2022年09月16日

その日のまえに 重松清

その日のまえに 重松清 文藝春秋

(邦画『余命10年』を観た時にこの作品を思い出したのですが、ブログに感想メモがないので、ここにあげることにしました。文章をつくったのは、2008年(平成20年)のお正月のころです)

 書評ブログをまわっていて、たいへん評判がよいので、読み始めました。
 読み終えてみて、どなたにも読んでいただきたい優れた1冊でした。
 7つのお話が固まってひとつの物語になっています。
 若くして癌で亡くなるということがお話の大きな流れです。

「ひこうき雲」
 人が、遠い過去、小学生だった頃をふりかえっているような記述から始まっています。
 わたしが中学生の頃に腎臓病で亡くなったS君を思い出しました。
 クラスのみんなで病室までお見舞いにいきました。
 上手な文章です。他人の死を願う微妙な心理、それはだれにでもあるような気がします。
 いじめる子はいじめられる。病気の女子ガンリュウさんの涙は、卑屈で素直に感情表現ができない自分に対する怒りと悲しみの意味だと思います。

「朝日のあたる家」
 女子イリエムさんの状況は深刻です。
 人間は何もしなくなったら、狂うか、死んでしまうでしょう。
 だからイリエムさんは暴力夫と闘うべきだとわたしは強く思いました。
 自分のことを自分で考えさせて自分で実行させるようにしむけるのが、教師の仕事だと思います。
 だから教師は、結論を提案する必要はありません。

「潮騒」
 ここ数年、わたしの身の回りでは、毎年ひとりずつのペースで、同世代の仲間だった人が癌で亡くなっていきます。
 Mさん、N君、T課長を思い出しました。
 そこに今月亡くなった先輩Tさんが加わります。57歳でした。
 そういえば、去年保育園でこどもの同級生の母親だった人が亡くなりました。48歳でした。
 みなさん、志(こころざし)なかばでこどもを残して旅立たれました。
 わたしは27歳のときに内臓の病気で死にそうになったことがあります。
 何か月も入院して点滴投薬治療を受けたのですが、なかなか効果が現れませんでした。
 そのとき、夢というのは努力を続けて、それでもかなわなくて、あきらめたときに、ようやくかなうものだと知りました。
 この章の部分は宗教書のようです。

「ヒア・カムズ・ザ・サン」
 何だろう、作者のやさしさ、その反面の弱さがわかります。
 カオル君とおかあさんには何か秘密があります。
 カオル君はよく喋る男です。後半はあざやかでした。しっかり死んでいきたい。言うべきことを言うべき人に言ってあの世へ行きたい。
 作者はずるい。癌という深刻な病気を題材にして、どうにもならない状況をつくって読者を泣かせようとする。

「その日のまえに」
 文中の言葉「数万円の支出は惜しくない」はいい言葉です。
 わたしは本を読みながら自分が死ぬときは、自宅の和室で死にたいと思いました。
 病院のベッドは嫌です。記述は大部分の人に共通する一般的な体験です。
 書き方が、うまいなあ。物語の展開は計算されているようで、自然な流れから発生している部分もあり計略的ではありません。
 作者の才能と資質なのでしょう。

「その日」
 224ページは胸と目頭が痛くて熱くなります。
 そのページのためにそれまでの223ページが存在していました。
 なんといううまさでしょうか。
 この本は人の生き方を変える力をもった1冊です。
 236ページ、わたしが中学1年生のときに父を亡くした夜の状況がよみがえりました。
 247ページ、わたしの病気体験からいうと、眠っているようにみえる意識がない状況でも、本人には周囲の声が聞こえています。
 まぶたを開けたくてもあかない、からだを動かそうとしても動かない、声をだそうとしても出ない、そういう状況で意識はあります。耳も聞こえています。
 気に入った言葉は「時計の針では計れない時間」
 この本は今年読んで印象に残った1冊になるでしょう。

「その日のあとで」
 この章を追加で書く意味はなんだろうかと首をかしげました。
 「その日」で終わることが通常の小説ではなかろうかと。
 携帯メールではできないことが書いてあります。
 亡き妻の最後の言葉が胸に突き刺さりました。
 この本を読んでよかった。
 278ページの言葉「勉強ができていたのに、いちばん大事なことがわかっていなかった」
 死んだ人と会話をしていくことは大事だと思いました。
 読みながら、さだまさし氏の「精霊流し(しょうろう)」が頭に流れてきます。
 作者は最終章にすさまじいエネルギーを注ぎ込んだことがわかります。
 最後の2行は名句です。花火の爆発は人生そのものです。  

Posted by 熊太郎 at 06:33Comments(0)TrackBack(0)読書感想文