ゼロ 堀江貴文

2013年12月12日

Posted by 熊太郎 at 23:05│Comments(0)TrackBack(0)読書感想文
ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく 堀江貴文 ダイヤモンド社

 仕事から帰宅した日の午後10時頃、テレビに著者が出ていて、なんだかんだと放映されていました。本は、帰宅する前、電車での移動時間中に読み終えていました。テレビ番組は、本の内容に沿って進行されていましたが、本の内容とは異なる部分もありました。「お金」の部分です。本では、お金のために働いたのではない。働きたかったから猛烈に働いたらお金がついてきた。自分は、金の亡者(もうじゃ。とりつかれている人)じゃないと幾度も強調されていました。
 さて、本の感想です。いっき読みできます。1日半で読みました。彼のようにならないようにするためにはどうしたらよいのかを考えるために読み始めました。これまでの自分の人生を振り返って、さまざまな人の生活をみてきた結果、人はその人の生まれもつパターンからなかなか抜け出せないということがあります。改心したとしても結局人は、時が経つと同じパターンを繰り返すのです。彼の人生パターンはジェットコースターです。再び同じパターンが起こるでしょう。
 本では、拘置所での独房での様子がよくわかります。「孤立」です。彼は、孤独を嫌い、ひとりにならないために働くと記しています。0に1を足していくと表現します。
 彼の生い立ちは不幸です。マスコミがつくったお坊ちゃま像は虚像です。同じく福岡県出身であることから自分と重なる部分があります。新幹線が博多まで開通したのは1975年、昭和50年でした。彼は1972年に生まれています。「生まれる家を間違えた」という意識は、当時の自分自身にもあったし、彼同様に親からも言われたことがあります。彼だけの特殊なことでなく、当時のあの土地で生まれて、のちに郷里を去って都会に行った若者たちの共通意識です。
 当時の東大生をもつ親の大半は、本に書かれている彼の両親のようなものだったのかもしれない。裕福ではない、平凡な家庭のこどもが、公立である東大にいくのです。食べる・寝る以外の時間を勉強時間とする。自分にも遠い過去に同じ状況があったことをこの本を読んでいて思い出しました。今は、勉強が仕事に変わりました。
 彼の言動は、サラリーマンではない人の思考です。真似できません。理由は、彼には背負うべき家族がいないからです。
 彼がそもそも何をして収監されたのかわかりません。事件というものは、当事者とその周辺の人たちだけの世界です。その他おおぜいのひとたちは、細かいことまで知りたいという意識はありません。マスコミが騒ぎ立てると悪人だというイメージがつくのです。
 この本を読んで、+(プラス)が半分、-(マイナス)が半分、結果プラスマイナス0(ゼロ)という評価にたどりつきました。事を成すためには、今しかない。未来はわからないと訴える気持ちはわからなくもありませんが、とりあえず、未来も自分は生きているという前提で将来設計をしていくことは、あたりまえのことです。
 かわいそうな人でした。家庭に愛がなかった。人格形成期に孤独を味わっています。それは、連鎖であり、彼の親も同じ育ち方をしたのでしょう。彼は結婚して、こどもが生まれて、こどもとどう接していいのかがわからなかった。人が親になったとき、子をどう育てていくのか。人は、自分が育てられたようにしか、自分のこどもを育てられないのです。同情します。


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