2024年04月19日
東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ)
東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房
なにかの雑誌で紹介されていて、興味をもって読み始めました。
郷里がわたしと同じく福岡県である若い女性が書いた本です。
わたしは、生まれてからしばらくと、中学校の途中から高校を卒業するまで福岡県内で過ごしました。いちおう実家や親族もまだ福岡にありますが、福岡にいなかったときは、熊本とか茨城、栃木、愛知などで過ごしました。
書中で福岡と福岡人の特徴が書かれてありますが、そのとおりです。文化的な庶民性をもった土地柄です。東京へ出て有名になる人が多いのも必然だと思います。
著者は、なにかしら、艶っぽい(つやっぽい)なかで生活をなりたててきた方のようですが、自分は存じ上げません。
『はじめに』の文章を読みましたが、読みやすい文章です。
読み進めながら感想をつぎ足していきます。
東京へのこだわりが感じられる文章です。
ご自分は、東京でないと生活していけないそうです。
(その後、ご本人が亡くなっていることを知りました。2016年11月15日40歳没。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。太く短く生きる人っています。うちのオヤジも40歳で病死しました。太く短く生きた人でした)
なんというか、地域へのこだわりというものは、歳月が流れると、こだわることはなかったと思えることがあります。
日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへは行けます。区域とか、境目、境界線にこだわることは無意味です。いつだって、どこへだって、自由に動き回ればいい。自分が好きなところに住んで好きなように暮らしていけばいい。
本の冒頭で、自分の家の経済状態が苦しいということも知らず、親が進学をやめてくれというのに、東京の大学へ進学することを選択した。あとで、自分の家が貧しい、大学の学費なんか出せる状態ではなかったということがわかって大きなショックを受けたとあります。
親不孝なことをしましたが、やむをえません。大学神話みたいなものがあります。大学に行けば、輝く未来が約束されるなんてことは、ぜんぜんありません。
だけど、世間知らずな若者は、そうやって、親元から離れていきます。そして、たいていは、また親元に戻ってきます。
六十代になって、創立100周年だったかの高校の歴代同窓生名簿を見たら、18歳の頃、胸に夢をいだいて、東京を始めとした大都市や遠いところへ旅立った同窓生たちのほとんどは、福岡に帰郷していました。故郷に親の土地や家があるからということもあるのでしょう。そんなものなのです。若い時の夢は、夢で終わることが多い。
本の中で著者は、自分は18歳で上京し、今年36歳になったと書いてあります。
なにやら、福岡に恨み(うらみ)と憎しみがあるそうですが、まあ、そういうことってあります。ただし、歳月がたつと、憎しみが、愛情や愛着に変わるということはあります。人の気持ちなんて勝手なのです。なんとでも変化するのです。
オレンジ色に輝く東京タワーのことが文章で書いてあります。
リリー・フランキーさんの小説、『東京タワー』を思い出します。リリー・フランキーさんも福岡出身の方です。東京タワーを独楽(コマ)の軸(じく)にたとえた文章から始まっていて、劇的な物語の始まりかたでした。名作です。
こちらの本の構成です。『はじめに』があって、短いエッセイが25本あって、『おわりに』があります。
『お金』
『三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた。』から始まります。
バーキン:バーキンというバッグのこと。イギリスの歌手・女優バーキンにちなんでいる。整理整頓しやすく使いやすい。
東京はお金がかかるところとして記述があります。
東京はお金がなければ、したいことができない。
東京暮らしは、お金がない女性にとっては、しんどい。(つらい)
『欲情』
東京での地方出身女性の実情を吐露する(とろする。白状する(はくじょうする))話なのか。
記述にありますが、いなかだと、道を走っている車が、だれの車かわかるということはあります。お互いに知り合いが多いのです。東京のような都市部では、知らない人間はまるで石ころ扱いです。『(自分にとっては)関係ない(存在)』なのです。
作者は、密着型で生活するいなかを嫌います。それでも、『密室』が恋しいのです。
性的なことが書いてあるのですが、老年期を知らずに人生を終えた人の文章です。若い。
歳をとると男も女もなくなります。全員が、おじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。中性化するのです。そのうち、認知症に近づいていきます。だれもが最後は(老後は)障害者の状態になります。心身が思うようには動きません。三十代から五十代のときにリーダーシップを発揮して輝いていた人たちが、加齢とか認知症のために人格が変わって施設入所しているということもあります。若いうちから心身の健康に気を配って暮らしておいたほうがいいですよとアドバイスします。
『美しさ』
新木場というところにあるクラブ(ナイトクラブ。社交のための会員制の夜の店)が紹介されます。
終電がなくなるので、帰りは自宅までタクシーだそうです。
ポールダンスという艶っぽい(つやっぽい。いろっぽい)舞台があります。
なんでもないふつうの女性が、ポールダンスを踊るときには別人のように輝く存在になるのです。
『……ポールダンサーは、自信にあふれ、誰にも負けないし、誰とも競わない……』
わたしが思うに、自分が窮地(きゅうち。苦しい立場)に陥ったとき、自分を救う方法として、こう主張することが効果的です。『これがわたしです!』(何が悪い! 自分は、この個性で、この体で、これまで生きてきた。これからだって、こうして生きていく。これがわたしですと自信をもって主張して自分の心と体を守る)
『タクシー』
『こじらせ女子』という流行語があるそうです。わたしは、その流行語を知りませんでしたが、著者が発信者で流行した言葉だそうです。
こじらせ女子:物事をむずかしく考えて、人間関係をややこしくしてしまう女子のこと。めんどうくさい女という意味だそうです。考えなくていいことを考える。気にしなくていいことを気にする人だそうです。迷惑者扱いです。どのように対応(アドバイス)しても、それを受け入れる気持ちが最初からない女性のようです。
著者は、運転免許はもっているけれど、車の運転が下手で、運転できないから東京の地理を知らない。鉄道線路で位置を把握するそうです。
東京都の形もわからないし、自分がどのあたりに住んでいるのか、海がある方向がどちらなのか、いろいろわからないそうです。(著者の脳みその中には、どんな世界が広がっていたのだろうか。わたしとは、ずいぶん違うような気がします)
著者は、タクシーをよく利用する人です。(わたしは、タクシー料金が高いから、めったに利用しません。自分で自分の車を運転できるからということもあります)
どちらかといえば、自問自答のような文章が続きます。読み手に対してではなく、自分自身に対して語るように書いてある文章です。
自分の背後から、何か怖い物(こわいもの)に、追いつかれて、包み込まれた(つつみこまれた)ような気分が、ご本人にあります。
『殻(から)』
殻というのは、東京のことです。東京という殻の中に自分がいるそうです。
著者は、協調性があるような人には見えません。マイペースです。自分のしたいことをする。したくないことはしない。そんな個性がある人です。
福岡で、家族と仲良く暮らせない。ひとりだけで東京で暮らす。(親御さんのご苦労をお察しします)
女子があこがれる街が、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京だそうです。東京という都市の殻を身にまといたかったそうです。『東京の女の子になるために東京に来たのだから』と書いてあります。
されど、孤独感がただよっています。
『泡』
詩のような文章が続きます。
出張で名古屋に来た時のことが書いてあります。
雑誌編集長との面談です。著者は、『自分の本を出したいです』と相手に申し出ます。
ドンペリ:フランス。高級シャンパン。
アルコールを飲むと吐くのに、無理してアルコールを飲むことがあるそうです。
家庭をもたない人の話だと思って文章を読んでいます。
場所は、夜の東京銀座、ラウンジには、外国人客がパラパラといます。
退廃の雰囲気がただよっています。
料金は、おひとり様1万5000円で、お客さんからは、けっこう安いという感覚で利用されているそうです。庶民から見ると、金銭感覚がおかしいけれど、どうも、庶民の立場の人が客として来ているようです。読んでいて、頭の中が混乱します。お金を貯めて、だれかのお誕生日のときに利用するそうです。
『血と肉』
東京はすごい→24時間営業のスーパーがあるから。(いなかから上京した人間が驚くこと)
きちんとした食生活を送れない。(いつでもものを買えるから)
『健康は、高い値段で売られている』とあります。
Tumblr:タンブラー。アメリカ生まれのブログサービス。
健康管理ができないというような嘆きが書いてあります。自己管理ができないのです。
もどかしさが書いてあります。
『痛み止めだけで生きていければいい。』とあります。
体が続く若いうちなら耐えられるけれど、42歳ぐらいになるとバッタリ倒れるパターンです。(男の厄年やくどしですが。未来が予想できてしまいます)
『マイ・ウェイ』
歌手の藤圭子さんが歌ったマイ・ウェイです。暗い雰囲気だとあります。
藤圭子さんは、『(自分が演じていた藤圭子を指して)あの人は、もういなくなったの』という言葉を遺して(のこして)飛び降り自殺をされてお亡くなりになった記憶です。
自分がこどものころに、デビューされた藤圭子さんの歌を聴いて、すごみのある人だと思いました。(こわいぐらいの迫力がある人)
才能について書いてあります。
才能がないのに、自分はスターになれると妄想している。
結局自分は、スターにはなれなかった。
いろいろ書いてありますが、考えすぎです。著者は、こじらせ女子です。
『訓練』
東京都庁のそばにある公園(新宿中央公園)に、ホームレスがたくさんいることが書いてあります。
知らん顔をする東京の人たちがいます。
東京は、知らない人と話をするハードルがかなり高い街とあります。
他人は、いてもいないものとして扱う。
やっかいなことに関わり合いにならないようにする。
『東京は人口が多すぎて、人と人との距離感がおかしい……』(同感です。わたしは、東京には住めません。身近に、ひとりになれる自然(山や川、池や草木)があってほしい。東京はたまに見物に行くだけでいいところです)
自分自身の感想として、東京の人はがまん強い。東京人であることに誇りをもっている。東京=日本という意識をもっているようにも見える。ただ、住みやすい場所とは思えません。
著者にとっての東京は、『戦場』だそうです。
若者は、東京にいることで、苦しんでいるように見えます。
『努力』
わたしの願いとあります。『本をたくさん読んで、あとは寝ていたい』そうです。
大学を出ても、正社員の職には就(つ)かなかった。あるいは、就けなかった。
アルバイトしか仕事がなかった。フリーターになった。(なんのために大学へ行ったのだろう)
働くのやだなーが、生きてるのやだなーになる。(ふつうは、食べていくために、いやなことをがまんして働きます。働くことは人間の本能で基本です。本能:生まれ持った行動様式・規範)
『退屈』
『弁当屋の外に、弁当が出来上がるのを待っている女がいる。』から始まります。
著者自身に、なにかを見て、『かわいい』とか、『きれい』と思う心がないとあります。かわいいという感覚を理解できない。加えて、美しさを判断できない。
凌駕(りょうが):ほかのものと比較して、ずばぬけてレベルが高いこと。
『好き』という感情を理解できない。『好き』という状態を考察するけれど、結論はでない。(なかなかむずかしい思考をもった方です)
『六本木の女』
土曜の夜に六本木に行く。六本木ヒルズで、映画、ミッドタウンで買い物をする。
都営大江戸線で、派手な(はでな)かっこうした女性を見る。
買い物は、命を削って買っているという感覚があるそうです。
年金の話や貯金の話が出ます。
著者は、年金をもらう年齢のはるか手前で亡くなってしまいました。
本人が気にしていた老後は、本人にはなかった。
森瑤子(もり・ようこ):1940年(昭和15年)-1993年(平成5年)52歳没。小説家。
『女友達』
生まれつき東京育ちの女性と、福岡育ちの自分を比較します。
東京育ちの女性は、私立高校から大学受験をしないで大学生になっていた。自分は外部受験生という枠だった。受験しなくても大学生になれる財力がうらやましくも、うらめしくもある。世の中は平等じゃない。
自分と同じくいなかから出てきた女性と友だちになった。
お互いに深入りはしない。相談事はしない。恋愛話はしない。たまにしか会わない。メールの返事はお互いに遅い。映画をいっしょに観た。軽い関係が心地よかったそうです。
『居場所』
福岡に正月帰省した。
田んぼの中を走る鉄道列車の中で、九州弁で話す派手なかっこうをした若い女の子たちを見た。
小田急線の車内で、下品な言葉遣いをする若い女性を見た。男にこびる話し方だった。(こびる:ごきげんをとる。色っぽく男にせまる)
いずれにしても、自分はひとり(孤独)だ。
フラワーカンパニーズ:日本のロックバンド
嫌いだった故郷福岡について、女友達をからめて話があります。
『若さ』
十代の頃、二十歳になる前に死にたいと思っていた。
ブルセラブーム:ブルマーとセーラー服の混成した造語。アダルトグッズとしての意味合いがある。
二十歳を過ぎたら、三十から先の人生は見えなかった。三十過ぎると女扱いされなかった。
26歳でも男に拒否された。
『優しさ』
著者の書き方として、まず、ポンと、読み手をひきつける文章を置きます。
このエッセイの場合、『俺は、死ぬのがすごく怖い……』から始まります。
福岡県人に、自滅型のタイプがあります。理屈よりも感情優先で、力まかせに生きていきます。やがて力尽きてつぶれてしまいます。(うちのオヤジがそうでした)
完全自殺マニュアルという本が紹介されています。わたしも以前読んだことがあります。自殺のやり方が書いてあります。その本をわたしが読んだ時の感想の一部です。
『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、注文後、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。自分が納付した年金保険料分ぐらいは取り戻してから死にたいと、あがきながら長生きしています。
「はじめに」があります。これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。救いのある本です。 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。すごい気合が入っている文章です。
『谷間の百合』
福岡での暮らしがイヤ。両親との暮らしがイヤ。
逃避です。著者はただ逃避したかった。
だけど、どこまで逃げても孤独です。
『静寂』
この本は後半になるにつれて、狭い領域の中で深く、理屈っぽく考えるようすの内容になっていきます。
極端にいうと、生きることがイヤというような世界に著者が入りこんでいきます。
(考えすぎです。そこまで考えなくても人間は生きていけます)
しんと静まり返る時があるそうです。(著者の心の中の動きとして)
お風呂場で足にスクラブをかける:角質除去剤、洗顔料、洗浄剤、ごしごし洗う。
『暗闇』
孤独の話です。
新宿駅とか、ゆりかもめ(鉄道路線です)の中がイヤだと書いてあります。
家に帰りたい。だれもいない静かな自分の家(部屋)に帰りたいそうです。
『越境』
iPhoneのShazarn:シャザム。ミュージック認識。曲名やアーチスト名を教えてくれる。
著者の脳みその中は混乱しています。
東京は、勝ち負けを決めるところ。
『幸せ』
読んでいて思い出した本があります。似ています。感想メモが残っていました。
『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん) 高野悦子(たかの・えつこ) 新潮文庫』
読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記で す。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、 わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。
こちらの本の著者は、『普通の幸せ』について考えています。
ご自身で自分を、欲望ばかりが過剰なわがままな人間だと定義づけておられます。
幸せについて考える。どんな状態が、『幸せ』なのか。
人から優しくされたことがないから、人に優しくしてあげられないということはあると思います。
『刺激』
『東京なんてただの場所だから』、『恋愛なんて、ただの幻想だ』から始まります。
東京に来て、お金を奪い取られて、心はかき乱された。
東京の刺激は、いらだち(苛立ち)があることとあります。
東京での苦痛が書いてあります。
『指』
『男の腕が欲しい……』から始まります。誰の腕でもいいかというとそうでもないというふうに書いてあります。
バングル:ブレスレット
著者は、これが欲しいと強く主張できない自分にいらだちを感じておられます。
『東京』
東京は、狭い区域内にとにかく人の数が多い。
1年に1回、母と祖母が上京して娘である著者のようすを見に来るそうです。
連休の二泊三日で、母たちはホテルに泊まる。
親や親族と仲が悪いわけではないけれど、親密でいたいとは思わないようすです。
著者は、なにかしら、地に足がついていない人です。
『眼差し(まなざし)』
冷静に自分自身をみつめる文章でした。
『おわりに』
最後の一行(いちぎょう)は、『これから、どうなるのだろう。東京も、私も、絶え間なく変わってゆく』で、終わっています。
最終ページにこの本の成り立ちが書いてあります。
出版社(大和書房(だいわしょぼう))のホームページに連載した『東京』に、書き下ろし(かきおろし(あらたな文章))を加えて、再編集したそうです。
連載期間が、2013年(平成25年)6月から2014年(平成26年)7月です。
著者は、2016年(平成28年)11月15日40歳で亡くなっています。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。
なにかの雑誌で紹介されていて、興味をもって読み始めました。
郷里がわたしと同じく福岡県である若い女性が書いた本です。
わたしは、生まれてからしばらくと、中学校の途中から高校を卒業するまで福岡県内で過ごしました。いちおう実家や親族もまだ福岡にありますが、福岡にいなかったときは、熊本とか茨城、栃木、愛知などで過ごしました。
書中で福岡と福岡人の特徴が書かれてありますが、そのとおりです。文化的な庶民性をもった土地柄です。東京へ出て有名になる人が多いのも必然だと思います。
著者は、なにかしら、艶っぽい(つやっぽい)なかで生活をなりたててきた方のようですが、自分は存じ上げません。
『はじめに』の文章を読みましたが、読みやすい文章です。
読み進めながら感想をつぎ足していきます。
東京へのこだわりが感じられる文章です。
ご自分は、東京でないと生活していけないそうです。
(その後、ご本人が亡くなっていることを知りました。2016年11月15日40歳没。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。太く短く生きる人っています。うちのオヤジも40歳で病死しました。太く短く生きた人でした)
なんというか、地域へのこだわりというものは、歳月が流れると、こだわることはなかったと思えることがあります。
日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへは行けます。区域とか、境目、境界線にこだわることは無意味です。いつだって、どこへだって、自由に動き回ればいい。自分が好きなところに住んで好きなように暮らしていけばいい。
本の冒頭で、自分の家の経済状態が苦しいということも知らず、親が進学をやめてくれというのに、東京の大学へ進学することを選択した。あとで、自分の家が貧しい、大学の学費なんか出せる状態ではなかったということがわかって大きなショックを受けたとあります。
親不孝なことをしましたが、やむをえません。大学神話みたいなものがあります。大学に行けば、輝く未来が約束されるなんてことは、ぜんぜんありません。
だけど、世間知らずな若者は、そうやって、親元から離れていきます。そして、たいていは、また親元に戻ってきます。
六十代になって、創立100周年だったかの高校の歴代同窓生名簿を見たら、18歳の頃、胸に夢をいだいて、東京を始めとした大都市や遠いところへ旅立った同窓生たちのほとんどは、福岡に帰郷していました。故郷に親の土地や家があるからということもあるのでしょう。そんなものなのです。若い時の夢は、夢で終わることが多い。
本の中で著者は、自分は18歳で上京し、今年36歳になったと書いてあります。
なにやら、福岡に恨み(うらみ)と憎しみがあるそうですが、まあ、そういうことってあります。ただし、歳月がたつと、憎しみが、愛情や愛着に変わるということはあります。人の気持ちなんて勝手なのです。なんとでも変化するのです。
オレンジ色に輝く東京タワーのことが文章で書いてあります。
リリー・フランキーさんの小説、『東京タワー』を思い出します。リリー・フランキーさんも福岡出身の方です。東京タワーを独楽(コマ)の軸(じく)にたとえた文章から始まっていて、劇的な物語の始まりかたでした。名作です。
こちらの本の構成です。『はじめに』があって、短いエッセイが25本あって、『おわりに』があります。
『お金』
『三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた。』から始まります。
バーキン:バーキンというバッグのこと。イギリスの歌手・女優バーキンにちなんでいる。整理整頓しやすく使いやすい。
東京はお金がかかるところとして記述があります。
東京はお金がなければ、したいことができない。
東京暮らしは、お金がない女性にとっては、しんどい。(つらい)
『欲情』
東京での地方出身女性の実情を吐露する(とろする。白状する(はくじょうする))話なのか。
記述にありますが、いなかだと、道を走っている車が、だれの車かわかるということはあります。お互いに知り合いが多いのです。東京のような都市部では、知らない人間はまるで石ころ扱いです。『(自分にとっては)関係ない(存在)』なのです。
作者は、密着型で生活するいなかを嫌います。それでも、『密室』が恋しいのです。
性的なことが書いてあるのですが、老年期を知らずに人生を終えた人の文章です。若い。
歳をとると男も女もなくなります。全員が、おじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。中性化するのです。そのうち、認知症に近づいていきます。だれもが最後は(老後は)障害者の状態になります。心身が思うようには動きません。三十代から五十代のときにリーダーシップを発揮して輝いていた人たちが、加齢とか認知症のために人格が変わって施設入所しているということもあります。若いうちから心身の健康に気を配って暮らしておいたほうがいいですよとアドバイスします。
『美しさ』
新木場というところにあるクラブ(ナイトクラブ。社交のための会員制の夜の店)が紹介されます。
終電がなくなるので、帰りは自宅までタクシーだそうです。
ポールダンスという艶っぽい(つやっぽい。いろっぽい)舞台があります。
なんでもないふつうの女性が、ポールダンスを踊るときには別人のように輝く存在になるのです。
『……ポールダンサーは、自信にあふれ、誰にも負けないし、誰とも競わない……』
わたしが思うに、自分が窮地(きゅうち。苦しい立場)に陥ったとき、自分を救う方法として、こう主張することが効果的です。『これがわたしです!』(何が悪い! 自分は、この個性で、この体で、これまで生きてきた。これからだって、こうして生きていく。これがわたしですと自信をもって主張して自分の心と体を守る)
『タクシー』
『こじらせ女子』という流行語があるそうです。わたしは、その流行語を知りませんでしたが、著者が発信者で流行した言葉だそうです。
こじらせ女子:物事をむずかしく考えて、人間関係をややこしくしてしまう女子のこと。めんどうくさい女という意味だそうです。考えなくていいことを考える。気にしなくていいことを気にする人だそうです。迷惑者扱いです。どのように対応(アドバイス)しても、それを受け入れる気持ちが最初からない女性のようです。
著者は、運転免許はもっているけれど、車の運転が下手で、運転できないから東京の地理を知らない。鉄道線路で位置を把握するそうです。
東京都の形もわからないし、自分がどのあたりに住んでいるのか、海がある方向がどちらなのか、いろいろわからないそうです。(著者の脳みその中には、どんな世界が広がっていたのだろうか。わたしとは、ずいぶん違うような気がします)
著者は、タクシーをよく利用する人です。(わたしは、タクシー料金が高いから、めったに利用しません。自分で自分の車を運転できるからということもあります)
どちらかといえば、自問自答のような文章が続きます。読み手に対してではなく、自分自身に対して語るように書いてある文章です。
自分の背後から、何か怖い物(こわいもの)に、追いつかれて、包み込まれた(つつみこまれた)ような気分が、ご本人にあります。
『殻(から)』
殻というのは、東京のことです。東京という殻の中に自分がいるそうです。
著者は、協調性があるような人には見えません。マイペースです。自分のしたいことをする。したくないことはしない。そんな個性がある人です。
福岡で、家族と仲良く暮らせない。ひとりだけで東京で暮らす。(親御さんのご苦労をお察しします)
女子があこがれる街が、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京だそうです。東京という都市の殻を身にまといたかったそうです。『東京の女の子になるために東京に来たのだから』と書いてあります。
されど、孤独感がただよっています。
『泡』
詩のような文章が続きます。
出張で名古屋に来た時のことが書いてあります。
雑誌編集長との面談です。著者は、『自分の本を出したいです』と相手に申し出ます。
ドンペリ:フランス。高級シャンパン。
アルコールを飲むと吐くのに、無理してアルコールを飲むことがあるそうです。
家庭をもたない人の話だと思って文章を読んでいます。
場所は、夜の東京銀座、ラウンジには、外国人客がパラパラといます。
退廃の雰囲気がただよっています。
料金は、おひとり様1万5000円で、お客さんからは、けっこう安いという感覚で利用されているそうです。庶民から見ると、金銭感覚がおかしいけれど、どうも、庶民の立場の人が客として来ているようです。読んでいて、頭の中が混乱します。お金を貯めて、だれかのお誕生日のときに利用するそうです。
『血と肉』
東京はすごい→24時間営業のスーパーがあるから。(いなかから上京した人間が驚くこと)
きちんとした食生活を送れない。(いつでもものを買えるから)
『健康は、高い値段で売られている』とあります。
Tumblr:タンブラー。アメリカ生まれのブログサービス。
健康管理ができないというような嘆きが書いてあります。自己管理ができないのです。
もどかしさが書いてあります。
『痛み止めだけで生きていければいい。』とあります。
体が続く若いうちなら耐えられるけれど、42歳ぐらいになるとバッタリ倒れるパターンです。(男の厄年やくどしですが。未来が予想できてしまいます)
『マイ・ウェイ』
歌手の藤圭子さんが歌ったマイ・ウェイです。暗い雰囲気だとあります。
藤圭子さんは、『(自分が演じていた藤圭子を指して)あの人は、もういなくなったの』という言葉を遺して(のこして)飛び降り自殺をされてお亡くなりになった記憶です。
自分がこどものころに、デビューされた藤圭子さんの歌を聴いて、すごみのある人だと思いました。(こわいぐらいの迫力がある人)
才能について書いてあります。
才能がないのに、自分はスターになれると妄想している。
結局自分は、スターにはなれなかった。
いろいろ書いてありますが、考えすぎです。著者は、こじらせ女子です。
『訓練』
東京都庁のそばにある公園(新宿中央公園)に、ホームレスがたくさんいることが書いてあります。
知らん顔をする東京の人たちがいます。
東京は、知らない人と話をするハードルがかなり高い街とあります。
他人は、いてもいないものとして扱う。
やっかいなことに関わり合いにならないようにする。
『東京は人口が多すぎて、人と人との距離感がおかしい……』(同感です。わたしは、東京には住めません。身近に、ひとりになれる自然(山や川、池や草木)があってほしい。東京はたまに見物に行くだけでいいところです)
自分自身の感想として、東京の人はがまん強い。東京人であることに誇りをもっている。東京=日本という意識をもっているようにも見える。ただ、住みやすい場所とは思えません。
著者にとっての東京は、『戦場』だそうです。
若者は、東京にいることで、苦しんでいるように見えます。
『努力』
わたしの願いとあります。『本をたくさん読んで、あとは寝ていたい』そうです。
大学を出ても、正社員の職には就(つ)かなかった。あるいは、就けなかった。
アルバイトしか仕事がなかった。フリーターになった。(なんのために大学へ行ったのだろう)
働くのやだなーが、生きてるのやだなーになる。(ふつうは、食べていくために、いやなことをがまんして働きます。働くことは人間の本能で基本です。本能:生まれ持った行動様式・規範)
『退屈』
『弁当屋の外に、弁当が出来上がるのを待っている女がいる。』から始まります。
著者自身に、なにかを見て、『かわいい』とか、『きれい』と思う心がないとあります。かわいいという感覚を理解できない。加えて、美しさを判断できない。
凌駕(りょうが):ほかのものと比較して、ずばぬけてレベルが高いこと。
『好き』という感情を理解できない。『好き』という状態を考察するけれど、結論はでない。(なかなかむずかしい思考をもった方です)
『六本木の女』
土曜の夜に六本木に行く。六本木ヒルズで、映画、ミッドタウンで買い物をする。
都営大江戸線で、派手な(はでな)かっこうした女性を見る。
買い物は、命を削って買っているという感覚があるそうです。
年金の話や貯金の話が出ます。
著者は、年金をもらう年齢のはるか手前で亡くなってしまいました。
本人が気にしていた老後は、本人にはなかった。
森瑤子(もり・ようこ):1940年(昭和15年)-1993年(平成5年)52歳没。小説家。
『女友達』
生まれつき東京育ちの女性と、福岡育ちの自分を比較します。
東京育ちの女性は、私立高校から大学受験をしないで大学生になっていた。自分は外部受験生という枠だった。受験しなくても大学生になれる財力がうらやましくも、うらめしくもある。世の中は平等じゃない。
自分と同じくいなかから出てきた女性と友だちになった。
お互いに深入りはしない。相談事はしない。恋愛話はしない。たまにしか会わない。メールの返事はお互いに遅い。映画をいっしょに観た。軽い関係が心地よかったそうです。
『居場所』
福岡に正月帰省した。
田んぼの中を走る鉄道列車の中で、九州弁で話す派手なかっこうをした若い女の子たちを見た。
小田急線の車内で、下品な言葉遣いをする若い女性を見た。男にこびる話し方だった。(こびる:ごきげんをとる。色っぽく男にせまる)
いずれにしても、自分はひとり(孤独)だ。
フラワーカンパニーズ:日本のロックバンド
嫌いだった故郷福岡について、女友達をからめて話があります。
『若さ』
十代の頃、二十歳になる前に死にたいと思っていた。
ブルセラブーム:ブルマーとセーラー服の混成した造語。アダルトグッズとしての意味合いがある。
二十歳を過ぎたら、三十から先の人生は見えなかった。三十過ぎると女扱いされなかった。
26歳でも男に拒否された。
『優しさ』
著者の書き方として、まず、ポンと、読み手をひきつける文章を置きます。
このエッセイの場合、『俺は、死ぬのがすごく怖い……』から始まります。
福岡県人に、自滅型のタイプがあります。理屈よりも感情優先で、力まかせに生きていきます。やがて力尽きてつぶれてしまいます。(うちのオヤジがそうでした)
完全自殺マニュアルという本が紹介されています。わたしも以前読んだことがあります。自殺のやり方が書いてあります。その本をわたしが読んだ時の感想の一部です。
『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、注文後、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。自分が納付した年金保険料分ぐらいは取り戻してから死にたいと、あがきながら長生きしています。
「はじめに」があります。これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。救いのある本です。 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。すごい気合が入っている文章です。
『谷間の百合』
福岡での暮らしがイヤ。両親との暮らしがイヤ。
逃避です。著者はただ逃避したかった。
だけど、どこまで逃げても孤独です。
『静寂』
この本は後半になるにつれて、狭い領域の中で深く、理屈っぽく考えるようすの内容になっていきます。
極端にいうと、生きることがイヤというような世界に著者が入りこんでいきます。
(考えすぎです。そこまで考えなくても人間は生きていけます)
しんと静まり返る時があるそうです。(著者の心の中の動きとして)
お風呂場で足にスクラブをかける:角質除去剤、洗顔料、洗浄剤、ごしごし洗う。
『暗闇』
孤独の話です。
新宿駅とか、ゆりかもめ(鉄道路線です)の中がイヤだと書いてあります。
家に帰りたい。だれもいない静かな自分の家(部屋)に帰りたいそうです。
『越境』
iPhoneのShazarn:シャザム。ミュージック認識。曲名やアーチスト名を教えてくれる。
著者の脳みその中は混乱しています。
東京は、勝ち負けを決めるところ。
『幸せ』
読んでいて思い出した本があります。似ています。感想メモが残っていました。
『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん) 高野悦子(たかの・えつこ) 新潮文庫』
読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記で す。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、 わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。
こちらの本の著者は、『普通の幸せ』について考えています。
ご自身で自分を、欲望ばかりが過剰なわがままな人間だと定義づけておられます。
幸せについて考える。どんな状態が、『幸せ』なのか。
人から優しくされたことがないから、人に優しくしてあげられないということはあると思います。
『刺激』
『東京なんてただの場所だから』、『恋愛なんて、ただの幻想だ』から始まります。
東京に来て、お金を奪い取られて、心はかき乱された。
東京の刺激は、いらだち(苛立ち)があることとあります。
東京での苦痛が書いてあります。
『指』
『男の腕が欲しい……』から始まります。誰の腕でもいいかというとそうでもないというふうに書いてあります。
バングル:ブレスレット
著者は、これが欲しいと強く主張できない自分にいらだちを感じておられます。
『東京』
東京は、狭い区域内にとにかく人の数が多い。
1年に1回、母と祖母が上京して娘である著者のようすを見に来るそうです。
連休の二泊三日で、母たちはホテルに泊まる。
親や親族と仲が悪いわけではないけれど、親密でいたいとは思わないようすです。
著者は、なにかしら、地に足がついていない人です。
『眼差し(まなざし)』
冷静に自分自身をみつめる文章でした。
『おわりに』
最後の一行(いちぎょう)は、『これから、どうなるのだろう。東京も、私も、絶え間なく変わってゆく』で、終わっています。
最終ページにこの本の成り立ちが書いてあります。
出版社(大和書房(だいわしょぼう))のホームページに連載した『東京』に、書き下ろし(かきおろし(あらたな文章))を加えて、再編集したそうです。
連載期間が、2013年(平成25年)6月から2014年(平成26年)7月です。
著者は、2016年(平成28年)11月15日40歳で亡くなっています。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。
2024年04月18日
大河への道 邦画 2022年
大河への道 邦画 2022年(令和4年) 1時間51分 動画配信サービス
いい映画でした。
日本国の測量をした千葉県香取市出身伊能忠敬(いのうただたか。地元では『ちゅうけいさん』と親しみを込めて呼ぶそうです)を題材にして、内容は、名も亡き測量隊の人たちの苦労と努力が描かれていました。みなさん熱演でした。
伊能忠敬氏が亡くなるのですが、彼の死を公表すると、江戸幕府から測量調査等のための予算が配分されなくなって、日本地図の製作が中途半端で終わってしまうのです。
だから、伊能忠敬氏が死んだことを伏せて、事業を継続するのですが、それなりに苦労が伴います。
先月終わった金曜夜のテレビドラマ、『不適切にもほどがある』のタイムトラベルみたいに、現代の千葉県知事や千葉県香取市役所の職員が、江戸時代である西暦1821年頃を行ったり来たりするのです。現代のメンバーと江戸時代のメンバーが重なるのです。
なんのために地図をつくるのか。
日本国を他国(ロシアやイギリスなど)から守るためにつくるのです。諸外国の植民地にされることを防ぐのです。軍事目的です。
のちの世の人たちのために日本地図を完成させる。日本が欧米諸国の植民地にならないようにする。
日本地図づくりは、開始から17年間かかっているそうです。
『志(こころざし。目標・目的)』を貫く(つらぬく)。
だれしも終わりの時が来る(死)。自分の志(こころざし)を継いでくれる者を育ててこの世に遺して(のこして)おきたいと思う。
歴史上の事実として、伊能忠敬氏の死後三年たってから、地図が完成して、同時に、彼の死を公表した。
言い出しっぺの人物が死んだことを隠して、残ったメンバーで地図づくりを続ける。幕府にばれたら死罪もありえます。(今でいうところの税金を原資にした予算の不正使用です。されど、不正をしなければ、国防という大きな組織目標を達成することができないという事情があります)。緊張感がありました。
以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう):江戸幕府の役職。財政担当。指揮監督権あり。
クライマックス付近の話のつくり方がうまい。
伊能忠敬氏のはいていた草鞋(わらじ):草鞋には、「忠」の文字が埋め込まれている。
江戸時代の日本は、江戸幕府の独裁国家です。
名ゼリフとして、江戸幕府の要職者から、『伊能はどこだ』と問われて、『伊能は、次の間に控えております。(次の間に、大きな日本地図が広げてある)』
美しい地図です。立派な地図です。巨大です。
すごいなあ。いい脚本です。
いい映画でした。
『まこと、大儀であった。あとはゆるりと休むがよい。(ごくろうさん)』
『恐悦至極に存じます。きょうえつしごくにぞんじます。(気を使っていただき、たいへんおそれ多いことでございます)』
考えながらコツコツと、まずは歩きだし、歩きながら考えだす。みんなで力を合わせて、大河への道を歩いて行きましょうという呼びかけも良かった。
いい映画でした。
日本国の測量をした千葉県香取市出身伊能忠敬(いのうただたか。地元では『ちゅうけいさん』と親しみを込めて呼ぶそうです)を題材にして、内容は、名も亡き測量隊の人たちの苦労と努力が描かれていました。みなさん熱演でした。
伊能忠敬氏が亡くなるのですが、彼の死を公表すると、江戸幕府から測量調査等のための予算が配分されなくなって、日本地図の製作が中途半端で終わってしまうのです。
だから、伊能忠敬氏が死んだことを伏せて、事業を継続するのですが、それなりに苦労が伴います。
先月終わった金曜夜のテレビドラマ、『不適切にもほどがある』のタイムトラベルみたいに、現代の千葉県知事や千葉県香取市役所の職員が、江戸時代である西暦1821年頃を行ったり来たりするのです。現代のメンバーと江戸時代のメンバーが重なるのです。
なんのために地図をつくるのか。
日本国を他国(ロシアやイギリスなど)から守るためにつくるのです。諸外国の植民地にされることを防ぐのです。軍事目的です。
のちの世の人たちのために日本地図を完成させる。日本が欧米諸国の植民地にならないようにする。
日本地図づくりは、開始から17年間かかっているそうです。
『志(こころざし。目標・目的)』を貫く(つらぬく)。
だれしも終わりの時が来る(死)。自分の志(こころざし)を継いでくれる者を育ててこの世に遺して(のこして)おきたいと思う。
歴史上の事実として、伊能忠敬氏の死後三年たってから、地図が完成して、同時に、彼の死を公表した。
言い出しっぺの人物が死んだことを隠して、残ったメンバーで地図づくりを続ける。幕府にばれたら死罪もありえます。(今でいうところの税金を原資にした予算の不正使用です。されど、不正をしなければ、国防という大きな組織目標を達成することができないという事情があります)。緊張感がありました。
以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう):江戸幕府の役職。財政担当。指揮監督権あり。
クライマックス付近の話のつくり方がうまい。
伊能忠敬氏のはいていた草鞋(わらじ):草鞋には、「忠」の文字が埋め込まれている。
江戸時代の日本は、江戸幕府の独裁国家です。
名ゼリフとして、江戸幕府の要職者から、『伊能はどこだ』と問われて、『伊能は、次の間に控えております。(次の間に、大きな日本地図が広げてある)』
美しい地図です。立派な地図です。巨大です。
すごいなあ。いい脚本です。
いい映画でした。
『まこと、大儀であった。あとはゆるりと休むがよい。(ごくろうさん)』
『恐悦至極に存じます。きょうえつしごくにぞんじます。(気を使っていただき、たいへんおそれ多いことでございます)』
考えながらコツコツと、まずは歩きだし、歩きながら考えだす。みんなで力を合わせて、大河への道を歩いて行きましょうという呼びかけも良かった。
2024年04月17日
ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集
ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修
かなりいい本です。
おもしろい。
ちびっこたちの名言集です。
本の帯には、『ぼくは、ママに会いたくて、生まれてきたんだよ』みたいなセリフが書いてあります。ママは笑顔になるでしょう。
1ページにある、『れ』というひらがなを見て、3歳の男の子が、『ママ、ここに、カンガルーがいるよ』がなかなかいい感じです。
こどもさんの、こどもであるときにしか生まれてこない発想がたくさん、この本に載っています。(のっています)。感心しました。
2ページの、『たちしょん』もいい。
『あ、おしっこが、たびにでた』
ほほえましい。
4歳の男の子の作品です。
ほかの新聞社でも、『おたまじゃくし』というようなタイトルのコーナーで似たようなものを見たことがあります。
『第一章 1967年~1981年 昭和42年~昭和56年』
だれでも、小学生だったときがあります。
もう忘れてしまったけれど、思い出すことも少なくなってしまったけれど、だれでも、小学生だったときがある。書いてあることを読みながらそう思いました。
家の鏡に向かって、鏡に写っている自分と会話をしている小学5年生の女の子がいます。
アーモンドチョコレートのアーモンドを地面に埋めて、チョコレートのなる木の芽が出てくるのを待っている小学一年生の男の子がいます。(いいなあ。気持ちがわかります)
『第二章 1982年~1989年 昭和57年~昭和64年・平成元年』
見えないものが見える小学3年生男児です。
ボールの壁当てをしていると、壁に、キャッチャーやバッターの姿が見えてきます。
小学一年生の男児が、ゆうれいを見てみたいと言ったら、祖父と祖母が、自分が死んだら、ゆうれいになって出てきてあげると言ったそうです。小学生のぼくは、それが、楽しみですと言っています。(笑いました。おじいちゃんとおばあちゃんのゆうれいならこわくありません。おこづかいをくれるかもしれません)
小学一年生の男の子は、なにか勘違いしているのか、おとうちゃんはかっこいい。おおきくなっておとうちゃんみたいになりたいと言っています。
どういうわけかわかりませんが、おとうちゃんのハゲ頭がかっこいいそうです。
『おとうちゃんみたいにはげるといいなあ』で終わっています。
さらに、5歳の女の子の言葉です。
自分の幼稚園のクラスにおとうさんによく似た子がいる。
その子が、自分はおとうさんから生まれたんだよと教えてくれたそうです。
(おもしろい。心がなごみます)
『第三章 1990年~1995年 平成2年~平成7年』
1995年に、阪神淡路大震災がありました。そのあと、地下鉄サリン事件がありました。たくさんの人たちが亡くなりました。バブル経済は崩壊して、長い日本経済の低迷が続きました。いっぽう、マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されて、日常生活のIT化(インフォメーション・テクノロジー。情報技術)が急速に普及し始めました。
単身赴任のおとうさんの家にいったら、お部屋の中がさびしそうだったとあります。
おとうさんのために、おとうさんのところの小学校に転校してもいいという小学二年生の娘さんの言葉があります。(なんて心の優しい娘さんでしょう。ほろりときました)
ひいばあちゃんのことが書いてあります。
小学一年生の男の子です。
ひいばあちゃんは、『あー』とか、『うー』しかいえないそうです。
でも、みんながやさしい気持ちになれるそうです。
詩が続きます。
ゴキブリに自分の気持ちがこもった詩があります。(こどもさんが、みんなにたたかれるゴキブリに同情しています)
留守番をして、ピンポンが鳴って、電話がなって、たいへんだったと書いてあります。
『おかあさんのおっぱいは、ちかごろ、やる気がない』とあります。
『わたしのおっぱいは、これからだ』と続きます。小学4年生の女の子の詩です。
やはり、阪神淡路大震災を題材にした詩があります。
神戸の瓦礫(がれき)は、ごみじゃない。思い出がこめられた宝物なんだとあります。
『第四章 1996年~1999年 平成8年~平成11年』
地震のことが引き続き出てきます。
小学四年生の女の子が、もし大地震が来たら、わたしは、おかあさんを持って行くよと宣言します。
2歳の女の子は、節分に、『おにはー そと!』ではなく、『おにーー あそぼーー』と声かけをします。
幼稚園の女の子の言葉です。
給食の先生が、結婚して仕事をやめて、だんなさまにおいしいごはんをつくるそうだけれど、先生は仕事をやめずに、だんなさまが保育園にごはんを食べにくればいいのにと、アイデア出しをしてくれています。
小学二年生の男の子です。
おかあさんがたまに、『(わたし)きれい?』と聞くそうです。
気を使って、『きれい』と答えるそうです。
でも本当は、ふつうだそうです。
バイクに乗ってブンブン大きな音をたてる暴走族に対する小学一年生の抗議があります。
『…… ただ走っていないで、新聞でもくばって走れ!』
『3月の夜』というタイトルで、小学一年の言葉があります。
『冬と春が、おしくらまんじゅうをしてるんだね』
4歳の女の子が言っています。
『かぶとむしは、心の中で、「どすこい」と言っている。』
『エスカレーター』を、『つかれーたー』という小学一年生がいます。
こどもたちは、みんな心がやさしい。
詩を読み続けながら、そんな感想をいだきました。
『第五章 2000年~2004年 平成12年~平成14年』
小学6年生の詩のタイトルにどきっとしました。
『命があと五日しかなかったら』
一日目にすること、二日目にすること、と続きます。
最終日に、仏様の夢を見るそうです。
給食当番というのは、給食をつくる当番だと勘違いしていたそうです。
小学一年生の言葉でした。
警察に、雨雲を逮捕してくださいと訴える5歳の少年がいます。
2001年9月11日(平成13年)に、アメリカ同時多発テロが起きたことが書いてあります。
9月11日は、その子の誕生日だそうです。
ぼくにとってはうれしい日なのに、残念だと書いてあります。
『第六章 2005年~2009年 平成17年~平成21年』
2005年には、愛知万博が開催されましたが、まるで、なかったかのような歴史上の扱いになっていることが不思議です。日本での万博といえば、大阪万博(1970年。昭和45年)開催なのです。
愛知万博では、マンモスの展示がありました。いつまでも記憶に残るような目玉がなかったから、めだたない扱いになってしまったのかもしれません。あとは地元の自然保護目的の反対運動もきつかった。今は、来年の大阪万博がけっこう非難されています。昭和40年代なかばには、未来への夢がありました。時は流れて、日本人の意識が変わりました。
ちょっと理屈っぽい詩が多くなってきました。
こどもたちの知力とか知識は高くなってきているのですが、創造性とか気持ちの豊かさがしぼんできているように感じました。
ともだちと遊ぶのに、電話で予約が必要です。
むかしは、そんなやり方はしていませんでした。
『手話』というタイトルで、耳が聞こえない人と初めて会ったとあります。小学三年生の言葉です。
体が弱い小学一年生女の子の言葉があります。心臓に病気があるそうです。
『まま、よわく、うまれてきて、ごめんね』(そんなことないよ。元気出してね)
おかあさんとケンカして、おかあさんにぶたれた小学一年生です。
『一まんばいがえしにしたいです(いちまんばいがえし)』
おかあさんを、オニの女王さまと呼びます。
『第七章 2010年~2015年 平成22年~平成27年』
なんだろう。むかしはあった、こどもののびのびとした発想が消えていったような詩が続きます。
世の中のありようが進んで、便利にはなったけれど、せっかくのいいものが失われてしまったような残念さがあります。
こどもたちが、勉強のしすぎです。
『受験』という詩があります。中学三年生の詩です。
『勉強』という漢字が、詩の中に9個も書いてあります。
両親が夫婦ゲンカをすると、お母さんは、お父さんに古いご飯を食べさせるそうです。(そういうことってあります)
『第八章 2015年~ 平成27年~』
おとうさんもおかあさんも、おこってばかりとなげく幼稚園年少の女の子がいます。(4歳)
『幸福』は、自分には見えないけれど、他人には見える。名言ですな。中学生の言葉です。
年頃の子どもたちの詩を読むと、これから思春期に入っていくことがわかります。
人間とはなにか、自分はどうすればいいのかで、そうとう悩むことでしょう。
う~む。この本の読み始めはおもしろかったのですが、終わりに近づくにつれて、尻すぼみのように、おもしろさがなくなってきました。
時代の変化なのでしょう。今という時代は、こどもたちにとっては、過ごしにくい時代なのかもしれません。管理されているような日常生活が目に浮かびます。心身ともに、のびのびできていないみたいです。
かなりいい本です。
おもしろい。
ちびっこたちの名言集です。
本の帯には、『ぼくは、ママに会いたくて、生まれてきたんだよ』みたいなセリフが書いてあります。ママは笑顔になるでしょう。
1ページにある、『れ』というひらがなを見て、3歳の男の子が、『ママ、ここに、カンガルーがいるよ』がなかなかいい感じです。
こどもさんの、こどもであるときにしか生まれてこない発想がたくさん、この本に載っています。(のっています)。感心しました。
2ページの、『たちしょん』もいい。
『あ、おしっこが、たびにでた』
ほほえましい。
4歳の男の子の作品です。
ほかの新聞社でも、『おたまじゃくし』というようなタイトルのコーナーで似たようなものを見たことがあります。
『第一章 1967年~1981年 昭和42年~昭和56年』
だれでも、小学生だったときがあります。
もう忘れてしまったけれど、思い出すことも少なくなってしまったけれど、だれでも、小学生だったときがある。書いてあることを読みながらそう思いました。
家の鏡に向かって、鏡に写っている自分と会話をしている小学5年生の女の子がいます。
アーモンドチョコレートのアーモンドを地面に埋めて、チョコレートのなる木の芽が出てくるのを待っている小学一年生の男の子がいます。(いいなあ。気持ちがわかります)
『第二章 1982年~1989年 昭和57年~昭和64年・平成元年』
見えないものが見える小学3年生男児です。
ボールの壁当てをしていると、壁に、キャッチャーやバッターの姿が見えてきます。
小学一年生の男児が、ゆうれいを見てみたいと言ったら、祖父と祖母が、自分が死んだら、ゆうれいになって出てきてあげると言ったそうです。小学生のぼくは、それが、楽しみですと言っています。(笑いました。おじいちゃんとおばあちゃんのゆうれいならこわくありません。おこづかいをくれるかもしれません)
小学一年生の男の子は、なにか勘違いしているのか、おとうちゃんはかっこいい。おおきくなっておとうちゃんみたいになりたいと言っています。
どういうわけかわかりませんが、おとうちゃんのハゲ頭がかっこいいそうです。
『おとうちゃんみたいにはげるといいなあ』で終わっています。
さらに、5歳の女の子の言葉です。
自分の幼稚園のクラスにおとうさんによく似た子がいる。
その子が、自分はおとうさんから生まれたんだよと教えてくれたそうです。
(おもしろい。心がなごみます)
『第三章 1990年~1995年 平成2年~平成7年』
1995年に、阪神淡路大震災がありました。そのあと、地下鉄サリン事件がありました。たくさんの人たちが亡くなりました。バブル経済は崩壊して、長い日本経済の低迷が続きました。いっぽう、マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されて、日常生活のIT化(インフォメーション・テクノロジー。情報技術)が急速に普及し始めました。
単身赴任のおとうさんの家にいったら、お部屋の中がさびしそうだったとあります。
おとうさんのために、おとうさんのところの小学校に転校してもいいという小学二年生の娘さんの言葉があります。(なんて心の優しい娘さんでしょう。ほろりときました)
ひいばあちゃんのことが書いてあります。
小学一年生の男の子です。
ひいばあちゃんは、『あー』とか、『うー』しかいえないそうです。
でも、みんながやさしい気持ちになれるそうです。
詩が続きます。
ゴキブリに自分の気持ちがこもった詩があります。(こどもさんが、みんなにたたかれるゴキブリに同情しています)
留守番をして、ピンポンが鳴って、電話がなって、たいへんだったと書いてあります。
『おかあさんのおっぱいは、ちかごろ、やる気がない』とあります。
『わたしのおっぱいは、これからだ』と続きます。小学4年生の女の子の詩です。
やはり、阪神淡路大震災を題材にした詩があります。
神戸の瓦礫(がれき)は、ごみじゃない。思い出がこめられた宝物なんだとあります。
『第四章 1996年~1999年 平成8年~平成11年』
地震のことが引き続き出てきます。
小学四年生の女の子が、もし大地震が来たら、わたしは、おかあさんを持って行くよと宣言します。
2歳の女の子は、節分に、『おにはー そと!』ではなく、『おにーー あそぼーー』と声かけをします。
幼稚園の女の子の言葉です。
給食の先生が、結婚して仕事をやめて、だんなさまにおいしいごはんをつくるそうだけれど、先生は仕事をやめずに、だんなさまが保育園にごはんを食べにくればいいのにと、アイデア出しをしてくれています。
小学二年生の男の子です。
おかあさんがたまに、『(わたし)きれい?』と聞くそうです。
気を使って、『きれい』と答えるそうです。
でも本当は、ふつうだそうです。
バイクに乗ってブンブン大きな音をたてる暴走族に対する小学一年生の抗議があります。
『…… ただ走っていないで、新聞でもくばって走れ!』
『3月の夜』というタイトルで、小学一年の言葉があります。
『冬と春が、おしくらまんじゅうをしてるんだね』
4歳の女の子が言っています。
『かぶとむしは、心の中で、「どすこい」と言っている。』
『エスカレーター』を、『つかれーたー』という小学一年生がいます。
こどもたちは、みんな心がやさしい。
詩を読み続けながら、そんな感想をいだきました。
『第五章 2000年~2004年 平成12年~平成14年』
小学6年生の詩のタイトルにどきっとしました。
『命があと五日しかなかったら』
一日目にすること、二日目にすること、と続きます。
最終日に、仏様の夢を見るそうです。
給食当番というのは、給食をつくる当番だと勘違いしていたそうです。
小学一年生の言葉でした。
警察に、雨雲を逮捕してくださいと訴える5歳の少年がいます。
2001年9月11日(平成13年)に、アメリカ同時多発テロが起きたことが書いてあります。
9月11日は、その子の誕生日だそうです。
ぼくにとってはうれしい日なのに、残念だと書いてあります。
『第六章 2005年~2009年 平成17年~平成21年』
2005年には、愛知万博が開催されましたが、まるで、なかったかのような歴史上の扱いになっていることが不思議です。日本での万博といえば、大阪万博(1970年。昭和45年)開催なのです。
愛知万博では、マンモスの展示がありました。いつまでも記憶に残るような目玉がなかったから、めだたない扱いになってしまったのかもしれません。あとは地元の自然保護目的の反対運動もきつかった。今は、来年の大阪万博がけっこう非難されています。昭和40年代なかばには、未来への夢がありました。時は流れて、日本人の意識が変わりました。
ちょっと理屈っぽい詩が多くなってきました。
こどもたちの知力とか知識は高くなってきているのですが、創造性とか気持ちの豊かさがしぼんできているように感じました。
ともだちと遊ぶのに、電話で予約が必要です。
むかしは、そんなやり方はしていませんでした。
『手話』というタイトルで、耳が聞こえない人と初めて会ったとあります。小学三年生の言葉です。
体が弱い小学一年生女の子の言葉があります。心臓に病気があるそうです。
『まま、よわく、うまれてきて、ごめんね』(そんなことないよ。元気出してね)
おかあさんとケンカして、おかあさんにぶたれた小学一年生です。
『一まんばいがえしにしたいです(いちまんばいがえし)』
おかあさんを、オニの女王さまと呼びます。
『第七章 2010年~2015年 平成22年~平成27年』
なんだろう。むかしはあった、こどもののびのびとした発想が消えていったような詩が続きます。
世の中のありようが進んで、便利にはなったけれど、せっかくのいいものが失われてしまったような残念さがあります。
こどもたちが、勉強のしすぎです。
『受験』という詩があります。中学三年生の詩です。
『勉強』という漢字が、詩の中に9個も書いてあります。
両親が夫婦ゲンカをすると、お母さんは、お父さんに古いご飯を食べさせるそうです。(そういうことってあります)
『第八章 2015年~ 平成27年~』
おとうさんもおかあさんも、おこってばかりとなげく幼稚園年少の女の子がいます。(4歳)
『幸福』は、自分には見えないけれど、他人には見える。名言ですな。中学生の言葉です。
年頃の子どもたちの詩を読むと、これから思春期に入っていくことがわかります。
人間とはなにか、自分はどうすればいいのかで、そうとう悩むことでしょう。
う~む。この本の読み始めはおもしろかったのですが、終わりに近づくにつれて、尻すぼみのように、おもしろさがなくなってきました。
時代の変化なのでしょう。今という時代は、こどもたちにとっては、過ごしにくい時代なのかもしれません。管理されているような日常生活が目に浮かびます。心身ともに、のびのびできていないみたいです。
2024年04月16日
ふたりっ子バンザイ 石亀泰郎写真集
ふたりっ子バンザイ 石亀泰郎写真集(いしがめ・やすお) 復刊 夏葉社(なつはしゃ)
小さなこどもさんふたりの白黒写真集です。
男の子ふたりです。
1965年(昭和40年)に出版された写真集の復刊です。(2017年(平成29年)発行)
昭和40年のころ、わたしは小学生でした。
なつかしい暮らしが白黒写真の中に残っています。
作者の、『あとがきにかえて』の文章に胸を突かれるものがあります。
(ご自身は)小学5年生のときに朝鮮半島から引き揚げてきた。(満州(まんしゅう)からの引き上げでしょう。第二次世界大戦で、日本は敗戦国でした)
13歳のときに北海道の叔母のところに養子にだされた。
きょうだいはいなかった。つまらなかった。
(そうか。自分には兄弟がいるのでさびしいと思ったことはありませんが、兄弟姉妹がだれもいないとさびしいだろうなあ)
結婚して、25歳ぐらいのときに、年子で男の子がふたり生まれた。(その喜びが自分にもわかります。こんな自分でも父親になれたという、一生に一度だけ体験できる大きな喜びでした)
写真集では、63の項目がひとつひとつの白黒写真になっています。
『ぼくらの世界のはじまり』から始まって、『これゴーゴーっていうんだ』で終わります。
最初の写真は、まだちいさい(男の子ふたりです)
ひとりは、口に哺乳瓶を(ほにゅうびんを)くわえています。
人生の始まりですな。
なにもかもが新世界です。
見るもの聞くもの、すべてに興味がわくころです。
ひとりを三輪車にのせて、もうひとりが三輪車を押しています。
かわいい。
こどもは、遊ぶのが仕事です。
おにいちゃんは、笑顔です。
1歳と0歳ぐらいに見えます。
ふたりのちびっこは、くっついては離れ、離れてはくっつき、親としては手がかかるころです。でも、どんどん大きくなっていきます。
ケンカして、仲直りして、またぶつかってのくりかえしです。
いっしょに並んで寝ます。
親がほっとひと息つける時間帯です。
おんなじようなかっこうをして、あおむけで寝ているふたりです。
ときには、その横で、パパが寝ていたりもするのでしょう。
ワンちゃんもいます。
飼い犬です。
もう、おちんちんは、ほおりだし状態ですな。
同じようなポーズが続きます。
立ち上がる。上を見る。リンゴをかじる。
にぎやかです。
たいへんそう。
こどもの笑顔にほっとする。
雪がふったのでしょう。
生まれて初めて見た雪かもしれません。
ママの顔と髪をくしゃくしゃにします。
もうひとりは、小さなお手手で、ママのお鼻をつまみます。
笑い顔があります。
泣き顔があります。
生きています
〇〇ごっこが好きな年齢です。
でんしゃごっことか。鉄砲ごっことか。
公園ではすべりだいですべるし、お砂場で砂だらけになったりもします。
雨がふれば、泥遊びです。
雪がふれば、雪遊びです。
お馬さんごっこもするし、電話ごっこもします。電話機は、ダイヤル式の黒電話です。
ふたりは、成長して、だんだん大きくなってきました。
しっかりした体格になってきました。
ふたりで幼稚園へ行きます。年中さんと年少さんでしょう。4歳と5歳です。
こどもというものは、ずっとちいさなままでいてくれるといいのになあと思うことがあります。
2歳半ぐらいのころが、一番見た目がかわいい。天使か妖精のようです。
浮き輪を付けて、海水浴のようなシーンがあります。
川原で遊ぶ。夏祭りに行く。わたあめを食べる。楽しいことがいっぱいあります。
ひとつ、この年頃のこどもたちの洋画を思い出しました。
『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』以下は観たときの感想の一部です。
4歳から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
ろうそくを出して、『考える』ということについて話し合いが始まりました。『考える』は目に見えないから、口を開けて言葉を使って自分の意思を相手に伝える。
映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
テーマは、『愛情(の種類、ありよう)』『死とは』『友情』『結婚』『性』など、心の根っこに関することです。
哲学とはと問われたこどもが、『自分に質問すること』と答えます。先生が、『わたしたちをとりまく世界を教えること』と説明します。
正解はあってないようなものですが、大事なことは『考えること』です。
同性愛は可能か、同性は結婚できないか「結婚の法則とはなにか」にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。
そして、あやまらないと恋は続かないということをこどもが導き出します。
写真集にもどります。
幼稚園のお散歩なのか、遠足なのか、生きたカエルを手につかまらせます。
このころ、生き物をこわがる子と、こわがらない子がいます。
わたしは動物類が好きでした。虫とかも好きでした。歳をとった今はにがてです。
最後の写真では、ひとりがギターを弾き、もうひとりは、なにかを太鼓にしてたたいていました。
カラー写真じゃなくて、この写真集のように白黒写真のほうが、味わいがあったりもします。
小さなこどもさんふたりの白黒写真集です。
男の子ふたりです。
1965年(昭和40年)に出版された写真集の復刊です。(2017年(平成29年)発行)
昭和40年のころ、わたしは小学生でした。
なつかしい暮らしが白黒写真の中に残っています。
作者の、『あとがきにかえて』の文章に胸を突かれるものがあります。
(ご自身は)小学5年生のときに朝鮮半島から引き揚げてきた。(満州(まんしゅう)からの引き上げでしょう。第二次世界大戦で、日本は敗戦国でした)
13歳のときに北海道の叔母のところに養子にだされた。
きょうだいはいなかった。つまらなかった。
(そうか。自分には兄弟がいるのでさびしいと思ったことはありませんが、兄弟姉妹がだれもいないとさびしいだろうなあ)
結婚して、25歳ぐらいのときに、年子で男の子がふたり生まれた。(その喜びが自分にもわかります。こんな自分でも父親になれたという、一生に一度だけ体験できる大きな喜びでした)
写真集では、63の項目がひとつひとつの白黒写真になっています。
『ぼくらの世界のはじまり』から始まって、『これゴーゴーっていうんだ』で終わります。
最初の写真は、まだちいさい(男の子ふたりです)
ひとりは、口に哺乳瓶を(ほにゅうびんを)くわえています。
人生の始まりですな。
なにもかもが新世界です。
見るもの聞くもの、すべてに興味がわくころです。
ひとりを三輪車にのせて、もうひとりが三輪車を押しています。
かわいい。
こどもは、遊ぶのが仕事です。
おにいちゃんは、笑顔です。
1歳と0歳ぐらいに見えます。
ふたりのちびっこは、くっついては離れ、離れてはくっつき、親としては手がかかるころです。でも、どんどん大きくなっていきます。
ケンカして、仲直りして、またぶつかってのくりかえしです。
いっしょに並んで寝ます。
親がほっとひと息つける時間帯です。
おんなじようなかっこうをして、あおむけで寝ているふたりです。
ときには、その横で、パパが寝ていたりもするのでしょう。
ワンちゃんもいます。
飼い犬です。
もう、おちんちんは、ほおりだし状態ですな。
同じようなポーズが続きます。
立ち上がる。上を見る。リンゴをかじる。
にぎやかです。
たいへんそう。
こどもの笑顔にほっとする。
雪がふったのでしょう。
生まれて初めて見た雪かもしれません。
ママの顔と髪をくしゃくしゃにします。
もうひとりは、小さなお手手で、ママのお鼻をつまみます。
笑い顔があります。
泣き顔があります。
生きています
〇〇ごっこが好きな年齢です。
でんしゃごっことか。鉄砲ごっことか。
公園ではすべりだいですべるし、お砂場で砂だらけになったりもします。
雨がふれば、泥遊びです。
雪がふれば、雪遊びです。
お馬さんごっこもするし、電話ごっこもします。電話機は、ダイヤル式の黒電話です。
ふたりは、成長して、だんだん大きくなってきました。
しっかりした体格になってきました。
ふたりで幼稚園へ行きます。年中さんと年少さんでしょう。4歳と5歳です。
こどもというものは、ずっとちいさなままでいてくれるといいのになあと思うことがあります。
2歳半ぐらいのころが、一番見た目がかわいい。天使か妖精のようです。
浮き輪を付けて、海水浴のようなシーンがあります。
川原で遊ぶ。夏祭りに行く。わたあめを食べる。楽しいことがいっぱいあります。
ひとつ、この年頃のこどもたちの洋画を思い出しました。
『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』以下は観たときの感想の一部です。
4歳から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
ろうそくを出して、『考える』ということについて話し合いが始まりました。『考える』は目に見えないから、口を開けて言葉を使って自分の意思を相手に伝える。
映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
テーマは、『愛情(の種類、ありよう)』『死とは』『友情』『結婚』『性』など、心の根っこに関することです。
哲学とはと問われたこどもが、『自分に質問すること』と答えます。先生が、『わたしたちをとりまく世界を教えること』と説明します。
正解はあってないようなものですが、大事なことは『考えること』です。
同性愛は可能か、同性は結婚できないか「結婚の法則とはなにか」にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。
そして、あやまらないと恋は続かないということをこどもが導き出します。
写真集にもどります。
幼稚園のお散歩なのか、遠足なのか、生きたカエルを手につかまらせます。
このころ、生き物をこわがる子と、こわがらない子がいます。
わたしは動物類が好きでした。虫とかも好きでした。歳をとった今はにがてです。
最後の写真では、ひとりがギターを弾き、もうひとりは、なにかを太鼓にしてたたいていました。
カラー写真じゃなくて、この写真集のように白黒写真のほうが、味わいがあったりもします。
2024年04月15日
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅19 木更津~九十九里
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅19 春の房総&三浦半島攻略SP!木更津~九十九里 テレビ東京とかTVer(ティーバー)とか
太川陽介路線バスチーム これまでに8勝:北乃きい (ぱーてぃーちゃん)信子
村井美樹鉄道チーム これまでに10勝:真飛聖(まとぶ・せい) 馬場もも子
6人のうち、女性が5人で、にぎやかで華やかな時間帯でした。なかなか良かった。
太川陽介さんは負けて、4連敗でしたが、村井美樹さんも以前は負けが続いてつらいときもありました。
太川陽介さんが次回は勝つといいなと思うのですが、村井美樹さんの壁はぶ厚くなりました。
出発地である東京湾を横断する道路(東京湾アクラライン・海ほたるパーキングエリアとか)のあたりは、自家用車やレンタカーで何回か行き来しました。途中空撮で出てきた千葉県房総半島にある鋸山(のこぎりやま)にも登ったことがあります。見ていて、身近に感じるコース取りでした。
ちょっと不思議に思ったのは、鉄道の村井美樹チームが、初日に東京湾を横切るフェリーに乗ろうとしたことでした。(神奈川県横須賀市久里浜(くりはま)-千葉県富津市金谷(ふっつしかなや))
わたしは鉄道で、千葉から品川あたりまでをたまに往復するのですが、東京湾をぐるりと鉄道で移動できることを始めて知ったときに、なんて便利で素敵なのだろうかと思いました。
鉄道チームは鉄道を使うから鉄道チームなのですから、いくら時間がかかろうと、初日は鉄道で行ってほしいと思いました。番組では、なりゆきで、鉄道を使うことになったので、それはそれでとても良かったと思います。
チェックポイントで、はちみつ工房があって、巣蜜入りハチミツが出てきたのですが、ちょうどうちの冷蔵庫にも巣蜜入りハチミツがあり縁を感じました。パンにつけて食べています。
体育会系です。体力と根性がこの対決勝負の基本です。みなさん立派でした。
厚底15cmの靴で、歩いたり走ったりされたぱーてぃーちゃん信子さんはたいしたものです。びっくりしました。陸上部で活躍されたスポーツウーマンだそうです。
太川陽介さんがいろいろ苦労されています。
この番組を観たあと、答え合わせの映像も見ましたが、『思いこみ』が敗因との指摘でした。
されど、しかたがありません。歳をとってくると、経験で物事を考えるようになります。たいていはそれでのりきれます。ただし、勝負で勝つためには、①ひらめき ②勢い ③真剣勝負(絶対引かない強い気持ち)の要素が必要になります。
北乃きいさんが実家がある地元だそうで(三浦半島横須賀市出身)、YRP野比というのが何なのかに興味をもちました。野比という苗字(みょうじ)は、ドラえもんに出てくる野比のび太くんを思い浮かべます。YRPは、調べたら、「ヨコスカ・リサーチ・パーク」でした。なるほど。地元が企業を誘致するためのスペースです。各種研究施設用地に向いているらしい。
東京湾フェリーから見える海と夕陽がきれいでした。富士山も美しい。
東京湾をはさんで、千葉と神奈川を行ったり来たりで、広範囲のダイナミックな闘いでした。
真夜中の道を歩く鉄道チーム三人の女性に、通りがかりの車から一般の人が(親子のこどもさんの声に聞こえました)、『がんばってください』の応援のかけ声が良かった。つらい思いをしているときこそ応援してあげたい。
何度か、あまりにもつらい状況で、笑うしかないというシーンがあり、心に残りました。
朝5時からの朝市もすごい。朝5時過ぎから、『もう終わっちゃうよ』のお店の方のかけ声にびっくりしました。
鉄道チームが歩くのは宿命です。バスチームは小回りが利きます。(ききます)
鉄道チームは列車に乗ってしまえば相当速いのがお得です。
村井美樹さんが、いすみ鉄道というのは、本数が少ないと言ったので調べてみました。1時間に1本ぐらいの感じで、途中駅間だけの運行もありますな。
鉄道チームは、波乱が続きました。だいじな地図をコンビニに忘れてきたり、タクシー料金をもたずに村井美樹さんが帰りはタクシーに乗るつもりで温泉にひとりで入りに行ったり、されど、失敗は成功のもとで、タクシー代の節約になりました。(村井美樹さんは、歩いたり、走ったりで、タクシーを使わなくてもあとのふたりとの待ち合わせの時刻に間に合いました)
あとは、村井美樹さんは方向音痴でよく道を間違えるのですが、今回も駅への道を間違えました。例によって、けっこう長い時間、間違いに気づけませんでした。人に聞けばいいと思うのですが、山の中で、なにせ通行人がいません。ハードです。
せっぱつまったときに、人間性が表に出てきます。
みなさん性格の良い方ばかりで、お怒り(おいかり)になる人もおらず、やけになる人もおらず、感心しました。
わたしは、歳をとってみて、わかったのですが、人生においてトラブルが起きるのは、あたりまえのことで、事件や事故や失敗は、人生につきものなのです。
人間の運命の矢印は常に最悪の方向へと向かっているのです。そこをなんとかするのです。物事というものは、なんとでもなります。なるようになる。一生懸命やって、できるものはできるし、できないものはできないのです。できなかったからといって、気にすることもないのです。期限はあるようでない。すべての期限は、自分が死ぬ時だと割り切っています。
地元の名物料理、『おらが丼(どんぶり)』も、辛い(からい)タンタンメンもなかなか良かった。
バスチームのおふたりの女性のチャレンジはすばらしかった。鉄道チーム北乃きいさんの激辛(げきから)タンメンチャレンジも迫力がありました。
ドラマチックな展開が何度もありました。
最後は、列車の発車まで、奇跡の残り1分での乗車で、鉄道チームが勝利を手に入れました。おめでとうございます。
信じられないようなびっくりすることが起きる番組です。
あまりにもすごすぎて笑うしかないときもあります。アツアツタンタンメンのぐつぐつと煮えているスープを見たときにそんな感じになりました。
タカラジェンヌだった真飛聖(まとぶ・せい)さんの根性はすごい。以前、太川陽介さんとえびすよしかずさんのバス旅のゲストで、元タカラジェンヌの遼河はるひさん(りょうがはるひさん)が、路線バスの中で、宝塚歌劇団が好きな女子高生にした話が良かった。『人生のすべてで使う根性をそこで(宝塚歌劇団で)使い切った』
いろいろ話題になっていますが、良くも悪くも宝塚歌劇団魂がその後の人生で生きています。
こちらの番組で走る女子たちは、鬼のような形相(ぎょうそう)です。
同じ週に、BSテレ東で再放送されている昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組を観たのですが、太川陽介さんが、今より10歳以上お若いです。同行のえびすよしかずさんもきびきびとしていてお元気です。なのにえびすさんは、今は認知症になってヨロヨロです。別人のように変化して今は元気がありません。
先日は、大相撲で、新入幕したばかりの尊富士(たけるふじ)の劇的な優勝のあと、えびすよしかずさんの近況を伝える福祉的な認知症がらみの番組がNHKで流れていました。
えびすさんは雀荘で(じゃんそうで)、年配の女性たちとマージャンを始めましたが、よろよろでした。もともとギャンブル好きで、しぶとい勝負師のマージャンを打つ人でしたが、今はもう、マージャンパイをにぎる指に力もはいらないようすです。ルールも忘れてしまっているようすでした。認知症で人格がいくぶんか変わってしまわれました。なにかしら認知症が治るいい薬があれば、えびすさんに飲むなり、点滴するなりして、また元気になってほしいものです。
洋画、『グリーンマイル』では、体の大きな主人公が、認知症の女性を治すシーンがあります。認知症にきく特効薬を発明したらノーベル賞がもらえるような気がします。
太川陽介さんとえびすよしかずさんは、右と左、前と後ろ、水と油みたいな性格で、お互いに、いやだろうなあと思いあうコンビでした。そこが、おもしろかった。あんがい、自分と似たような性格の人とは友だちにはなりにくいものです。自分にないものをもっているから相手に魅力を感じるということはあります。
昔の路線バス乗り継ぎ人情旅の番組でも、太川陽介さんがえびすよしかずさんに本気で怒ってカッカするのですが、えびすさんがさらりとかわしていきます。『もうこの番組は、今回で最後だ!』と太川さんにどなられたえびすさんが、『収入が減るから困る』みたいなことを言い、『マンガで食べていけばいいじゃないか』と太川さんに言い返されて、えびすさんは、『マンガは売れない』と嘆きます。えびすさんは、受け答えがじょうずです。生まれながらにしてもっているユーモアがあります。
また、番組の別の放送回の時に、太川陽介さんと女性のゲストの意見が対立すると、えびすさんが太川さんに、女の人の言うことはきいておいたほうがいいよとアドバイスします。なかなかおもしろくて、楽しい番組でした。
そのうちまたおふたりは再会されるのでしょう。太川さんはえびすさんの元気のない変わりように驚かれるでしょう。でも、そういう太川さんもそれなりに歳をとられました。
勝負を終えて、みなさんいい仲間です。
この番組でいっしょになったことが縁で、互いに一生(いっしょう)の友になる人もいるのでしょう。
太川陽介路線バスチーム これまでに8勝:北乃きい (ぱーてぃーちゃん)信子
村井美樹鉄道チーム これまでに10勝:真飛聖(まとぶ・せい) 馬場もも子
6人のうち、女性が5人で、にぎやかで華やかな時間帯でした。なかなか良かった。
太川陽介さんは負けて、4連敗でしたが、村井美樹さんも以前は負けが続いてつらいときもありました。
太川陽介さんが次回は勝つといいなと思うのですが、村井美樹さんの壁はぶ厚くなりました。
出発地である東京湾を横断する道路(東京湾アクラライン・海ほたるパーキングエリアとか)のあたりは、自家用車やレンタカーで何回か行き来しました。途中空撮で出てきた千葉県房総半島にある鋸山(のこぎりやま)にも登ったことがあります。見ていて、身近に感じるコース取りでした。
ちょっと不思議に思ったのは、鉄道の村井美樹チームが、初日に東京湾を横切るフェリーに乗ろうとしたことでした。(神奈川県横須賀市久里浜(くりはま)-千葉県富津市金谷(ふっつしかなや))
わたしは鉄道で、千葉から品川あたりまでをたまに往復するのですが、東京湾をぐるりと鉄道で移動できることを始めて知ったときに、なんて便利で素敵なのだろうかと思いました。
鉄道チームは鉄道を使うから鉄道チームなのですから、いくら時間がかかろうと、初日は鉄道で行ってほしいと思いました。番組では、なりゆきで、鉄道を使うことになったので、それはそれでとても良かったと思います。
チェックポイントで、はちみつ工房があって、巣蜜入りハチミツが出てきたのですが、ちょうどうちの冷蔵庫にも巣蜜入りハチミツがあり縁を感じました。パンにつけて食べています。
体育会系です。体力と根性がこの対決勝負の基本です。みなさん立派でした。
厚底15cmの靴で、歩いたり走ったりされたぱーてぃーちゃん信子さんはたいしたものです。びっくりしました。陸上部で活躍されたスポーツウーマンだそうです。
太川陽介さんがいろいろ苦労されています。
この番組を観たあと、答え合わせの映像も見ましたが、『思いこみ』が敗因との指摘でした。
されど、しかたがありません。歳をとってくると、経験で物事を考えるようになります。たいていはそれでのりきれます。ただし、勝負で勝つためには、①ひらめき ②勢い ③真剣勝負(絶対引かない強い気持ち)の要素が必要になります。
北乃きいさんが実家がある地元だそうで(三浦半島横須賀市出身)、YRP野比というのが何なのかに興味をもちました。野比という苗字(みょうじ)は、ドラえもんに出てくる野比のび太くんを思い浮かべます。YRPは、調べたら、「ヨコスカ・リサーチ・パーク」でした。なるほど。地元が企業を誘致するためのスペースです。各種研究施設用地に向いているらしい。
東京湾フェリーから見える海と夕陽がきれいでした。富士山も美しい。
東京湾をはさんで、千葉と神奈川を行ったり来たりで、広範囲のダイナミックな闘いでした。
真夜中の道を歩く鉄道チーム三人の女性に、通りがかりの車から一般の人が(親子のこどもさんの声に聞こえました)、『がんばってください』の応援のかけ声が良かった。つらい思いをしているときこそ応援してあげたい。
何度か、あまりにもつらい状況で、笑うしかないというシーンがあり、心に残りました。
朝5時からの朝市もすごい。朝5時過ぎから、『もう終わっちゃうよ』のお店の方のかけ声にびっくりしました。
鉄道チームが歩くのは宿命です。バスチームは小回りが利きます。(ききます)
鉄道チームは列車に乗ってしまえば相当速いのがお得です。
村井美樹さんが、いすみ鉄道というのは、本数が少ないと言ったので調べてみました。1時間に1本ぐらいの感じで、途中駅間だけの運行もありますな。
鉄道チームは、波乱が続きました。だいじな地図をコンビニに忘れてきたり、タクシー料金をもたずに村井美樹さんが帰りはタクシーに乗るつもりで温泉にひとりで入りに行ったり、されど、失敗は成功のもとで、タクシー代の節約になりました。(村井美樹さんは、歩いたり、走ったりで、タクシーを使わなくてもあとのふたりとの待ち合わせの時刻に間に合いました)
あとは、村井美樹さんは方向音痴でよく道を間違えるのですが、今回も駅への道を間違えました。例によって、けっこう長い時間、間違いに気づけませんでした。人に聞けばいいと思うのですが、山の中で、なにせ通行人がいません。ハードです。
せっぱつまったときに、人間性が表に出てきます。
みなさん性格の良い方ばかりで、お怒り(おいかり)になる人もおらず、やけになる人もおらず、感心しました。
わたしは、歳をとってみて、わかったのですが、人生においてトラブルが起きるのは、あたりまえのことで、事件や事故や失敗は、人生につきものなのです。
人間の運命の矢印は常に最悪の方向へと向かっているのです。そこをなんとかするのです。物事というものは、なんとでもなります。なるようになる。一生懸命やって、できるものはできるし、できないものはできないのです。できなかったからといって、気にすることもないのです。期限はあるようでない。すべての期限は、自分が死ぬ時だと割り切っています。
地元の名物料理、『おらが丼(どんぶり)』も、辛い(からい)タンタンメンもなかなか良かった。
バスチームのおふたりの女性のチャレンジはすばらしかった。鉄道チーム北乃きいさんの激辛(げきから)タンメンチャレンジも迫力がありました。
ドラマチックな展開が何度もありました。
最後は、列車の発車まで、奇跡の残り1分での乗車で、鉄道チームが勝利を手に入れました。おめでとうございます。
信じられないようなびっくりすることが起きる番組です。
あまりにもすごすぎて笑うしかないときもあります。アツアツタンタンメンのぐつぐつと煮えているスープを見たときにそんな感じになりました。
タカラジェンヌだった真飛聖(まとぶ・せい)さんの根性はすごい。以前、太川陽介さんとえびすよしかずさんのバス旅のゲストで、元タカラジェンヌの遼河はるひさん(りょうがはるひさん)が、路線バスの中で、宝塚歌劇団が好きな女子高生にした話が良かった。『人生のすべてで使う根性をそこで(宝塚歌劇団で)使い切った』
いろいろ話題になっていますが、良くも悪くも宝塚歌劇団魂がその後の人生で生きています。
こちらの番組で走る女子たちは、鬼のような形相(ぎょうそう)です。
同じ週に、BSテレ東で再放送されている昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組を観たのですが、太川陽介さんが、今より10歳以上お若いです。同行のえびすよしかずさんもきびきびとしていてお元気です。なのにえびすさんは、今は認知症になってヨロヨロです。別人のように変化して今は元気がありません。
先日は、大相撲で、新入幕したばかりの尊富士(たけるふじ)の劇的な優勝のあと、えびすよしかずさんの近況を伝える福祉的な認知症がらみの番組がNHKで流れていました。
えびすさんは雀荘で(じゃんそうで)、年配の女性たちとマージャンを始めましたが、よろよろでした。もともとギャンブル好きで、しぶとい勝負師のマージャンを打つ人でしたが、今はもう、マージャンパイをにぎる指に力もはいらないようすです。ルールも忘れてしまっているようすでした。認知症で人格がいくぶんか変わってしまわれました。なにかしら認知症が治るいい薬があれば、えびすさんに飲むなり、点滴するなりして、また元気になってほしいものです。
洋画、『グリーンマイル』では、体の大きな主人公が、認知症の女性を治すシーンがあります。認知症にきく特効薬を発明したらノーベル賞がもらえるような気がします。
太川陽介さんとえびすよしかずさんは、右と左、前と後ろ、水と油みたいな性格で、お互いに、いやだろうなあと思いあうコンビでした。そこが、おもしろかった。あんがい、自分と似たような性格の人とは友だちにはなりにくいものです。自分にないものをもっているから相手に魅力を感じるということはあります。
昔の路線バス乗り継ぎ人情旅の番組でも、太川陽介さんがえびすよしかずさんに本気で怒ってカッカするのですが、えびすさんがさらりとかわしていきます。『もうこの番組は、今回で最後だ!』と太川さんにどなられたえびすさんが、『収入が減るから困る』みたいなことを言い、『マンガで食べていけばいいじゃないか』と太川さんに言い返されて、えびすさんは、『マンガは売れない』と嘆きます。えびすさんは、受け答えがじょうずです。生まれながらにしてもっているユーモアがあります。
また、番組の別の放送回の時に、太川陽介さんと女性のゲストの意見が対立すると、えびすさんが太川さんに、女の人の言うことはきいておいたほうがいいよとアドバイスします。なかなかおもしろくて、楽しい番組でした。
そのうちまたおふたりは再会されるのでしょう。太川さんはえびすさんの元気のない変わりように驚かれるでしょう。でも、そういう太川さんもそれなりに歳をとられました。
勝負を終えて、みなさんいい仲間です。
この番組でいっしょになったことが縁で、互いに一生(いっしょう)の友になる人もいるのでしょう。
2024年04月13日
はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集
はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集 羽鳥書店
白黒の写真集です。
これまでに同様なパターンで読んだ写真集の本が二冊あります。
『筑豊のこどもたち(ちくほうのこどもたち) 土門拳(どもん・けん) 築地書館』
胸にズシンときます。福岡県の産炭地(炭鉱)だったところです。写真に写っているこどもである本人たちにとっては、隠しておきたい、あるいは忘れたい暮らしだったと思いますが、今となっては本人も忘れかけているくらい昔の出来事になりました。貧しい中でのこどもたちの暮らしがあります。(写真に写っている少年少女たちは、いまごろ八十代かもうお亡くなりになっていることでしょう)
もう一冊が、『足尾線の詩(あしおせんのうた)写真集 斎藤利江 あかぎ出版』
写真のなかのこどもたちは、笑っています。昭和三十年代の群馬県・栃木県の山奥のこどもたちです。今は中高年になった人たちの、なつかしいこども時代の姿がそこにあります。また、女性である著者は写真家になりたかったが、父親が反対して、カメラもネガも取り上げた。長い時間が流れ、著者が60歳になったとき、父親によって捨てられたと思っていたネガが発見され、今回の写真集になったという製作のきっかけ話には感動しました。
さて、こちらのこどもたちや人々が写っている写真集は、昭和三十年ころの高知県の暮らしです。
ふんどし姿で働く男性がいます。場所は海の近く、浜辺です。
そういえば、わたしの祖父も(父方も母方も両方の祖父が)、ふんどしを愛用していました。わたしは、ふたりがパンツをはいている姿を見たことがありません。
高知県内の、農村、鉱山(石灰石採掘)、山里、港町、市場などで撮影された生活・労働・風土の写真です。
観ていて気づくのは、女性の労働者が多いことです。みなさん働き者です。
くわえて、こどもも働いています。戦前は、こどもには人権はなく、こどもは労働者として扱われていたと書かれた本を読んだことがあります。それは、日本だけではなく、イギリスを始めとした世界中で、こどもは、家畜のような労働力として期待されていたという時代があったようです。女性も同様でしょう。
いまNHKの朝ドラ、『虎に翼』でも、1945年(昭和20年)第二次世界大戦の終戦前までは、女性は法律上も、無能力者扱いされています。
ドラマの中で女性は「禁治産者」だというセリフがありました。きんじさんしゃ:本人だけでは意思決定ができない。結婚した女性の場合は、夫が意思決定をして、妻がそれに従うことがあたりまえとあります。
余談(本筋から離れた話)ですが、ドラマ『虎に翼』の映像を観ていて、撮影場所がたぶん自分が見たことがある場所です。名古屋市昭和区にある鶴舞公園(つるまこうえん・つるまいこうえんと呼ぶ人もいます)の噴水塔とかその背景にある名古屋市公会堂とか、昔、家庭裁判所だった今は名古屋市市政資料館、名古屋市役所本庁舎内の廊下とか通路ではなかろうかと思う場所もあります。階段や壁などの色は、CG(コンピューターグラフィックス)で加工されていると推理しています。
そのほか、愛知県犬山市にある明治村の中の施設もロケ地として使ってあるような気がします。まだ始まったばかりですが、このドラマ、『虎に翼』はきっと後世に残る名作になります。このドラマを観るしばらく前から、主役を演じる伊藤沙莉さん(いとうさいりさん)の演技のうまさに感嘆し、感心しながら楽しみに毎日観ています。
もう一点は、少し前に観ていたNHKドラマ、『正直不動産』に出ていたシソンヌ長谷川さんが、弁護士役で(相方のシソンヌじろうさんも弁護士役です。以前、出川哲朗さんの充電バイクの旅で、シソンヌじろうさんの実家がある青森県内のご親族が出演されていたことを思い出しました)出ていて驚きました。どこかで見たことがある人だと思ったら、ドラマ、『正直不動産』に出てくる登坂不動産(とさかふどうさん)で部長職を演じていた人でした。ドラマ『正直不動産』も、こちらの『虎に翼』も、正義(せいぎ。正しい人の道)を通すことがテーマです。
こちらの写真集の感想に戻ります。
石灰岩や石灰石がいいお金になったのでしょう。
資材の原料です。お化粧品や肥料にもなったそうです。
白黒写真に写っている人たちは、いまはもう寿命でお亡くなりになっている人が多いのでしょう。
しみじみと胸にくるものがあります。
人は生きて、人は死んでいきます。
お金を稼ぐ(かせぐ)ための肉体労働です。
夫婦で協力して、肉体労働をします。
手仕事が多い。機械の利用は少ない。人力が基本です。
自然との共生があります。山があって、川があって、農地があって、海がある。
母親のそばには、ちいさなこどもがいる。この時代、保育園とか幼稚園は、いなかにはなかった覚えです。わたしは、幼稚園にも保育園にも行ったことがありません。それから、学習塾にも行ったことがありません。わたしがこどもだった頃の故郷九州のまちには、塾というものはありませんでした。
休憩中でも体を動かします。洗濯をされている女性の写真があります。
おふろがあります。五右衛門ぶろです。
女の子はみな、おかっぱ頭です。
こどもがこどもをおんぶして子守りをしています。
女の子がたくさんいます。
おとなの草履(ぞうり)をはいているちいさな女の子がいます。
映画館があります。映画が娯楽だった時代がありました。
まちに映画館がたくさんありました。昭和三十年代から四十年代なかばのことです。まだテレビは全戸に普及していませんでした。
紙芝居の写真があります。
こどもがいっぱい集まっています。
類似の写真のデータをわたしはもっているのでここに落としてみます。以前、福岡県の飯塚市にある歴史資料館で撮影したものです。(観光目的で入館した時に撮影の届けを出して撮影しました)日本全国で、紙芝居屋のおじさんたちが活躍していた時代がありました。思い出すに、わたしも小学生のこどものころ、自分で紙芝居を家でつくって友だちに披露していました。
話は戻って、こちらの写真集の本に載っている幼児はいつも、働く両親のそばにいます。
こどもがこどものめんどうをみています。
あかちゃんは、じべた(地面)の上にしいたふとんの上で、ふとんをかぶって眠っています。熟睡しています。海に近い砂浜で寝ているあかちゃんもいます。
写真をみるとたいへんそうですが、案外、こどもにとっては、安心な環境だったのではなかろうか。目をさませば、まわりに両親や兄弟姉妹、近所のひとたちが働いていました。
こどもをおんぶして働いている母親も複数います。現代よりも恵まれた労働環境があったように思えます。子育て環境です。保育園に預ける必要がありません。
なにもかもが人力ですから協力が必要です。
機械はありません。
轆轤(ろくろ):回転式の装置。重い物を引いたり上げたりする滑車(かっしゃ)。
女の子たちは、背中に弟・妹をのせて、みんなで子守りをします。
ばあちゃんは、ゲタをはいて歩きます。
海辺で石をひろってきて、みやげ物にします。
海辺で、少し大きな石で釜戸(かまど)をつくり、火をつけて、やかんでお湯をわかし、食事をとる漁師がいます。自給自足の暮らしです。
稲刈りも人力です。
わたしも中学の時、のこぎり型のカマを使って、手作業で稲刈りをしたことがありますが、とてもつらかった。腰が痛くなります。
物を運ぶのは、リヤカーです。
自家用車なんてなかった時代です。
馬がいます。労働用の馬です。
物を運びます。
牛もいます。
農耕作業用の牛です。
鉄道列車に乗る行商人がいます。海の物を山へ、山のものを海へと行商に励みます。
魚市場で、大きな魚を洗う写真があります。
魚というたくさんの命が生まれて、たくさんの命が消えていきました。
まき割りをする人。プレス工の人。旋盤工の人。職人技があります。
家のそばには、犬がいます。飼い犬なのかどうなのかはわかりません。
船で南米へ移民する人たちを見送る写真があります。こちらの写真では、行き先が南米のパラグアイとあります。船上の夫婦やちびっこたちは、夢でいっぱいなのか笑顔です。
小説『蒼茫(そうぼう) 石川達三』を読んだことがあります。日本から南米へ渡った移民のお話です。過酷な太平洋航路と現地での暮らしで、命を落とす人が多かった。
(読んだときの感想がデータに少し残っていました)
「蒼茫(そうぼう、青い海原(うなばら)を指します。)」を読みました。おそらく大正時代末期から昭和時代の初期だと思うのですが、ブラジルへ向かう日本人移民の物語でした。日本を出港した移民船の中で、次々と人が死んでいくのです。病死でした。その先は読んだ時の記憶が定かではないのですが、ブラジルへ移民後も、やっぱり人が死んでいくのです。亡くなっていく群像は、日本の貧困な農民家族でした。
写真集の後半部に、第二次世界大戦中のことが書いてありました。
自爆することを目的とした特攻隊の隊員を選ぶ時は、『長男』は除外されていたそうです。
そういう時代が確かにありました。いまも少しは残っているのかもしれません。長男優先の考え方です。家制度の保守です。
白黒の写真集です。
これまでに同様なパターンで読んだ写真集の本が二冊あります。
『筑豊のこどもたち(ちくほうのこどもたち) 土門拳(どもん・けん) 築地書館』
胸にズシンときます。福岡県の産炭地(炭鉱)だったところです。写真に写っているこどもである本人たちにとっては、隠しておきたい、あるいは忘れたい暮らしだったと思いますが、今となっては本人も忘れかけているくらい昔の出来事になりました。貧しい中でのこどもたちの暮らしがあります。(写真に写っている少年少女たちは、いまごろ八十代かもうお亡くなりになっていることでしょう)
もう一冊が、『足尾線の詩(あしおせんのうた)写真集 斎藤利江 あかぎ出版』
写真のなかのこどもたちは、笑っています。昭和三十年代の群馬県・栃木県の山奥のこどもたちです。今は中高年になった人たちの、なつかしいこども時代の姿がそこにあります。また、女性である著者は写真家になりたかったが、父親が反対して、カメラもネガも取り上げた。長い時間が流れ、著者が60歳になったとき、父親によって捨てられたと思っていたネガが発見され、今回の写真集になったという製作のきっかけ話には感動しました。
さて、こちらのこどもたちや人々が写っている写真集は、昭和三十年ころの高知県の暮らしです。
ふんどし姿で働く男性がいます。場所は海の近く、浜辺です。
そういえば、わたしの祖父も(父方も母方も両方の祖父が)、ふんどしを愛用していました。わたしは、ふたりがパンツをはいている姿を見たことがありません。
高知県内の、農村、鉱山(石灰石採掘)、山里、港町、市場などで撮影された生活・労働・風土の写真です。
観ていて気づくのは、女性の労働者が多いことです。みなさん働き者です。
くわえて、こどもも働いています。戦前は、こどもには人権はなく、こどもは労働者として扱われていたと書かれた本を読んだことがあります。それは、日本だけではなく、イギリスを始めとした世界中で、こどもは、家畜のような労働力として期待されていたという時代があったようです。女性も同様でしょう。
いまNHKの朝ドラ、『虎に翼』でも、1945年(昭和20年)第二次世界大戦の終戦前までは、女性は法律上も、無能力者扱いされています。
ドラマの中で女性は「禁治産者」だというセリフがありました。きんじさんしゃ:本人だけでは意思決定ができない。結婚した女性の場合は、夫が意思決定をして、妻がそれに従うことがあたりまえとあります。
余談(本筋から離れた話)ですが、ドラマ『虎に翼』の映像を観ていて、撮影場所がたぶん自分が見たことがある場所です。名古屋市昭和区にある鶴舞公園(つるまこうえん・つるまいこうえんと呼ぶ人もいます)の噴水塔とかその背景にある名古屋市公会堂とか、昔、家庭裁判所だった今は名古屋市市政資料館、名古屋市役所本庁舎内の廊下とか通路ではなかろうかと思う場所もあります。階段や壁などの色は、CG(コンピューターグラフィックス)で加工されていると推理しています。
そのほか、愛知県犬山市にある明治村の中の施設もロケ地として使ってあるような気がします。まだ始まったばかりですが、このドラマ、『虎に翼』はきっと後世に残る名作になります。このドラマを観るしばらく前から、主役を演じる伊藤沙莉さん(いとうさいりさん)の演技のうまさに感嘆し、感心しながら楽しみに毎日観ています。
もう一点は、少し前に観ていたNHKドラマ、『正直不動産』に出ていたシソンヌ長谷川さんが、弁護士役で(相方のシソンヌじろうさんも弁護士役です。以前、出川哲朗さんの充電バイクの旅で、シソンヌじろうさんの実家がある青森県内のご親族が出演されていたことを思い出しました)出ていて驚きました。どこかで見たことがある人だと思ったら、ドラマ、『正直不動産』に出てくる登坂不動産(とさかふどうさん)で部長職を演じていた人でした。ドラマ『正直不動産』も、こちらの『虎に翼』も、正義(せいぎ。正しい人の道)を通すことがテーマです。
こちらの写真集の感想に戻ります。
石灰岩や石灰石がいいお金になったのでしょう。
資材の原料です。お化粧品や肥料にもなったそうです。
白黒写真に写っている人たちは、いまはもう寿命でお亡くなりになっている人が多いのでしょう。
しみじみと胸にくるものがあります。
人は生きて、人は死んでいきます。
お金を稼ぐ(かせぐ)ための肉体労働です。
夫婦で協力して、肉体労働をします。
手仕事が多い。機械の利用は少ない。人力が基本です。
自然との共生があります。山があって、川があって、農地があって、海がある。
母親のそばには、ちいさなこどもがいる。この時代、保育園とか幼稚園は、いなかにはなかった覚えです。わたしは、幼稚園にも保育園にも行ったことがありません。それから、学習塾にも行ったことがありません。わたしがこどもだった頃の故郷九州のまちには、塾というものはありませんでした。
休憩中でも体を動かします。洗濯をされている女性の写真があります。
おふろがあります。五右衛門ぶろです。
女の子はみな、おかっぱ頭です。
こどもがこどもをおんぶして子守りをしています。
女の子がたくさんいます。
おとなの草履(ぞうり)をはいているちいさな女の子がいます。
映画館があります。映画が娯楽だった時代がありました。
まちに映画館がたくさんありました。昭和三十年代から四十年代なかばのことです。まだテレビは全戸に普及していませんでした。
紙芝居の写真があります。
こどもがいっぱい集まっています。
類似の写真のデータをわたしはもっているのでここに落としてみます。以前、福岡県の飯塚市にある歴史資料館で撮影したものです。(観光目的で入館した時に撮影の届けを出して撮影しました)日本全国で、紙芝居屋のおじさんたちが活躍していた時代がありました。思い出すに、わたしも小学生のこどものころ、自分で紙芝居を家でつくって友だちに披露していました。
話は戻って、こちらの写真集の本に載っている幼児はいつも、働く両親のそばにいます。
こどもがこどものめんどうをみています。
あかちゃんは、じべた(地面)の上にしいたふとんの上で、ふとんをかぶって眠っています。熟睡しています。海に近い砂浜で寝ているあかちゃんもいます。
写真をみるとたいへんそうですが、案外、こどもにとっては、安心な環境だったのではなかろうか。目をさませば、まわりに両親や兄弟姉妹、近所のひとたちが働いていました。
こどもをおんぶして働いている母親も複数います。現代よりも恵まれた労働環境があったように思えます。子育て環境です。保育園に預ける必要がありません。
なにもかもが人力ですから協力が必要です。
機械はありません。
轆轤(ろくろ):回転式の装置。重い物を引いたり上げたりする滑車(かっしゃ)。
女の子たちは、背中に弟・妹をのせて、みんなで子守りをします。
ばあちゃんは、ゲタをはいて歩きます。
海辺で石をひろってきて、みやげ物にします。
海辺で、少し大きな石で釜戸(かまど)をつくり、火をつけて、やかんでお湯をわかし、食事をとる漁師がいます。自給自足の暮らしです。
稲刈りも人力です。
わたしも中学の時、のこぎり型のカマを使って、手作業で稲刈りをしたことがありますが、とてもつらかった。腰が痛くなります。
物を運ぶのは、リヤカーです。
自家用車なんてなかった時代です。
馬がいます。労働用の馬です。
物を運びます。
牛もいます。
農耕作業用の牛です。
鉄道列車に乗る行商人がいます。海の物を山へ、山のものを海へと行商に励みます。
魚市場で、大きな魚を洗う写真があります。
魚というたくさんの命が生まれて、たくさんの命が消えていきました。
まき割りをする人。プレス工の人。旋盤工の人。職人技があります。
家のそばには、犬がいます。飼い犬なのかどうなのかはわかりません。
船で南米へ移民する人たちを見送る写真があります。こちらの写真では、行き先が南米のパラグアイとあります。船上の夫婦やちびっこたちは、夢でいっぱいなのか笑顔です。
小説『蒼茫(そうぼう) 石川達三』を読んだことがあります。日本から南米へ渡った移民のお話です。過酷な太平洋航路と現地での暮らしで、命を落とす人が多かった。
(読んだときの感想がデータに少し残っていました)
「蒼茫(そうぼう、青い海原(うなばら)を指します。)」を読みました。おそらく大正時代末期から昭和時代の初期だと思うのですが、ブラジルへ向かう日本人移民の物語でした。日本を出港した移民船の中で、次々と人が死んでいくのです。病死でした。その先は読んだ時の記憶が定かではないのですが、ブラジルへ移民後も、やっぱり人が死んでいくのです。亡くなっていく群像は、日本の貧困な農民家族でした。
写真集の後半部に、第二次世界大戦中のことが書いてありました。
自爆することを目的とした特攻隊の隊員を選ぶ時は、『長男』は除外されていたそうです。
そういう時代が確かにありました。いまも少しは残っているのかもしれません。長男優先の考え方です。家制度の保守です。
2024年04月12日
キセキの葉書 邦画 2017年(平成29年)
キセキの葉書 邦画 2017年(平成29年) 1時間30分 動画配信サービス
人からいい映画だったと勧められて観ました。
なつかしい気持ちにひたりました。
音楽と歌がなつかしかった。
『花の街』、たしか小学生だったか、中学生だったかのとき、音楽の授業で何度も歌いました。合唱曲です。美しい歌詞とメロディーです。
『耳をすましてごらん』、自分の青春時代にギターを弾きながらよく歌いました。NHK朝ドラ『藍より青く(あいよりあおく)』の主題歌でした。1972年放送(昭和47年)でした。熊本県の天草(あまくさ)という島での話で、自分は天草に土地勘があったので親近感をもちました。
こちらの映画の舞台になった兵庫県の武庫川(むこがわ)というところへは、親族や友人がいたので、十代後半の頃何度か訪れました。いまはもう知り合いはだれもいません。そんな、大昔のことを思い出しながら映像を観ました。
障害児(脳性麻痺女児6歳ぐらい)を抱えた母親の物語です。小学四年生ぐらいの長男がいます。夫は大学の先生のようです。
母親の実家が大分県の佐伯市で(さえきしで)、彼女の父親がいて、実家の母親は精神病と認知症を発症しています。なかなか厳しい環境です。
まあ、自分は男なので、まず、ご主人とお父さんの動きがあまりないのが気になりました。介護も育児も家事も女性の仕事みたいになっています。(それではいけません。男も参加しましょう)
冒頭付近にあった。手を握ることによる女児の意思表示が良かった。
以前読んだ本で、『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』を思い出しました。外見は障害者でも頭脳は明晰(めいせき。はっきりしている)なのです。きちんと意思があるのです。読んだ時の感想の一部です。
『常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。』
障害者でも意思疎通は可能なのです。ちゃんと心があって、脳みその中は活動しているのです。表にうまく出せないだけなのです。
『気持ち』を重視する映画です。
葉書に気持ちをこめるのです。
『気持ち以外で人を助けることができますか?』という問いに対して、『それ以外で(気持ち以外で)、助かる人がおるんですか?』と返答がありました。
人間が窮地に追い込まれたときの最後は、ガッツ(強い意思)で克服するのです。
葉書は、日記ですな。返事不要の日記です。されど、毎日書いて送るとなればネタ切れ発生です。息子さんにも手伝ってもらいます。日記はやがて、創作物語に変化していきます。
書き続けることが、文章上達と創作じょうずになるコツです。
もし自分だったら、書けるときに何枚も書いて、ストック(保存)しておくだろうと思いました。
生きていくのはつらいなあ。
つらいこともあるけれど、同じくらいうれしいこともあるなあ。
そういう映画です。胸を打つ感動があります。
合唱『花の街』を聴いていると、淡々ときちんと生活していく。一日一日の積み重ねで、夢を達成する。歌にあわせて、一日1枚ずつ娘から母親に届く葉書が増えていきます。『やさしい気持ち』があります。
施設へ入れる(いれる)話がでます。障害があるこどもさんについてと、老いた認知症の母親についての両方です。
理想としては、なるべく在宅で介護なりをやったほうがいいと思います。
施設は楽園でも心地よい天国でもないと思います。本人もまわりもたいへんそうです。
ただ、親族だけの介護には無理があります。社会的介護(ヘルパー派遣など)に寄りかかったほうがいい。実の親子だけだと、DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)が起きそうです。
実話の映画化だそうです。
ご苦労があったとお察しします。
自分はだいじょうぶと思っている人が、あんがい認知症になったりもします。
明日はわが身です。
母親は本を出版するためにがんばって原稿を書きます。今はパソコンの時代なので、映像で見る手書きの原稿書きはちょっと時代錯誤かなと思いましたが、阪神淡路大震災のころは、まだ、ワープロの時代だったから、手書きでもだいじょうぶでしょう。大きな自然災害でしたが、もうずいぶん昔のことになりました。1995年(平成7年)1月17日阪神淡路大震災発災(はっさい)でした。
映像を観ていて、昔読んだ、『1リットルの涙』を思い出しました。『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』
たしか、『体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。』と書いてありました。自殺して命を失うなら、その命をわたしにくださいとも書いてあったような記憶です。自殺しちゃだめです。自殺しなくても人間は、いつかは必ず死にます。
本を二回読んで、以下は、二回目に読んだときの感想です。
『作者は泣き虫でした。後半が近づくにつれ、読者も涙なしでは読めなくなります。二度目の読書にあたって整理しました。家族構成は次のとおりで始まります。7人の大家族です。両親、作者14歳、妹12歳、弟11歳、弟10歳、妹2歳です。母親は保健所勤務の保健師です。作者の病名は、「脊髄小脳変性症」です。17歳で身長149cm、体重36kg、徐々に歩けなくなる。ものをつかめなくなる。声が出なくなる。寝たきりになる。しかし、頭脳ははっきりしています。学力があっても体の動きはついていけない。25歳10か月で亡くなっています。』
こちらの映画では、仮面うつとか、発作(ほっさ)による呼吸困難とか、自殺企図(じさつきと)とか、考え出すといろいろむずかしい。はりつめたものがある映画でした。
小学生男児たちによる主人公ママの創作作品批評の時間帯が良かった。批評とはいえ、母親にとっても、くつろげる時間帯でした。
何も考えないという健康法もあるような気がしました。気持ち60%を入れ込むけれど、あとの40%であきらめる。なんとかなるとあきらめる。リラックス、リラックス。くつろぐ。
人からいい映画だったと勧められて観ました。
なつかしい気持ちにひたりました。
音楽と歌がなつかしかった。
『花の街』、たしか小学生だったか、中学生だったかのとき、音楽の授業で何度も歌いました。合唱曲です。美しい歌詞とメロディーです。
『耳をすましてごらん』、自分の青春時代にギターを弾きながらよく歌いました。NHK朝ドラ『藍より青く(あいよりあおく)』の主題歌でした。1972年放送(昭和47年)でした。熊本県の天草(あまくさ)という島での話で、自分は天草に土地勘があったので親近感をもちました。
こちらの映画の舞台になった兵庫県の武庫川(むこがわ)というところへは、親族や友人がいたので、十代後半の頃何度か訪れました。いまはもう知り合いはだれもいません。そんな、大昔のことを思い出しながら映像を観ました。
障害児(脳性麻痺女児6歳ぐらい)を抱えた母親の物語です。小学四年生ぐらいの長男がいます。夫は大学の先生のようです。
母親の実家が大分県の佐伯市で(さえきしで)、彼女の父親がいて、実家の母親は精神病と認知症を発症しています。なかなか厳しい環境です。
まあ、自分は男なので、まず、ご主人とお父さんの動きがあまりないのが気になりました。介護も育児も家事も女性の仕事みたいになっています。(それではいけません。男も参加しましょう)
冒頭付近にあった。手を握ることによる女児の意思表示が良かった。
以前読んだ本で、『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』を思い出しました。外見は障害者でも頭脳は明晰(めいせき。はっきりしている)なのです。きちんと意思があるのです。読んだ時の感想の一部です。
『常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。』
障害者でも意思疎通は可能なのです。ちゃんと心があって、脳みその中は活動しているのです。表にうまく出せないだけなのです。
『気持ち』を重視する映画です。
葉書に気持ちをこめるのです。
『気持ち以外で人を助けることができますか?』という問いに対して、『それ以外で(気持ち以外で)、助かる人がおるんですか?』と返答がありました。
人間が窮地に追い込まれたときの最後は、ガッツ(強い意思)で克服するのです。
葉書は、日記ですな。返事不要の日記です。されど、毎日書いて送るとなればネタ切れ発生です。息子さんにも手伝ってもらいます。日記はやがて、創作物語に変化していきます。
書き続けることが、文章上達と創作じょうずになるコツです。
もし自分だったら、書けるときに何枚も書いて、ストック(保存)しておくだろうと思いました。
生きていくのはつらいなあ。
つらいこともあるけれど、同じくらいうれしいこともあるなあ。
そういう映画です。胸を打つ感動があります。
合唱『花の街』を聴いていると、淡々ときちんと生活していく。一日一日の積み重ねで、夢を達成する。歌にあわせて、一日1枚ずつ娘から母親に届く葉書が増えていきます。『やさしい気持ち』があります。
施設へ入れる(いれる)話がでます。障害があるこどもさんについてと、老いた認知症の母親についての両方です。
理想としては、なるべく在宅で介護なりをやったほうがいいと思います。
施設は楽園でも心地よい天国でもないと思います。本人もまわりもたいへんそうです。
ただ、親族だけの介護には無理があります。社会的介護(ヘルパー派遣など)に寄りかかったほうがいい。実の親子だけだと、DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)が起きそうです。
実話の映画化だそうです。
ご苦労があったとお察しします。
自分はだいじょうぶと思っている人が、あんがい認知症になったりもします。
明日はわが身です。
母親は本を出版するためにがんばって原稿を書きます。今はパソコンの時代なので、映像で見る手書きの原稿書きはちょっと時代錯誤かなと思いましたが、阪神淡路大震災のころは、まだ、ワープロの時代だったから、手書きでもだいじょうぶでしょう。大きな自然災害でしたが、もうずいぶん昔のことになりました。1995年(平成7年)1月17日阪神淡路大震災発災(はっさい)でした。
映像を観ていて、昔読んだ、『1リットルの涙』を思い出しました。『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』
たしか、『体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。』と書いてありました。自殺して命を失うなら、その命をわたしにくださいとも書いてあったような記憶です。自殺しちゃだめです。自殺しなくても人間は、いつかは必ず死にます。
本を二回読んで、以下は、二回目に読んだときの感想です。
『作者は泣き虫でした。後半が近づくにつれ、読者も涙なしでは読めなくなります。二度目の読書にあたって整理しました。家族構成は次のとおりで始まります。7人の大家族です。両親、作者14歳、妹12歳、弟11歳、弟10歳、妹2歳です。母親は保健所勤務の保健師です。作者の病名は、「脊髄小脳変性症」です。17歳で身長149cm、体重36kg、徐々に歩けなくなる。ものをつかめなくなる。声が出なくなる。寝たきりになる。しかし、頭脳ははっきりしています。学力があっても体の動きはついていけない。25歳10か月で亡くなっています。』
こちらの映画では、仮面うつとか、発作(ほっさ)による呼吸困難とか、自殺企図(じさつきと)とか、考え出すといろいろむずかしい。はりつめたものがある映画でした。
小学生男児たちによる主人公ママの創作作品批評の時間帯が良かった。批評とはいえ、母親にとっても、くつろげる時間帯でした。
何も考えないという健康法もあるような気がしました。気持ち60%を入れ込むけれど、あとの40%であきらめる。なんとかなるとあきらめる。リラックス、リラックス。くつろぐ。