2024年03月28日

株式取引 オンライントレードをする。

株式取引 オンライントレードをする。

 今年のはじめに、証券会社の担当者から、オンライントレードの申込書を書いてくれないかと依頼がありました。
 自分は、毎回電話をかけて、人間同士で会話をして、売買を申し込みたいと話しましたが、どうも書類提出のノルマ(割り当て)があるようで、書類を出したあとでも、電話取引はできるからとお願いされて、それならいいかと判断してオンライントレードの申し込みをしました。

 手続きをして、設定をして、オンライントレードができるようになりましたが、あいかわらず電話をかけて取引をお願いしていました。
 3月下旬になって、一度ぐらいオンライントレードというものが、どんなものかやってみるかと思い立ち、とある銘柄について指値(さしね)と期限を設定してやってみました。快適でした。
 画面で、売り買いの『板』というものが見えるようになりました。
 現時点で、売りたい人、買いたい人の申込み状況がわかります。売買したい株価の金額と株数が見えます。

 これまで、電話をかけて、受付担当の人たちと親しいやりとりをしていましたが、人とのふれあいがなくなってさみしくなるけれど、オンラインでやってもいいかなと思い立ちました。
 顔見知りではなく、声見知りの電話番担当の人たちとの交流が絶えるのは寂しいですが、こちらが相手のことを思うほど、相手はこちらのことを思ってくれてはいないということはあります。
 まあ、相手にとっては仕事です。いったん割り切って、オンライントレードを中心にやってみることにしました。
 オンライントレードのメリットは、手数料が今までの半分ぐらいですむことと、売買の結果が、証券会社からの電話ではなく、メールとアプリでわかることです。効率がいい。

 注意したいのは、数値等の入力間違いです。じっさいに、誤発注ということはあるようです。あとは、電話だと話しているさいちゅうに思いとどまることができても、システムだと、勢いで(いきおい)で、『確定ボタン』をクリックしてしまいそうです。よーく考えて、ていねいにやらないとチョンボをやってしまいそうです。

 日銀の金融緩和がありましたが、銀行の株価の上昇はぼちぼちで、期待したほどの急上昇ではありませんでした。
 銀行の利子がほぼない状態になって久しいです。
 3年ぐらい前から、銀行の人に勧められて株式投資を始めました。
 定期預金を解約して、証券会社の特定口座とかNISA口座を開設して、お金を銀行口座から証券会社の口座に移動させました。(余談ですが、NISA口座に銀行株の銘柄を置いておけば(銀行株以外でもいいのですが)、昔のマル優制度みたいに非課税の恩典が受けられると気づきました。年2回の配当金とか売却した時の利益が非課税になると証券会社の人に聞きました。課税だと20%ぐらい税金を引かれます)
 配当金と株主優待がもらえればいいやという気持ちで、最初の一年間は、口座に入れたままでした。配当金と株主優待はしっかりもらいました。
 ところが、一年間が経過してみると、株価は上がったり下がったりするわけで、上がったときに売っていたらけっこういい儲け(もうけ)になっていたことがわかりました。
 単純な話です。同じ銘柄でいいので、株価が下がった時に買って、上がったときに売ればいいのです。たいていの大企業の株価は、一定の範囲で、上がったり下がったりしていました。
 二年目は、複数の銘柄に手をつけて、かなりの回数売買をしました。儲かった時もあったし、損切(そんきり。損することがわかっていてそれ以上の損失を防ぐために損した状態で売却する)することも何度かありました。結果的には、期待したほどの儲けはありませんでしたが、マイナスにはなりませんでした。なかなかむずかしい。株式投資は、長期保有が有利だということがわかりました。
 三年目はじっくり構えてやっています。売買は月に1回ぐらいしかやりませんが、株価の動きは毎日のように把握しています。

 わたしが株式投資を始めた3年ぐらい前のころは、日経平均の株価は、26000円から28000円ぐらいだった記憶です。それが、3年ぐらいたつ今年は4万円を超えました。びっくりです。
 株式投資を始めたころ、どの銘柄を買っていいのかわからず、最初は、自分が身近に利用しているお店などの会社から始めました。
 次に、株式投資に関する電子書籍を読んで、これはいいんじゃないかという銘柄を拾って買ってみたりもしましたが、本だと情報が古いことがデメリットでした。
 その後は、ネットに掲載されている情報を参考にしましたが、当たり外れ(はずれ)があります。専門家が言うことでも、半分当たって、半分はずれます。
 結局だれにも未来の株価の動きは、完璧にはわからないということがわかりました。
 自分が信用できるのは、もう確定している目の前にある金額と過去のことです。わたしは、この三年間の自分の体験で物事を判断するようにしました。あのとき、こうだったから、今回はこうしようです。
 今は、自分がどうころんでも納得できる指値(さしね。自分が希望する売買価格)と期限を設定して取引をするようにしています。自分の希望がかなわなければあきらめます。
 新規で銘柄選びをするときには、保有銘柄をブログの中で公開されているほかの方のブログを参考にしています。されど、自分のもっている銘柄を表に出す人は少ないのが現状です。
 これまでに有益な情報提供をしていただいたお礼も兼ねて、ほかの方にも広く情報提供したいと思い、わたしが売買取引をしたことがあるいくつかの銘柄の株価の変化をここに落としてみます。ここ三年間ぐらいの動きです。すでに手離した銘柄もあります。また、同じ銘柄を買ったり売ったりしているものもあります。証券コードと社名、わたしが取得した時の株価と最近の株価を並べてみました。
 3050 DCMホールディングス 1087円 1503円
 7545 西松屋チェーン 1428.8円 2503円
 8282 ケーズホールディングス 1223.8円 1338.5円
 8306 三菱UFJフィナンシャルG 581.8円 1595.5円
 5020 ENEOSホールディングス 440.4円 736.1円
 8002 丸紅 915.3円 2678.5円
 7860 エイベックス 1265.7円 1314円
 7282 豊田合成 2048.7円 3418円
 5333 日本ガイシ 1757円 2053円
 1605 INPEX 1461円 2278円
 1911 住友林業 2309円 4561円
 5713 住友金属鉱山 4264円 4513円
 5105 TOYO TIRE 1574円 2834.5円
 5334 日本特殊陶業 2601円 5169円
 5401 日本製鉄 3231円 3774円
 6141 DMG森精機 2128円 4168円
 8593 三菱HCキャピタル 737円 1086円
 7751 キャノン 3187円 4516円
 5201 AGC(ガラスメーカーです) 5180円 5569円
 7974 任天堂 6041円 8356円
 8766 東京海上ホールディングス 3005円 4742円
 8058 三菱商事 5817円(その後、1株を3株に分割) 3562円
 8725 MS&ADインシュランスグループHD 5202円 7902円
 1802 大林組 1335.8円 1919円
 8130 サンゲツ 2849円 3435円
 1812 鹿島 2301円 3156円
 7202 いすゞ自動車 1857円 2105.5円  

Posted by 熊太郎 at 07:34Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2024年03月27日

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香

母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香 中央公論新社

 短編が、第一話から第六話まであります。

『第一話 上京物語』
 読み終えて、自分が若かったころを思い出しました。
 詳細は異なりますが、自分は18歳になって実家を出てひとり暮らしを始めました。雰囲気は小説に書いてあるこんな内容の感じでした。半世紀ぐらい前は、学校を出ると、住み込みで職人技を覚える仕事をしたり、会社の独身寮に入ったり、学生なら学生寮や下宿(げしゅく)に入る人が多かった。今ほど、住宅事情が充実していませんでした。
 中学や高校を出るなり、大学を出るなりしたら、一時期でもいいからひとり暮らしを体験しておいたほうが、その後に人生に役立ちます。
 衣食住の基本的なやりかたとか、社会での契約のしかた、人づきあいのしかたなどを学ぶのです。
 たまに、生まれてからずーっと家にいて、おとなになってからも親と同居を続けていますという人をみると、う~むとうなってしまいます。
 結婚して他人である配偶者との生活が始まると、夫婦として、いろいろうまくいかないことがありそうです。親にめんどうをみてもらう中学生ぐらいの衣食住に関する暮らし方の意識と知識のまま夫婦生活がスタートすると、いずれゆきづまりそうです。夫婦ゲンカが絶えない混乱の夫婦生活になるでしょう。
 またいらぬことを書いてしまいますが、こどもにやらせるべきことをこどもにやらせないで、親や学校の先生がこどもより先にこどものことをやってしまっているせいなのか、学校を卒業して社会に出てくる新人をみて、とほうにくれたことがあります。どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかということです。いつでもどこでもだれかが自分の世話をタダでしてくれると思いこんでいる。自分はいつでもどこでもお客さまという扱いをしてもらえるものだと思いこんでいる。自分の思いどおりにならないことがあると、相手のほうに責任があるとして相手を責める(せめる)。そんな新人を相手にすると、もうあなたの顔は二度と見たくないから、もうここには来ないでくれという気持ちになります。自立心とか、自活するんだという心意気が感じられないのです。

 さて、こちらのお話です。
 吉川美羽(よしかわ・みう):岩手県盛岡市に実家がある。反対する母親を押し切って、東京の短大英文科に進学した。将来ライター、カメラマンなどになりたい。親からの援助と自分の資金30万円ぐらいをもって、杉並区高円寺(こうえんじ)にあるアパートを借りた。人生の節目をへて、新たなスタートです。(最初は孤独感を味わうことになります。人にだまされないように注意してね。まあ、だまされて痛い目にあうことも人生経験ですが。それからアルコールは飲みすぎないほうがいいよ)

 吉川小百合(よしかわ・さゆり):吉川美羽の母親。娘に対して過干渉です。『地元岩手第一主義の人』。ご本人も若い頃は東京にあこがれたけれど、東京で暮らしたことはない。東京に遊びには何度も行ったらしい。

 吉川美羽の兄:東京の広告会社で働いている。妹の美羽がアパートを借りるまで、妹を同居させた。

 吉川美羽の父:農家の三男坊。地元の国立大学を出て、盛岡市の信用金庫に就職した。役員候補。吉川美羽の妻小百合は美羽にパパのような男と結婚してほしいと願っている。娘の結婚相手は、『堅い職場』で働いている男性希望です。

 町田:相場不動産の社員。吉川美羽にアパートを紹介した。美羽の母親ぐらいの年齢の女性。

 相場:相場不動産の社長。杖をついた老人(男性)

 小坂:コサカアパートの家主。コサカアパートの部屋は、四戸ある。

 金髪店長:リサイクルショップの店長

 美枝子:吉川美羽の母小百合の友人(じっさいはライバル)。東京のタワーマンションに住んでいる。お金があるらしい。ブランド品も集めている。美人。48歳。長男修介、次男修一、いずれも慶応大学関連の学校に通学している。美枝子さんは、自己顕示欲のかたまりです。タワーマンションの高い位置にある部屋から人や街を見下ろして、自己満足をされています。

 佳乃:美羽の短大の女子学生。岩手県花巻市出身。

 高円寺(こうえんじ)のあたりは、鉄道で何度か通過したことがあるので親しみが湧きます。
 文化・芸能に興味がある人たちが住んでいるというイメージがあります。

 南部せんべい:青森県八戸(はちのへ)地域発祥のおせんべい

 おかあさんは、かなり、娘の人生について干渉しすぎです。
 親が心配するほど、娘は男性にもてないということはあります。
 話の内容は、おもしろい。

 大学というところは、レジャーセンター(遊びにいくところ)なのか。

 『……東京というものがなんだか、怖く感じられたのだ。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸いこんで……』

 読んでいて、自分が18歳だったころを思い出します。
 老後を迎えて、よくやってこれた。いつだって、一生懸命だった。これでいい。あれで良かった。これで良かった。歳をとった今、そう思います。

 人生の体験について考えました。
 最近は、冠婚葬祭を軽くすませることが多くなりました。
 結婚式を挙げないカップルも多い。
 思うに、結婚式のやりかたを体験していないと、自分のこどもが結婚式を挙げるときに、結婚式の挙げ方(あげかた)を、親がわからないということがあります。ほかの儀式についても同様です。人生の節目にある儀式を軽くみる傾向を、人のありかたとして、それでいいのだろうかと心配しています。お葬式も同様です。(この本の最後のお話にそういうことが出てきます。ふつう、親が死んだときには、葬祭場の部屋で、棺桶に入った親といっしょに一夜を過ごします。お通夜です(おつや)。この話の娘さんは、ホテルを借りてホテルで過ごしました。びっくりです)

 この本は、親の『子離れ』の話だろうか。

『第二話 ママはキャリアウーマン』
 かなりいい内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。第一話との関連はありません。
 以前読んだ別の本のタイトルを思い出しました。『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』。娘にとって、あなたはこうしなさいと強制してくる母親は悩みの種なのです。
 
 新井莉奈(あらい・りな):新婚さん。主婦。夫の北海道への転勤で、札幌市から車で1時間ぐらいのところに住み始めた。こどもはいない。

 新井大樹:新井莉奈の夫。大手損害保険会社勤務。20代。大卒。係長。北海道の支社へ転勤。将来出世するための転勤と受け取れます。会社の借り上げ住宅(社宅代わり)に住んでいる。
 新井大樹は、職場のことでいろいろとストレスがたまっている。妻の就労については、働いてもいいし、働かなくてもいい、本人次第と思っている。

 松永敬子:新井莉奈の母親。離婚後、母子家庭で娘を育て上げた。夫と離婚してから必死に働いて、起業して今はお金持ち。東京住まい。

 渡辺:新井大樹の会社の社員。新井大樹にとっては、年上の部下。新井大樹はやりにくい。

 母親には自負があります。(じふ:自信、誇り)。自分は、女手一人(おんなでひとり)で、働いて、娘を一人前に育てた。母親は娘に、女性の自立として、結婚後の就労を強要します。
 娘には、負い目(おいめ)があります。一生懸命働いて自分を育ててくれたことには母に感謝している。されど、自分がこどものころ、母親は仕事に追われて、日常生活は、殺伐とした(さつばつとした)雰囲気だった。こどもの自分は、母親にほったらかしにされて、かぎっ子でさびしい思いをした。暗い家庭だった。自分は、そんな家庭にはしたくないので、結婚しても働きたくない。主婦一本でやっていきたい。夫や、いつかできるであろうこどものために働きたくない。

 読んでいて思い出したことがあります。主婦の人には怒られるかもしれません。
 『主婦』という人は、組織で働く人間の苦悩を知らないと思ったことがあります。
 勤め人には、自分が自由に使える時間があまりありません。主婦にはあります。主婦の仕事もあるでしょうが、自分で自分の時間をコントロールできる権利があります。勤め人と違って、時間を使う自由度が格段に違います。

 読んでいて、母親の娘に対する束縛(そくばく。行動の自由を奪う。強制)が厳しい。

 渋面(じゅうめん):不愉快そうな顔つき。

 『本当に好きな人と結婚できるチャンスは、人生に何度もないよ』(一般的に、そのとおりです)
 『家庭をおろそかにしてまで、働く必要なんてない。』(ケースバイケースです。食べていけなければ、こどもを犠牲にしてまで働かなければならないこともあります)
 
 北海道の郷土料理が、みんなを救います。北海道の赤飯(せきはん。甘納豆が入っている)、それから、いももち。
 食事はだいじです。食事内容が、会話のネタになります。無難な話題です。(ぶなん:あたりさわりがない。問題にならない。無事(ぶじ))

 『損か得か』にこだわると、『文化』からは距離が遠くなります。人生のおもしろさからは、離れていきます。

 実(じつ)の娘なら、母親に対して、母親の自分に対する強制的な態度が、イヤならイヤとちゃんと言えばいい。
 不満があったら、言わなきゃわかりあえません。
 沈黙は、了解と受け取られてしまいます。
 イヤなことがあっても、やらねばならないこと、やるべきことをやるのが大人(おとな)です。やりたいことだけをやって、やりたくないことをやらないのはこどもです。
 
 こどもに対して、こどもの人生を決めようとする強制的な親に読んでほしい一編(いっぺん)です。
 ラジオでお昼に流れている番組、『テレホン人生相談』みたいな内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。

 この話の場合、母親は、いくらお金があっても、哀れ(あわれ)な人です。
 
『第三話 疑似家族』
 読み終えての感想です。
 昔よく言われていた、『結婚と恋愛は違う』という内容の話です。結婚は、似た者同士で結婚したほうがいい。
 お話の中では、理想に近づく形で終わっていますが、自分は、つくり話だと感じました。お金持ちの家の青年が性格もいい人として書いてありますが、そういうことはないと思います。お金の苦労をしたことがない人に、お金がない苦労がどんなにつらいものかはわかりません。お金持ちである彼と彼の親族は、きっと貧しい女性とその親族を見くだします。人には、人を差別したがる性質があります。

 石井愛華(いしい・あいか):28歳。人材派遣会社勤務。群馬県出身。両親は愛華が小学生の頃に離婚して、父親は家を出て行ったまま行方知れずとなっている。こどものころは、親から虐待を受けていた。
 愛華は、お金の無心(むしん。貸してくれとねだる。返してはくれない)をしてくる母親から逃げて都内で身を隠しながらひとり暮らしをしている。お金がないので、一生懸命働いている。親が今どこでどうしているのか知らない。
 石井愛華は、野々村幸多と同棲している。彼に同棲を頼まれた。石井愛華は、ほんのでき心から同棲することになった野々村幸多にウソをついている。自分は、幸せな家庭に育った娘だとウソをついている。
 石井愛華の信条(心構え)は、『自分を守れるのは自分しかいない』(そのとおりです)
 石井愛華には、輝かしい経歴も家柄もない。大学通学のための奨学金はキャバ嬢をやって全額返済した。

 野々村幸多(ののむら・こうた):商事会社勤務。お金持ちのお坊ちゃん。父親は、東証一部上場企業の役員、母親は主婦をしながら点字のボランティア活動をしている。東京都豊島区高級住宅地である目白(めじろ)に実家がある。有名な私立学校に通っていた。家族仲は良い。野々村は、恵比寿でひとり暮らしをしていたが、石井愛華を気に入って、彼女を家に招き入れて同棲している。野々村は、石井愛華と結婚したい意思がある。男三人兄弟。野々村幸多の親戚は、医者や学者、弁護士などです。野々村は、石井愛華のほんとうの素性を知らない。(すじょう。生まれ育ち)
 
 楓(かえで):石井愛華の親友である女性。東北出身。

 都築めぐみ:群馬県居住。農家で、農作物のネット販売をしている。夫は役所勤めで農作業を兼業している。娘は29歳で、東京都墨田区にある金融会社勤務、息子は高校生。夫の母親と同居している。

 小料理屋喜楽(きらく)の60代のおかみ。おかみの仲介で、若いふたりが知り合った。

 母親からという設定で(実はウソ)、石井愛華にお米とサツマイモが送られてきます。(都築めぐみからのネット販売です)
 石井愛華の同棲相手である野々村の笑顔があります。石井愛華の母親と家庭について誤解しています。石井愛華のウソにだまされています。

 ラタトュイユ:フランスニースの郷土料理。夏野菜の煮込み料理。
 ご笑納(しょうのう):っまらないものですが、笑ってお受け取りください。(贈り物を渡すときの言葉)
 
 読んでいる途中で意味がわからなくなります。石井愛華がウソをついているからです。タイトル、『疑似家族』に通じるものがあります。

 積極的に愛華に結婚を迫る野々村幸多ですが、石井愛華は、自分の本当の家柄のことを野々村幸多に言えません。
 身分が違うと、結婚話がしづらいということはあります。いくら財産がある相手でも、自分の親も含めた親戚づきあいがつらい。人生は気楽が一番です。結婚は、同じような人間同士がいっしょになるのが最適です。似た者同士です。

 石井愛華にとって、小包を送ってくれる優しい親はいない。

 122ページ、読んでいてせつなくなる。(胸が痛む)
 
 石井愛華に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人が現れます。良かった。

 人生において、結婚できるチャンスは、そう何回もあるとは思えません。
 この物語のふたりの結婚はむずかしい。結婚できたとしても、結婚生活を継続していくためには、このパターンの場合、男が、女をしっかり守るという強い意識をもっていなければなりません。もし苦難を克服できたらすごいことです。

『第四話 お母さんの小包、お作りします』
 初めて短編同士がつながりました。
 第三話で登場した群馬県の農家都築めぐみさん宅の状況です。
 どこの家でもうまくいかないことがいろいろあります。
 東京に出た娘さんが妻子ある男性と不倫をして捨てられて、お金まで吸い取られて仕事を辞めて、10年ぶりに群馬の実家へ本格的に帰ってきました。(数年に1回の帰省はあった)

 都築めぐみ:都築宅の母親。『ありんこ農場』を名乗って、お母さんの小包をつくって(中身は米ほか農作物)、ネットやラインで受け付けて配送している。

 めぐみの夫:地元の役所勤務で、仕事の合間に農作業をしている。

 都築さとみ:長女。東京へ行くと、親の反対を振り切って大学進学で上京して、東京で就職したのに仕事を辞めて帰郷した。28歳ぐらいか。

 都築隆:長男。高校生

 祖母:認知症が始まっている。アルツハイマー型認知症。症状は軽い。

 亜美:都築さとみの小学校の時の友だち。思春期は、不良グループに所属していた。父親がいない。母親は美容師。自宅の近くのアパートを3万円で借りて暮らしている。ユニクロは高くて買えない。古着屋を利用している。コメダ珈琲(コーヒー)も高くて入れない。マックの100円コーヒーを飲んでいる。

 友ちゃん:同じく、さとみの幼馴(おさな)なじみ。

 お宝市場:リサイクルショップ

 駒田:都築さとみをだましたテレビディレクター。チビで、デブでハゲだそうです。妻子あり。詐欺師のような男。めぐみの貯金を吸い上げた。貢がせた(みつがせた)。めぐみを自分の借金の保証人にした。

 『24歳から5年間妻子ある男と付き合ってしまった』(ばかだなあ。そんな男に、『誠実』という言葉はありません)

 読みながら考えたことです。
 人間はなんのために生きているのか。
 人間は、遊ぶために生きている。
 遊ぶために働いている。
 人生を楽しむために働こう。

 水沢うどん:群馬県渋沢市伊香保町の名物料理
 一筆箋(いっぴつせん):小型の便箋(びんせん)。短文を書く。
 ロム専(ろむせん):読むだけで書き込みをしない人。Read Only Member
 
 読んでいると、さみしくなってくるような内容でした。
 テレビ局の番組とか、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の弊害(へいがい。有害なこと)が書いてあります。
 
 う~む。つくってある話です。現実ではありません。

『第五話 北の国から』
 北海道に、もしかしたら亡くなった父親の母親(主人公にとっての祖母)がいるのではないかという話です。
 亡くなった父親の両親は、離婚している。父親は祖父が引き取って育てた。祖母の所在は不明という設定です。
 亡くなった父親(脳出血で急逝(きゅうせい。突然亡くなった))に毎年1回昆布が送られてきていたという経過があります。相手の名前は、槇恵子さんです。(まき・けいこ)

 両親を失って、天涯孤独の身になった24歳の内藤拓也(広島県出身。東京の会社の独身寮住まい。18歳で上京、専門学校卒業後東京で就職)が、恋人の奈瑞菜(なずな。世田谷区下北沢居住。実家は千葉の稲毛(いなげ))と北海道羅臼(らうす)にいる槇恵子を訪ねます。

 名古屋とか、千葉市稲毛区とか、昨年夏に訪れた下北沢とか、自分にとって土地勘のある場所が物語に出てきたので、親しみを感じました。

 親戚はいても親戚づきあいをしてこなかったので、少し遠縁の親戚とは交流がない内藤拓也です。
 係累(けいるい):親族のつながり。とくに、夫婦・親子兄弟姉妹

 小包を送る話ですが、相手のことを思って、力いっぱい、たくさんの物を箱に入れて送るということはあります。自分たち夫婦にも、こどもたちや孫たちにそうやって大量の物を送った体験があります。歳月が流れて、そのときのことを思い出すと、たぶん迷惑だっただろうなあと今になって気づきます。でも、あれはあれで良かったと思います。人間とはそういうものなのです。気持ちがだいじです。

 昆布の送り主は、内藤拓也くんの祖母ではありませんでした。
 こういうことってあるのだろうなあ。年に1回だけのお世話になった方へのあいさつの物を送る交流です。(年賀状ということもあります)。お互いに会うことはないけれど、切りたくない人間関係ってあります。こちらの話の場合は、若い頃にかなわなかった恋の継続維持です。好き同士でも、結婚できず、それぞれが所帯をもつということはあります。

『第六話 最後の小包』
 主人公は24歳の若い女性なのですが、読んでいて、その女性がキライになりました。
 彼女の脳みその中は、反抗期にある中学二年生女子の思考です。まわりにいる人間たちがみんな敵という感じ方と考え方です。(まわりにいる人たちは、その女性にかなり気を使っています。その女性を攻撃などしていません)
 主人公女性の気持ちはわかりますが、自分の言いたい事だけ言って、自分がやるべきことを人にやらせています。(実母の葬儀一式)。そして、イヤならイヤとまわりの人に話をすべきなのに、説明もしません。勝手に腹を立てて、無言で、その場を去っています。とんでもない人です。
 イヤでもやるべきことはやるのが、おとなです。やらないのは、こどもです。
 主人公の女性は、中学二年生の頭脳のまま、見た目だけ24歳のおとなに成長した人です。

 後藤弓香(ごとうゆみか):24歳。食品会社大阪支店勤務。本店は東京都内にある。中一のときに父母別居。父親が家を出て行った。その後、父母離婚。父の不倫が離婚の原因。父は、部下に手をつけた。母はその後再婚して、二度目の夫(元高校教師。定年退職して70歳ぐらい)と千葉県の房総半島で暮らしていた。その母が肺炎で急死した。継父の親族は後藤弓香をきらっていないのに、後藤弓香は、継父の親族たちをきらい、終始失礼で無礼(ぶれい)な態度を継父の親族たちにとった。東京杉並区内に、昔の家族三人で暮らしていたころの母親名義の分譲マンションがあるが今は空き家になっている。

 平原正夫:後藤弓香の母親の再婚相手。70歳ぐらい。元高校教師。前妻も教師だったがすでに病死している。こどもはふたり。長男と長女がいて、長男夫婦に孫がひとりいる。
 
 後藤弓香は、気持ちがカッカきて自分ひとりで興奮状態になるけれど、あきらめたほうがいい。人生は流されたほうが楽なときもあります。
 がんこを貫いても(つらぬいても)、ひとりぼっちになってしまうだけです。
 
 重松清作品『卒業』を思い出します。継父・継母がからんだこどものお話です。苦悩から、卒業するのです。名作です。

 意地を張って馬鹿(ばか)だから、後藤弓香は、母親の死に目に立ち会うことができませんでした。親不孝者です。

 人生経験がないから勝手です。後藤弓香は、葬式の段取りも知りません。結婚式の段取りも知らないでしょう。
 人生は、知識よりも体験が重要です。
 年齢に応じたやるべきことをやって体験を積んでおいた方が、のちのちの人生で楽ができます。

 喪主(もしゅ)なんて、だれがやってもいいと思いますが、妻が死んだら、ふつうは夫が喪主です。
 自分が喪主をやりたいなら、そのことを継父に言えばいい。
 だまっていて、怒りの対象になる相手がいないところで文句を言うのは卑怯者です。(ひきょうもの。勇気がない。臆病者(おくびょうもの)。いやしい。どうどうとしていない)
 
 池知智春(いけち・ともはる):後藤弓香の元カレ。高校生のときに父親を亡くしている。

 物語の中で、後藤弓香を見て、この人は、クズだと思いました。

 そんな後藤弓香に、母が亡くなってから、母が亡くなる直前に、娘にあてて送った小包が届きました。後藤弓香は、ばかたれです。改心しなさい。(かいしん。心を入れ替える)。心ある親はいつだって、こどものことを心配しているのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:19Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年03月26日

もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作

もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作 中央公論新社

 たべられるのは牛くんです。
 おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い)

 最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』
 この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。
 『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
 『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』
 小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
 『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。

 絵本では、牛の擬人化があります。
 牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。
 ありえない流れです。
 牛に感情をもたせます。
 牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。
 絵本です。
 母と子がいます。親子です。
 どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない)
 お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです)
 う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。
 ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。
 メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。
 牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。
 牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。
 
 自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。
 (感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか)
 母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。
 (ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』
 お話は終わりました。
 
 (本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。
 強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力)
 悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)  

Posted by 熊太郎 at 06:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年03月25日

怪物 邦画 2023年

怪物 邦画 2023年 1時間58分 動画配信サービス

 話題になった映画です。フランスカンヌ国際映画祭での受賞作品です。
 初めて観ました。

 小学校5年生の少年ふたりが出ているのですが、ラストシーンをどう見るか、ふたてに分かれる気がします。私は、少年たちは土砂崩れに埋まって亡くなったと判断しました。

 麦野沙織(むぎの・沙織):安藤サクラさんが熱演します。母子家庭の母親です。夫は事故死したそうです。

 麦野湊(むぎの・みなと):麦野沙織の長男。小学5年生には、見えませんでした。中学1年生か2年生ぐらいに見えました。

 星川依里(ほしかわ・より):麦野湊のクラスメート。こちらは小学5年生に見えました。才能を感じる演技でした。言動がうまい。父子家庭。母は友人と温泉に行って事故死したらしい。父親(中村獅童さん)から虐待を受けている。背中や腕に傷やあざがある。外見ではわからない。

 堀通利(ほり・みちとし):少年ふたりの担任教師。若い男性。すったもんだのトラブルに巻き込まれて、精神的に病みそうです。(やみそうです)

 小学校の女性校長:田中裕子さん。すごい演技です。昔、山田太一さんの『思い出づくり。』というドラマを見ていましたが、自分も含めて、同世代の人たちは、お互いに歳をとったなあと実感しました。昭和56年のドラマです。1981年。ほかに、古手川祐子さんとか、森昌子さん、柴田恭兵さんなどが出演されていました。女性陣は、当時は24歳ぐらいでした。こちらの映画では、田中裕子さんが、精神的に虚ろ(うつろ)ではあるけれど、形を整えようと冷静な鬼になります。

 火事のシーンが何度か出てきます。
 少年たちが放火犯かとにおわせる表現がありますが、事実は明らかにはされません。

 小学校でのいじめ、父親から息子に対する虐待、いいかげんな教師たち、モンスターペアレントというもの、まあ、暗い映画でした。

 安藤サクラさんが乗っている自家用車が、旧型のシエンタで黄色でした。昔レンタカーでよく借りました。運転席からの見晴らしがいい、運転しやすい車でした。6人以上でも乗れるコンパクトな車でした。
 安藤サクラさんのバックでの車庫入れが、おおざっぱで、映像を見ながら、車の後ろがぶつかりそうだと心配していたら、本当にぶつかったのでびっくりしました。

 時刻の表現が、順番ではありません。
 最初の地点がBで、そのうち過去のA地点へいったん戻って、A地点から、B地点に向かって時間が流れていきます。
 その経過のなかで、本当のことが明らかにされていきます。
 B地点のときの判断には誤りがあります。事実誤認です。
 悪い人だと思われていた人が、そうではなかったという潔白がやがて証明されます。
 この世は、誤解と錯覚で成り立っているのです。
(わたしが思うに、時間の流れは、時系列で良かったのではないか。(順番通りということです)。観ていてわかりにくい内容でした。時間軸の変化についていけない時間帯が状況設定を変更した時にありました。それでも、映画の味わいが落ちるということはありません)
(もうひとつは、若い男性教師の変わりようが、極端すぎる気がしました。同じ人間とは思えません)

 学校でいろいろトラブルがあります。
 怪物だとか、化け物(ばけもの)だとか、おまえの脳はブタの脳だとか、ぶっそうな言葉が飛びかいます。
 いろいろややこしい。真実が隠れて、うわべだけが問題にされるから、問題の根本的な解決に至りません。だれかを悪人にして、責任をとらせて、うやむやにする手法です。

 最初からしばらくは、状況がよくわからないという状態です。
 母親と息子のふたり芝居が続きます。
 教師たちは、無表情で、意思表示をしない人たちです。彼らの言葉は整ってはいますが、気持ちはこもっていません。演技です。
 みんなが怪物に見えます。おとなもこどもも怪物です。人間じゃない怪物です。

 頭のいい人たちは、追いつめられると知らん顔をします。『記憶にありません』と言います。
 そんなことは、現実にはなかったと、事実を消しゴムで消すように消し去ってしまいます。
 時間が過ぎれば、初めからそのことは、なかったことになります。
 
 外国人がこの映画を観たらどう思うのだろう。
 外国の小学校は、雰囲気が明るいような気がします。
 映像にある日本版の小学校の雰囲気はとても暗い。

 『生まれ変わったかな?』
 繰り返し、この言葉が出ます。
 ゆえに、ラストシーンは、ふたりの少年は、死んで、別の世界で生まれ変わったと、わたしは思うのです。

 ゆがんだ世界を表現してあります。
 事実がゆがんでいる世界をあぶり出します。
 『教師』がこどもにはめられた。(悪い策略によって落とし入れられた。だまされた。ワナにひっかけられた)

 マスコミが混乱に拍車をかける。事実ではないことを記事にして、大々的に宣伝する。
 正義の味方のような顔をしているマスコミは、実は、ひどい加害者である。かれらは世間で話題の主を素材にして、金もうけをしたいだけである。

 レンゲの花がきれいでした。春の花がいっぱい出てきます。
 少年たちにとっての楽園です。
 レトロな街並みがきれいでした。明るい雰囲気がありました。
 電車ごっこは、むじゃきで良かった。
 作文で、わざと鏡文字を使って、メッセージを送る。
 
 教室の後ろのほうに座っていた髪の毛が長い女の子の存在感が強かった。ひとこともセリフはありませんでしたが、何か話の鍵を握っているのではないかと考えました。(考えすぎだったようです)

 おばあちゃんの家に引っ越して、転校する。(父親に捨てられることを意味する)

 なんか、男同士のラブの表現もあります。
 思いきりましたなあ。
 もしかしたら、男も女も、だれでもそういう性質が心の奥にあるのかもしれない。

 たてまえだらけの社会です。
 内情はドロドロです。
 それでも生きていかなければなりません。
 人は、理不尽、不合理、不条理な社会を、気持ちに折り合いをつけて、やりくりして生きていかねばなりません。

 トロンボーンと、ホルンの演奏があります。
 だれにも言えないことは、(ラッパに口をつけて)『ふーって』(やるの)
 だれにも手に入らないものが、『幸せ』ともうひとつなにか言葉がありましたが、聞き逃してしまいました。ほかにも聞き取れないセリフがいくつもありました。加齢で耳が遠くなっているようです。

 観終えて、悲しい映画だと思いました。
 この文章を書き終えて、そんなこともないかと思いました。
 ふたりの少年は、幸せになったのです。

 音楽が、亡くなった坂本龍一さんであることを最後の文字メッセージで知りました。
 最近は、昔からなじみの音楽関係者の人たちが次々と亡くなっていきます。
 自分と同じ時代を過ごしてきた人たちの訃報はこれからも続くのでしょう。
 長い時が流れました。  

2024年03月22日

VIVANT(ヴィヴァン) TBS日曜劇場ドラマ

VIVANT(ヴィヴァン) TBS日曜劇場ドラマ Tver(ティーバー)と地上波の録画(お正月のとき)

 話題になったドラマですが、わたしには、なんだかわかりません。
 たまたまTverで別の番組を観ていて、このドラマの第五話までを3月9日土曜日まで放送していたので、いっきに観ようと挑戦してみました。
 最初は、タイトルの読みもわかりませんでした。ヴィバントかな? Tは読まないようです。
 前知識として、推理仕立ての展開が良かったという評判を耳にしたことがあります。わたしがいつも見ている東野&岡村の旅番組、『旅猿』で、インドを訪れた東野幸治さんが、飛行機の移動時間で、機内にて、全部を観たというコメントがありました。

 その後のニュースでは、日本ではうけたけれど、外国ではうけなかった。興行収入としては、赤字で終わった。次回作の製作予定はいまのところないというものでした。
 日本では砂漠は珍しいけれど、外国では砂漠の風景は珍しくない。ストーリー展開について、山や谷が浅かった。そんなことが書いてある記事を読みました。

第一話と第二話を続けて観ました。
 う~む。あまりおもしろくない。
 お金の話です。
 どこかで聞いたようなニュースの話題です。
 大金を誤送金したら、受け取った相手にお金を奪われてしまった。返してくれない。
 お金を返してくださいというようなことが物語の素材です。
 なんだか、せこい。
 生きるか死ぬかの話ではありません。
 深刻な人間ドラマがあるようには思えません。
 推理を楽しむ頭の体操ドラマだろうか。

 日本の大きな商事会社が、振り込みで、誤送金をしてしまった。
 そのお金は、外国にある。
 バルカ国際銀行に振り込んだ。
 少女(ジャミーン。難病をもっているようです)が出てきて、少女が話の鍵をもつなにかをにぎっているようです。
 国としては、モンゴルの西あたりにある国です。『バルカ共和国』という国で、首都は、『クーダン』です。
 拳銃で脅して(おどして)言うことをきかせる国です。
 <おカネ、おカネ、おカネが欲しいというドラマか>
 昔のヤクザ映画みたいなシーンもあります。
 おまえらを殺して、俺も死ぬ。ダイナマイトを体に巻いてまわりの人間を巻き添えにして自爆する。
 (う~む。おもしろいとは思えません)
 
 BGM(バックグラウンドミュージック)で、話を引っ張る手法法です。ずーっとBGMが流れます。音楽で観ている人間の感情を操作誘導する手法を、自分はキライです。自然な音が好ましい。

 スマホからときおり、人工知能のような女性の声が聞こえてきます。ゲームみたいです。
 きれいに並んだ車の渋滞は、車の展示ショーのようです。
 アクションは、豪快ではある。
 
 『VIVANT(ヴィヴァン)』の意味の解読が始まります。
 結局は、日本におけるテロ防止のための組織、その組織の隊員をさすことがわかります。
 
 人間を描く物語性が薄いのではないか。
 
 商社内部のだれかが、誤送金事故が起きるように画策して実行した。その犯人を他人(堺雅人さん)になすりつけた。そんな話です。
 容疑者は5人います。
 水上了(みずがみ・りょう)、宇佐美哲也、長野利彦、原智彦、太田梨歩

 ときおり、もうひとりの堺雅人さんが出てきて、堺雅人さん同士で会話をします。自問自答だろうか。マンガみたい。ほかのことも含めて、内容が軽いような。
 
 パレスチナガザ地区の地下道みたいな場所が映ります。
 自衛隊の組織のことであれやこれや、長い話がありました。
 『別班(べっぱん。ヴィヴァンのことらしい)』が、日本でのテロを防いでいる。
 
 砂漠をラクダに乗って移動しているところで終わりました。
 砂嵐も来ました。
 いつのまにか、ラクダからひとりがいなくなりました。背中に乗っていたのに、移動中に転落したか、自らどこかへ姿を消したか、わかりません。

第三話
 モンゴルあたりの砂漠の風景をバックにしたロケ映像が続きます。
 誤送金に関する決算まであと7日間だそうです。
 頭で考えるのか、気持ちで考えるのか。ラクダから転落してしまった柚月薫(ゆづき・かおる)女医を救わねばなりません。

 う~む。セリフが大人(おとな)のセリフではありません。
 ロールプレイングゲームの映像を見ているようです。テレビゲームです。
 ラクダに話しかけるのは変です。
 会話をはじめ、いろいろマンガ的です。
 もう見るのはやめようかという気持ちになります。時間がムダだと。退屈な流れです。
 このドラマは、どこが良くてあんなにいい評判だったのだろう。
 宣伝が誇大だったのではなかろうか。そんな気持ちになりました。
 そういえば、自分のまわりにいる人間たちとの日常会話の雑談で、このドラマのことが話題になることもありませんでした。
 
 誤送金された億単位の大金は宝石に代えられた。

 舞台は日本、東京都内に移って、サイバー犯罪担当で、濱田岳さんが出てきました。

 サーバー室への侵入があります。
 ここ最近、大きな組織は、サーバーを置くというやりかたではなく、クラウドというものを使っているのではないかという、自分の少ないIT知識で疑問に思いました。
 
 隠れ場所として、床下の利用か。そういえば、床はそういう構造でした。床下にコンピューター関係の線を中心に、はわせてありました。あの床を何と言ったっけ? う~む。思い出せない。なんとかフロアだ…… 二重床のことだ。思い出しました。『OAフロア』だ。仕事をリタイアしてもう何年もたつので忘れていました。オフィスオートメーション、フリーアクセスフロアーのことです。事務室において、配線を収納するための二重床です。

第四話
 なんだか薄っぺらい進行です。見ていても、気持ちをドラマに没頭させることができません。
 
 少女ジャミーンの扱いは今後どうなっていくのだろうか。まだ今はわき役です。

 誤送金の陰謀が徐々に明らかになっていきます。

 人の履歴にこだわります。学歴にこだわります。若い時の空白期間(2年ぐらい)にこだわります。(特殊な訓練を受けていた期間であろうという推理のもとに)

 警察公安(テロ対策部署)の人たちがいっぱい出てきます。

 いままで、長い時間観てきて、前評判ほどおもしろくないと失望していました。なんとなく義務感でここまで見てきました。
 この第四話、あと残り30分のところで、『時(とき)』が訪れました。
 そういうことか! いっきに、爽快な(そうかいな)気分が、胸いっぱいに広がりました。胸がすーっとしました。感動しました。
 すごいなあ。おもしろい!!
 (ここにはその理由は書けません)
 たいしたもんです。
 いいドラマです。

 恐ろしい(おそろしい)話が続きます。
 SNSは、犯罪の温床(おんしょう。原因になる場所。ソーシャル・ネットワーキングサービス)ですな。
 テロの標的は、日本です。

第五話
 意外だったこととして、ドラムという外国人役の男性は、外見が太くてごついので、そのようなキャラクター(腕力が強くて暴れ者という個性。プロレスラーみたいな)だと思っていたら違いました。反対でした。優しくて強くもない。そして、セリフがないのです。スマホの翻訳機能を使用して日本語を表現します。
 今回のTVer(ティーバー)による動画配信は、第五話までしかないので、感想はここで終わりです。
 自分としては、第四話までで終わりで良かった。
 そんな気分と感想です。

 では、第五話の感想を付け足します。
 始まった映像で、出演者に、『キムラ緑子さん』のお名前を見つけました。先月、ミュージカル『トッツイ―』で、舞台にあがっておられました。オーディションの審査をされていたようなシーンを覚えています。
 
 警視庁があって、自衛隊のテロ防止組織があって、テロリストの集団がある。
 日本がテロの標的になっている。
 そこに、『復讐』がからんでくる。
 そんな構図のドラマです。

 堺雅人さんはときに、先日観ていたNHKドラマ『正直不動産』の主役山下智久さんのようになります。強い風が吹くと、山下さんは正直者になるのです。堺さんは、頭が痛くなると、しっかりさん(人物。強気の人)が出てきます。

 いいなと思ったセリフです。『お前は自分の仕事をしただけだ。(あなたに恨み(うらみ)などない)』(現実社会での仕事というものは、会社や組織から与えられた役回りを演じて、自分の役割を果たすということです。自分個人の感情や考えは抑えます(おさえます)。ときには、自分が考えている意見と反対の言動を相手にしなければならないこともあります。たいへん苦しいです。だけど、給料というお金をもらうためには、そうするしかないのです)

 バルカ共和国の警察のボスの手のひらは、事務屋さんの手のひらです。きれいで、柔らかそうで小さい。とても警察職員の手には見えません。体を使う労働者の手は、ごつくて大きいのです。

 話の筋立てが、薄っぺらい。
 脅迫で相手を従わせることが、このドラマの柱です。もういいかなという気分になりました。
 最後のほうのどんでんがえしは予想できました。

第六話~最終話(第十話 地上波の録画)
 第五話までで、自分は終わりのつもりでいましたが、第六話以降最終話まで見ることができました。
 年始に地上波で放送されたものが、テレビに録画されていました。地震騒ぎとか、羽田空港航空機衝突炎上事故とかで、録画予約を入れてあったことを忘れていました。

 されど、第六話以降の感想も、第五話までの感想と同じです。このドラマは、第四話で終わっておけば良かった。

 登場人物の皆さんは、画面映像の中で盛り上がるのですが、IT(インターネットテクノロジー)にうといわたしには何のことかわかりません。内容が、ハッカーとか、自分にとっては仕組みがわからないことです。

 第八話で、黒澤監督映画を思い出しました。七人の侍です。第九話あたりでも同じくそう思いました。

 彼らが動く動機がわかりません。人間が生きていくための主題(テーマ)が弱い。
 明確で現実的なメッセージとか、意志が伝わってきません。

 地上波録画の画面に、能登半島地震のテロップが何度も表示されます。この再放送されたドラマは、今年、1月3日あたりの放送でした。
 
 半導体の原料となる、『フローライト』を手に入れるために土地を買収する。『フローライト』は、莫大(ばくだい)な利益を生む。

 モニター:テロ組織(テント)の指示で動く人間

 山陰地方の『たたら』の話が出ます。以前、東野&岡村の旅猿という番組で、ふたりが現地を訪れたことがありました。製鉄の手段で、熱い熱を出すための設備でした。足で踏んで、空気を送る。

 砂漠を走るのは、ラジコンのミニカーで、空を飛ぶのもラジコンのヘリコプターでした。(映像では、本物のつもりです)

 なんでも殺しちゃうのね。
 拷問を加えることもあります。
 なんてひどい番組なんだという気持ちになりました。
 お茶の間で楽しむ娯楽ではありません。
 (そして、ひんぱんに、能登半島地震の情報が、画面にテロップで現れます)

 ドラマでは、過去からの経過説明がとても長い。
 なんだか、軽々しい(かるがるしい)。
 暴力ばかりです。

 最終話は、手品の(てじなの)種明かしを見るようでした。
 
 お金というものは、だれかがひとり占めしょうとすると、かなりもめます。
 ドラマでは、お金を分配する話が出ます。
 ドラマでは、この世では、お金だけが大事な世の中として現実を訴えます。
 かけひきがあります。
 策略もあります。
 言葉数が多い。
 説明に聞こえます。
 心に響きません。

 根っこは、『復讐(ふくしゅう)』か。
 自分のキャリア(出世、昇進)のために、他人を捨てる人が上位の地位にのぼっていく。

 理屈が多い。
 前置きが多い。

(ショックだったこと)
 最初は、この話は、TVer(ティーバー)で第五話まで観て、このドラマを観るのは、第五話、そこで終わり(第六話以降のTVerでの放送はないため)と思っていました。

 三年前に相次いで亡くなった高齢の義父母宅から、ふたりが見ていた録画機能付きのテレビをうちへ運んできて、居間ではない部屋で時々見ているのですが、VIVANT(ヴィヴァン)の第五話以降を年始に録画予約していたことを失念していました。

 能登半島地震とか翌日の羽田空港航空機衝突炎上事故の騒ぎで、録画予約をしたことを忘れていました。先日、テレビの録画ボタンを押してようやく思い出しました。どこかの政治家みたいに、記憶がないんですよねみたいな状態です。自分でやっておいて、覚えがないのです。政治家たちもわたしも、認知症が始まっていてもおかしくない年齢です。

 今は3月下旬で、大きな地震が起きた元旦からもう三か月が経過しようとしています。月日が経つのは早いものです。時間は淡々と確実に過ぎていきます。
 これ以上認知症みたいにならないように、頭を使って心身ともに健康で長生きしたいものです。  

2024年03月21日

ぼくの死体をよろしくたのむ 川上弘美

ぼくの死体をよろしくたのむ 川上弘美 新潮文庫

 短い文章が18本並んでいます。短編集です。そのうちのひとつが、本のタイトルと同じです。
 この作家さんで、以前読んだ本があります。『神様 川上弘美 中公文庫』でした。この世にない世界という世界観、この世にない空間、人間(のようなもの)を書く人だという記憶が残っています。

『鍵』
 男の後ろ姿に惚れた(ほれた)。
 男は、筋肉質の体で、右の手のひらに、ダンベルを持って歩いていた。男の後ろ姿を見て恋をした。男は神社の境内に住むホームレスだった。
 語り手は32歳の未婚女性です。これまでに男性とつきあったことはあるけれど、『好き』という言葉を言われたことも言ったこともないそうです。(つまり、恋ではなかった。なんとなくなりゆき。男女の体の関係はあった)
 そんな話が続きます。
 読んでいて、不思議な感覚が自分に広がります。語っている女性の実体が感じられないのです。
 恋した相手であるホームレスの男の年齢は、65歳です。
 詩的な内容でした。

『大聖堂』
 大聖堂というのは、語り手の知人の部屋にある本のタイトルです。本棚の飾り目的だけの本です。異性が来た時に本をみせびらかして、自分に惚れ(ほれ)させるのです。その部屋の住人がどこかで拾ってきた(ひろってきた)本だそうです。
 これもまた、不思議な設定です。
 アパートがあります。家賃は格安ですが、条件として、大家が提供する動物のいずれかを飼って世話をしなければならないのです。動物を死なせると賃貸借契約は打ち切りです。(動物の自然死はOK。事故死は状況次第(しだい))
 語り手は、男子大学生です。
 アパートの家賃は、2万円で、二階建て、二階が大家宅で、一階に4部屋あります。

 作者の文章書きの特徴として、ひらがな表記があります。『案外→あんがい』とか、『関する→かんする』とか。
 
 語り手の男子大学生は、中学時代いじめにあっていた。

 男子大学生は、動物を選びましたが、この世に存在する動物ではないようです。四つ足で、背中に小さな羽がある。オコジョとかテンに似ている。
 動物の分類としての名称がない動物です。大学生は、その動物に『つばさ』と名付けて可愛がります。
 アパートには、住人がいます。
 1号室:カーヴァー(最初不明だった住人に大学生が付けた仮想の名前。カーヴァーは、アメリカの小説家でアル中)。この部屋の住人は、アルコールの瓶と缶のゴミを大量に出す。(あとで、二十代の若くてきれいな女性だということが判明します)
 2号室:ウェストミンスター(1号室に同じ。不明)。三十代ぐらいの男らしい。
 3号室:主人公の大学生
 4号室:河合。男性。フェレットを飼っている。

 読み終えました。なんだかわからない。表現したい言葉は、『虚無(きょむ。からっぽ)』だろうか。

『ずっと雨が降っていたような気がしたけれど』
 静香:語り手の若い女性。同じものをふたつ買う女性です。同じブラウスを二枚買いました。コーヒーカップとかも同じものをふたつ買うのです。そして、買ったあと、ひとつは、壊すのです。ブラウスは、布を切ってバラバラにしました。静香は、アパートでひとり暮らしをしている。
 慶太:静香の兄。親に対して、自分は死んだ兄の代わりではないと思っている。実家で暮らしている。
 草太(そうた):慶太の上の兄。2歳のときに死んだ。慶太は草太が死んでから10年後に生まれた。静香はその翌年に生まれた。
 
 繰り返しになりますが、同じものをふたつ買う若い女性です。同じブラウスを2枚買いました。『喪失(そうしつ。失う)』に備えるためにふたつ買うのです。だけど、自分で、もう片方を壊すなりして喪失するのです。語り手の女性は、変な人です。

 慶太は、草太の代わりに生まれたということで、両親が慶太を可愛がった。
 静香は、慶太の陰に隠れて、『二の次(にのつぎ)』扱いであった。
 こういった事情が、本編に反映されています。(同じものをふたつ手に入れて、ひとつを壊してなくす)

 読んでいて、静香は、よく言えば、『繊細(せんさい。傷つきやすい)』、悪く言えば、『めんどくさい人』です。

 静香に光月(みつき)というカレシができますが、もうひとり、光月と同じスペアがほしい。(でも、壊すんだ)

 短い文章にたくさんの情報を入れてくる作者さんです。

 不気味で怖い(こわい)ショートストーリーでした。
 『欲しいものは、なに?』に対して、『快楽』という返事があります。
 殺人の匂いが(においが)します。

『二人でお茶を』
 いとこ同士の女性のお話でした。ふたりはいっしょに暮しています。
 相手のいとこは、外国暮らしが長くて、帰国後も、国籍は日本人だけど、頭の中は外国人の考え方の人です。日本人のあれこれを不思議に思う人です。
 外国暮らしが長かったいとこのファッションは奇抜です。そして、いとこはお金持ちです。ケチりません。豪華な食事、部屋の暖房もしっかり入れます。
 相手のいとこの年齢は43歳、名前は、トーコさん。5歳から40歳まで外国暮らし。離婚歴1回ですが、話が始まってから結婚して、また離婚します。外国では×1(バツイチ)とか×2とか言わないらしい。(そのような表現は外国では、人権侵害にあたるそうです)。〇1とか〇2とかは言うらしい。(本当かどうかはわかりません)
 この物語を語るのは、トーコさんと同い年のミワさんですが、彼女も離婚歴1回で、今はひとり者です。
 なんだかんだと話は進んでいきます。おもしろい。
 
 珍味佳肴(ちんみかこう):めったに食べられないおいしいごちそう。

 ふたりの関係です。
 お互いにキライじゃないけれど、好きとは言いにくい。
 いっしょに暮していて、楽しいとは思う。

 天性のものを感じる作者の文章です。

『銀座 午後二時、歌舞伎座あたり』
 タイトルの場所は、以前散策をしたことがあります。歌舞伎座内の見学もしました。そんなことを思い出しながらの読書が始まります。

 不思議な話でした。宇宙人みたいな人間の姿をしたものが現れるのです。
 体長は15cmぐらい。髪は薄茶色、白いシャツにジーンズをはいているのです。
 人間の顔をしています。
 生きています。しゃべります。東京武蔵野(むさしの)の集落で暮らしていたそうです。天敵が猫だそうです。

 結婚相手がなかなか見つからない女性が出てきます。叔母の紹介でお見合いを重ねています。両親はすでに亡くなっています。女性は40歳で、地味な外見で、趣味は読書です。周囲からは、かわいそうという目で見られているそうです。
 その女性、歌舞伎座あたりで、背の高い男性とぶつかったときに、さきほどの小さな人間みたいなものに、ふたりが出会います。
 女性にとって背の高い男性は当たり(結婚相手にしたい)なのです。

 星新一氏のショートショートを読むようでもあります。

 偶然出会った男女は、宇宙人みたいな男の願いをききます。彼の恋人を猫から救い出すのです。

 寧子(やすこ):女性のお名前です。
 ななお:男の名前ですが、苗字か下の名前かは、わかりません。ななおは、寧子の質問に、もうあなたと会うことはないと首を振りました。『当たりだったのに』寧子の気持ちです。

 男と女の出会いの話でした。
 それでもまだ寧子は、男との再会をあきらめてはいません。

『なくしたものは』
 女ふたり、男ひとりの三角関係の話です。女たちは女子短大生です。
 『起きたらすぐに、おまじないを唱える』から始まります。
 語り手を変えながら進行していくショートストーリーです。
 作者は、狭い世界のことを深く書く人です。

 「なりちゃん(女子。成田)」の語り:自分となるちゃん(鳴海)は、女子短大の同級生。成田は、顔はかわいくないが、色気はあるそうです。

 「なるちゃん(女子。鳴海)」の語り:なりちゃん(成田)は、ともだちだけど、いっしょにいるといらいらする。でもいっしょにいたい。鳴海の顔はかわいい。色気はない。うるさいことは言わない。高校時代から、渚(なぎさ。男)と付き合いがある。

 「渚(男です。鳴海のカレシのようなものだが、渚は鳴海を恋人とは思っていない。成田とも会って付き合いがある)」:渚は、鳴海を気楽な遊び友だちだと思っている。渚は、両親と弟と4人家族で実家に住んでいる。愛犬の小太郎(実はメスだった。母親が性別を間違えて付けた名前)が3年前に死んだことをいまだに引きずっている。小太郎を思い出すと泣けてくる。ラブ:ラブラドールレトリバーという犬種だった。(だけど、犬のほうは、渚をきらっています)

 91ページ、奇想天外です。(きそうてんがい。思いもよらない。奇抜(きばつ))。今度は、死んだ犬の霊(小太郎)がしゃべります。世界一好きだったのが、飼われていた家のお母さんで、次が満(みつる。渚の弟)、その次がお父さんで、ビリが渚。お母さんと満が、自分の食事や散歩の世話をしてくれた。父は仕事だからしかたがない。渚は、わたしを避けていたと主張があります。

 自分が相手を思っているほど、相手は自分のことを思ってくれてはいないということはよくあります。逆に迷惑に思われていたりもします。

 こちらの短編は楽しい小品です。(しょうひん。ちょっとした作品)

 「満(みつる。渚の弟):家を出ることを考えている。父も兄もキライ。母もキライになった。母は兄が好きだ。兄の顔は父に似ているから、母は兄が好きだ。父も兄も顔がキレイだ。自分は背が低い。もっさりしている。見た目はかっこよくない。女にもてたことがない。いちばん好いてくれたのは(すいてくれたのは)、メス犬の小太郎だった。満は、考古学者のような仕事をする人になりたいそうです。

 「(たぶん思うに)邪馬台国の卑弥呼の霊魂」が語ります:小太郎の霊魂と語り合います。

 成田は渚をつまらない男だと評価しています。当たっています。まあ、いろいろあります。
 独特な雰囲気がある文章です。

『儀式』
 天罰を与える儀式を行う女性がいます。見た目はおばさんです。
 女性は、昼夜逆転の生活を送っています。
 夕方6時半ごろ起きて食べる食事が女性にとっては朝食です。
 新聞を読んで(夕刊、朝方に朝刊を読んでから寝る)、記事の切り抜きのようなことをして、天罰を与える人物を選び出すのです。
 天罰にはランクがあるらしく、レベル一(いち)とかレベル三とかの記述があります。
 天罰を与える仕事をしているのかと思いましたが不確かです。
 天罰は一日十件を限度にしているそうです。
 儀式は、長い衣を着て行います。
 
 生活費には困らない精神の病(やまい)がある人だろうか。

『バタフライ・エフェクト』
 蝶がでてきます。英語で、バタフライです。バタフライ・エフェクトは、『バタフライ効果』で、最初は小さなことが、やがておおごとになるということです。

 ふたりの手帳に、それぞれの手書きで、見ず知らずの相手の氏名が書き込まれているのを、ふたりが発見します。でも、ふたりとも自分で書いた記憶がありません。
 二階堂理沙(にかいどう・りさ):27歳未婚。自分の字で手帳の9月1日(未来の日付)に、『後藤光史(ごとう・こうじ)』の氏名が書いてあります。
 後藤光司:ひとり暮らしを始めて5年が経過している。恋人と暮らしたい。二階堂理沙と同様に、後藤光司の手帳の9月1日のページに、二階堂理沙の氏名が書いてあります。自分の筆跡なのに、書いた記憶がありません。

 そんな話です。
 ミステリーです。
 人と人の縁が素材です。
 あれこれあって、ふたりは、五年後に出会うそうです。
 そうか。不思議なストーリーでした。

『二百十日(にひゃくとうか。立春(りっしゅん。2月2日ころ)から数えて210日目。9月1日ころ。台風警戒日)』
 あたし:女性。40歳。離婚歴あり。ひとり暮らしをしている。こどもは好きじゃない。こどもは、嫌い。出産経験はない。職業は、『カウンセラー』
 萩原の叔母(おば):萩原は、新潟の地名
 萩原の叔父(おじ):病気で死にかけている。寝たきり状態にある。
 るか:こども。男の子。小学生ぐらいだが、学校は行っていないそうです。少し、魔法を使えるらしい。人型のぬいぐるみをひとつもっている。魔法で、時間の流れを変えることができる。変身もできる。ちょっとだけだけど。

 このパターン、『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』(ホラー作品)に似ていますが、その後の展開は違っていました。

 出窓のところに置いてあった人型の人形が落ちた。
 叔父が亡くなった。
 叔父は、死ぬ前に、大事な人に会いに来たらしい。

『お金は大切』
 お金で人を買うお話です。
 『僕』が女性に買われます。以前類似の本を読みました。『余命一年、男をかう 吉川トリコ 講談社』、がんの宣告を受けた未婚女性がホストと期間限定で契約するのです。四十歳独身女性である、あと一年ぐらいで、がんで死んでしまうらしき片倉唯(かたくら・ゆい)が、病院待合所で、偶然出会ったホストクラブのホスト(片倉唯よりだいぶ年下)瀬名吉高(せな・よしたか)ひとりに、気持ちを入れ込む内容になっています。お金はある。寿命はない。そんな設定でした。

 さて、こちらの短編の話です。
 買われた若い男のほうの話です。
 別れたカノジョの知人女性から、お金を払うから(12万円)、自分と一緒にいてくれと頼まれるのです。
 
 変わった女性です。午前0時にワルツを踊り出します。お金をもらう男もいっしょに踊ります。ふたりは、朝まで踊り続けます。男は、女性と一体化するような体感を味わいます。

 さらに、時が経過します。若かった男は四十歳にまでなりましたが未婚です。
 そして、12万円を返せという話になるのです。
 でも、男は言います。『払えません』
 呪い(のろい)の話でした。

『ルル秋桜(こすもす)』
 死体の話です。
 本物ではなく、人が寝ている写真を切り抜いて、緑色の缶の中に入れてあります。それぞれに名前が付けてあります。また、変な少女が主人公として出てきました。
 う~む。ホラー(恐怖話)か。

 ひとみ:主人公少女。死んだ祖父に似ている。祖父は少し変わった人だった。ひとみは、祖父の生まれ変わりみたいな雰囲気があります。
 みのり:ひとみの1歳年上の姉。見た目がきれい。顔が母親に似ている。かわいがられている。
 隼人:ハーフ、母子家庭の男の子
 杏子(あんこ):ひとみの親友。おとな。絵画教室の先生。ちょっと不気味な女性。
 
 ごうもん(拷問)の話が出ます。
 先日観た阿部サダヲさん主演映画、『死刑にいたる病(やまい)』を思い出しました。
 こちらの短編話は、なかなか独特です。

 標準ではない、少数派の意見があります。
 生まれつきそうなのです。(標準ではない)
 ひとみにとって、姉のみのりは、不快なライバルです。
 
 あとさき長い人生を考えて、『絶望』という悲しみに浸る(ひたる)少数派の気持ちを表現してありました。
 (変わり者と言われる人にとって)ちょっぴり喜びがあったりもします。共感してくれる人の登場です。

『憎い二人』
 旅行のお話です。しゃべるのは、女三人旅の女性です。くみちゃん(語り手)とマコちん、すずです。三人とも、もうすぐ三十歳になる。
 なんとなく、同じルートをたどるのが、男ふたりの旅人です。(同性愛者ではないかとの疑惑がありますが、純粋な友人同士です。30歳過ぎのメガネの男と40歳すぎの目つきがきつい男です)
 新幹線で、東京からとある温泉地へ向かいます。
 
 スカジャン:背中に大きなししゅうがあるスタジアムジャンパーのような上着。30歳過ぎメガネの男が来ている。描かれている絵が、ナスカの地上絵に似ている。
 モッズコート:米軍で使用されていた上着。40歳過ぎの男が来ている。

 『友だち、わたしも、ほしいな』
 読み終えて、う~む。なんだかわかりませんでした。

『ぼくの死体をよろしくたのむ』
 黒河内璃莉香(くろこうち・りりか):ミステリー作家。この短編の語り手女性の亡父親の知り合い。年に2回語り手の女性と会う。父の遺言にそうしてくれと書いてあった。語り手が中学生のときから続いている。
 黒河内璃莉香は、男を変えながら恋愛を続けた。
 黒河内璃莉香は、語り手女性の父親にたくさんお金を貸した。父親とは、同級生になる。
 
 語り手である女性の父親は弱い人間だった。
 父親は、何度か自殺未遂をして、最後に自殺で死んだ。
 父が黒河内璃莉香にあてた遺言がある。
 父の死体と晴美とさくらをよろしくたのむ。(語り手の母親と語り手本人の名前です)
 
 味わいがある内容の文章です。
 
 実は、語り手女性にも自殺願望があります。
 黒河内璃莉香の問いに、『死にません』が良かった。

 娘を死なせないための父親の遺言なのか。

『いいラクダを得る』
 わたしたちは、中華料理屋に集合する。夢見という名前の女性の語りです。
 大学生の集まりです。男子大学生の父親が自営している中華料理店です。
 サークルの名称が、『逆光サークル』です。時代に逆行することを行って楽しむ。
 第二外国語のアラビア語のクラスで知り合いになった。
 メンバーは、5人です。
 
 なんだか、大学生たちが、ヒマをもてあましているような内容です。
 
 日文(にちぶん):大学で、日本文学の略。
 偶蹄目(ぐうていもく):この物語では、ラクダのこと。草食、ヒズメあり。哺乳類。

 サヨナラ。一時的な(大学での)付き合いということか。

『土曜日には映画を見に』
 日曜日のお昼は、そうめんを食べるということが、最後まで貫かれます。
 人生を表現してあります。

 男にもてない、デートにだれも誘ってくれない市役所勤務の35歳未婚女性が、伯母さん(おばさん)の紹介で、47歳の未婚男性とお見合いをします。男性は、マンガオタクです。仕事はダンボール製造会社の総務課長です。太っています。丸顔で眉毛(まゆげ)が濃い。汗っかきで、早口です。
 女友だちに男性の写真を見せたら、みんなが沈黙しました。忍び笑いをしました。
 『今なら、まだやめられるのよ』
 伯母からそう言われますが、女性は結婚します。
 
 長い時間が経過して、後半に、現在の話になることが、この作家さんの文章づくりの特徴です。
 ふたりに、こどもはできません。
 男性は定年を迎えました。ふたりは、ふたりの両親を見送りました。(逝去された)
 女性も定年退職しました。
 ふたりは、淡々と老後を送ります。
 日曜日には、そうめんを食べます。(にゅうめん。あたためたそうめん)
 結婚は、見た目の良しあし(顔やスタイル)でするものではなくて、性格の相性が合う人とするものという含みがあります。(ふくみ)
 結婚と恋愛は違います。結婚においては、まず経済力がなければ、結婚生活は続けられません。

『スミレ』
 こちらも不思議なお話です。
 実年齢と精神年齢の話があります。未来のことなのか、宿舎にいるときは、精神年齢に応じた顔かたちに変化します。
 精神年齢で入る宿舎があります。宿舎にいるときは、精神年齢で動きます。
 精神年齢18歳、実年齢53歳:市役所勤務の女性(この短編での語り手)
 精神年齢33歳、実年齢14歳:村松(男子)
 ふたりは、恋愛中だそうです。
 
 精神年齢15歳、実年齢非公開:女性。殿山(とのやま)さん。
 殿山さんが、村松さんを好きになった。
 
 『時間』というものが、意味のない世界にいる。

 語り手の女性は、仕事のストレスで、精神年齢が18歳から40歳になります。外見が40歳に変化して、宿舎にいられなくなりました。
 そして、今は53歳になって、これからは、ゆっくり生きて行くそうです。
 
 う~む。そうですか。おだいじにとしか言いようがありません。

『無人島から』
 とらお:弟。ふみちゃんと同棲していたが、ふみちゃんはアパートを出て行った。
 みはる:姉(この短編の語り手)。自宅アパートはあるけれど、(フロなしアパート)、親族宅を転々としている。
 
 恒子:ふたりの母親。わたしを「おかあさん」とよばないでくださいという発言があります。「恒子さん」と呼んでください。
 新吉:ふたりの父親。山師だった。(やまし)。山の中を歩き回って、金属の鉱脈を見つけてお金につなげる。(わたしは、若い頃、父親が山師だったという人と親しかったことがあります。その人から、自分がこどもの頃は、ものすごい貧乏生活を味わったと話を聴(き)きました。おもしろおかしくてちょっぴり悲しいお話でした)

 パイレックスの皿:耐熱ガラスの皿

 お笑いコンビ麒麟の田村さんの、『ホームレス中学生』みたいです。
 とらおが二十歳になったとき、両親がこどもふたりに言いました。
 『家族、今月でおしまいにするから』
 たしか、田村さんのほうは、オヤジさんが、『解散!』と言った記憶です。
 こちらのお宅の方は、戸建ての自宅を売却してしまいました。家を売ったお金をこどもたちにも分配しました。だから、とらおは、大学の授業料を払えます。アパートも借りることができました。

 家族って何だろう。
 なるべくいっしょにいるものという概念を否定する斬新な(ざんしんな)作品でした。

『廊下』
 男と別れた話です。
 男はバイオリンを弾きます。
 
 朝香(あさか):語り手の女性。30歳で飛夫と出会い付き合い始めた。飛夫と1年間同棲した。
 飛夫(とびお):朝香の年下のカレシ、20歳で、朝香と付き合い始めた。
 摩耶(まや):朝香の祖母。85歳ぐらいで亡くなる。
 山田:祖母である摩耶のカレシ。祖母より10歳年下。
 
 飛夫は、1年前にわたしの前から姿を消した。
 飛夫は、『ちょっと、時計台に行ってくる』と言って、家を出たまま、帰ってこなかった。

 タイムトラベルものです。

 中性脂肪値:空腹時30~149mg/dL
 辛気くさい(しんきくさい):じれったい。重苦しい。

 時間が経ちます。(たちます)。10年後に飛びます。
 
 幻視が見えます。
 死んだ人と会う話です。
 『もう、ここに来るのは、やめなさい。時は戻らないのよ』(過去を変えることはできません)

 認知症の人の脳内にある世界を表現してあるのだろうか。
 少女の頃の朝香さんが出てきます。
 
 う~む。この本の全体をとおして、独特な世界観がありました。  

Posted by 熊太郎 at 07:09Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年03月20日

出川哲朗の充電バイクの旅 2019年再放送分 山形縦断

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 何度も観たい旅SP(2019年(令和元年)) 山形縦断 東根(ひがしね市)→米沢 TVer(ティーバー)

■行くぞ!絶景の<山形縦断>だ!■東根から米沢へと<温泉街道>105キロ!■ですがひぇ~!中居くんが<スター>すぎて地元が大フィーバーでヤバイよヤバイよSP■


 なかなかおもしろかった。
 再放送ですが、観たのは初めてです。
 2019年ですからコロナ禍前のロケです。翌年から日本におけるコロナ騒ぎが始まっています。
 山形県内を南下していくルートです。

 出だしのドタバタ騒ぎに笑いました。
 農地が広がる風景の中、中居正広さんの登場シーンがうまくいきません。
 地元の人たちも協力して、やらせの芝居を打つのですが、どうも不自然で、映像に使えません。
 土方ディレクター(ひじかたディレクター)はあいかわらずのドジで、段取りも指示もしません。グダグダです。でも、おもしろい。唯一(ゆいいつ)という個性があります。笑えます。

 バイク運転の途中、雪をかぶった『月山(がっさん)』を見ることができましたが、出川さんも中居さんも月山を知らないようです。森敦さんの芥川賞受賞作品、『月山(がっさん)』もご存じないのでしょう。

 中居正広さんは野球がうまい。キャッチャーミットをつけて、小学生ピッチャーの球を受けながらキャッチボールをしました。なかなかいい感じでした。バッティングもホームランのようなあたりで感心しました。決めゼリフみたいに、『生まれも育ちもこんな感じで……』という言葉も良かった。
 このあと、当時の小学生たちの現在が紹介されました。
 みなさん、高校一年生になられています。こどもは、成長が楽しみです。自分の孫だと、幼児のままでずっといればいいのにと思いますが、そうもいきません。自分の経験だと、ちびっこたちは、二歳半ぐらいのときの容姿がいちばんかわいい。

 中居正広さんは、さいしょのうちは、めんどくさいひとだなあという印象がありましたが、しばらくみていて、ちゃんとした人だということがわかりました。少年のような、いたずらや、わるふざけはありますが、神経質なくらいきちんとしていて、仕事がていねいです。
 中居さんが自分の欲しいものは、今はないそうです。物欲なし。金銭欲なしです。人から見られることを気にしなくて済むような自由な時間がほしいのかもしれません。

 中居さんは食事のこだわりもありません。全国チェーンの食堂でもかまいません。バス旅のえびすよしかずさんに似ています。えびすさんは、どこに行っても、その土地の名物は食べないのが基本でした。カレーとか、ハンバーグとか、スパゲティとかを注文していました。えびすさんは、魚介類の生ものは食べることができない人でした。そこがまたおもしろかった。えびすさんは、奇人変人ではありますが、根が正直な善人です。

 中居さんの行動は破天荒すぎる。(はてんこう:ふつう、やらないことをやる)。スタッフ一同からびゅーんと離れて、カメラのないところで、地元の人の家をピンポーンして、充電依頼をしてしまいます。ロケ番組として、肝心(かんじん。重要)なところの映像をとることができません。そして、中居さんは、おうちの人にひたすら、『スイマセン』を連発して頭を下げていました。
 中居さんは、年功序列にこだわるところがあって、相手が自分より年下だとわかるといばります。芸能界ってそういう世界なのか。先輩後輩に序列が厳しそうです。
 地元の人たちが出してくださる、『パインサイダー』と、『リンゴジュース』がありがたい。夏のロケのようで、気温が34℃と紹介があります。出川さんは汗だくです。

 土方さん(ひじかたさん。ディレクター)は、あいかわらずです。自分がだれで、どんな役割なのかを中居さんにいつまでたっても自己紹介しないので、中居さんに、『あなたはだれですか?』とロケの途中で、質問されてしまいます。
 土方さんを見ていると、土方さんは、あれで(仕事を)やれるのなら、自分でもやれるという自信を与えてくれる人です。土方さんは、ドジだけど、この番組には必要な人です。

 大工道具を貸してくれたおとうさん、ありがとう。すごい。大工道具セットがしゅっと出てきました。
 土方ディレクターが、充電先の家で踏んで割ってしまったウッドデッキの修繕をします。中居さんンのていねいな、のこぎりで板を切る作業に感心しました。(拍手です)
 貸してくださったおとうさんの家は、畳屋さんだと聞き、その手際(てぎわ)の良さに納得しました。

 蔵王温泉(ざおうおんせん)に向かう道は、すごい、いなか道です。
 
 途中、充電先の家で、まるで、自分の家にいるようにくつろいで、テレビの野球中継を見ている中居さんでした。
 あとで、そのお宅の娘さんたちの現在が映像に出ました。お嬢さんは、身長が34cmも伸びて、出川さんの背丈を追い抜き、161cmになったそうです。おうちは、ジンギスカンのお店をやってらっしゃるそうで、奥さんの、『よってけらっしゃーい』の山形弁に味わいがありました。

 中居さんは、行く先々で、ファンの女性たちにさわられまくります。
 旅館もいい旅館でした。
 すごい。おしぼりの上に、レモンがのせてありました。
 夜は、地元の居酒屋に行く出川さんと中居さんです。くだけています。
 なのに、土方さんのチョンボで、映像が残っていません。カメラの使い方が間違っていたそうです。(まあ、いいか)

 旅館で声をかけたアメリカ合衆国の兄弟の今が紹介されました。(すごい。氏名と住所を控えてあったのでしょう。撮影許可書への承認サインとかで)
 アメリカ人の高校生が、『ヤバイよヤバイよとか、中居さんが当時ふたりに教えた「ド・ミ・ソー(ソーは、調子がはずれた高い音)」』を連呼してくれました。
 
 その後、いっしょにおソバ屋で、お昼ご飯を食べたおばあさんの言葉が良かった。
 『結婚は、クジみたいなもんだからね(89歳のおばあさんの言葉)』
 (演者のだれかが)『(おばあさんは)当たった?』
 『当たらなかった』
 笑いました。
 土方さんは、そのおソバ屋で、ラーメンを頼んで、麺をのどにつまらせてむせていました。当地お勧めの日本そばを頼まずにラーメンを頼みます。まあ、めちゃくちゃです。おもしろい。そのお店では、牛丼セットをはじめ、どれも大盛りで、あれだけボリュームがあればだれもが満足です。
 予定調和というものがない番組です。出川さんが、この番組はひどい番組だと言います。たしか、東野&岡村の旅猿に出川さんがゲストで出演したときも、旅猿は、クソ番組だと出川さんは言っていました。
 どちらもお上品な旅番組ではありません。
 でも、まだ千鳥の旅番組である『相席食堂』よりはいいと思います。以前、相席食堂を観ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。

 中居正広さんはスターです。女子たちが大喜びです。
 
 昼間の露天風呂では、小学生の修学旅行状態のような演者たちでした。
 みなさん、歳はとっていても意識は18歳ぐらいの少年です。
 
 中居正広さんは、出川さんたちにあいさつなしで、途中で帰ってしまいました。次の仕事があるそうです。出川さんたちにはあいさつせずに内緒で帰りましたが、地元の人たちにはきちんとあいさつをして、いっしょに記念写真もとりました。(出川さんと中居さんは、翌日も別の番組でいっしょになると話していました)
 目的地の神社までゴールしていないのに、途中で帰ってしまうゲストも珍しい。
 なにか裏があるようで、ゴールの神社で米沢牛のすき焼きを食べることができると思っていたら、食べることは目的ではなかったそうです。それを聞いて、中居さんは帰ったのだろうと出川さんが推理をしていました。(米沢牛を食べるレストランがある神社がゴールということで、ゴールして、高価なすき焼きを食べるということではなかったそうです)