんに叱られる夫役が、お笑いコンビの、『和牛(わぎゅう)』を解散された川西賢志郎さんです。いつだったか、番組で、えみちゃんこと、上沼恵美子さんが、和牛のおふたりに対して、態度が悪いとえらい剣幕で叱っておられたシーンを思い出しました。川西賢志郎さんは、叱られ役に向いています。
ドラマでは、親子のふれあいかたが、表現されています。
映像を観ていて、考えたことがあります。
わたしは、1か月ぐらい前から、CODA(コーダ。耳が聞こえない親から生まれた耳が聞こえるこどもたちのことを、「コーダ」といいます)に関する本を読んだり、映画を観たりしています。
いっけん、不自由そうな子育てに見えるのですが、ぜんぜん違います。耳が聞こえないことで、十分な親子のスキンシップがあるのです。気持ちが親子両方で満たされています。
対して、こちらのドラマでは、耳が聞こえる者同士なのに、親子でも夫婦でもうまくいっていないのです。
CODAに関して、本と映画を紹介しておきます。耳が聞こえないので、親と子がお互いの顔と目をしっかり見ながら、手話や指文字や口話(くちびるの動きで言葉を拾う)するのです。
1 「コーダ」のぼくが見る世界 聴こえない親のもとに生まれて 五十嵐大(いがらし・だい) 紀伊国屋書店
2 『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
3 『ぼくが生きてる、ふたつの世界 邦画 2024年(令和6年)』
こちらの本の著者の家族が主人公の映画です。映画のスタートは、無音です。ろう者の世界ですから、音のない世界で、主人公のお父さんが、漁船の船体にブルーの塗料を塗る作業をしています。それが、耳が聞こえないお父さんの仕事です。
本では、生まれてきて、自分の親の耳が聞こえないという状態が、苦痛ではない。(それなりに順応して、ほぼスムーズに日常生活を送れるという人間のすばらしい能力があるのです)。自分では、あたりまえだと思っていた生活が、小学校に入ると、あたりまえではないということに気づいてショックを受けた。それに続くご苦労が書いてあります。
4 『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ふたりのお子さんをもつ、ろうの、ご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは、『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。こどもさんおふたりは、耳が聞こえます。
『ことば』にこだわる本です。耳が聴こえない両親です。親子の会話は手話でします。意思を伝えあうために、『ことば』にこだわります。
親は、指文字を使って、我が子をあやすそうです。こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)。こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)。3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。指文字は、スキンシップです。さらに、ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。数字も指文字で覚えます。『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
5 『コーダ あいのうた アメリカ映画 2022年(令和4年) 1時間51分 動画配信サービス』
両親と兄の3人について、耳が聞こえません。耳が聞こえる妹の女子高生が、耳が聞こえる人たちと家族との間で、『通訳』の役割を果たしています。
非常におもしろい家族です。夫婦仲、家族仲がとてもいい。映画では、いんきんたむしの話から始まってのくだり(つながった話)に大笑いしました。下ネタ満載(まんさい)のコメディ映画です。ぜんぜん深刻ではありません。今年観て良かった1本になりました。
まあ、それでも、障害者差別はあるし、耳が聞こえる主人公の女子高生にもそれなりの悩みがあります。
こちらのドラマの話に戻ります。今回のドラマでは、『グランピング』が出てきます。
以前、テレビ番組、『東野&岡村の旅猿(終了してしまいました。残念です)』で、紹介されていましたが、まあ、豪華なキャンプという感じでした。そのときは、宿泊利用だったのですが、今回のこちらのドラマでは、バーベキューをした夕食後、現地で解散されたような雰囲気でした。グランピングは、日帰り利用もできるようです。
リトミック:音楽教育法。こどもたちが、音楽にあわせて体を動かす。
ドラマでは、テーマとして、『正しさの追求』があるのですが、何が正しいのかは、判然としないのです。(はっきりとよくわからない)
こどもさんの教育なのですが、わたしなんぞは、就学前のこどもには、ちゃんとごはんを食べさせて、とりあえず生きていてくれれば、それでよしという期間だと思うのです。なにせちびっこたちは、病気やケガばっかりするのです。
夫婦を演じる江口のりこさんと川西賢志郎さんは、演技じょうずです。江口さんもじょうずですが、川西さんもじょうずです。いい配役です。
緒形直人さんが暗い雰囲気で、多部未華子さんの父親役を演じます。NHK朝ドラの「おむすび」でも同じような役柄でした。どうしたのだろう。若い頃は見た目もかっこよかったのに、すっかり老けこんで(ふけこんで)しまわれました。見ていると、お父さんである緒形拳さんの名演技を思い出します。
多部未華子さんのふりかえりと考察です。多部さんが女子高生、三人家族だったころのことです。
父も自分も、専業主婦ひとり(母親)に家事を押し付けた。繰り返しますが、父も娘も、家事はすべて母に押し付けた。そして母は、若くして病死した。家事は、専業主婦をしている母親がやるのが当然だと、夫も娘も思い込んでいた。専業主婦をしている母親に感謝する気持ちが、父と娘、ふたりともになかった。
多部さんに、強い自責の念(じせきのねん。後悔。自分にも責任がある)があります。
こちらのドラマは、専業主婦を応援するドラマでもあります。
その部分のシーンを見ながら自分が思いついたことです。
『ありがとう』を言わない人とは、付き合わないほうがいい。苦労させられるだけです。『ありがとう』を言わない人は、他人を自分の都合のいいように使う人です。そんな人の指示や命令に従う必要はありません。(お金がもらえるなら、従うこともありますが…… まあ、人間の気持ちは複雑です)
苺役(いちごやく)の子役さんが、まだ小さいのに(3歳ぐらいに見えます)、やけに演技がうまい。うますぎる。ちゃんと役にはまっています。
多部未華子さんとディーン・フジオカさんとのやりとりがおもしろかった。
高校時代ディーン・フジオカさんがクラブ活動はなに部だったかのクイズ形式です。口でドラムロールの音もあります。パソコン部から帰宅部への流れは予想できました。わたしは正解しました。うれしい。
なんというか、過去のうまくいかなかったことを思い出した時の自分の気持ちを支えるための言葉として、『あれは、あれで良かった』というものがあります。あの失敗があったからこそ、今の成功があるということは十分にありえます。
ディーン・フジオカさんから、多部さんへの励ましの言葉がありました。
レモン(失敗作を意味するそうです)にまつわる話でした。
ころんでもただでは起きない。不運から、何かいいものをつくりだそうという励ましの言葉でした。
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
第5話:子供の将来は親の責任払い?
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます。調べたら3歳の子役さんでした。もうすぐ4歳です。かなり演技がうまい)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)(先日動画配信サービスで、邦画、「はたらく細胞」を見ていたら、一ノ瀬ワタルさんが出てきたので、楽しい気持ちになりました。体が大きい人です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。中谷達也は、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
こどもさんの、『体験』の話です。『体験格差』とか、『「体験」は親から子へ送る武器』とか、そんな話が出ます。だけど、まだ、こどもたちはちっちゃい。1歳から3歳ぐらいに見えるちびっこたちです。
それから、共働きの子育てで、夫が、家事に協力してくれないことについて、妻が猛烈に怒る(いかる)話です。ドラマのなかで、江口のりこさんが、夫の川西賢志郎さんに、猛烈にくってかかります。それを見ていたうちの奥さんには大うけで、奥さんは、そうだそうだと吠えて(ほえて)いました。横で見ているだんなのわたしは恐縮です。されど、うちら夫婦にとってはもう30年ぐらい前の話です。反省しております。
江口のりこさんに叱られる夫役が、お笑いコンビの、『和牛(わぎゅう)』を解散された川西賢志郎さんです。いつだったか、番組で、えみちゃんこと、上沼恵美子さんが、和牛のおふたりに対して、態度が悪いとえらい剣幕で叱っておられたシーンを思い出しました。川西賢志郎さんは、叱られ役に向いています。
ドラマでは、親子のふれあいかたが、表現されています。
映像を観ていて、考えたことがあります。
わたしは、1か月ぐらい前から、CODA(コーダ。耳が聞こえない親から生まれた耳が聞こえるこどもたちのことを、「コーダ」といいます)に関する本を読んだり、映画を観たりしています。
いっけん、不自由そうな子育てに見えるのですが、ぜんぜん違います。耳が聞こえないことで、十分な親子のスキンシップがあるのです。気持ちが親子両方で満たされています。
対して、こちらのドラマでは、耳が聞こえる者同士なのに、親子でも夫婦でもうまくいっていないのです。
CODAに関して、本と映画を紹介しておきます。耳が聞こえないので、親と子がお互いの顔と目をしっかり見ながら、手話や指文字や口話(くちびるの動きで言葉を拾う)するのです。
1 「コーダ」のぼくが見る世界 聴こえない親のもとに生まれて 五十嵐大(いがらし・だい) 紀伊国屋書店
2 『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
3 『ぼくが生きてる、ふたつの世界 邦画 2024年(令和6年)』
こちらの本の著者の家族が主人公の映画です。映画のスタートは、無音です。ろう者の世界ですから、音のない世界で、主人公のお父さんが、漁船の船体にブルーの塗料を塗る作業をしています。それが、耳が聞こえないお父さんの仕事です。
本では、生まれてきて、自分の親の耳が聞こえないという状態が、苦痛ではない。(それなりに順応して、ほぼスムーズに日常生活を送れるという人間のすばらしい能力があるのです)。自分では、あたりまえだと思っていた生活が、小学校に入ると、あたりまえではないということに気づいてショックを受けた。それに続くご苦労が書いてあります。
4 『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ふたりのお子さんをもつ、ろうの、ご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。本の帯にあるメッセージは、『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。そして二男です。こどもさんおふたりは、耳が聞こえます。
『ことば』にこだわる本です。耳が聴こえない両親です。親子の会話は手話でします。意思を伝えあうために、『ことば』にこだわります。
親は、指文字を使って、我が子をあやすそうです。こどもさんは、手話と指文字と日本語を同時に覚えていくそうです。(すばらしい)。こどもさんの耳が聴こえて、こどもさんが、言葉を話すことがうれしいそうです。(胸にじんときます)
家族同士が「手」で話すのです。(すごいなーー)。3歳の長男が、0歳の二男を指文字であやします。指文字は、スキンシップです。さらに、ろう者である祖母が、指文字で「あいうえお」を教えます。不思議です。言葉を話すことができるこどもさんが、あえて、言葉を使わずに、指文字でコミュニケーションを図ります。数字も指文字で覚えます。『教育のしかた』について、深く考えさせられる本です。
5 『コーダ あいのうた アメリカ映画 2022年(令和4年) 1時間51分 動画配信サービス』
両親と兄の3人について、耳が聞こえません。耳が聞こえる妹の女子高生が、耳が聞こえる人たちと家族との間で、『通訳』の役割を果たしています。
非常におもしろい家族です。夫婦仲、家族仲がとてもいい。映画では、いんきんたむしの話から始まってのくだり(つながった話)に大笑いしました。下ネタ満載(まんさい)のコメディ映画です。ぜんぜん深刻ではありません。今年観て良かった1本になりました。
まあ、それでも、障害者差別はあるし、耳が聞こえる主人公の女子高生にもそれなりの悩みがあります。
こちらのドラマの話に戻ります。今回のドラマでは、『グランピング』が出てきます。
以前、テレビ番組、『東野&岡村の旅猿(終了してしまいました。残念です)』で、紹介されていましたが、まあ、豪華なキャンプという感じでした。そのときは、宿泊利用だったのですが、今回のこちらのドラマでは、バーベキューをした夕食後、現地で解散されたような雰囲気でした。グランピングは、日帰り利用もできるようです。
リトミック:音楽教育法。こどもたちが、音楽にあわせて体を動かす。
ドラマでは、テーマとして、『正しさの追求』があるのですが、何が正しいのかは、判然としないのです。(はっきりとよくわからない)
こどもさんの教育なのですが、わたしなんぞは、就学前のこどもには、ちゃんとごはんを食べさせて、とりあえず生きていてくれれば、それでよしという期間だと思うのです。なにせちびっこたちは、病気やケガばっかりするのです。
夫婦を演じる江口のりこさんと川西賢志郎さんは、演技じょうずです。江口さんもじょうずですが、川西さんもじょうずです。いい配役です。
緒形直人さんが暗い雰囲気で、多部未華子さんの父親役を演じます。NHK朝ドラの「おむすび」でも同じような役柄でした。どうしたのだろう。若い頃は見た目もかっこよかったのに、すっかり老けこんで(ふけこんで)しまわれました。見ていると、お父さんである緒形拳さんの名演技を思い出します。
多部未華子さんのふりかえりと考察です。多部さんが女子高生、三人家族だったころのことです。
父も自分も、専業主婦ひとり(母親)に家事を押し付けた。繰り返しますが、父も娘も、家事はすべて母に押し付けた。そして母は、若くして病死した。家事は、専業主婦をしている母親がやるのが当然だと、夫も娘も思い込んでいた。専業主婦をしている母親に感謝する気持ちが、父と娘、ふたりともになかった。
多部さんに、強い自責の念(じせきのねん。後悔。自分にも責任がある)があります。
こちらのドラマは、専業主婦を応援するドラマでもあります。
その部分のシーンを見ながら自分が思いついたことです。
『ありがとう』を言わない人とは、付き合わないほうがいい。苦労させられるだけです。『ありがとう』を言わない人は、他人を自分の都合のいいように使う人です。そんな人の指示や命令に従う必要はありません。(お金がもらえるなら、従うこともありますが…… まあ、人間の気持ちは複雑です)
苺役(いちごやく)の子役さんが、まだ小さいのに(3歳ぐらいに見えます)、やけに演技がうまい。うますぎる。ちゃんと役にはまっています。
多部未華子さんとディーン・フジオカさんとのやりとりがおもしろかった。
高校時代ディーン・フジオカさんがクラブ活動はなに部だったかのクイズ形式です。口でドラムロールの音もあります。パソコン部から帰宅部への流れは予想できました。わたしは正解しました。うれしい。
なんというか、過去のうまくいかなかったことを思い出した時の自分の気持ちを支えるための言葉として、『あれは、あれで良かった』というものがあります。あの失敗があったからこそ、今の成功があるということは十分にありえます。
ディーン・フジオカさんから、多部さんへの励ましの言葉がありました。
レモン(失敗作を意味するそうです)にまつわる話でした。
ころんでもただでは起きない。不運から、何かいいものをつくりだそうという励ましの言葉でした。
2025年05月02日
しあわせは食べて寝て待て 第4話と第5話 NHKドラマ10
しあわせは食べて寝て待て NHKドラマ10 火曜日夜10時のドラマ 全9話
第4話と第5話の感想です。
原作漫画:しあわせは食べて寝て待て 全5巻 水凪トリ(みずなぎ・とり) 秋田書店
俳優:
桜井ユキ:麦巻さとこ。膠原病患者(こうげんびょう。映像では、『シェーグレン症候群』という病名が見えました。自己免疫疾患。体がだるい。微熱。関節がはれる、痛む)
現在は、週4日デザイン事務所でパート。独身38歳。病気(膠原病)で大企業を退職して小さなデザイン事務所に転職した。ひとり暮らし。家賃が更新で高くなる賃貸マンションから、家賃が安い公団団地に引っ越した。
加賀まりこ:美山鈴(みやま・すず)。団地で、麦巻さとこの隣人。90歳高齢者。彼女の同居人として、薬膳に詳しい若い男が居候している。そのふたりの関係は他人
宮沢氷魚(みやざわ・ひお):羽白司(はねしろ・つかさ)。薬膳に詳しい若い男。加賀まりこ宅の同居人
土居志央梨(どい・しおり):高麗さん(こうらいさん)という絵描きの役です。
目白弓(めじろ・ゆみ):女子高生。麦巻さとこの副業である部屋貸しの利用者。受験生だが、団地の部屋が狭く、家族が受験勉強に協力してくれない。とくに父親がばかおやじで、大きな声でテレビをつけてねっころがって大笑いしている。母親も弟も非協力的で、本人はふさぎこんでいる。本人は、関西の大学に進学したい。そんな家を出たい。出たらもう帰ってきたくないでしょう。
(第4話の感想です)
平和です。土居志央梨さんの登場です。
絵を描いている。団地に引っ越してきました。
パンチ力はないけれど、じわーっと心があたたまってくるドラマです。
今回は、麦巻さとこさんの毎月の収入が少ないので、女子高生に1時間400円で部屋貸しをするお話です。
薬膳がらみのお料理は、ざるそば、てんぷら(カボチャ、鶏肉(とりにく)、サツマイモ、マイタケ、レンコン)、栗、とろろ、キノコ、黒豆、はと麦茶などが出てきました。
名言の趣旨として、『とろろで(食べ物です)、へこんだ気持ちをもちこたえる。できない自分を、これでいいと認める』、『「もう死んでしまいたい」のうしろに、(な~んて、うそだよーー)という言葉を付け加える』
なんだか、カウンセリング番組を見ているようでもあります。
元気のない人に、少しずつ人が寄ってきます。集まってきます。元気がない人を、励ますためです。
歴史に詳しいデザイン事務所の若い女性社員さんから、大村益次郎のお話が出ました。
奥山葵(おくやま・あおい):巴沢千春(ともえざわ・ちはる)の役
大村益次郎:江戸時代幕末期の政治家、軍人、医師。1869年(明治2年)44歳没。戊辰戦争で活躍した。(ぼしんせんそう:新政府軍VS旧江戸幕府軍。大村益次郎は、新政府軍)。大村益次郎は、日本陸軍の基礎をつくった。大村益次郎は、大阪で襲われて暗殺された。東京にある靖国神社に大村益次郎の大きな銅像が立っています。
(第5話の感想です)
あいかわらずおだやかで静かです。
元気がない麦巻さんです。
麦巻さんを見ていて、まじめな人だなーと思います。
司くん(つかさくん)と麦巻さんが、山で話をします。麦巻さんにとっての、『冒険』です。
司くんの独身主義が披露されます。司の結婚について自身が消極的な理由が、過去の自分の家族との思い出話(祖母と母親を介護した話)とつなげながら麦巻に説明があります。
司の父親は、司が生まれて、蒸発してしまった。父親は、家族を背負うのが重荷だったのだろう。司は最近その父親の気持ちがわかるようになった。深い考察があります。
司は、自由な立場でいたい。ひとりでいたい。
麦巻さんに、ちょっぴり失意があります。麦巻さんは、司との恋を期待していたようです。
そのあと、麦巻さんが、実母とうまくいっていないようすが映像に出ます。
栗を食べると元気になれる。
牡蠣(かき)は不安をやわらげる。
柿はおなかを冷やす。だけど、甘い干し柿は、気持ちをほぐしてくれる。甘いものは、気持ちをほぐしてくれる。
上品な流れのドラマです。安心します。ドラマの流れに、味わいがあります。
大学受験の勉強をしたいけれど、公団住宅の部屋は狭い。父親は、娘の受験勉強に協力的ではない。母親は、父親にはむかえない。弟は口うるさい。こんな家、早く出ていきたい。麦巻さんの貸し部屋を利用したい女子高生弓(ゆみ)の気持ちです。
最後のほうで、『受け売り』の交換会みたいな会話のキャッチボールがありました。司と麦巻さんの会話です。じょうずにできた脚本です。
第4話と第5話の感想です。
原作漫画:しあわせは食べて寝て待て 全5巻 水凪トリ(みずなぎ・とり) 秋田書店
俳優:
桜井ユキ:麦巻さとこ。膠原病患者(こうげんびょう。映像では、『シェーグレン症候群』という病名が見えました。自己免疫疾患。体がだるい。微熱。関節がはれる、痛む)
現在は、週4日デザイン事務所でパート。独身38歳。病気(膠原病)で大企業を退職して小さなデザイン事務所に転職した。ひとり暮らし。家賃が更新で高くなる賃貸マンションから、家賃が安い公団団地に引っ越した。
加賀まりこ:美山鈴(みやま・すず)。団地で、麦巻さとこの隣人。90歳高齢者。彼女の同居人として、薬膳に詳しい若い男が居候している。そのふたりの関係は他人
宮沢氷魚(みやざわ・ひお):羽白司(はねしろ・つかさ)。薬膳に詳しい若い男。加賀まりこ宅の同居人
土居志央梨(どい・しおり):高麗さん(こうらいさん)という絵描きの役です。
目白弓(めじろ・ゆみ):女子高生。麦巻さとこの副業である部屋貸しの利用者。受験生だが、団地の部屋が狭く、家族が受験勉強に協力してくれない。とくに父親がばかおやじで、大きな声でテレビをつけてねっころがって大笑いしている。母親も弟も非協力的で、本人はふさぎこんでいる。本人は、関西の大学に進学したい。そんな家を出たい。出たらもう帰ってきたくないでしょう。
(第4話の感想です)
平和です。土居志央梨さんの登場です。
絵を描いている。団地に引っ越してきました。
パンチ力はないけれど、じわーっと心があたたまってくるドラマです。
今回は、麦巻さとこさんの毎月の収入が少ないので、女子高生に1時間400円で部屋貸しをするお話です。
薬膳がらみのお料理は、ざるそば、てんぷら(カボチャ、鶏肉(とりにく)、サツマイモ、マイタケ、レンコン)、栗、とろろ、キノコ、黒豆、はと麦茶などが出てきました。
名言の趣旨として、『とろろで(食べ物です)、へこんだ気持ちをもちこたえる。できない自分を、これでいいと認める』、『「もう死んでしまいたい」のうしろに、(な~んて、うそだよーー)という言葉を付け加える』
なんだか、カウンセリング番組を見ているようでもあります。
元気のない人に、少しずつ人が寄ってきます。集まってきます。元気がない人を、励ますためです。
歴史に詳しいデザイン事務所の若い女性社員さんから、大村益次郎のお話が出ました。
奥山葵(おくやま・あおい):巴沢千春(ともえざわ・ちはる)の役
大村益次郎:江戸時代幕末期の政治家、軍人、医師。1869年(明治2年)44歳没。戊辰戦争で活躍した。(ぼしんせんそう:新政府軍VS旧江戸幕府軍。大村益次郎は、新政府軍)。大村益次郎は、日本陸軍の基礎をつくった。大村益次郎は、大阪で襲われて暗殺された。東京にある靖国神社に大村益次郎の大きな銅像が立っています。
(第5話の感想です)
あいかわらずおだやかで静かです。
元気がない麦巻さんです。
麦巻さんを見ていて、まじめな人だなーと思います。
司くん(つかさくん)と麦巻さんが、山で話をします。麦巻さんにとっての、『冒険』です。
司くんの独身主義が披露されます。司の結婚について自身が消極的な理由が、過去の自分の家族との思い出話(祖母と母親を介護した話)とつなげながら麦巻に説明があります。
司の父親は、司が生まれて、蒸発してしまった。父親は、家族を背負うのが重荷だったのだろう。司は最近その父親の気持ちがわかるようになった。深い考察があります。
司は、自由な立場でいたい。ひとりでいたい。
麦巻さんに、ちょっぴり失意があります。麦巻さんは、司との恋を期待していたようです。
そのあと、麦巻さんが、実母とうまくいっていないようすが映像に出ます。
栗を食べると元気になれる。
牡蠣(かき)は不安をやわらげる。
柿はおなかを冷やす。だけど、甘い干し柿は、気持ちをほぐしてくれる。甘いものは、気持ちをほぐしてくれる。
上品な流れのドラマです。安心します。ドラマの流れに、味わいがあります。
大学受験の勉強をしたいけれど、公団住宅の部屋は狭い。父親は、娘の受験勉強に協力的ではない。母親は、父親にはむかえない。弟は口うるさい。こんな家、早く出ていきたい。麦巻さんの貸し部屋を利用したい女子高生弓(ゆみ)の気持ちです。
最後のほうで、『受け売り』の交換会みたいな会話のキャッチボールがありました。司と麦巻さんの会話です。じょうずにできた脚本です。
2025年05月01日
最高の二番手 堺正章
最高の二番手 堺正章 飛鳥新社
著者は、わたしが小学生のときからテレビで観ていた芸能人さんです。
お正月番組になると、かくし芸を披露されていました。
努力の人だと思っていました。
お父さんは、有名な喜劇俳優さんで堺俊二さんです。
ご自身はもう78歳になられています。長い時が過ぎました。1946年(昭和21年)生まれです。
(1回目の本読み)
まず、ゆっくりページを最後までめくってみます。
「はじめに」のところに、人生の終盤を迎えて、これまでのことをふりかえり、本を残しておきたいというようなことが書いてあります。
だれしも、死後に自分のカケラ(一部分。断片)をこの世に残しておきたいとは思うものです。それが本ということもあります。
本の構成です。
CHAPTER(チャプター。「章」のこと)1が、人生は「二番手」でうまくいく
CHAPTER2が、時が経って(たって)わかること
CHAPTER3が、人生に無駄(むだ)なことなんてない
というつくりです。序・破・急のパターンだろうか。始まり-展開-終結です。
ずーとページをめくっていての感想です。
教訓本、マニュアル本のようでもあります。人生をどう生きるかです。
エッセイ(随筆)の形式になっていますが、ご自身が文章をつくったというよりも、インタビューに答えたものを編集者の方が文書でまとめたような雰囲気があります。
わかりやすく文章を書くということは、とてもむずかしい。しかも長文です。この本は、聞き取りの本かもしれません。(あるいは、ご本人の原稿に編集者の方が手を入れて整理整頓されたような文章です)
『芸能界は椅子取りゲーム』という項目があります。
しばらく前のことですが、芸能人の不祥事で女子アナウンサーのことが話題になっていたのですが、女子アナウンサーの世界は、椅子取りゲームだから、お互いに悩み事を相談できるような環境にはないという説明をテレビで聞きました。
たいへんな世界です。ふつうは、ひとつの目標に向かって、チームワークを形成して仕事に取り組んでいきます。
結婚に2回失敗したと書いてあります。
わたしが若い頃に観たテレビ番組で、たぶん最初の結婚相手の方だったと思うのですが、芸能人、かつ、有名人のお宅なので、一般人の暮らしとはかけはなれている状況があり、そのことが自分には耐えられないと、女性の方が離婚の理由を言われていたような気がします。
盆暮のお中元、お歳暮の量が、本当に山のようにお宅に届いて、その整理をするだけで発狂するような状態になったということでした。たいへんです。一般家庭とは違います。
1ドル360円だったころの時代のことが書いてあります。
共感します。今どきの騒ぎを見ていると、いろいろなことで、半世紀ぐらい前は、今よりとても暮らしにくかったと思い出すのです。だから、今の状態が悪いとも感じられないのです。
思い出話が続きます。
若くして癌で亡くなった女優の夏目雅子さんの話が書いてあります。美しい人でした。
喜劇役者だったお父さん堺俊二さんのことも書いてあります。
この本全体の趣旨としての、『誰もがトップランナーである必要はない』で結ばれています。
(2回目の本読み)
コロナ禍におけるエンターテインメント(芸能活動)について書いてあります。
芸能の世界は、人が生きていくうえで必ず必要というわけでもない。
仕事の不安定さがあります。
日本人はがんばりやだから、社長になりたい人が多いとイギリス人が言ったそうです。
だから、本のタイトルの二番手という言葉が出てきます。なんなら、三番手、四番手もあるのです。
とかく、人間界では、順位付けをしたがる。
学校の成績から始まって、仕事なら営業成績、芸能界なら、視聴率、興行成績…… きりがありません。人間は競争をしたがる生き物です。
そして、格付けをする。人間や組織を上・中・下のように段階で並べて評価する。イヤですなあ。上にいる人はいいけれど、下にいるといい気分はしません。
読んでいると、ところどころでの著者からのメッセージ、『1位になんかならなくていいのだ……』が登場します。
1位を目指せる人は目指せばいいと思います。たとえば、大相撲なら、『横綱』です。でも、だれもが横綱になれるわけではありません。なれる人はなればいいし、なれない人はなれないなりに、相撲界を盛り上げていってくれればいいのです。
『傑作は常に次回作』(よく聞く言葉です)
『5勝4敗1分けぐらいが人生はおもしろい』とあります。
わたしは、『人生は60点で十分生きていける』と自分なりに思っています。とくに、全科目で60点がとれるなら、それはそれでたいした才能です。
一芸(いちげい)に秀でた(ひいでた)人は、一芸以外のことはできなくて、人の世話にならないと生活できそうにないということもあります。
読んでいて、著者は、『仕事人間』という印象が強い。
『現場主義』という言葉を書いておられます。ちゃんと働きたいのです。
『調整役』という言葉も頭に浮かんできました。
70代を過ぎてからの体力、知力の衰えについて書いてあります。
無理はしないほうがいい。一般人ならもうリタイヤしている年齢です。
う~む。なんというか、読んでいて、楽しい本ではありません。
お説教(おせっきょう。かたぐるしい教訓、忠告話)を聞いているような感じです。
いろんな有名人のかたのお名前が書いてあります。
市村正親(いちむら・まさちか):ミュージカル俳優。1949年(昭和26年)生まれ。76歳。たまたまですが、先月、市村さんの舞台を観ました。『屋根の上のバイオリン弾き』でした。なかなか良かった。音楽劇でした。
横山剣:クレイジーケンバンド。歌手、作曲家、プロデューサー。1960年(昭和35年)生まれ。60歳。以前テレビ番組でお見かけしたことがあります。
所ジョージ:シンガーソングライター、コメディアン、俳優。1955年(昭和30年)生まれ。70歳。こちらの本には、所さんが、アメ車好きなことが書いてあります。米国大統領が喜ぶでしょう。
次女さんのことが書いてあります。
堺小春:女優、タレント。1994年(平成6年)生まれ。31歳
早川雪舟(はやかわ・せっしゅう):俳優、映画監督、映画プロデューサー、脚本家。1973年(昭和48年)87歳没
原節子:女優。2015年(平成27年)95歳没
伊丹万作:映画監督、脚本家、俳優。1946年(昭和21年)46歳没
書いてある内容は、古い話が多い。理屈っぽい話が続きます。その点では、平凡さを感じる本です。ユニークな内容(芸人であるがゆえのこと)を読みたい。
伊東四朗:コメディアン、俳優、タレント。1937年(昭和12年)生まれ。87歳
名古屋の中日劇場のことが書いてあります。もう以前あった中日劇場も中日ビルもありません。建て替えで、新しい高層ビルが建ちました。
『自分を好きな人が3分の1、キライな人が3分の1、ふつうに思っている人が3分の1、それでよしとする。』
わたしが働いていた時のことですが、味方が半分、敵が半分、それでよしという気持ちで働いていました。10年経ったら、まわりは敵だらけでした。しんどかった。
『運気のいい流れを引き寄せる方法』について書いてあります。
著者は、人のことを気にしないと答えを出されています。人をうらやんだり、にくんだり、くやしがったりしない。必要以上に人に興味をもたない。それが、芸能界を生き延びるコツだそうです。
表面に出て活躍、活動できる芸能人の席は、『500席』だそうです。その席の取り合いが芸能界だそうです。その席に座れば、億単位の年収が見込めると、考えることができます。
自分の担当マネージャーに怒りをぶつけてはいけないと書いてあります。
なんだか、ときおり流れるパワハラ芸能人に関するニュースを思い出します。
いろいろ有名な方のお名前が出てきますが、昔有名だった方のことが多い。
(つづく)
中盤以降はちょっと読みにくい感じなので流し読みに入りました。
長文の自慢話が続きます。
これはこうと定義(決めつけて)していきます。
かなり昔の話が多い。
個人という内輪(うちわ)の狭い世界の中でのお話です。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし):ミュージシャン、俳優。2017年(平成29年)78歳没
かなり長い思い出話で、饒舌(じょうぜつ。おしゃべりが多い)でもあります。中身がくどくもあります。
ゴルフの話、クレー射撃の話、クラシックカーの話、麻雀の話、かくし芸の話などに続いていきます。
著者は仕事の面での、人生の成功者なのでしょう。
まじめに仕事に取り組んできた姿勢があったからできたことでしょう。
結婚はそうはいかなったようです。二度離婚して、現在は三人目の奥さんです。
過去の結婚部分を読んでいると、配偶者を犠牲にして、自分の仕事で成功した人というように思えました。
内田裕也:ミュージシャン、ロック歌手。2019年3月(平成31年)79歳没
水の江瀧子(みずのえ・たきこ):女優、タレント。2009年(平成21年)94歳没
堺駿二(さかい・しゅんじ 著者の父):コメディアン、喜劇俳優。1968年(昭和43年)54歳没。脳溢血(のういっけつ。脳出血のこと)で、新宿コマ劇場で行われていた舞台の二幕目の途中で、舞台袖(そで)にひっこんだあと倒れて亡くなった。当時著者は22歳。昔自分がまだ30歳ぐらいのころ、新宿コマ劇場を見たことがあります。そんなことを思い出しました。
209ページまできました。
以降、ものすごくさかのぼるような昔の話が書いてあります。
70歳近くになるわたしが、まだ小中学生だったころの思い出話です。
う~む。得るものがありません。著者自身の個人的な思い出話です。広がりがありません。
最終ページの、286ページまで読み終えました。
う~む。ご自身のための本でした。(おこらないでね。正直な感想です)
著者は、わたしが小学生のときからテレビで観ていた芸能人さんです。
お正月番組になると、かくし芸を披露されていました。
努力の人だと思っていました。
お父さんは、有名な喜劇俳優さんで堺俊二さんです。
ご自身はもう78歳になられています。長い時が過ぎました。1946年(昭和21年)生まれです。
(1回目の本読み)
まず、ゆっくりページを最後までめくってみます。
「はじめに」のところに、人生の終盤を迎えて、これまでのことをふりかえり、本を残しておきたいというようなことが書いてあります。
だれしも、死後に自分のカケラ(一部分。断片)をこの世に残しておきたいとは思うものです。それが本ということもあります。
本の構成です。
CHAPTER(チャプター。「章」のこと)1が、人生は「二番手」でうまくいく
CHAPTER2が、時が経って(たって)わかること
CHAPTER3が、人生に無駄(むだ)なことなんてない
というつくりです。序・破・急のパターンだろうか。始まり-展開-終結です。
ずーとページをめくっていての感想です。
教訓本、マニュアル本のようでもあります。人生をどう生きるかです。
エッセイ(随筆)の形式になっていますが、ご自身が文章をつくったというよりも、インタビューに答えたものを編集者の方が文書でまとめたような雰囲気があります。
わかりやすく文章を書くということは、とてもむずかしい。しかも長文です。この本は、聞き取りの本かもしれません。(あるいは、ご本人の原稿に編集者の方が手を入れて整理整頓されたような文章です)
『芸能界は椅子取りゲーム』という項目があります。
しばらく前のことですが、芸能人の不祥事で女子アナウンサーのことが話題になっていたのですが、女子アナウンサーの世界は、椅子取りゲームだから、お互いに悩み事を相談できるような環境にはないという説明をテレビで聞きました。
たいへんな世界です。ふつうは、ひとつの目標に向かって、チームワークを形成して仕事に取り組んでいきます。
結婚に2回失敗したと書いてあります。
わたしが若い頃に観たテレビ番組で、たぶん最初の結婚相手の方だったと思うのですが、芸能人、かつ、有名人のお宅なので、一般人の暮らしとはかけはなれている状況があり、そのことが自分には耐えられないと、女性の方が離婚の理由を言われていたような気がします。
盆暮のお中元、お歳暮の量が、本当に山のようにお宅に届いて、その整理をするだけで発狂するような状態になったということでした。たいへんです。一般家庭とは違います。
1ドル360円だったころの時代のことが書いてあります。
共感します。今どきの騒ぎを見ていると、いろいろなことで、半世紀ぐらい前は、今よりとても暮らしにくかったと思い出すのです。だから、今の状態が悪いとも感じられないのです。
思い出話が続きます。
若くして癌で亡くなった女優の夏目雅子さんの話が書いてあります。美しい人でした。
喜劇役者だったお父さん堺俊二さんのことも書いてあります。
この本全体の趣旨としての、『誰もがトップランナーである必要はない』で結ばれています。
(2回目の本読み)
コロナ禍におけるエンターテインメント(芸能活動)について書いてあります。
芸能の世界は、人が生きていくうえで必ず必要というわけでもない。
仕事の不安定さがあります。
日本人はがんばりやだから、社長になりたい人が多いとイギリス人が言ったそうです。
だから、本のタイトルの二番手という言葉が出てきます。なんなら、三番手、四番手もあるのです。
とかく、人間界では、順位付けをしたがる。
学校の成績から始まって、仕事なら営業成績、芸能界なら、視聴率、興行成績…… きりがありません。人間は競争をしたがる生き物です。
そして、格付けをする。人間や組織を上・中・下のように段階で並べて評価する。イヤですなあ。上にいる人はいいけれど、下にいるといい気分はしません。
読んでいると、ところどころでの著者からのメッセージ、『1位になんかならなくていいのだ……』が登場します。
1位を目指せる人は目指せばいいと思います。たとえば、大相撲なら、『横綱』です。でも、だれもが横綱になれるわけではありません。なれる人はなればいいし、なれない人はなれないなりに、相撲界を盛り上げていってくれればいいのです。
『傑作は常に次回作』(よく聞く言葉です)
『5勝4敗1分けぐらいが人生はおもしろい』とあります。
わたしは、『人生は60点で十分生きていける』と自分なりに思っています。とくに、全科目で60点がとれるなら、それはそれでたいした才能です。
一芸(いちげい)に秀でた(ひいでた)人は、一芸以外のことはできなくて、人の世話にならないと生活できそうにないということもあります。
読んでいて、著者は、『仕事人間』という印象が強い。
『現場主義』という言葉を書いておられます。ちゃんと働きたいのです。
『調整役』という言葉も頭に浮かんできました。
70代を過ぎてからの体力、知力の衰えについて書いてあります。
無理はしないほうがいい。一般人ならもうリタイヤしている年齢です。
う~む。なんというか、読んでいて、楽しい本ではありません。
お説教(おせっきょう。かたぐるしい教訓、忠告話)を聞いているような感じです。
いろんな有名人のかたのお名前が書いてあります。
市村正親(いちむら・まさちか):ミュージカル俳優。1949年(昭和26年)生まれ。76歳。たまたまですが、先月、市村さんの舞台を観ました。『屋根の上のバイオリン弾き』でした。なかなか良かった。音楽劇でした。
横山剣:クレイジーケンバンド。歌手、作曲家、プロデューサー。1960年(昭和35年)生まれ。60歳。以前テレビ番組でお見かけしたことがあります。
所ジョージ:シンガーソングライター、コメディアン、俳優。1955年(昭和30年)生まれ。70歳。こちらの本には、所さんが、アメ車好きなことが書いてあります。米国大統領が喜ぶでしょう。
次女さんのことが書いてあります。
堺小春:女優、タレント。1994年(平成6年)生まれ。31歳
早川雪舟(はやかわ・せっしゅう):俳優、映画監督、映画プロデューサー、脚本家。1973年(昭和48年)87歳没
原節子:女優。2015年(平成27年)95歳没
伊丹万作:映画監督、脚本家、俳優。1946年(昭和21年)46歳没
書いてある内容は、古い話が多い。理屈っぽい話が続きます。その点では、平凡さを感じる本です。ユニークな内容(芸人であるがゆえのこと)を読みたい。
伊東四朗:コメディアン、俳優、タレント。1937年(昭和12年)生まれ。87歳
名古屋の中日劇場のことが書いてあります。もう以前あった中日劇場も中日ビルもありません。建て替えで、新しい高層ビルが建ちました。
『自分を好きな人が3分の1、キライな人が3分の1、ふつうに思っている人が3分の1、それでよしとする。』
わたしが働いていた時のことですが、味方が半分、敵が半分、それでよしという気持ちで働いていました。10年経ったら、まわりは敵だらけでした。しんどかった。
『運気のいい流れを引き寄せる方法』について書いてあります。
著者は、人のことを気にしないと答えを出されています。人をうらやんだり、にくんだり、くやしがったりしない。必要以上に人に興味をもたない。それが、芸能界を生き延びるコツだそうです。
表面に出て活躍、活動できる芸能人の席は、『500席』だそうです。その席の取り合いが芸能界だそうです。その席に座れば、億単位の年収が見込めると、考えることができます。
自分の担当マネージャーに怒りをぶつけてはいけないと書いてあります。
なんだか、ときおり流れるパワハラ芸能人に関するニュースを思い出します。
いろいろ有名な方のお名前が出てきますが、昔有名だった方のことが多い。
(つづく)
中盤以降はちょっと読みにくい感じなので流し読みに入りました。
長文の自慢話が続きます。
これはこうと定義(決めつけて)していきます。
かなり昔の話が多い。
個人という内輪(うちわ)の狭い世界の中でのお話です。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし):ミュージシャン、俳優。2017年(平成29年)78歳没
かなり長い思い出話で、饒舌(じょうぜつ。おしゃべりが多い)でもあります。中身がくどくもあります。
ゴルフの話、クレー射撃の話、クラシックカーの話、麻雀の話、かくし芸の話などに続いていきます。
著者は仕事の面での、人生の成功者なのでしょう。
まじめに仕事に取り組んできた姿勢があったからできたことでしょう。
結婚はそうはいかなったようです。二度離婚して、現在は三人目の奥さんです。
過去の結婚部分を読んでいると、配偶者を犠牲にして、自分の仕事で成功した人というように思えました。
内田裕也:ミュージシャン、ロック歌手。2019年3月(平成31年)79歳没
水の江瀧子(みずのえ・たきこ):女優、タレント。2009年(平成21年)94歳没
堺駿二(さかい・しゅんじ 著者の父):コメディアン、喜劇俳優。1968年(昭和43年)54歳没。脳溢血(のういっけつ。脳出血のこと)で、新宿コマ劇場で行われていた舞台の二幕目の途中で、舞台袖(そで)にひっこんだあと倒れて亡くなった。当時著者は22歳。昔自分がまだ30歳ぐらいのころ、新宿コマ劇場を見たことがあります。そんなことを思い出しました。
209ページまできました。
以降、ものすごくさかのぼるような昔の話が書いてあります。
70歳近くになるわたしが、まだ小中学生だったころの思い出話です。
う~む。得るものがありません。著者自身の個人的な思い出話です。広がりがありません。
最終ページの、286ページまで読み終えました。
う~む。ご自身のための本でした。(おこらないでね。正直な感想です)