2025年03月20日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 糸島半島→壱岐島
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 絶景の玄界灘! 福岡糸島半島→長崎壱岐島(いきのしま) テレビ東京 動画配信サービス
絶景の玄界灘をズズっと100キロ!福岡“糸島半島”からゴールは長崎“壱岐島”なんですが!初登場のイノッチは大興奮!でも三四郎の小宮はビビリすぎ!ヤバいよヤバいよSP
前回の放送では、三重県志摩半島の名物カキ料理を食べましたが、同じくカキ料理つながりで、今回は、福岡県糸島半島からスタートです。どちらも、海の景色がきれいでした。
前半ゲストのイノッチは、いつもテレビ番組、『出没!アド街ック天国』で見ています。V6のメンバーで、今回の放送でも、イノッチは、ロケ地では大変な人気でした。
スタート地点を過ぎてのお店、糸島海鮮堂あたりにいたお姉ちゃんたちがおもしろかった。
続いて、砂浜に降りて、海の荒い波に耐えきれなくなったのか、砂浜に打ち上げられて死んでいる魚が多いというやりとりもふつうの放送だと流さないのでしょうが、この番組はリアルです。
砂浜に、魚の死体があるのですが、イノッチの、『死んでいるから食べない』という説明に、出川さんが、『だって、死んでる魚を食べるじゃない』と言い返していておもしろかった。(傷んでいる(いたんでいる。魚の内臓などが腐っている(くさっている)かもしれないから、食べるとおなかが痛くなる心配があります。そのへんを出川さんは理解できていないのです)
トルティーヤ:ともうろしこの粉、小麦粉などでつくる。ギョーザの皮みたいなもの
タコス:トルティーヤの中に、肉や野菜をはさんで揚げた(あげた)もの
ハバネロ:唐辛子の種類。辛い(からい)
いなかです。田んぼの中の一本道を電動バイクで進んでいきます。
柔らかそうな砂浜では、絵に描いたような水色の空に白い雲が浮かんでいます。絶景です。海も雲も、すばらしい色調です。
充電バイクのバッテリーが切れたのですが、充電先がなかなか見つかりません。
ドライブインのご夫婦がいい人で良かった。
とても苦しいときに助けてもらうと、心から感謝します。
充電依頼で苦労したイノッチのあとから来た出川さんへの声かけです。
『出川さん、ここサイコーーですよ!』
この日に食べた佐賀牛(さがぎゅう)のステーキも、翌日食べた壱岐牛のステーキもおいしそうでした。
後半のゲスト、三四郎の小宮さんは、壱岐島でのロケです。
海岸で、とったばかりの生ガキを、勧められて口に含まれましたが、食あたりがちょっとコワイシーンでした。(だいじょうぶでした)
充電先で、年齢当てゲームが好きなおじいさんがいました。(正解は83歳)。海上自衛隊で32年間働かれたそうです。正解した時の、『ピンポーン』というおじいさんの声が、元気があって楽しかった。
三四郎の小宮さんのロケシーンは、なんだか、ぱっとしませんでした。
でべそのお母さん:でべそという意味の言葉を久しぶりに聞きました。でべそ:人前に出たがる人、外出が好きな人のことです。
ラスト付近は、船で帰る時刻があるので、バタバタしました。
ゴール地点も、当初の目的地だった、『猿岩』まで行けない時刻になり、ゴールが、山口温泉という公衆浴場になりました。
地元の人のお話では、猿岩は一見の価値があるそうです。(いっけんの価値:見ていおいたほうがいい)
(その後のこと)
きょう偶然甲子園の高校野球で、壱岐高校が出場しました。離島からの選抜出場で立派です。
春の甲子園は自分がまだ若かったころに小学生だった息子を連れて何度か観に行きましたが、夏と比較して、観客席はまばらなことが多く、出ているのも、4月から3年生・2年生になる生徒さんたちで、ああ、これは、学校教育の延長なんだなあという感想をもったことを覚えています。(今日は祝日であったことも理由なのか、スタンドはたくさんの観客だったそうです)
あの当時、ダルビッシュ有選手が高校生でマウンドの上に立っていました。なんというか、電信柱のように、背が高い選手でした。バッターにとっては、マンションの2階にある部屋から、バッターボックスにボールが投げ込まれてくるような感覚なのでしょう。
絶景の玄界灘をズズっと100キロ!福岡“糸島半島”からゴールは長崎“壱岐島”なんですが!初登場のイノッチは大興奮!でも三四郎の小宮はビビリすぎ!ヤバいよヤバいよSP
前回の放送では、三重県志摩半島の名物カキ料理を食べましたが、同じくカキ料理つながりで、今回は、福岡県糸島半島からスタートです。どちらも、海の景色がきれいでした。
前半ゲストのイノッチは、いつもテレビ番組、『出没!アド街ック天国』で見ています。V6のメンバーで、今回の放送でも、イノッチは、ロケ地では大変な人気でした。
スタート地点を過ぎてのお店、糸島海鮮堂あたりにいたお姉ちゃんたちがおもしろかった。
続いて、砂浜に降りて、海の荒い波に耐えきれなくなったのか、砂浜に打ち上げられて死んでいる魚が多いというやりとりもふつうの放送だと流さないのでしょうが、この番組はリアルです。
砂浜に、魚の死体があるのですが、イノッチの、『死んでいるから食べない』という説明に、出川さんが、『だって、死んでる魚を食べるじゃない』と言い返していておもしろかった。(傷んでいる(いたんでいる。魚の内臓などが腐っている(くさっている)かもしれないから、食べるとおなかが痛くなる心配があります。そのへんを出川さんは理解できていないのです)
トルティーヤ:ともうろしこの粉、小麦粉などでつくる。ギョーザの皮みたいなもの
タコス:トルティーヤの中に、肉や野菜をはさんで揚げた(あげた)もの
ハバネロ:唐辛子の種類。辛い(からい)
いなかです。田んぼの中の一本道を電動バイクで進んでいきます。
柔らかそうな砂浜では、絵に描いたような水色の空に白い雲が浮かんでいます。絶景です。海も雲も、すばらしい色調です。
充電バイクのバッテリーが切れたのですが、充電先がなかなか見つかりません。
ドライブインのご夫婦がいい人で良かった。
とても苦しいときに助けてもらうと、心から感謝します。
充電依頼で苦労したイノッチのあとから来た出川さんへの声かけです。
『出川さん、ここサイコーーですよ!』
この日に食べた佐賀牛(さがぎゅう)のステーキも、翌日食べた壱岐牛のステーキもおいしそうでした。
後半のゲスト、三四郎の小宮さんは、壱岐島でのロケです。
海岸で、とったばかりの生ガキを、勧められて口に含まれましたが、食あたりがちょっとコワイシーンでした。(だいじょうぶでした)
充電先で、年齢当てゲームが好きなおじいさんがいました。(正解は83歳)。海上自衛隊で32年間働かれたそうです。正解した時の、『ピンポーン』というおじいさんの声が、元気があって楽しかった。
三四郎の小宮さんのロケシーンは、なんだか、ぱっとしませんでした。
でべそのお母さん:でべそという意味の言葉を久しぶりに聞きました。でべそ:人前に出たがる人、外出が好きな人のことです。
ラスト付近は、船で帰る時刻があるので、バタバタしました。
ゴール地点も、当初の目的地だった、『猿岩』まで行けない時刻になり、ゴールが、山口温泉という公衆浴場になりました。
地元の人のお話では、猿岩は一見の価値があるそうです。(いっけんの価値:見ていおいたほうがいい)
(その後のこと)
きょう偶然甲子園の高校野球で、壱岐高校が出場しました。離島からの選抜出場で立派です。
春の甲子園は自分がまだ若かったころに小学生だった息子を連れて何度か観に行きましたが、夏と比較して、観客席はまばらなことが多く、出ているのも、4月から3年生・2年生になる生徒さんたちで、ああ、これは、学校教育の延長なんだなあという感想をもったことを覚えています。(今日は祝日であったことも理由なのか、スタンドはたくさんの観客だったそうです)
あの当時、ダルビッシュ有選手が高校生でマウンドの上に立っていました。なんというか、電信柱のように、背が高い選手でした。バッターにとっては、マンションの2階にある部屋から、バッターボックスにボールが投げ込まれてくるような感覚なのでしょう。
2025年03月20日
東京大学駒場キャンパスでランチを食べる
東京大学駒場キャンパスでランチを食べる
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(永田町。お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、農林水産省(霞ヶ関。クジラ料理の定食を注文して食べました)でランチをとりました。
昨年秋にテレビ東京の番組、『出没!アド街ック天国』で、東京大学駒場キャンパスの学食で食事ができることを知り今回チャレンジしてみました。
スマホカメラで写真撮影をするような雰囲気のところではなかったので、食事に関する写真はありません。
東大の学生さんに混じって、夫婦で、醤油ラーメンとカレーライスを食べました。おいしかったです。
男子学生のみなさんは、みな同じような雰囲気で、おとなしい感じがする、なんというか、あまり個性がない感じの男子学生諸君でした。東大パターンというものがあるのでしょう。女子学生さんも似たような感じでした。おとなしくて静かな感じです。
欧米の人たちであろう若い外国人女性たちは、留学生なのでしょう。
高齢者あるいは年配者の人たちは、教授とか准教授とか講師とか、先生なのでしょう。
食事をしたあと、お隣にあったカフェで、コーヒーとシュークリーム、ケーキのデザートなどを食べました。おいしかったです。
とてもきれいなカフェで、映画やドラマのロケ地としてつかえる場所だと思いました。おおぜいの学生さんや年配の人やら、外国の人やらがいますが、静かで穏やかな(おだやかな)雰囲気が流れていました。
もう半世紀ぐらい前、自分がとても若かったころに独身寮で生活していたのですが、4月に東大を出た人が入寮してきました。彼は、寮生が共用で利用していた二層式洗濯機の前で腕組みをしてじっと立ったまま考え込んでおられました。わたしよりも年上の男の人だったので、どうされましたか?と声をかけたら、『洗濯のやりかたがわからない』と返答があったので、ていねいに教えてあげました。東大生でも洗濯機の使い方がわからないんだと、不思議な気持ちでした。
同じ時期に、もうひとり、東大の人が入寮していて、翌年の冬、寮の有志数人で長野県にあるスキー場へスキーをしに行きました。その人は、スキーがへたくそなわたしに親切にしてくださったのでありがたかったです。
その後、その人は、国家公務員試験に合格して転職されました。勤務先が、博多になったので、近くに来たら寄ってちょうだいと言われましたが、それっきりになりました。
おふたりともまだ生きておられたら今はもう前期高齢者なかばの年齢になっておられます。
遠い昔に、そんなことがあったことを思い出しながら、あのおふたりも1・2年生の教養学部のときは、こちらのキャンパスで学ばれたのだろうと想像しながら、コーヒーを飲んで、シュークリームを食べて、カフェでしばしの時間を過ごしました。
キャンパス内にある建物の大半は古く感じました。
キャンパス内に生えている(はえている)樹木も老木が多い。
食事とコーヒータイムのあと、次の訪問目的地である、『日本近代文学館』の方向へ歩いていたら、とてもきれいな並木道がありました。太くて大きくて背の高い樹木は、地面に落ちている葉っぱで、イチョウの木だということがわかりましたが、今の季節はまだ春先で、すべての木は、葉っぱが一枚もなく、まるぼうずでした。
帰宅してからわかったのですが、秋になると黄金色(おうごんいろ)に美しく輝くという有名なイチョウ並木でした。
そこでの写真は遠慮なくとれたのでここに載せておきます。いい感じのイチョウ並木です。
右方向にはテニスコートと、ホッケーのコートがありました。
数人の学生さんたちがテニスをされていました。
キャンパス内には、運動クラブをPRする大きなポスターがけっこうたくさん掲示されていて、運動部がいろいろあることが意外でした。今春入学される1年生たちに入部の勧誘をされるのでしょう。

なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(永田町。お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、農林水産省(霞ヶ関。クジラ料理の定食を注文して食べました)でランチをとりました。
昨年秋にテレビ東京の番組、『出没!アド街ック天国』で、東京大学駒場キャンパスの学食で食事ができることを知り今回チャレンジしてみました。
スマホカメラで写真撮影をするような雰囲気のところではなかったので、食事に関する写真はありません。
東大の学生さんに混じって、夫婦で、醤油ラーメンとカレーライスを食べました。おいしかったです。
男子学生のみなさんは、みな同じような雰囲気で、おとなしい感じがする、なんというか、あまり個性がない感じの男子学生諸君でした。東大パターンというものがあるのでしょう。女子学生さんも似たような感じでした。おとなしくて静かな感じです。
欧米の人たちであろう若い外国人女性たちは、留学生なのでしょう。
高齢者あるいは年配者の人たちは、教授とか准教授とか講師とか、先生なのでしょう。
食事をしたあと、お隣にあったカフェで、コーヒーとシュークリーム、ケーキのデザートなどを食べました。おいしかったです。
とてもきれいなカフェで、映画やドラマのロケ地としてつかえる場所だと思いました。おおぜいの学生さんや年配の人やら、外国の人やらがいますが、静かで穏やかな(おだやかな)雰囲気が流れていました。
もう半世紀ぐらい前、自分がとても若かったころに独身寮で生活していたのですが、4月に東大を出た人が入寮してきました。彼は、寮生が共用で利用していた二層式洗濯機の前で腕組みをしてじっと立ったまま考え込んでおられました。わたしよりも年上の男の人だったので、どうされましたか?と声をかけたら、『洗濯のやりかたがわからない』と返答があったので、ていねいに教えてあげました。東大生でも洗濯機の使い方がわからないんだと、不思議な気持ちでした。
同じ時期に、もうひとり、東大の人が入寮していて、翌年の冬、寮の有志数人で長野県にあるスキー場へスキーをしに行きました。その人は、スキーがへたくそなわたしに親切にしてくださったのでありがたかったです。
その後、その人は、国家公務員試験に合格して転職されました。勤務先が、博多になったので、近くに来たら寄ってちょうだいと言われましたが、それっきりになりました。
おふたりともまだ生きておられたら今はもう前期高齢者なかばの年齢になっておられます。
遠い昔に、そんなことがあったことを思い出しながら、あのおふたりも1・2年生の教養学部のときは、こちらのキャンパスで学ばれたのだろうと想像しながら、コーヒーを飲んで、シュークリームを食べて、カフェでしばしの時間を過ごしました。
キャンパス内にある建物の大半は古く感じました。
キャンパス内に生えている(はえている)樹木も老木が多い。
食事とコーヒータイムのあと、次の訪問目的地である、『日本近代文学館』の方向へ歩いていたら、とてもきれいな並木道がありました。太くて大きくて背の高い樹木は、地面に落ちている葉っぱで、イチョウの木だということがわかりましたが、今の季節はまだ春先で、すべての木は、葉っぱが一枚もなく、まるぼうずでした。
帰宅してからわかったのですが、秋になると黄金色(おうごんいろ)に美しく輝くという有名なイチョウ並木でした。
そこでの写真は遠慮なくとれたのでここに載せておきます。いい感じのイチョウ並木です。
右方向にはテニスコートと、ホッケーのコートがありました。
数人の学生さんたちがテニスをされていました。
キャンパス内には、運動クラブをPRする大きなポスターがけっこうたくさん掲示されていて、運動部がいろいろあることが意外でした。今春入学される1年生たちに入部の勧誘をされるのでしょう。

2025年03月19日
ホットスポット #10 最終話 この町を救う
ホットスポット #10 最終話 この町を救う 日曜ドラマ10時30分 日本テレビ 動画配信サービス
脚本:バカリズム
俳優:角田晃広(お笑いトリオ東京03 この人が宇宙人です)、市川実日子(いちかわ・みかこ)、平岩紙(ひらいわ・かみ)、鈴木杏(すずき・あん)、夏帆(かほ)、坂井真紀、田中直樹、小日向文世(こひなた・ふみよ)、志田未来、山本耕史
最後の回でした。
なかなか良かった。
とくにラストシーン近くで、これまでのことがらについて次々と話を回収してまとめていったあたりが、すがすがしかった。
謎の未来人古田(演者:山本耕史さん)の起用がとてもおもしろい。物語の中では、いなくてもいいとも思える登場人物の起用ですが、『娯楽(人の心を楽しませる)』という意味が十分あります。愉快でした。しつこさがいい。こういう笑いのつくり方があるのかと驚かされました。未来人という同じ設定と動向で重なる演者が、小日向文世さん(こひなた・ふみよさん)と山本耕史さんでした。
ドラマは、宇宙人高橋が、女性市長と女性ホテルオーナー(不動産業者)との贈収賄(ぞうしゅうわい)を証明するために相手にとっては、ヤバイ書類(贈収賄の合意書)を盗み出すというスリリング(ヒヤヒヤする)なシーンから始まります。(盗難品が、証拠品として採用されるのかという疑問はあるのですが……)
宇宙人高橋のすばやい動きが気持ちいい。すばらしい! かっこいい! その後の展開も含めて、以降、幾度も同様のステキな体の動きが見られます。
ストーリーの進行のしかたが、練りに練ってあるのがいい。話は素直にまっすぐには進みません。(視聴者の予想はなかなか当たりません)
女性陣の、のんびりした感じがいい。癒されます(いやされます)。
大きな白い満月の輝きと、黒い影の宇宙人高橋の対比が美しい。洋画、『E.T.(イーティー)』を思い出しました。宇宙人と少年少女たちとの気持ちの交流を扱った、心あたたまるいい映画でした。
宇宙人高橋がときおりまわりの人たちにかける心優しい言葉がいい=『特別ね』
以前食事場所で宇宙人高橋の幼なじみの男性たちの口から出た、自分では、伏線だと思っていた、『エロスケ』の続きの話はありませんでした。
あとは、富士山がシンボルのドラマでした。
若葉(女子中学生。市川実日子さんの長女)が、宇宙人だったという話にはびっくりしました。
祖父が、4分の1、父(市川実日子さんの離婚した元夫)が、8分の1、若葉が16分の1で、宇宙人の血が混じっているらしい。おもしろい。(運動神経がいい。バスケット部で、ゴールに入らず戻ってくるボールをとる(リバウンド)ときの跳躍力が人並み以上にある)
小学校での卒業式で、『卒業生答辞(とうじ)』がとても良かった。自分も小学生だった時に同じ体験があります。久しぶりに思い出しました。みんなで合唱するように、在校生(小学5年生)の送辞(そうじ)に対して返しました。なつかしい。まだわたしは12歳でしたが、気持ちはいっぱしの一人前の(いちにんまえの)大人(おとな)の気分でした。
小学校の卒業シーンである今の時期に番組内容が合わせてあります。ガソリンスタンドでの犯人逮捕騒ぎは、番組放送日と同じく3月16日の設定でした。
新ホテルオーナーの小野寺充(おのでら・みつる)君の話も良かった。
ドラマのメッセージとして、自然を大切にしよう。お金もうけより、人として、あたりまえのことをあたりまえにやろうがあったと思います。
タイムリーパー:未来から過去へ来た人
ディストピア:ユートピア(理想社会)の反対。暗黒社会、不幸せな(ふしあわせな)社会
宇宙人高橋に渡したガンプラのプレゼントも良かった。(アニメ作品、『機動戦士ガンダム』のプラモデル)
全体をとおして:おもしろかったなあ。
(話は脱線してしまうのですが)
たまに用事があって、福岡県内にある、『新飯塚駅(しんいいづかえき)』を利用します。
駅のそばに、幹線道路が走っていて、その道路の北側に、バカリズムさんが通っていた高校があります。
幹線道路の南側には、元総理大臣のご実家があります。(現在は、会社が管理しています)
市内には、フォークシンガーの井上陽水さんが生まれた地域があります。フォークグループ、『かぐや姫』の山田パンダさんや、俳優の瀬戸康史さんが通った高校もあります。
駅前から路線バスで20分ぐらい乗ると、将棋棋士の加藤一二三さんが少年時代を過ごした地域があります。さらに路線バスに乗って山のふもとのほうへ20分ぐらい向かって行くと、劇作家、演出家、小説家だったつかこうへいさんが住んでいた地域があります。
ほかにもお隣の田川市あたりに行くと、小峠英二さんとか、仁支川峰子(旧芸名西川峰子さん)さんとか、IKKO(イッコーさん)とか、有名になられた人たちが東京進出前に生活していた地域があります。思うに、芸能界以外の世界でも有能な人たちが、そのあたりの地域から東京方面へ転出されていったのでしょう。
今は、春の別れと出会いという節目の時期であり、山に囲まれたあの地域から、若い人たちが胸に夢をいっぱいかかえて、昔で言えば、国鉄(今はJR)の筑豊線に乗って、博多駅や小倉駅から東にある東京や大阪、名古屋を目指したのでしょう。国鉄以外にも、西鉄バスを利用された人もおられるかもしれません。春を迎える時期にあって、そんなことを思索しました。しさく:思いをめぐらせる。地方から都会へ出て行く若い人たちの今後の健闘を祈ります。
脚本:バカリズム
俳優:角田晃広(お笑いトリオ東京03 この人が宇宙人です)、市川実日子(いちかわ・みかこ)、平岩紙(ひらいわ・かみ)、鈴木杏(すずき・あん)、夏帆(かほ)、坂井真紀、田中直樹、小日向文世(こひなた・ふみよ)、志田未来、山本耕史
最後の回でした。
なかなか良かった。
とくにラストシーン近くで、これまでのことがらについて次々と話を回収してまとめていったあたりが、すがすがしかった。
謎の未来人古田(演者:山本耕史さん)の起用がとてもおもしろい。物語の中では、いなくてもいいとも思える登場人物の起用ですが、『娯楽(人の心を楽しませる)』という意味が十分あります。愉快でした。しつこさがいい。こういう笑いのつくり方があるのかと驚かされました。未来人という同じ設定と動向で重なる演者が、小日向文世さん(こひなた・ふみよさん)と山本耕史さんでした。
ドラマは、宇宙人高橋が、女性市長と女性ホテルオーナー(不動産業者)との贈収賄(ぞうしゅうわい)を証明するために相手にとっては、ヤバイ書類(贈収賄の合意書)を盗み出すというスリリング(ヒヤヒヤする)なシーンから始まります。(盗難品が、証拠品として採用されるのかという疑問はあるのですが……)
宇宙人高橋のすばやい動きが気持ちいい。すばらしい! かっこいい! その後の展開も含めて、以降、幾度も同様のステキな体の動きが見られます。
ストーリーの進行のしかたが、練りに練ってあるのがいい。話は素直にまっすぐには進みません。(視聴者の予想はなかなか当たりません)
女性陣の、のんびりした感じがいい。癒されます(いやされます)。
大きな白い満月の輝きと、黒い影の宇宙人高橋の対比が美しい。洋画、『E.T.(イーティー)』を思い出しました。宇宙人と少年少女たちとの気持ちの交流を扱った、心あたたまるいい映画でした。
宇宙人高橋がときおりまわりの人たちにかける心優しい言葉がいい=『特別ね』
以前食事場所で宇宙人高橋の幼なじみの男性たちの口から出た、自分では、伏線だと思っていた、『エロスケ』の続きの話はありませんでした。
あとは、富士山がシンボルのドラマでした。
若葉(女子中学生。市川実日子さんの長女)が、宇宙人だったという話にはびっくりしました。
祖父が、4分の1、父(市川実日子さんの離婚した元夫)が、8分の1、若葉が16分の1で、宇宙人の血が混じっているらしい。おもしろい。(運動神経がいい。バスケット部で、ゴールに入らず戻ってくるボールをとる(リバウンド)ときの跳躍力が人並み以上にある)
小学校での卒業式で、『卒業生答辞(とうじ)』がとても良かった。自分も小学生だった時に同じ体験があります。久しぶりに思い出しました。みんなで合唱するように、在校生(小学5年生)の送辞(そうじ)に対して返しました。なつかしい。まだわたしは12歳でしたが、気持ちはいっぱしの一人前の(いちにんまえの)大人(おとな)の気分でした。
小学校の卒業シーンである今の時期に番組内容が合わせてあります。ガソリンスタンドでの犯人逮捕騒ぎは、番組放送日と同じく3月16日の設定でした。
新ホテルオーナーの小野寺充(おのでら・みつる)君の話も良かった。
ドラマのメッセージとして、自然を大切にしよう。お金もうけより、人として、あたりまえのことをあたりまえにやろうがあったと思います。
タイムリーパー:未来から過去へ来た人
ディストピア:ユートピア(理想社会)の反対。暗黒社会、不幸せな(ふしあわせな)社会
宇宙人高橋に渡したガンプラのプレゼントも良かった。(アニメ作品、『機動戦士ガンダム』のプラモデル)
全体をとおして:おもしろかったなあ。
(話は脱線してしまうのですが)
たまに用事があって、福岡県内にある、『新飯塚駅(しんいいづかえき)』を利用します。
駅のそばに、幹線道路が走っていて、その道路の北側に、バカリズムさんが通っていた高校があります。
幹線道路の南側には、元総理大臣のご実家があります。(現在は、会社が管理しています)
市内には、フォークシンガーの井上陽水さんが生まれた地域があります。フォークグループ、『かぐや姫』の山田パンダさんや、俳優の瀬戸康史さんが通った高校もあります。
駅前から路線バスで20分ぐらい乗ると、将棋棋士の加藤一二三さんが少年時代を過ごした地域があります。さらに路線バスに乗って山のふもとのほうへ20分ぐらい向かって行くと、劇作家、演出家、小説家だったつかこうへいさんが住んでいた地域があります。
ほかにもお隣の田川市あたりに行くと、小峠英二さんとか、仁支川峰子(旧芸名西川峰子さん)さんとか、IKKO(イッコーさん)とか、有名になられた人たちが東京進出前に生活していた地域があります。思うに、芸能界以外の世界でも有能な人たちが、そのあたりの地域から東京方面へ転出されていったのでしょう。
今は、春の別れと出会いという節目の時期であり、山に囲まれたあの地域から、若い人たちが胸に夢をいっぱいかかえて、昔で言えば、国鉄(今はJR)の筑豊線に乗って、博多駅や小倉駅から東にある東京や大阪、名古屋を目指したのでしょう。国鉄以外にも、西鉄バスを利用された人もおられるかもしれません。春を迎える時期にあって、そんなことを思索しました。しさく:思いをめぐらせる。地方から都会へ出て行く若い人たちの今後の健闘を祈ります。
2025年03月19日
東京日本橋三越本店にある屋上庭園
東京日本橋三越本店にある屋上庭園
前日掲載しましたが、日本銀行本店見学の集合時刻までにまだ時間があったので、日本銀行本店の近くにある日本橋三越本店の屋上庭園でしばし過ごしました。
きれいなところでした。すがすがしい。
いろいろな樹木がありました。
木の肌がつるつるな、『百日紅』(さるすべり)』の樹(き)が目立ちました。サルスベリの木は、ほんとうに、サルがつかまったらすべりそうな樹でした。写真は撮り忘れました。



神社があったので、お参りをしておきました。
宮城県仙台市に行ったときも、百貨店の屋上に神社がありました。
どうして、百貨店の屋上に神社を設置するのかはわかりません。
(その後、調べたら、店内事故防止の祈願(きがん。神仏に祈る)が目的だそうです。加えて、『商売繁盛』だそうです。なるほど)

前日掲載しましたが、日本銀行本店見学の集合時刻までにまだ時間があったので、日本銀行本店の近くにある日本橋三越本店の屋上庭園でしばし過ごしました。
きれいなところでした。すがすがしい。
いろいろな樹木がありました。
木の肌がつるつるな、『百日紅』(さるすべり)』の樹(き)が目立ちました。サルスベリの木は、ほんとうに、サルがつかまったらすべりそうな樹でした。写真は撮り忘れました。



神社があったので、お参りをしておきました。
宮城県仙台市に行ったときも、百貨店の屋上に神社がありました。
どうして、百貨店の屋上に神社を設置するのかはわかりません。
(その後、調べたら、店内事故防止の祈願(きがん。神仏に祈る)が目的だそうです。加えて、『商売繁盛』だそうです。なるほど)

2025年03月18日
日本銀行本店を見学に行く。
日本銀行本店を見学に行く。
(次の記述は、2024年12月中旬に書きました)
定期預金の利息が低いことに嫌気がさして、3年半ぐらい前から株式投資を始めました。当時の日経平均株価(日本経済新聞社が算出・公表している日本の株式市場の代表的な株価指数のひとつ)は、2万6000円~2万8000円ぐらいでした。その後、4万円を超えたときはびっくりしました。
株取引を始めた時期が良かったのでしょう。幸いに(さいわいに)、今のところ損失はありません。
株式投資の参考にしようと思って、これまでに、東京証券取引所と日本銀行貨幣博物館を見学しました。
去年の今頃、日本銀行本店を見学できることを知り、見学に行ってみようと思い立ちましたが、都合がつかなくて先延ばしにしていました。
自分の感覚だと、1月~3月は見学予約がとりやすそうだけれど、4月以降になるとなかなか予約が取れないような雰囲気を感じました。
今回ネットで、日銀本店見学予約のページを開いたら、3月に予約できる日が数日あったので、夫婦で見学ということで、2名で予約を入れて予約がとれました。来年の楽しみのひとつになりました。
見学時間は1時間ぐらいで、20名のかたまりです。職員の引率による説明とビデオでの説明があります。
(その後:2025年3月のとある日に日銀本店を見学してきました)
20人ぐらい、申し込みをされた一般の方たちといっしょに、職員の付き添い案内で回りました。参加者は、わたしたちのような年配の夫婦、お年寄り夫婦と息子さんとか娘さんとか、おだやかそうな人たちでした。
次の建物写真は、見学場所である日銀本店内で展示してあった掲示物を撮影したものです。この建物の中を案内してもらいました。
じっさいの日銀業務は、古い建物の向こう側に立っている白いビルディングの中でやられているそうです。
見学は、古い建物内の周遊で、2階を見て、1階を見て、地下フロアーを見ました。(説明はありませんでしたが、3階部分があるようです)

門を入って、中庭になっている空間で撮った写真です。屋根の上は、ドーム型になっていました。

2階は、会議室などになっていました。2階は、撮影はだめよの区域でした。
役付きの人たちが、円形にまあるくなって座って会議をするテーブルと椅子がセットしてありました。
ドーム型の天井が東京駅の天井(てんじょう)みたいできれいでした。
2階通路となっている廊下の壁には、歴代総裁の肖像画が飾られていました。時代が新しくなってきて、肖像画は途中から上半身を写した写真に変わりました。
2階の廊下や部屋などの照明が暗いなあと感じましたが、明治時代とか大正時代ぐらい、昔の照明はあれぐらいだったのでしょう。まあ、今の日本の照明が明るすぎるということも感覚が違う理由としてあるのでしょう。(2階の照明は電球を使用してあるような電灯色でした。1階の照明はたぶんLED(発光ダイオード)の白い色でした)
以下の写真は1階部分です。まんなかの広い空間が、銀行でお客さんたちが動いたり、椅子に座る待合場所にしていたりしたスペースだそうです。
突き当りにある茶色のしきりの部分が、接客用のカウンターで、カウンターの向こう側に銀行員がいたそうです。





地下フロアーに大きくてがっちりした金庫のパネル写真とか、現金を積んだ小型トロッコが部屋をぐるりととりまく廊下部分を周回するように走っていた線路跡などがありました。
立派な建物の基礎部分(地面の下)が、透けて(すけて)見えるようにしてありました。建物を支える基礎部分はかなり深くて、地震の揺れる動きに合わせて建物全体が揺れるという耐震化もなされていました。
なんというか、明治時代、大正時代、昭和初期の時代の人たちの知恵とか職人技(しょくにんわざ)の能力の高さが伝わってくる建物でした。たいしたものです。関東大震災とか、第二次世界大戦のときの空襲などの災害・戦災を乗り越えてきています。
わたしのブログの契約上のことですが、ブログに掲載できる記事や写真の容量があまりないので、地下部分の写真の掲載はやめておきます。
(次の記述は、2024年12月中旬に書きました)
定期預金の利息が低いことに嫌気がさして、3年半ぐらい前から株式投資を始めました。当時の日経平均株価(日本経済新聞社が算出・公表している日本の株式市場の代表的な株価指数のひとつ)は、2万6000円~2万8000円ぐらいでした。その後、4万円を超えたときはびっくりしました。
株取引を始めた時期が良かったのでしょう。幸いに(さいわいに)、今のところ損失はありません。
株式投資の参考にしようと思って、これまでに、東京証券取引所と日本銀行貨幣博物館を見学しました。
去年の今頃、日本銀行本店を見学できることを知り、見学に行ってみようと思い立ちましたが、都合がつかなくて先延ばしにしていました。
自分の感覚だと、1月~3月は見学予約がとりやすそうだけれど、4月以降になるとなかなか予約が取れないような雰囲気を感じました。
今回ネットで、日銀本店見学予約のページを開いたら、3月に予約できる日が数日あったので、夫婦で見学ということで、2名で予約を入れて予約がとれました。来年の楽しみのひとつになりました。
見学時間は1時間ぐらいで、20名のかたまりです。職員の引率による説明とビデオでの説明があります。
(その後:2025年3月のとある日に日銀本店を見学してきました)
20人ぐらい、申し込みをされた一般の方たちといっしょに、職員の付き添い案内で回りました。参加者は、わたしたちのような年配の夫婦、お年寄り夫婦と息子さんとか娘さんとか、おだやかそうな人たちでした。
次の建物写真は、見学場所である日銀本店内で展示してあった掲示物を撮影したものです。この建物の中を案内してもらいました。
じっさいの日銀業務は、古い建物の向こう側に立っている白いビルディングの中でやられているそうです。
見学は、古い建物内の周遊で、2階を見て、1階を見て、地下フロアーを見ました。(説明はありませんでしたが、3階部分があるようです)

門を入って、中庭になっている空間で撮った写真です。屋根の上は、ドーム型になっていました。

2階は、会議室などになっていました。2階は、撮影はだめよの区域でした。
役付きの人たちが、円形にまあるくなって座って会議をするテーブルと椅子がセットしてありました。
ドーム型の天井が東京駅の天井(てんじょう)みたいできれいでした。
2階通路となっている廊下の壁には、歴代総裁の肖像画が飾られていました。時代が新しくなってきて、肖像画は途中から上半身を写した写真に変わりました。
2階の廊下や部屋などの照明が暗いなあと感じましたが、明治時代とか大正時代ぐらい、昔の照明はあれぐらいだったのでしょう。まあ、今の日本の照明が明るすぎるということも感覚が違う理由としてあるのでしょう。(2階の照明は電球を使用してあるような電灯色でした。1階の照明はたぶんLED(発光ダイオード)の白い色でした)
以下の写真は1階部分です。まんなかの広い空間が、銀行でお客さんたちが動いたり、椅子に座る待合場所にしていたりしたスペースだそうです。
突き当りにある茶色のしきりの部分が、接客用のカウンターで、カウンターの向こう側に銀行員がいたそうです。





地下フロアーに大きくてがっちりした金庫のパネル写真とか、現金を積んだ小型トロッコが部屋をぐるりととりまく廊下部分を周回するように走っていた線路跡などがありました。
立派な建物の基礎部分(地面の下)が、透けて(すけて)見えるようにしてありました。建物を支える基礎部分はかなり深くて、地震の揺れる動きに合わせて建物全体が揺れるという耐震化もなされていました。
なんというか、明治時代、大正時代、昭和初期の時代の人たちの知恵とか職人技(しょくにんわざ)の能力の高さが伝わってくる建物でした。たいしたものです。関東大震災とか、第二次世界大戦のときの空襲などの災害・戦災を乗り越えてきています。
わたしのブログの契約上のことですが、ブログに掲載できる記事や写真の容量があまりないので、地下部分の写真の掲載はやめておきます。
2025年03月17日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 伊勢志摩の旅
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 伊勢志摩の旅 三重南伊勢町→猿田彦神社 動画配信サービス
こりゃ大絶景!伊勢志摩をグルっとまわってグルメ街道118キロ!目指すはパワスポ“猿田彦神社”なんですが!初登場のぱーてぃーちゃん信子がパワー全開!ヤバいよヤバいよSP(後半ゲストは、おいでやす小田さん)
(前半の放送)
ゲストのぱーてぃーちゃん信子さんは、太川陽介さんと村井美樹さんの路線バス対鉄道乗り継ぎ旅の対決でお見かけしました。村井さんの鉄道チームで、以外と言っては失礼ですが、強い体力でがんばっておられました。年末だったかの8時間スペシャルでもお見かけしました。『テレ東旅の日8時間スペシャル ローカル路線バス乗り継ぎの旅 千葉成田山新勝寺(しんしょうじ)から青森龍飛崎(たっぴざき)へ』でした。
同行ディレクターは、谷川さんでした。
まあ、なんというか、山と海、複雑な地形の海岸線という景色が美しい。
ただ、人がいません。過疎(かそ)です。
いても、お年寄りが多い。老人ホームの慰問のような光景がありました。
のどかです。
ただ、都市部の人ごみのことを思うとほっとします。
今読んでいる本が、『ようやくカナダに行きまして 光浦靖子 文藝春秋』ですが、バンクーバーの人たちものんびりしていて、著者の光浦さんは、東京と比較して、気持ちがほっとするというようなことを書かれています。
わたしもときおり名古屋駅に行きますが、人を追い越すようにして、早歩きをする人たちを見ると気が滅入ります(めいります)。競争社会です。心が疲れます。
南伊勢町あたりは、農林水産業の土地であり、のどかです。
こちらの番組では、まあ、あちこち立ち寄りました。
牡蠣(かき)の自動販売機がありました。おしゃべりじょうずな宿主(やどぬし)の男性がいました。ぱーてぃーちゃん信子さんに、『べっぴんさんじゃのう』、『かっこええなーー』という声かけが、感じが良かった。
スケボー同好会のような年配男性たちの演技がじょうずでした。
さば寿司パック売りのお店も感じが良かった。いなかの人は優しい。
食堂の女店長さんはしっかり者です。70歳の女性は70歳には見えない若く見える人でした。
食事前に、日本茶を飲んでいたぱーてぃーちゃん信子さんが、『アーァ』と声を出したのですが、とてもギャルとは思えないアーァでした。おばはんですな。
充電先では、たいへんですわなあ。いきなり、芸能人たちが民家の中へ入っていきます。
わたしが宿泊したことがあるホテルも出てきました。もう何十年も前のことです。40年ぐらい前だと思います。
そのあたりの地域が、今はなんだか、さびれた感があります。
ぱーてぃーちゃん信子さんのギャルとしての言葉づかいがおもしろかったので、拾ってみました。
イェイ、イェイ、イェーイ! しゃーなしな(しょうがない) わかりゅー(わかる) ハズイ(はずかしい) ネイル(爪(つめ)) ギャルピー(指のピースポーズなのですが、ギャルは、下に出すそうです。上向きで、突き出す) 伊勢 志摩のエレェ人(偉い人) プォープォーカモン、ゴーゴーゴー(充電バイクが出発するときのかけ声。初回の出だしだけでした) ザツぃ(雑である) 100億光年(数字ボケのつもり。たいへん前からという意味) ぜんぜんふきますがな(充電先へのお礼として、窓ふき仕事をしました)
強烈だったのは、出川さんが、ぱーてぃーちゃん信子さんにした質問の答えでした。
出川さん:『神社仏閣にはよく行くの?』
ぱーてぃーちゃん信子さん:『ジンジャブッカクって、なに?』
(後半の放送 ゲストは、おいでやす小田さんでした)
おいでやす小田さんは、声が大きい(芸風ですが)。
ときおり、地元の人がびっくりしてひいてしまいます。
あわせて、小田さんは、いなかのお年寄りには知名度が低い。
小田さんが、出川さんの付き人と間違えられて笑いました。
前回、ぱーてぃーちゃん信子さんが出川さんのことを、『おじいちゃん』と呼んで、出川さんが、『(自分は)おじいちゃんじゃない!』と強く否定されていましたが、わたしは、60歳還暦を過ぎた出川さんは、おじいちゃんだと思います。
ふつう、50代の年齢で、孫が生まれて祖父母の立場になる人が多い。そのへんの感覚が、死んじゃうまで仕事人間の芸能人と、芸能人でない人たちとの間で、感覚の差になっています。
サラリーマンは、たいてい60歳で定年退職です。たいていは定年退職を迎えると、朝早くから夜遅くまで過酷な通勤に耐えながらの長時間労働で、ノルマに追われながら(仕事の割り当て)、何十年間も働いてきたのですから、もう働くのはイヤだという気持ちになります。
働いていたときは、自分の時間がなかったから、定年後は自分が自由に使える自分の時間がほしいと切に(せつに)思うのです。
真っ暗な山の中の夜道を充電バイクに乗って並んで走ります。
人がいません。過疎地です。
伊勢えび料理の値段はいい値段でしたが、おいしそうでした。
おいでやす小田さんにメイク担当の女性が付いていて、出川さんが、いらないんじゃないかと話していましたが同感です。でも、それだと、メイクさんが職を失うので、まあいいかですな。
宿泊するホテルでの、3部屋、部屋決めのためのジャンケンがおもしろかった。
谷川ディレクター>出川さん>おいでやす小田さんの順でじゃんけんに勝ちました。
撮影スタッフが一番いい部屋で、ゲストの小田さんが一番そうでもない部屋で、ふつうは、そういうことは考えられないやりかたです。(次の放送回福岡・佐賀・長崎壱岐島玄界灘(げんかいなだ)巡りの旅でのゲスト、V6のイノッチ(井ノ原快彦さん(いのはら・よしひこさん))は、このジャンケンで勝利しました)
以前番組で訪れたことがある現地の神明社を再び訪れました。映像を見ていたわたしにも、再訪問であることがわかりました。
焼きガキがおいしそう。
はっさく、ひじき、志摩半島は自然のものが豊かです。
出川さんと小田さんが、無邪気(むじゃき)におちゃらけるのを見て地元のおばあさんが、『(いい歳してそんなにふざけて)あんたら、こどもおるんか?』と声をかけられていました。おもしろい。芸能人の人たちは何歳になっても心の中は少年少女です。
赤福餅の宣伝看板が見えたら伊勢神宮が近い。
クールス:日本のロックバンド。クールスが友だちという理髪店の店主さんが登場されました。おいでやす小田さんの髪を散髪しました。小田さんのヘアスタイルが、かっこよくなりました。
まあ、あちゃこちゃ忙しい旅です。
それでも、ゴールして、おいでやす小田さんは、『100点満点の旅だった』と満足されていました。良かった良かった。
猿田彦神社の中にある、『さるめ神社(芸能、縁結び、鎮魂の神さま)』
たしか、森三中の大島美幸さんがこちらで結婚式をあげたというニュースを読んだことがあります。
また、ベッキーさんが、『東野・岡村の旅猿』にゲストで出たときに、こちらで縁結びのお願いをして、そのあとご縁があって結婚されたという話も聞きました。
伊勢は、神さまたちのお国ですなあ。
こりゃ大絶景!伊勢志摩をグルっとまわってグルメ街道118キロ!目指すはパワスポ“猿田彦神社”なんですが!初登場のぱーてぃーちゃん信子がパワー全開!ヤバいよヤバいよSP(後半ゲストは、おいでやす小田さん)
(前半の放送)
ゲストのぱーてぃーちゃん信子さんは、太川陽介さんと村井美樹さんの路線バス対鉄道乗り継ぎ旅の対決でお見かけしました。村井さんの鉄道チームで、以外と言っては失礼ですが、強い体力でがんばっておられました。年末だったかの8時間スペシャルでもお見かけしました。『テレ東旅の日8時間スペシャル ローカル路線バス乗り継ぎの旅 千葉成田山新勝寺(しんしょうじ)から青森龍飛崎(たっぴざき)へ』でした。
同行ディレクターは、谷川さんでした。
まあ、なんというか、山と海、複雑な地形の海岸線という景色が美しい。
ただ、人がいません。過疎(かそ)です。
いても、お年寄りが多い。老人ホームの慰問のような光景がありました。
のどかです。
ただ、都市部の人ごみのことを思うとほっとします。
今読んでいる本が、『ようやくカナダに行きまして 光浦靖子 文藝春秋』ですが、バンクーバーの人たちものんびりしていて、著者の光浦さんは、東京と比較して、気持ちがほっとするというようなことを書かれています。
わたしもときおり名古屋駅に行きますが、人を追い越すようにして、早歩きをする人たちを見ると気が滅入ります(めいります)。競争社会です。心が疲れます。
南伊勢町あたりは、農林水産業の土地であり、のどかです。
こちらの番組では、まあ、あちこち立ち寄りました。
牡蠣(かき)の自動販売機がありました。おしゃべりじょうずな宿主(やどぬし)の男性がいました。ぱーてぃーちゃん信子さんに、『べっぴんさんじゃのう』、『かっこええなーー』という声かけが、感じが良かった。
スケボー同好会のような年配男性たちの演技がじょうずでした。
さば寿司パック売りのお店も感じが良かった。いなかの人は優しい。
食堂の女店長さんはしっかり者です。70歳の女性は70歳には見えない若く見える人でした。
食事前に、日本茶を飲んでいたぱーてぃーちゃん信子さんが、『アーァ』と声を出したのですが、とてもギャルとは思えないアーァでした。おばはんですな。
充電先では、たいへんですわなあ。いきなり、芸能人たちが民家の中へ入っていきます。
わたしが宿泊したことがあるホテルも出てきました。もう何十年も前のことです。40年ぐらい前だと思います。
そのあたりの地域が、今はなんだか、さびれた感があります。
ぱーてぃーちゃん信子さんのギャルとしての言葉づかいがおもしろかったので、拾ってみました。
イェイ、イェイ、イェーイ! しゃーなしな(しょうがない) わかりゅー(わかる) ハズイ(はずかしい) ネイル(爪(つめ)) ギャルピー(指のピースポーズなのですが、ギャルは、下に出すそうです。上向きで、突き出す) 伊勢 志摩のエレェ人(偉い人) プォープォーカモン、ゴーゴーゴー(充電バイクが出発するときのかけ声。初回の出だしだけでした) ザツぃ(雑である) 100億光年(数字ボケのつもり。たいへん前からという意味) ぜんぜんふきますがな(充電先へのお礼として、窓ふき仕事をしました)
強烈だったのは、出川さんが、ぱーてぃーちゃん信子さんにした質問の答えでした。
出川さん:『神社仏閣にはよく行くの?』
ぱーてぃーちゃん信子さん:『ジンジャブッカクって、なに?』
(後半の放送 ゲストは、おいでやす小田さんでした)
おいでやす小田さんは、声が大きい(芸風ですが)。
ときおり、地元の人がびっくりしてひいてしまいます。
あわせて、小田さんは、いなかのお年寄りには知名度が低い。
小田さんが、出川さんの付き人と間違えられて笑いました。
前回、ぱーてぃーちゃん信子さんが出川さんのことを、『おじいちゃん』と呼んで、出川さんが、『(自分は)おじいちゃんじゃない!』と強く否定されていましたが、わたしは、60歳還暦を過ぎた出川さんは、おじいちゃんだと思います。
ふつう、50代の年齢で、孫が生まれて祖父母の立場になる人が多い。そのへんの感覚が、死んじゃうまで仕事人間の芸能人と、芸能人でない人たちとの間で、感覚の差になっています。
サラリーマンは、たいてい60歳で定年退職です。たいていは定年退職を迎えると、朝早くから夜遅くまで過酷な通勤に耐えながらの長時間労働で、ノルマに追われながら(仕事の割り当て)、何十年間も働いてきたのですから、もう働くのはイヤだという気持ちになります。
働いていたときは、自分の時間がなかったから、定年後は自分が自由に使える自分の時間がほしいと切に(せつに)思うのです。
真っ暗な山の中の夜道を充電バイクに乗って並んで走ります。
人がいません。過疎地です。
伊勢えび料理の値段はいい値段でしたが、おいしそうでした。
おいでやす小田さんにメイク担当の女性が付いていて、出川さんが、いらないんじゃないかと話していましたが同感です。でも、それだと、メイクさんが職を失うので、まあいいかですな。
宿泊するホテルでの、3部屋、部屋決めのためのジャンケンがおもしろかった。
谷川ディレクター>出川さん>おいでやす小田さんの順でじゃんけんに勝ちました。
撮影スタッフが一番いい部屋で、ゲストの小田さんが一番そうでもない部屋で、ふつうは、そういうことは考えられないやりかたです。(次の放送回福岡・佐賀・長崎壱岐島玄界灘(げんかいなだ)巡りの旅でのゲスト、V6のイノッチ(井ノ原快彦さん(いのはら・よしひこさん))は、このジャンケンで勝利しました)
以前番組で訪れたことがある現地の神明社を再び訪れました。映像を見ていたわたしにも、再訪問であることがわかりました。
焼きガキがおいしそう。
はっさく、ひじき、志摩半島は自然のものが豊かです。
出川さんと小田さんが、無邪気(むじゃき)におちゃらけるのを見て地元のおばあさんが、『(いい歳してそんなにふざけて)あんたら、こどもおるんか?』と声をかけられていました。おもしろい。芸能人の人たちは何歳になっても心の中は少年少女です。
赤福餅の宣伝看板が見えたら伊勢神宮が近い。
クールス:日本のロックバンド。クールスが友だちという理髪店の店主さんが登場されました。おいでやす小田さんの髪を散髪しました。小田さんのヘアスタイルが、かっこよくなりました。
まあ、あちゃこちゃ忙しい旅です。
それでも、ゴールして、おいでやす小田さんは、『100点満点の旅だった』と満足されていました。良かった良かった。
猿田彦神社の中にある、『さるめ神社(芸能、縁結び、鎮魂の神さま)』
たしか、森三中の大島美幸さんがこちらで結婚式をあげたというニュースを読んだことがあります。
また、ベッキーさんが、『東野・岡村の旅猿』にゲストで出たときに、こちらで縁結びのお願いをして、そのあとご縁があって結婚されたという話も聞きました。
伊勢は、神さまたちのお国ですなあ。