2013年04月28日

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹 文藝春秋

 高校時代の仲良し5人グループ(男子3名・女子2名)とその後16年が経過した現在について、作者独特の時代を隔てた空間移動記述で創造された世界です。こだわるのは、「バランス(平衡感覚)」です。集団はやがて「均衡(つりあい)」を保てなくなり分離します。異性を意識しない男女の付き合いは破綻を招きます。無邪気だった高校生活への憧憬(どうけい。なつかしさ。あこがれ)があります。彼らは36歳です。これから先の人生のほうがまだ長い。経験として、50代を過ぎると、離散した同級生たちとは、再び集合する時期が訪れます。その点で、この小説は、長い人生の1点に焦点を当てたものです。
 人物の名前に「色」がつけられています。女子は「シロ」と「クロ」、男子は「アカ」と「アオ」。多崎だけ名前に色がありません。色は個性です。クラッシック音楽を聴きながら読む本です。人の気持ちの根底にある性愛を基礎として抑制、配慮、後悔などが描かれています。主役級は「シロ」です。音大卒業の美人ピアニスト。モデルさんのようでかつお嬢さまという設定です。対比として「クロ」がいます。
 多崎は何度かシロの夢をみます。六本指のピアニストの夢もみます。独特です。
 多崎と沙羅(さら)、多崎とクロ、そして、多崎と灰田文紹との言葉のやりとりが、空間をつくって、風船のようにふくらんでいきます。精神状態の描写表現が卓越しています。5人のユニット(共同体)が最初に排除した対象が、「多崎つくる」でした。彼は悩みます。<必要とされている自分がいるのか>。自己の存在を否定することは苦しい。
 前半部にある、各章の最後の一行が、次章の最初の一行になるという「継続」が好きでした。以前読んだ「海辺のカフカ」、「1Q84」のような迫力はありませんでした。どのような評価がなされるのか楽しみです。
こころにビンときた表現です。
 文系得意、数学苦手、税理士の娘クロ。熱心な読書家
 多崎つくるは駅舎を設計管理する部署に勤務。天職だ。
 多崎の言葉の趣旨として、シロにもクロにも愛情をいだかないよう、ふたりをひとりとしてとらえていた。
 沙羅に「孤独だけれど淋しくはない」
 灰田文紹(ふみあき)。ミスター・グレイ。(「退廃」とか「世の中を嫌う」という印象をもちました)
 (登場するのはみな裕福な家庭のこどもたちです)。うちが金持ちなのか、そうじゃないのか、こどもである自分にはよくわからない。
 人間はひとりひとり色をもっていて、からだの輪郭に沿って光っている。
 北欧の鉄道事情を見学するのもわるくない。
 高級セダンの本革シートの触感
 好きなのは、にぎやかに込み合った駅と電車
 生まれて、通学して、仕事をして、自己完結できる街が「名古屋」。なんだかコナン・ドイルの「失われた世界」みたい。
 シロさん、白根柚木(ゆずき)さんはいま、現住所をもっていない。
 (シロの嘘を聞いて)つくるは黙っていた。
 アオの携帯電話の着メロがエルヴィスの「ラスベガス万歳!」で、レクサス購入の顧客と会話がはずむこともある。
 シロがピアノでよくひいてくれた曲。フランツ・リストの「ル・マル・デュ・ペイ」
 アオの思考結果として、世の中の大半は、指示を受けて従うことに無抵抗。自分でものを考え責任をもつことを避ける。
 灰田の父親が昔、大分県の温泉旅館で会ったジャズピアニスト男性がもつ小袋の中には、彼の6本目の指が入っていたのだろうという推測
 クロであるエリの言葉、つくるはつくるだよ。
 つくるがエリに、リストの「巡礼の年」を覚えている? イコール「ル・マル・デュ・ペイ」
 だれが、シロの首を絞めたのか。本書に記載はない。本書に記載はないけれど、想像することはできる。犯人の名前はここに書けない。

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