2024年12月04日

エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年

エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年(昭和59年) 91分 動画配信サービス

 先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
 若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
 キョンキョンのお勧めホラー映画です。
 1978年(昭和53年) ハロウィン
 1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
 1980年(昭和55年) 13日の金曜日
 1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
 1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
 キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
 次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
 そして今回は、『エルム街の悪夢』を観てみました。ちょっとこどもっぽかったかな。

 女子高校生ふたり、男子高校生ふたりの合計4人が犠牲者になります。
 夢の中に鉄の爪(刃物)をもった気持ちの悪い、は虫類みたいなおじさんが出てきて攻撃してくるのです。おじさんのお名前が、『フレディ』です。フレディがやって来るのです。
 女子高校生の名前が、『ナンシー』と『ティナ』、男子高校生の名前が、『ロッド』と『グレン』で、ナンシーのパパは警察官です。

 では、時系列の順番に感想です。
 危険な爪をもつおじさんは、さいしょは、わたしにとっては、プロレスラーのイメージでした。
 たしか、そういうプロレスラーがじっさいにいました。
 『フリッツ・フォン・エリック 1997年(平成9年)68歳没 アメリカ人 身長193cm』
 だけど、映画を観たら、化け物は、エリックさんには似ていませんでした。

 わたしは、ホラー映画を始め、各種映画をつくり手の立場になって観ます。
 だから、残虐シーンがあっても気持ちが悪いなあとは思いますが、怖くはありません。
 なぜなら、撮影中、監督が、『カーット』と声をかけると、死んだはずの役者さんが生き返って、『さあ、休憩休憩、おやつは、何食べる?』とか話していると想像するのです。
 だから、怖くないのです。

 映画の映像のほうは、恐怖感を演出します。
 映像が暗い。影があって、光があります。赤い血も出てきます。
 恐怖を強調する。
 観ている人を怖がらせるために、不安をあおる音と音楽が流れます。

 眠っているときに殺人行為があるそうです。
 たまたま今わたしが読んでいる本が、『儚い羊たちの祝宴(はかないひつじたちのしゅくえん) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 新潮文庫』で、最初の短編、『身内に不幸がありまして』で、眠っているときに夢見るように殺人行為をする人物が出てきます。縁がありました。本と映画の内容が重なりました。

 刃物の爪で、布を引き裂く。
 叫び声が響きます。女の人の叫び声なのか、あかちゃんか、ネコが鳴く声にも聞こえます。
 まあ、夢の中のことなんですけどね。目が覚めると、体の一部が切られて、出血があったりもするのです。

 まあ、若い男女ですから、エロい話もあります。盛りがついた高校生男女です。元気がいい。

 黒電話(加入電話)の時代です。
 ファッションもなつかしい服装です。
 いつでも、怖いものを見に行くときは、男が先頭にさせられます。(女子はうしろです)でも、女子よりも気が弱い男子はいます。
 しょせん夢の中のことか…… そのへんが、表現として、中途半端でした。現実と夢が交錯するのですが、いまいち明瞭な線引きがありませんでした。

 舞台は、つくったセットであることがわかります。
 
 化け物のフレディおじさんがですね、弱そうなのです。
 こちらが、武器を持って、闘えば勝てそうなヨロヨロのおじさんなのです。フレディおじさんは、ムダに、両手が長かったりもするのです。まあ、おじさんは、おばけです。

 そんなふうにフレディおじさんをばかにしながら観ていたら、女子の体がベッドの上に浮いて回り出しました。うわー、エクソシストみたい。
 たいへんだーーー

 どこまでが夢なのかよくわかりません。
 現実と空想が入り混じっています。
 ナンシーの母親が、母親に見えません。(若い)。母親はどうもアル中のようです。
 『見えない力』が強調されますが、そんなものはこの世にはありません。

 こどもじみている。こどもっぽい。

 キモイ。は虫類のようなバケモノフレディおじさんです。
 爪がとんがっているというか、刃物を指にくくりつけている。
 刃物は、親指には付いていない。ほかの4本の指に付いている。
 あの程度の武器なら怖くない。
 どうしてこうなっているのか(夢の中のバケモノの行為で体が傷つく)原因を突き止めて、フレディおじさんと闘わねばなりません。
 まあ、シンプルな台本ではある。

 緩急(かんきゅう。強く弱く)を繰り返す進行が続きます。

 やりたい放題の構図です。
 ドリフターズか、志村けんさんのギャクコントのようでもあります。

 女の幽霊は、こっけいで、笑えました。
 逃げてばかりではダメだ。
 闘うのだ。
 あんがい勝てそうです。
 あんがい、相手は弱いに違いない。

 母と娘が対立するのですが、理由がわかりませんでした。
 母親はフレディを知っていたというのが種明かしでした。
 昔実在した殺人鬼だったそうです。町の人たちでやっつけて死んじゃったそうです。
 厚みがない話です。
 
 まあ、すごいシーンもあります。映画です。
 だれかのセリフです。『(けが人を運ぶ)担架(たんか)よりも、(血の海を掃除するための)モップが必要だ』。

 最後は、じょうずな終わりかたでした。
 恐怖度指数はそれほど高くはありませんでした。  

2024年12月03日

13日の金曜日 ホラー洋画 1980年

13日の金曜日 ホラー洋画 1980年(昭和55年)公開 1時間35分 動画配信サービス

 先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
 若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
 キョンキョンのお勧めホラー映画です。
 1978年(昭和53年) ハロウィン
 1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
 1980年(昭和55年) 13日の金曜日
 1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
 1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
 いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
 今度は、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
 タイトルは、昔よく聞いたフレーズです。宗教が由来なのか、13日の金曜日満月の夜に恐ろしいことが起きるのです。

 場所は、クリスタルレイク:呪われた(のろわれた)キャンプ場です。コテージ(小屋)に泊まります。
 犠牲者は、若い男女のグループです。
 時代は、1958年(昭和33年)です。
 さあ、連続殺人が始まりました。

 夜は部屋の中、みんなで輪になって、ギターを伴奏にしながら、フォークソングを歌います。
 
 まあなんというか、さかりのついた元気で健康な若い人たちです。
 カップルが複数います。
 <ひとりずつ殺されていくのだろうか(殺されていきます)>

 加害者の姿は、映像にはなかなか出ません。
 加害者の視線で観える映像で殺人が進行していきます。
 心をかきむしる音楽が流れ続けます。
 
 シンプルな演劇のような始まりと流れです。
 
 実体のある事件を、『呪い(のろい)』のせいにします。少年が池で溺死した。助けてもらえなかった少年の無念が、怨念(おんねん。復讐心。うらみ)になって、キャンプ場に遊びに来る客の命を奪い続ける。
 頭のオカシイ人が何人か出てきます。おとりです。真犯人ではありません。

 音楽と犯人目線の映像、そして逃げる若い女性の姿で、怖さを表現します。
 殺し方もむごい。
 連続殺人犯の犯行です。
 <視線による恐怖感の演出>があります。

 犯人はだれだろうか。

 『お~れは、神の使いだ』という男性老人が現れます。
 不謹慎(ふきんしん。ふまじめ)ですが、わたしは、この世に神さまはいないと思っている人間なので、あなたが(男性老人が)神の使いであるはずがないと冷ややかに(ひややかに)男性のお年寄りを見てしまいます。(自分もお年寄りですが……)
 長い間生きてきてわたしは気づいたのです。神さまや仏さまにすがるような気持ちでお参りをしたことがこれまでに何度もありましたが、老いてみて、この世には神さまというものはいないのだとわかったのです。『神さまというものがいる』ということにしておけば、都合がいいということが多々あるのだということに気づいてしまったのです。
 わたしは知ったのです。困難にぶつかったときは、神さまに頼らずに、自分でがんばるしかないのです。自分自身が神さまなのです。わたしは神だーーー わたしならできる!

 映像は急に天気が悪くなって嵐の風雨が始まりました。
 
 カップルで観る映画なのでしょう。怖くなったら、お隣に座っている異性のお手手(おてて)をぎゅっとにぎるのでしょう。
 
モノポリーというゲーム:ボードゲーム。人生ゲームみたいでした。相手を破産させるらしい。映画では、負けると服を脱ぐのです。大昔、お笑いコンビのコント55号(欽ちゃんと二郎さん(萩本欽一&坂上二郎))がテレビでやっていた野球拳(やきゅうけん)を思い出しました。ジャンケンで負けたら服を脱いでいく罰ゲームなのです。(今思うと、よくあんなことテレビで放送できました)映画のなかの男女は楽しそうに服を脱いでいきます。まあ、カップル向けの娯楽恐怖映画です。

 ちょっと怖いシーンあり。(じょうずです)
 キモイ。(でもじょうずです)
 間(ま)をつくって映画鑑賞者に恐怖心を芽生えさせる。
 不穏(ふおん。おだやかではない)な空気になる。
 むごいシーンが飛び出てくる。(映画鑑賞者を恐怖におとしいれる)

 最後はどうまとめるのだろうか。
 犯人を退治して完了だろうか、それとも全員死亡だろうか。
 こういう映画の場合、悪は生き続けたほうがいい。
 (まあ、映画はそのような、予想した流れになりました)

 警察を呼ぶけれど、警察は頼りにならない。
 警察の仕事内容は、事後処理をすることがメインの仕事です。記録を残しておくだけです。
 13日の金曜日、満月の夜には、殺人事件が起きなければならないのです。

 いずれも『死』のシーンが一瞬です。短時間です。
 もう少し長く引っぱるほうが効果的なのに。
 (わたしは、つくり手の立場で映画を観る人間です)

 そうか、13日の金曜日はだれかさんの誕生日だそうです。
 そういう動機か。
 最後のほうは、遊園地のお化け屋敷状態です。

 刑事ドラマ、『相棒』みたい。動機は、『復讐』です。
 この映画を観たときに観ていたNHK土曜ドラマ、『3000万』のフライパン振り回しシーンに似たシーンが出てきました。
 フライパンみたいな形状のものは武器になるのです。

 こういう終わり方か。
 自分のことは自分で守る。
 アメリカ合衆国らしい意識の持ち方でした。だから銃社会なのです。
 助けは来てくれないから、自分が勇気をふりしぼって、敵に立ち向かっていく。
 
 この形で終わったら、物足りない。
 (もうワンシーンありました)

 もう45年ぐらい前の映画です。
 あのころの時代背景がなつかしい。  

2024年12月02日

死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年

死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年) 1時間25分 動画配信サービス

 先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
 若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
 キョンキョンのお勧めホラー映画です。
 1978年(昭和53年) ハロウィン
 1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
 1980年(昭和55年) 13日の金曜日
 1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
 1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
 いちばん怖かったのが、『死霊のはらわた』だったそうです。
 さっそく観てみました。

 わたしはつくり手の立場で観るので怖くはありません。
 5人の学生風若者たちです。
 男がふたり、女が3人。大きなアメ車で、山の中の古い家屋に到着しました。別荘だろうか。
 危機として、途中、山道で中型トラックみたいな車と、①正面衝突しそうになりました。

 犠牲者たちです。映画館で観たほうが、怖い(こわい)だろうなあ。
 主人公男子 アッシュ
 アッシュの姉 シェリル
 アッシュの恋人 リンダ
 アッシュの友人 スコット
 スコットの恋人 シェリー
 
 危機として、②車が橋から落ちそうになりました。③無音の画面、④ゴンゴンと繰り返す音、⑤午後5時52分に掛け時計の針が止まりました。⑥絵を描いていたら、勝手に手が動き出して、オバケの絵を描いてしまったようです。⑦地下へつながる階段がある木造の床のフタが動きました。以降、いろいろあります。

 いきなり何かが起きる。そーっと何かが起きる。危険があります。
 推測→笑い→恐怖の流れです。
 ゆっくり、ていねいにつくってあります。ゴリラみたいな、悪魔の顔の彫り物、ガイコツ、しゃれこうべ(頭蓋骨(ずがいこつ))。オープンリールテープのテープレコーダー、1970年代(昭和45年代)という時代を感じます。

 遺跡とか、死者の本とか、悪霊が生き返るとか、呪文を唱える(じゅもんをとなえる)とか。
 白い煙が出て、夜空に月が浮いて、ルーペ(虫メガネ)のようなペンダントがあります。
 
 いっぱいのヒモで体中を縛られる(しばられる)。
 (まあ、すごいことをなさるのね)
 シンプルなつくりです。悪霊が追う。悪霊から逃げる。犠牲者が出る。
 鍵が開かない(あかない)。あせる。鍵があっても、助けにならない。
 車のエンジンがかからない。うまくいかないことが続きます。
 橋が落ちている。町には戻れない。<大地震のあとのようでもあります>
 ヒットした邦画、『カメラを止めるな!』にも似た雰囲気があります。
 憑依(ひょうい。悪魔が体に入りこむ)があります。洋画、『エクソシスト』みたい。
 痛い! これは怖い。本物の悪魔です。すごいなあ。
 『恐怖』が歩いている。
 『恐怖』が追ってくる。
 逃げられるだろうか。
 『(こっちに)来るんだ!』と悪魔が叫ぶ。
 悪魔は、笑っているのか。叫んでいるのか。わからない。声はする。声は聞こえる。

 うわーっ これは怖い!
 血が流れる。
 なんじゃ、こりゃーーー
 サンキュー(サンキューという言葉が怖い)

 武器がいります。
 悪魔に立ち向かうために武器がいる。
 グロイなあ。(グロテスク)。つくりものの血が大量に流れます。
 がんばれ悪魔くーんと応援したくなる。(悪魔のほうの好演技を期待する応援です)
 かなり、いい感じです。

 まあ、ボロボロですなあ。
 悪魔は、死なないと思う。
 Hit it!((武器で相手を)やるんだ!)
 すさまじい。力作です。(これは夢じゃなかろうか。夢であってほしい)
 ちょっと、こどもには見せられない(映画です)。
 生き物は、いつかは死ぬ。最後は死ぬ。埋葬する。
 海の波が次から次に押し寄せるように、恐怖という波が押し寄せてきます。
 
 みんなゾンビみたいになっちゃった。
 なんだか、認知症になってしまった人のようでもある。意思疎通ができません。されど、『共存』の道を選ぶしかありません。
 姉さんをどうする。
 びっくりしたなあもう。そっちもかい。コワイ、コワイ、コワイ。にぎやかではある。
 主人公男子のアッシュは忙しい。たいへんな目にあっています。

 気持ち悪い。パワフルな女悪魔です。手も足もつかまれた。さて、どうなる。クライマックスですなあ。みなさん熱演です。
 もうがんばらなくていい。そんなにがんばらなくていい。アッシュにかける言葉です。

 目が開いたり(あいたり)、閉じたりの演技が恐怖を生みます。
 けっこう怖い。古いけれど、いい映画です。傑作です。優れています(すぐれています)。
 すごい→すばらしい恐怖の演出です。小泉今日子さんお勧めのホラームービーです。恐れ入りました。(まいりました)。
 うまいなあ。よくねりこんである演出です。
 今年観て良かった一本になりました。
 ち密に事柄が積み重ねられています。
 言葉のやりとりは少ない。『恐怖』に言葉はいらない。世界共通の感覚があればいい。

 時間が戻りました。(掛け時計の針)。過去へ戻って終わりか。(そうはならない)。
 キモイ。

 朝が来ました。もうひと動きあります。
 終わり方はこれでいい。

 特殊撮影を楽しむ映画でもありました。  

2024年11月28日

大鹿村騒動記 邦画 2011年

大鹿村騒動記 邦画 2011年(平成23年) 1時間33分 動画配信サービス

 観終えて、来年はどこかの時期に、東京の歌舞伎座や新橋演舞場などで歌舞伎を観たくなりました。
 銀座の歌舞伎座は見学したことがありますが、お土産(おみやげ)売り場と建物の屋上にある展示やお庭を楽しんだだけです。
 こちらの映画を観て、きれいな舞台を一度観てみたいという気持ちになりました。

 映画のほうは、ローカル感ただよう長野県の山の中です。
 紅葉しているのに、台風が来るという、ちょっと季節が違うのではないかという違和感がありました。
 認知症みたいになっている記憶障害の女性が、おかしくなったり、正常になったりして、おもしろかった。
 映画の素材となった村の歌舞伎は、300年の歴史があるそうです。さかのぼって、西暦1700年ぐらいだと江戸時代ですな。
 設定として、リニア新幹線の建設が地中であるそうです。賛成・反対両方の意見があるようですが、映画にはあまり影響がありませんでした。話題です。
 
 ゆったり流れる時間が心地よい。日本各地の山奥にある暮らしぶりです。
 いなかの人たちは、幼なじみが多い。都会のように、自分と関係ない人間は石ころと同じという扱いではありません。
 
 人妻と駆け落ちの過去ありです。夫婦と妻を奪った男の関係は、三人とも幼なじみで、仲間で、昔は、鹿牧場の共同経営をしていた人たちです。よくある三角関係です。
 恋をして、好いた(すいた)、惚れた(ほれた)と、いろいろあります。そして、恋愛が成就しても、たいていは、女も男も、こんなはずじゃなかったと思うのです。(そこを乗り越えてからが、人間づきあいとしての男女関係の本番なのです)

 記憶障害が、万引きという行為につながるそうです。認知症のおばあさんみたいです。
 
 それぞれ事情がある人たちが、チームワークをつくって、歌舞伎を完成させて上演します。万雷(ばんらい。盛大な)の拍手です。
 
 地上デジタル放送普及の話題があります。(そういうことがあったなあ。今から20年ぐらい前のことです)

 映画では、演劇の楽しみがありました。暴風雨の台風が去って、いいお天気の映像です。
 華やかな、『美(び)』があります。
 『かしこ・まって・ござります』というセリフ付近のリズム感あふれるやりとりが楽しかった。
 衣装は、金ぴかキラキラで、マツケンサンバみたい。
 赤色、朱色、黄色、黒、白、キラキラできれいです。
 緑色した松の木の絵が映えています。
 
 歌舞伎の上演は、共同作業です。
 それぞれが、自分の役割を果たしていきます。

 『怨み(うらみ)は、これまで』
 暗闇の中の鹿の瞳が良かった。

 おもしろかった。  

2024年11月27日

3000万 NHK土曜ドラマ 第7話と第8話最終話 

3000万 NHK土曜ドラマ 土曜日夜10時 全8話 NHKとか、NHK+(エネエチケープラス)とか。第7話と第8話最終話 終わってしまいました。

『第7話』
 今回を含めてあと2回の放送となりました。
 今回、犯罪グループを率いる大ボスの姿も判明したようです。
 話の展開がおもしろい。
 悪いことをした人間たちが一致団結して大ボスを狙うのです。(ねらうのです)。
 だけど、うまくいきません。

 一致団結して、自分たちの利益のためにチームワークを形成してがんばっているのですが、各自秘密をかかえています。すべてをオープンにはできないし、オープンするつもりもない。視聴者には、各自がどんな秘密を抱えているのか、わからない部分もあります。

 緊張感が長く続く時間経過です。

 『(大ボスが)ばか女の顔が見たい』

 ホラー映画(恐怖映画)のようでもある。

 『(ソラの言葉として)みんな、泥舟(どろぶね)に乗っている』

 自分たちが犯罪行為をしたという証拠を消したい。
 どうしてなのか、井上陽水さんの歌曲、『夢の中へ』がバックグラウンドミュージックで流れます。わたしが高校生のころよくはやった曲です。
 これは(ドラマは)、夢の中での出来事なのか。いろいろ、あれこれ勘繰ります。(かんぐる:気を回して疑う。悪いほうに考える)。
 わたしは、女刑事が大ボスじゃなかろうかと勘繰ったときもありました。
 今回明らかになった大ボスは、本当にそうなのだろうか。もうひとつなにか仕掛けがしてあるような気がしないでもない。
 税務署さんか、ありえないこともない。そんな気分になりました。
 正義の味方が、悪の道に進んだら、正直者はバカをみます。

 (メンバーが)売られた。
 (犯罪相手の協力者が)警察になってしまった。警察も犯罪者に、じょうずに操られている(あやつられている)のではないか。

(最終回につづく)

『第8話 最終話』
 終わってしまいました。
 なかなか最近類を見ない形の犯罪ドラマで良かった。おもしろい企画でした。
 闇バイトとか、高齢者詐欺とか、トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)のお話が設定してありました。

 最後はどうなるのか興味津々(きょうみしんしん。次から次へと気持ちが動く)でした。
 視聴者に考えさせる形で、中途半端に終わるのかと思っていたら、ラストシーンでちゃんとした終わり方をしたので良かった。(わたしは、安達祐実さんは警察へ自首したと判断しています)
 逃げきれないのです。自分ひとりだけなら、秘密をひたすら隠し続けることができるのかもしれませんが、同居する夫やこどもがいると精神的にかなり苦しい。
 たぶん、NHKドラマとしては、こういう終わり方を選択するしかありません。健全です。公序良俗に反する終わり方はできません。公序良俗:社会において人として守るべき最低限の対応。

 ドラマにもありましたが、いっけん善人に見える人間が、実は悪人ということはあります。
 まだ今読んでいるさいちゅうですが、『果てしなき渇き(はてしなきかわき) 深町秋生(ふかまち・あきお) 宝島文庫 犯罪小説です』に出てくる警察官の娘(女子高生)が善人と悪人の顔を合わせもったような人物なのです。本当の悪人は、映画やドラマに出てくるような悪人の顔はしていないのです。ふつーの顔をしているのです。
 人は見かけや地位では判断できません。犯罪を行っているのは、反社会勢力だろうと思って観ていたドラマ、『3000万』でしたが、違っていました。


(その後のこと)
 11月24日日曜日の夜に、NHKBSドラマ『一橋桐子の犯罪日記(ひとつばしきりこの犯罪日記)』を観ていたら、こちらのドラマ、『3000万』で刑事役として出ていた俳優さんが出てきたのでびっくりしました。『3000万』で、年配の刑事役、野添義弘を演じておられた奥島誠吾さんとういう方でした。一橋桐子のドラマでは、高齢者の婚活申し込みをして、高齢者男女の交流バス旅行に参加されていました。
 さらに、火曜日夜にあるNHKドラマ10、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ)』に大学教授役で伊之瀬嘉之を演じている長谷川初範さんという方が、一橋桐子のドラマに、これまた高齢者同士の婚活中の人物として出てきてびっくりしました。家族で観ていておおいに盛り上がりました。  

2024年11月24日

宙わたる教室 第7話 浮遊惑星のランデブー

宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10 毎週火曜日午後10時放送 全10話 『第7話 浮遊惑星のランデブー』(ランデブーは、出会い、待ち合わせ、ドッキングなどの意味)

 教室に火星をつくれないか。
 火星のランパート・クレーターを定時制高校の実験室で再現する。
 リム:クレーター作成実験で、鉄の玉を砂地に落とすと、砂がはじかれて、円形に穴があき、その穴のふちが盛り上がるのですが、その盛り上がった部分をリムと呼ぶ。
 ランパート・クレーター:リムのまわりに、エジェクタ堆積物が花びらみたいに広がった状態をいう。
 エジェクタ:排出。エジェクタ堆積物を研究者は、『ローブ』と呼ぶ。
 定時制高校の実験室で火星の重力をつくる。

 藤竹先生にいやがらせをしてくる高島礼子さんが演じる大学教授の名前が、石神怜生(いしがみ・れい)というのですが、原作の小説では、『M大学の教授』としか表示されていませんでした。だから、わたしが小説を読んだ時は、男性の教授だと思いこんでいました。

 実験です。
 みんなで工夫する。(くふうする:あれこれ考えて、いい結果につなげる)。
 お金がないから工夫する。
 知恵を絞る(しぼる)。

 実験ボックスの話が出ます。
 以下は小説に書いてあったことです。
 実験ボックス(大きいほうの木箱→透明のアクリル容器に変更した。側面が扉のように開く。長辺40cmの箱である)にデジタルカメラをつける。
 コンピューター準備室の角(すみ)に、角材で組まれた櫓(やぐら)がある。
 天井パネルが2枚はずされている。
 その穴に、櫓(やぐら)の頭が少しつっこんでいる。
 天井の穴から、自転車のホイールが下半分だけ見える。
 櫓(やぐら)の高さは3mである。
 滑車にワイヤーが釣り下がっている。ワイヤーの片方に実験ボックス、もう片方におもりの役目を果たす小箱が付いている。
 火星の重力は、0.38Gである。
 その持続時間は、0.6秒である。
 実験ボックスの中に、標的の砂(砂を火星の地表として、0.38Gの環境をつくって、隕石にたとえた金属球を撃ち込むのでしょう)を入れたプラスチック容器を入れる。
 実験ボックスが滑車で落下する間に、上から金属球の弾(たま)を打ち込んで、クレーターをつくる。
 実験ボックスの上に、金属球の発射装置を付ける。実験ボックスと金属球の発射装置は、一体である。両者は一体となって落下する。
 発射装置は、スプリング式空気銃の仕組みを応用したものとする。
 発射装置はアルミ製の筒で、長さは20cmぐらい、内部に、強力なばねとピストンが仕込まれている。(こどものころ、竹でつくった水鉄砲みたいです)
 押しつぶしたばねが、元に戻る力で(伸びる)ピストンを押し出し、圧縮された空気が弾を撃ち出す。
 この発射装置が、実験ボックスの上ぶたに金具で取り付けられている。
 アクリル製実験ボックスの箱の上に、アルミの筒が立っている。アクリル箱の上ぶたには、筒から弾を通すための丸い穴が開いている。
 引き金にばねを取り付ける。収縮したばねが動かないように小さな金属の留め金でとめる。留め具と櫓の最上部とを紐(ひも)でつなぐ。実験ボックスが、紐の長さまで落下したときに、留め具がはずれて、ばねが引き金を引いて隕石にたとえた球が、火星の地表にたとえた砂に向かって発射される。
 紐は、細くてがんじょうなチェーンにした。チェーンの長さで、引き金を引くタイミングを調整する。誤射を防ぐ安全装置も装着した。製造業を職としていた長嶺省造さんのアイデアと技術です。ストッパーである留め具はアルミ製にした。

 名取佳純について、学力優秀な姉とあきらめやすい妹である自分の話が出ます。
 『すっごい、くやしくて、そんなことないって言い返して……』
 自分の気持ちを相手に言葉でちゃんと伝える。佳純は佳純、姉と比べることはないと、越川アンジェラが佳純を励まします。

 石神怜生(いしがみ・れい))教授が、JAXA(ジャクサ。宇宙開発研究機構)の担当責任者(藤竹先生の友だち)に対して、時間を守れとか、予定である時間通りにさっさとやれと叱責します。しっせき。𠮟りつけるように圧力をかける。予定通りに仕事が進んでいないので、担当責任者は非常にあせっています。

 研究や実験における『時間』については、時間をかけるもので、急ぐものではありません。あせって失敗すると後始末が大変です。ときに人命がからんだりもします。
 期限はありません。そのときの担当者が亡くなったら、次世代の人間が研究や実験を引き継ぎます。

 藤竹先生の言葉です。
 『自分の居場所は、自分で決めるよ』
 『僕には、僕の信念があります。それを証明するだけです』
 藤竹先生は、こんなやつらにできるわけがないというメンバーを集めて、実験を成功させて発表して、晴れの舞台をメンバーに踏ませてやりたいのです。今まで、学歴の低い人間を見下してきた大学上層部にいる人間を驚かせて、人間の実力を証明したいのです。人間は学歴じゃないということをアピール(主張)したいのです。だから、藤竹先生は、定時制高校の教師になったのです。(だけど、それはそれで、メンバーからの反発があります。自分たちをできそこないと位置付けて実験するのは良くないと)。

 名取佳純が、コンピューターオタクである昼間部の男子高校生に言います。
 『(火星探査車)オポチュニティ(を)知ってます? わたしのお守りみたいな存在です』

 定時制高校の生徒である名取佳純(なとり・かすみ。起立性調節障害。父母離婚。母が親権者なるも、母は、姉をひいきして、妹の佳純を差別する。佳純をやっかい者扱いする)。
 名取佳純は、定時制高校の教室を火星とし、保健室をハブ(火星での宇宙飛行士の居住施設)とする。名取佳純は、ハブ(保健室)でしか、呼吸ができない。
 名取佳純は、EVAで(エバ:宇宙服を着ての施設外活動)、教室(ハブを出て火星の空間)に行く。決死の覚悟がいる。
 過換気:発作的に息苦しくなって、呼吸が早くなる。
 過呼吸:緊張、ストレスで、呼吸の深さが増加する。

 火星探査車である『オポチュニティ』は、地球から遠く離れた火星で、ひとりぼっちでがんばった。火星の写真をたくさん撮って、地球に送ってくれた。ドラマでは、オポチュニティが撮影した火星の青い夕焼けが紹介されます。

 オポチュニティは、2003年(平成15年)7月に打ち上げられ、2004年(平成16年)に火星に到着した。運用期間3か月の予定だったが、気がつけば、15年間火星での旅を続けてくれた。
 2018年(平成30年)、オポチュニティは、大規模な砂嵐に襲われて、太陽電池がダウンして、機能が停止した。
 2019年(平成31年)2月、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ミッション終了を宣言した。

 オポチュニティは、調査中に、前輪を一つ失ったり、砂だまりにはまりこんだり、原因不明の電力低下に見舞われたり、数々の困難に直面したが、克服し続けた。
 『この子(オポチュニティ)は、自分の後ろに続く轍(わだち)を見て、ただ孤独を感じたわけではないのだ。きっと、もう少しだけ前へ進もうと思ったに違いない……』。
 オポチュニティの背後には、地球に応援してくれる仲間がいた(NASAのスタッフメンバー)。この子(名取佳純)にも、仲間が必要だ(定時制高校科学部の生徒が仲間です)。