2024年04月25日

がん「ステージ4」から生まれ変わって 小倉一郎

がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社

 幼少期を鹿児島県下甑島(しもこしき島)で過ごされたそうです。
 わたしがこどものころ読んだ本に、『孤島の野犬(ことうのやけん)』という児童文学本がありました。甑島(こしきじま)が舞台だった記憶です。作者は、椋鳩十(むく・はとじゅう)さんです。1905年(明治38年)-1987年(昭和62年)82歳没。小説家。児童文学作家。
 自分が就職した時、甑島出身の人が職場にいて、その本を読んだことがあると話したことを覚えています。

 さて、こちらは、がんの宣告を受けた俳優さんの手記です。
 本の最後のほうに、ご本人が文章を書いたのではなく、ご本人から聞き取りをしてつくられた文章だと書いてありました。(11ページに、双葉社の編集長の質問に答える形でこの本ができているそうです)
 いずれにしても、ステージ4という(わたしは死の宣告だと思っています)厳しい状態から命をつないでおられます。たいしたものです。

 目次に、『なぜ僕は静観できたのか?』とあります。全体的に、がんの早期発見を勧める内容になっているような気がする目次の内容でした。

『第一章 予兆』
 2021年(令和3年)12月10日に、移動撮影用のアルミ製レールに足をとられて転倒して右足首を骨折した。(当時小倉さんは70歳ぐらいです。老齢になってからの転倒は、大きな話に発展します。もう若い時のように体が反応してくれません。わたしもふらふらすることがあります。ころびそうになると、自力で自分の体を支えて体勢を元に戻せません。いかにして、じょうずに、ころぼうかと考えます)

 自分の実感だと、だれしもが、48歳ぐらいから体の具合が悪くなり始めます。壊れた体はもう元には戻りません。目が見にくくなってきて、歯は歯周病になって、皮膚もかぶれやすくなります。記憶力は衰えて、若い頃はびゅんびゅん動いていた体が、ゆっくりしか動けなくなります。女性は女性で更年期障害とか、またいろいろあると思います。
 十代・二十代の若い人にはわからないと思います。中高年になってくると、指先はかさかさになって、しめりけがなくなります。新聞紙や本のページをめくれなくなります。だれもが、歳をとるのです。早くそういうことに気づいて、若い時から、心身のケアをしておいたほうがいいですよとアドバイスします。暴飲暴食は体を壊して歳をとってから深く後悔する原因になります。心身を酷使しないほうがいいですよ。健康が最優先です。

 さて小倉一郎さんは、転倒して骨折した翌年、背中の右側に激痛があって、それが、肺がんの発見につながっています。
 
 思うに、がんと気づくまでに痛みの予兆があると思うのです。
 自覚症状です。内臓に痛みがあると思うのです。
 早期に医療機関を受診したほうがいいです。小倉一郎さんは、30年間ぐらい健康診断を受けていなかったそうです。
 本では、生まれ育ちのふりかえりから、身内にがんの遺伝血統があるような記述があります。いとこが末期の肺がんステージ4で、65歳で亡くなっています。
 
 小倉一郎さんは、肺がんです。だいぶ前に禁煙されたそうですが、それまでは長いことタバコを吸っておられたそうです。
 アルコールもだいぶ飲まれたようです。
 怒られるかもしれませんが、わたしは、人間を判断するときの、ものさしのひとつとしてタバコを吸う人かどうかで、人間性を判断しています。たばこを吸う人に、いい人はいないと判断しています。
 
 PET検査:注射をして、画像を見て、がんの有無や広がりを確認する。

『第二章 告知』
 死ぬ準備を考えなければなりません。
 わたしはこれまでに、がんで余命宣告を受けて亡くなっていった方たちの本を何冊も読みました。
 自分ではどうすることもできない命でした。
 覚悟を決めて、まわりにいる家族や友人たちとよく話をして、死地に旅立つ用意をして、みんなにサヨナラをしていくのです。
 つらいものがあります。

 小倉一郎さんの元の妻、昌子さんとのお子さんとして、長女:悠希さん 長男:龍希さん 次女:瑞希さん 三女:彩希さん みなさん、「希望」の「希」がつきます。
 小倉一郎さんの実母、早苗さんは、小倉さんが誕生して1週間後に亡くなっています。(洋画、『愛情物語』みたいです)
 叔母(父親の姉)山下初穂さんが育ての親です。
 叔母山下初穂さんの息子憲夫さん(5歳年下)が、ステージ4の末期肺がんで亡くなっています。65歳でした。同居されていたから兄弟のような感じでお互いに育ったのでしょう。いとこです。
 今の奥さんがまきさんです。小倉一郎さんは何度か結婚を経験されています。
 小倉一郎さんは、父、兄、姉も亡くされています。なんだか、ご親族の命に恵まれない様子で、文章を読んでいて胸が詰まります。

 2022年(令和4年)3月4日余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。
 いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)

 医師にとって、余命宣告は日常的な仕事なのでしょう。余命宣告にあたって、思いやりというような感情はこもっていません。事務的な通告です。
 病状に関する具体的な話が淡々と出てきます。
 本人の気持ちとして、『受け入れる』というよりも、『あきらめる』というほうが気持ちに合っていたそうです。奥さんとマネージャーと三人、みな無言です。
 ご本人の頭の中にあるのは、残りの人生をどうやって過ごそうかです。

 中学生から幼稚園までの孫5人には祖父ががんであることを教えないようにと指示をされています。
 わたしは、孫たちには、遺体を見せるようにしています。義父母(妻の両親。孫たちからみれば、ひいおじいさんとひいおばあさん)の遺体は、葬儀のときに幼稚園生だった孫たちに見せました。孫たちは神妙な顔をしていましたが、なんだか状況をよくわかっていないようすでした。こちらの願いとしては、『人間の死』というものを体感してほしかった。

 あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)
 『少しはジタバタしなよ』
 あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。4月8日が初診です。

 思い出づくりのための親族旅行です。
 三世代総勢15人で、熱海へ行かれました。元妻とそのこどもたちもいます。
 桜が満開だったそうです。
 ご本人は、最後の家族旅行になるだろうと観念されています。(かんねん:あきらめる)

 その後、ご本人は、やせてフラフラになります。

『救いの手』
 深刻な話が続きます。
 なんだかもう死ぬしかないみたいな雰囲気です。
 肺がんステージ4です。
 
 神奈川県立がんセンターのあたりから潮目が変わります。感謝という雰囲気が生まれてきます。
 わたしには、理解できない単語が続きます。『重粒子線治療等(じゅうりゅうしせんちりょうとう)』、『手術や放射線治療』、『抗がん剤による化学療法』、『細胞障害性抗がん剤』、『根治(こんち。再発しない)』、『免疫チェックポイント阻害薬』、『分子標的薬』、『KRAS G12C遺伝子変異』、『緩和照射』、『医療用麻薬オキノーム』、『サイバーナイフ』

 医師からの励ましの言葉は、『やれることは、すべてやりましょう』

 がんが脳に転移しています。右の脳に10円玉大の腫瘍が見つかります。
 読んでいて、絶望的な状態に思えます。

 役者さんですから、医師の役をしたこともあるし、脳腫瘍の患者の役もしたこともあるそうです。
 それが、現実になるという不思議な感覚があります。
 脳に腫瘍があるから幻覚があります。実際は起きていないことが、脳の中で展開されます。

 がん治療にはお金がかかるそうです。お子さんたちからの援助があります。
 家族はだいじです。
 高額療養費の制度があるので、だいじょうぶなような気がするのですが、自由診療(全額自己負担。保険適用なし)というのもあるようです。
 (第四章で、脱毛対策ウィッグには、購入費助成制度があるそうです)

 わずか2か月間で、55kgだった体重が、44kgに減少した。身長は、4cm縮んだ。
 骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)になってしまいます。死んじゃいます。

 ふつうに考えると、在宅でしばらくすごして、家族と今後のことについてよく話し合って、記録を残して、状態が悪化したら入院して、楽にあの世へ旅立つという筋書きが思い浮かびます。
 以前読んだ本に、『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』があります。亡くなった女性小説家の方の日記です。余命宣告を受けて、2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳でご逝去(ごせいきょ)されています。
 
『第四章 奇跡』
 わたしの知らない単語が続きます。『新薬ソトラシブ』、『カルボプラチン(従来の抗がん剤)』、『ペメトレキセド(従来の抗がん剤)』、『ペムブロリズマブ(免疫チェックポイント阻害薬)』、『キイトルーダ』、『CD169陽性マクロファージ』、『カロナール』
 
 治療の効果が現れます。
 肺にあったがんの映像が小さくなります。
 食欲が戻ってきました。やはり人間は、食べなくなったら死にます。小倉さんは自分でつくる手料理に目覚めます。味覚も良くなったそうです。
 さらに、脳にあったがんが、『サイバーナイフ』という治療で、死滅しました。たった1回の照射で、癌細胞の固まりの映像が、ちりぢりのゴマ粒(つぶ)みたいな映像になったそうです。

 俳句をつくること、俳句の会を運営することが、心の支えになっています。
 
 番組、『徹子の部屋』に出演された回はわたしも見ました。2023年5月2日(火)でした。そのときはお元気そうなようすでした。
 そのころうちの家族も大腸ポリープ切除の入院をしたころで、それはがんではなかったので、ほっとしたということが自分の当時の日記に書いてあります。

 がんは治ったのではなく、治った“かのように”見えるだけですと書いてあります。
 小倉一郎さんは、過去に転移したことがあるわけで、油断は禁物です。一日一日が大切な命の時間です。
 
 育ての親の叔母さんのことが書いてあります。ひもじい思いをしたことは一度もないそうです。
 邦画、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では、九州の母親役を演じる樹木希林さん(きき・きりんさん)が、東京で暮らす息子さんに、いつも、なんども、『ちゃんとごはんを食べているか?』と聞きます。息子が食べていると返事をすると、樹木希林さんは気持ちが落ち着きます。母親の役目はただひとつ、こどもにちゃんとごはんを食べさせることだけなのです。

『第五章 生かされて、今思うこと』
 余命宣告をされて、来年に桜を見ることはないだろうと思ったそうです。桜と余命宣告はよく結び付けられます。さくらの花びらが散る光景が、命が尽きることを思い浮かべるきっかけになるからでしょう。

 足を骨折したことがきっかけになって、がんがあることが判明した。めぐりあわせの奇妙さがあります。
 人生では、幸運な流れが大切です。失敗したと思っていても、それが成功につながることがあります。

 生き続けるための3カ条が書いてあります。①異常を感じたらすぐ病院を受診する。②可能であれば、がん専門病院を受診する。③モニターしか見ないドクターには要注意(患者の顔を見て話をしてくれるドクターを選ぶ)
 
 気持ちの持ち方として、(がんの)再発は、絶対にある。

 162ページの文章がよくわかりませんでした。
 『遺書は、これから書くつもりです。』の次に、俳句で、『遺言を呟いてゐる秋の蝉(ゆいごんを つぶやいている あきのせみ』と書いてあります。最初の『遺書(いしょ)』は、『遺言(ゆいごん)』の間違いではなかろうか。『遺書』だとなんだか、もうすぐに死んでしまうみたいです。
 わたしはすでに遺言(ゆいごん)をつくって、司法書士法人にお願いして、公証人役場に届け出をしましたが、小倉一郎さんがこのページで書いた、『遺書』の意味は、公正証書遺言の手続きで出てくる『付言(ふげん)』だろうと考えました。遺言は、相続のやり方の内容で、付言は気持ちの伝達です。付言は遺族に自分の気持ちを伝えるのです。感謝と気遣いの言葉です。

 本の後半は、気持ちが落ち着かれたのか、緩い(ゆるい)流れになっています。
 たわいのないことだけれど、『生きている』という実感があります。

 最後のほうに娘さんのコメントがあります。
 読んでいると、自分にこどもがいて良かったなという気持ちになります。

 人生の記念誌という位置づけの本でした。
 がんで苦しんでいる人たちに役立つ本です。  

Posted by 熊太郎 at 06:32Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月24日

出川哲朗の充電バイクの旅 茨城御岩神社→筑波山神社

出川哲朗の充電バイクの旅 北関東パワスポ街道 茨城御岩神社(おいわじんじゃ)→筑波山神社 TVer(ティーバー)

出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■行くぞ!北関東最強パワスポ街道113キロ■茨城の御岩神社から<笠間稲荷>通ってつくば神社へ■さらば森田&藤本美貴が大奮闘も哲朗は大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP

(前半 ゲスト 藤本美貴さん)
 わたしは、藤本美貴さんという方は知りませんが、品川庄司さんの庄司智春さんが、『ミキティー』と大きな声で叫ぶギャグは知っています。
 今回ご本人を見て、美しくてかわいらしい奥さんでうらやましいと思いました。
 もう中学一年生と8歳、4歳のお子さんがおられるそうなので、それなりの強いお母さんであられるのでしょう。
 わたしは、藤本さんが所属されていた、『モーニング娘』というのもわかりません。現役で働いていたころは、仕事と共働きの子育てで忙しく、三十代から定年までの三十年間ぐらい、テレビは、ニュースと天気予報ぐらいしか見ることができませんでした。こどもたちがまだ小学生だったときは、いっしょにバラエティ番組ぐらいは見ていましたが、熱心にはテレビ番組に目を注いではいませんでした。
 定年退職して自分が自由に使える時間が増えて、テレビを長時間見ることができるようになり、過去にこんないい番組があったのかと、知らずに過ぎた長い年月をさかのぼる作業を毎日のようにしています。水谷豊さんの『相棒』を観たときは、中身の濃い、いい刑事ドラマだなあと感嘆しました。

 さてこの番組の後半のゲストである、さらば青春の光の森田さんは、以前別の番組で観て(番組名は忘れました)、人柄のいい人だなあという好印象が残っています。

 充電バイクの旅は茨城県御岩神社を出発して、おそばやさんでお食事です。
 おいしいお料理を食べながらおしゃべりを楽しみます。
 メンバーは、この日の夕方には、ステーキをレストランで食べました。
 おもしろかったのは、土地の名産である『常陸牛(ひたちぎゅう)』の漢字を出川哲朗さんもミキティさんも読めなくて、メニューを見ながら、どこに、「ひたちぎゅう」があるのだろうかと不審に思っていたことが判明した時でした。
 なんというか、芸能人でなくても、小学校や中学校の算数・数学の問題が解けなかったり、ちょっとむずかしい漢字の読み書きができなかったりもします。でも、みんなちゃんと働いて稼いでいます。
 人生という時間のほとんどを勉強で費やして、いい成績をとって、いい学歴を得ても、仕事が長続きせず、無職の期間が長ければ、生涯獲得賃金はそれほどでもないような気がします。仕事は、才能と努力、人間関係だと思うのです。

 出川哲朗さんが、充電が切れたバイクを押しながら歩いていた時に出会った2歳児ぐらいの男の子がかわいらしかった。男の子の、『そーだねぇ』の返事が良かった。

 充電させていただいた年配ご夫婦のお宅にいたワンちゃん(白い犬。スタンダードプードルという犬種らしい。ワンちゃんのお名前が、「エステル」)がおとなしくてかわいらしかった。

 水戸芸術館タワーという建物は、不思議な形をしていました。
 わたしは小学生の時に、茨城県に住んでいたことがあって、小学校の社会科見学で、偕楽園(かいらくえん)とどこかの新聞社、それから大洗海岸(おおあらいかいがん)に行ったことがあるのですが、出川哲朗さんもミキティさんも、『偕楽園(かいらくえん)』を知らなかったので驚きました。日本三名園(石川県の兼六園、岡山県の後楽園、そして偕楽園)です。
 ミキティさんは、ドラマ『水戸黄門』に出演したことがあるので、水戸黄門のことはわかるそうです。『あづき姫』の役柄で出演されたそうです。

 出川哲朗さんと同じ2月13日生まれの少年が偕楽園で登場しました。奇遇ですなあ。きぐう:思いがけないめぐりあい。

 ミキティさんのだんなさんは嫉妬深いらしい。ときおり、『ジェラ、ジェラ』とふたりが言っていました。ジェラシーのことらしい。やきもち焼き:自分の愛する人の心が、ほかの異性にいくことをいやがる。

(後半は、次週につづく)

 森田さんが出川哲朗さんに、神社で熊手を買いますかというようなことを質問して、出川哲朗さんは、神社では羽子板を買うんだということをしきりに森田さんにと言い返して、へんだなーぁと思いながら聞いて言いましたが、出川哲朗さんが言う、『羽子板』というのは、『絵馬(えま。願い事を書いて納める)』ではなかろうかと思ったのです。結局、羽子板が何かは、番組の中では判明せず、筑波山神社のことを話されていました。
 調べたら、筑波山(つくばさん)→つく羽→羽子板で、筑波山神社が、羽子板発祥の地らしいです。筑波山神社では、羽子板の羽がお守りとなって売っているようですが、羽子板が売っているかどうかはわかりませんでした。

 日本三大稲荷(いなり):豊川稲荷(愛知県豊川市。行ったことあります) 伏見稲荷(京都府。行ったことあります) 笠間稲荷(茨城県。今回番組紹介の神社です。行ったことはありません)

 道の途中で充電させていただいた家の奥さんが穏やかな方で、話される言葉を聞いていて気持ちが落ち着きました。

 午後から、桜川市というところで、おひなまつりのお人形をたくさん見ました。真壁(まかべ)のひなまつりというそうです。

 そういえば先日、前回放送された四国ロケで映っていた宿毛(すくも)とか宇和島あたりで大きな地震がありました。こちらの番組でロケ地の映像を観たあとだったので驚きました。

 出川哲朗さんと同じ時期に同じ病院にふたりとも入院していたという年配の男性がふたりの写真をスマホで見せてくれました。縁がある人とは、こんなところでまたという場所で出会ったりもします。

 『ペンギン』というお店でハンバーグの食事をとりました。
 25年ぐらい前、貧乏を脱出するために修行をする番組に出演して、師匠について料理を学んだという話が出ました。そういえば、そういう番組があったと思い出しました。『愛の貧乏脱出大作戦』でした。テレビ東京です。

 映像ではいなかの風景が続きます。夕日が地平線に沈む風景がきれいです。それを見ながら、そういえば、政令指定都市の郊外でも、50年ぐらい前までは、あのような原野が広がっていた。今では、市街化されてビルが建ち、アスファルトとコンクリート、金属とガラスの街になっています。 道路沿いにビル型店舗が続く風景に変わりました。いいとも悪いともいえません。昔は、車で、短時間で行けた場所だったのが、途中に信号がたくさんできて、目的地まで時間がかかるようになりました。

 筑波山神社での豆まき風景が出ました。出川哲朗さんも森田さんもたくさん豆やお餅をゲットしてにぎやかで楽しい光景でした。節分の時期だったのでしょう。お疲れさまでした。  

2024年04月23日

東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社

東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社

 本のカバーをはずして、カバーを横に広げて見ています。
 一枚の白黒写真です。
 昭和三十年代ぐらいの風景に見えます。
 場所は東京都内にある港の近くでしょう。
 海の向こうに、木造の古い家屋が、薄く(うすく)かすむように写っています。
 京都、丹後半島に似たような景色があったと思います。『伊根の舟屋(いねのふなや)』という場所の風景に似ています。東京にも昔は稲の舟屋に似た場所があったのだなと、時代の経過を感じます。

 山高登(やまたか・のぼる):1926年(大正元年)生まれ。木版画家。新潮社の文芸編集者だった。こちらの本は、山高登さんの写真とエッセイになっています。カラー写真は好まない。白黒写真がいいというようなことが書いてあります。現在98歳。

 二葉亭四迷(ふたばてい・しめい):1864年(江戸時代末期)-1909年(明治42年)45歳没。小説家。翻訳家。

 白黒写真です。
 去年の秋に熊太郎夫婦が訪れた東京渋谷あたりの昔の写真です。昭和33年ですから、1958年です。以降、そのあたりの時代の写真が続きます。テレビ番組では先日、『アド街ック天国』で、渋谷にある百軒店(ひゃっけんだな)の特集を見ました。

 渋谷、恵比寿、それから、まだ建設途中の東京タワーの写真があります。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』の風景です。麻布(あざぶ)、丸の内、日本橋(昨年秋に熊太郎夫婦が歩いたあたりです。そのときは、日本銀行の前にあった貨幣博物館も見学しました)。

 写真集は、山高登さんの伝記のようにして始まっています。
 今の、西新宿四丁目あたりで生まれたとあります。東京都庁のそばにある新宿中央公園の西にある地域です。当時は、花柳界の街だったそうです。(芸者、遊女屋の集まった街。遊郭(ゆうかく))

 泉鏡花(いずみ・きょうか):1873年(明治6年)-1939年(昭和14年)65歳没。小説家。

 武蔵野にある明星学園(みょうじょうがくえん)に通った。現在の三鷹市、吉祥寺あたり。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)の南。帝都電鉄で通った。現在の京王電鉄。(あのあたりを武蔵野と呼ぶのか。知りませんでした。武蔵野は、もっと西北のあたりかと思っていました)
 
 この本は、夏葉社の発行者である島田潤一郎さんが、当時91歳であられた山高登さんから聞き取ったことを文章にして本にまとめたものです。
 インタビューは、2016年(平成28年)8月4日、9月27日、10月6日に、山高登さんのご自宅にて行われています。

 本の雰囲気は、黒柳徹子さんの、『窓際のトットちゃん』みたいです。
 第二次世界大戦後のことがからんでいます。食糧不足のことが書いてあります。
 靖国通り:東京都道302号。東京を東西につなぐ道路。靖国神社の前を通る。
 学徒勤労動員:学生が軍需産業のために集められて働いた。
 山高登さんは、横浜鶴見の工場でドラム缶をつくっていた。
 昭和20年3月の東京大空襲の被害は避けられた地域にいた。(場所は、目黒だそうです)
 戦争末期に召集令状が来て、品川駅から広島県福山市の部隊に入隊した。そこでは、古兵にいじめられた。たまらなくいやな体験をした。
 8月15日終戦の日に、玉音放送を聞いて、『命が助かった』と思った。
 とても重い気持ちがあります。(心の負担。気持ちが晴れない)。一部の政治的権力者の言動のためにおおぜいの国民の命が失われるのが戦争です。
 記述は、素直な言葉で淡々と書いてあります。書かれている内容は、胸に響く戦争体験の事実です。読んでいて、読み手は、戦争はしてはいけないと思います。
 
 西田幾太郎(にしだ・きたろう):1870年(明治3年)-1945年(昭和20年)75歳没。哲学者。文学博士

 山本有三:昨年三鷹市にある山本有三記念館を訪れて見学しました。昨秋のことですが、なつかしい。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。小説家。政治家。

 吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう):山本有三の弟子(でし)。1894年(明治27年)-1957年(昭和32年)62歳没。翻訳家、英文学者、児童文学者。

 銀河:新潮社の少年少女雑誌。山高登さんが昭和22年から編集者として参加した。1946年創刊(昭和21年)。1949年終刊(昭和24年)

 坂口安吾(さかぐち・あんご):1906年(明治39年)-1955年(昭和30年)48歳没。小説家、評論家、随筆家。

 田村泰次郎(たむら・たいじろう):1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)71歳没。小説家。代表作として、『肉体の門 1947年(昭和22年)発表 終戦直後の東京を舞台にして、混乱する社会を生き抜く女性を描いた』
 
 林芙美子(はやし・ふみこ):1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。小説家。

 高浜虚子(たかはま・きょし):1874年(明治7年)-1959年(昭和34年)85歳没。俳人、小説家。

 ゾッキ屋:投げ売りの新本を売る店。

 水上勉(みなかみ・つとむ):1919年(大正8年)-2004年(平成16年)85歳没。小説家。

 永井荷風(ながい・かふう):1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没。小説家。

 内田百閒(うちだ・ひゃっけん):1889年(明治22年)-1971年(昭和46年)81歳没。小説家。随筆家。

 88ページまで読み続けてきて思ったことです。
 もうほとんどのみなさんがお亡くなりになった。
 日本の近代文学の流れを読むようです。
 明治時代以降の流れです。
 第二次世界大戦を境目に考え方が変わります。
 現在NHKの朝ドラ、『虎に翼』で、日本人社会の『(男女)差別』が素材のひとつになっています。戦前、女性は、家畜同然の扱いです。『(女性は)無能力者』なのです。女性は、なにをするにしても、戸主である夫とか、男性の許可がいるのです。それが当然と思いこんでいる女性もいます。
 近代文学の流れにもそういったことが下地になっている作品もあるのでしょう。

 二丁(にちょう。距離として):一丁が約109m。声が二丁先からでも聞こえるとあります。

 氏より育ち:うじよりそだち。家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが、人間の形成に影響を与える。

 成城の町:世田谷区成城(せいじょう)

 土門拳(どもん・けん):1909年(明治42年)-1990年(平成2年)80歳没。写真家。

 新美南吉(にいみ・なんきち):1913年(大正2年)-1943年(昭和18年)29歳没。児童文学作家。

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン):アイルランド系・ギリシャ生まれ。1896年(明治29年)に日本国籍を取得している。1850年(江戸時代末期)-1904年(明治37年)54歳没。

 宇野千代:1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没。小説家、随筆家。

 坪田譲二:1890年(明治23年)-1982年(昭和57年)92歳没。児童文学作家

 第二次世界大戦中は、言論統制の時代でした。言いたい事、書きたい事が書けない時代でした。
 共産主義社会、社会主義社会の国と似ています。
 『自由』と『平等』は大切です。

 野暮天(やぼてん):ダサイ。融通がきかない。雰囲気を読めない。
 低徊趣味(れいかいしゅみ):世俗を離れて、余裕をもって、自然や芸術、人生をながめる方針のようなもの。
 
 書票(しょひょう。蔵書票・ぞうしょひょう):所蔵者名を記した美しい絵・図版の小さな紙。  

Posted by 熊太郎 at 06:59Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月22日

不思議な事 株式投資

不思議な事 株式投資

 先週は、4月19日金曜日にかけて、日経平均株価が急速に下落していきました。
 金曜日、一時は、1,346.64円も下がりました。かなりの下げです。

 今年に入って、日銀の金融緩和の発表が予想できたので、自分はそのことが発表される前に、持ち株の整理整頓(せいりせいとん)をしました。
 日本の金利が上がって円高になると予想して、いくつかの銘柄を手離しました。円高になれば、たいていの会社の株価が下がると判断しました。
 卸売業(おろしうりぎょう)、建設業、輸送用機器、その他金融業などの銘柄を売却しました。円高になった場合の安全策として、手元には、銀行業と医薬品の銘柄を保有しました。

 ところが、日銀の金融緩和が発表されても円高にはなりませんでした。ずーっと、極端ともいえるほどの円安ドル高が続いています。
 日銀が、金融緩和(利上げ)によって、経済に悪影響が出ないようにするために、とてもゆるやかに金利をあげると表明したからだと思います。(最近ちょっと日銀の態度が変わりつつありますが、3月の発表当時はそうでした)

 4月19日金曜日になって、日経平均株価が大きく下がって、がっかりしました。
 ところが、東証プライム値上がり率ランキングを見てびっくりしました。
 自分が持っている複数の銘柄(銀行、製薬会社)が、かなり上位の中にありました。
 どうしたことだろうか。株価がこんなに大暴落している日に、どうして自分がもっている株の株価が上がるのか理由がわかりません。自分は、損はしていないとはいえ、理屈が通らず不可解です。あいかわらずのひどいとも思える円安ドル高で、経済環境が変わったとも思えません。円安ならふつう株価は上がると思うのです。
 しばらくようすを見てみます。損得のことは度外視(どがいし。無視)して、不気味です。

(その後 4月22日月曜日朝のこと)
 へこんでいた株価は、全体的に上がってきました。
 上がってきたというよりも、元の株価に戻ってきたという感じです。
 上がったら下がる。下がったら上がるのが株価です。
 いろいろな情報を鵜呑み(うのみ)にせずに(丸飲みせずに)、自分の脳みそで、よーく考えて戦略を練ります。先がどうなるかは、だれにもわかりません。  

Posted by 熊太郎 at 10:14Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2024年04月20日

おくりものはナンニモナイ パトリック・マクドネル

おくりものはナンニモナイ パトリック・マクドネル 谷川俊太郎・訳 あすなろ書房

 不思議な絵本でした。
 う~む。意味をとれない。

 贈り物をする相手が、なんでももっているのです。
 だから相手に贈るものが、ナンニモナイのです。
 贈るものがないから、からっぽの箱を贈り物として相手に渡すのです。
 どういう意味があるのだろうか。

 読書の経過です。
 外国です。
 雪が降っている田舎(いなか)の風景です。
 ムーチ(ねこです)が、だいすきなアール(ねこだと思ったら犬でした)に贈り物をしたい。(最初は絵を見て、犬だと思いました)
 そのあと、アールは、すでに、なんでももっているという話が続きます。
 ムーチは、アールをよろこばせたい。
 その結論として、『ナンニモナイ』を贈ることにしました。
 奇妙な話です。
 アールは、『ナンニモナイ』をさがし始めます。『ナンニモナイ』はどこにあるんだろう。
 フランクという男性が、テレビを見ながら、『みたいものは ナンニモナイ』と言います。(見たいものは何にもない)
 ドゥージーという男の子は、『することは ナンニモナイ!』と言います。
 ミリーというおばあさんは、『かいたいものは ナンニモナイ』と言います。
 ムーチは、街へ買い物に行きます。
 どこにも、『ナンニモナイ』は売っていません。
 ムーチは、やむなく帰宅して、部屋でじっと座っています。
 そこから、どういう発想になったのか理解できないのですが、大きな空箱をかかえて、アールの家に行きます。箱の中身は、『ナンニモナイ』(のつもり)です。
 (『欲』がないということを表現してあるのだろうか)
 受け取ったアールは、箱をあけて、『ナンニモナイ』と言います。
 そして、きみとぼくがいれば、それでいいと話はまとまります。

 なんだろう。『無の中の有り』を表現してあるのだろうか。
 『無』の中に、幸せがある。
 哲学的です。

 ふと老齢になった自分が思ったことです。
 『あとは死ぬまで生きるだけ』に通じるものがあるような…… したいことがあるようでない。ナンニモナイ。したいことがあっても、体力が衰えて、できなくなったともいえます。あとは、これまでに体験がたくさんあるので、したいことを頭の中で想像すれば、したいことをした気分になれるから、なにもしなくてもいいということもあります。

 ほかの人たちの読書感想を読んでみました。
 『ナンニモナイ』は、大切な人といっしょにすごす時間を表現してあるそうです。
 ものはいらない。ふたりで、いっしょにいるだけでいい。

 夫婦か、恋人みたいなものか。
 されど、長年連れ添った夫婦でも、一日中、会話がない夫婦というのは聞きます。
 (うちは、朝から晩までずーっとしゃべっていますが、そういう夫婦は珍しいそうです。18歳のときからの長い付き合いです。歳月が流れて、ああこの人といっしょになれて良かったと感謝しております)  

Posted by 熊太郎 at 06:18Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月19日

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ)

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房

 なにかの雑誌で紹介されていて、興味をもって読み始めました。
 郷里がわたしと同じく福岡県である若い女性が書いた本です。
 わたしは、生まれてからしばらくと、中学校の途中から高校を卒業するまで福岡県内で過ごしました。いちおう実家や親族もまだ福岡にありますが、福岡にいなかったときは、熊本とか茨城、栃木、愛知などで過ごしました。
 書中で福岡と福岡人の特徴が書かれてありますが、そのとおりです。文化的な庶民性をもった土地柄です。東京へ出て有名になる人が多いのも必然だと思います。

 著者は、なにかしら、艶っぽい(つやっぽい)なかで生活をなりたててきた方のようですが、自分は存じ上げません。
 『はじめに』の文章を読みましたが、読みやすい文章です。
 読み進めながら感想をつぎ足していきます。

 東京へのこだわりが感じられる文章です。
 ご自分は、東京でないと生活していけないそうです。
 
 (その後、ご本人が亡くなっていることを知りました。2016年11月15日40歳没。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。太く短く生きる人っています。うちのオヤジも40歳で病死しました。太く短く生きた人でした)

 なんというか、地域へのこだわりというものは、歳月が流れると、こだわることはなかったと思えることがあります。
 日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへは行けます。区域とか、境目、境界線にこだわることは無意味です。いつだって、どこへだって、自由に動き回ればいい。自分が好きなところに住んで好きなように暮らしていけばいい。

 本の冒頭で、自分の家の経済状態が苦しいということも知らず、親が進学をやめてくれというのに、東京の大学へ進学することを選択した。あとで、自分の家が貧しい、大学の学費なんか出せる状態ではなかったということがわかって大きなショックを受けたとあります。
 親不孝なことをしましたが、やむをえません。大学神話みたいなものがあります。大学に行けば、輝く未来が約束されるなんてことは、ぜんぜんありません。
 だけど、世間知らずな若者は、そうやって、親元から離れていきます。そして、たいていは、また親元に戻ってきます。
 六十代になって、創立100周年だったかの高校の歴代同窓生名簿を見たら、18歳の頃、胸に夢をいだいて、東京を始めとした大都市や遠いところへ旅立った同窓生たちのほとんどは、福岡に帰郷していました。故郷に親の土地や家があるからということもあるのでしょう。そんなものなのです。若い時の夢は、夢で終わることが多い。

 本の中で著者は、自分は18歳で上京し、今年36歳になったと書いてあります。
 なにやら、福岡に恨み(うらみ)と憎しみがあるそうですが、まあ、そういうことってあります。ただし、歳月がたつと、憎しみが、愛情や愛着に変わるということはあります。人の気持ちなんて勝手なのです。なんとでも変化するのです。
 
 オレンジ色に輝く東京タワーのことが文章で書いてあります。
 リリー・フランキーさんの小説、『東京タワー』を思い出します。リリー・フランキーさんも福岡出身の方です。東京タワーを独楽(コマ)の軸(じく)にたとえた文章から始まっていて、劇的な物語の始まりかたでした。名作です。

 こちらの本の構成です。『はじめに』があって、短いエッセイが25本あって、『おわりに』があります。

『お金』
 『三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた。』から始まります。
 バーキン:バーキンというバッグのこと。イギリスの歌手・女優バーキンにちなんでいる。整理整頓しやすく使いやすい。

 東京はお金がかかるところとして記述があります。
 東京はお金がなければ、したいことができない。
 東京暮らしは、お金がない女性にとっては、しんどい。(つらい)

『欲情』
 東京での地方出身女性の実情を吐露する(とろする。白状する(はくじょうする))話なのか。
 記述にありますが、いなかだと、道を走っている車が、だれの車かわかるということはあります。お互いに知り合いが多いのです。東京のような都市部では、知らない人間はまるで石ころ扱いです。『(自分にとっては)関係ない(存在)』なのです。
 作者は、密着型で生活するいなかを嫌います。それでも、『密室』が恋しいのです。

 性的なことが書いてあるのですが、老年期を知らずに人生を終えた人の文章です。若い。
 歳をとると男も女もなくなります。全員が、おじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。中性化するのです。そのうち、認知症に近づいていきます。だれもが最後は(老後は)障害者の状態になります。心身が思うようには動きません。三十代から五十代のときにリーダーシップを発揮して輝いていた人たちが、加齢とか認知症のために人格が変わって施設入所しているということもあります。若いうちから心身の健康に気を配って暮らしておいたほうがいいですよとアドバイスします。

『美しさ』
 新木場というところにあるクラブ(ナイトクラブ。社交のための会員制の夜の店)が紹介されます。
 終電がなくなるので、帰りは自宅までタクシーだそうです。
 ポールダンスという艶っぽい(つやっぽい。いろっぽい)舞台があります。
 なんでもないふつうの女性が、ポールダンスを踊るときには別人のように輝く存在になるのです。
 
 『……ポールダンサーは、自信にあふれ、誰にも負けないし、誰とも競わない……』
 わたしが思うに、自分が窮地(きゅうち。苦しい立場)に陥ったとき、自分を救う方法として、こう主張することが効果的です。『これがわたしです!』(何が悪い! 自分は、この個性で、この体で、これまで生きてきた。これからだって、こうして生きていく。これがわたしですと自信をもって主張して自分の心と体を守る)

『タクシー』
 『こじらせ女子』という流行語があるそうです。わたしは、その流行語を知りませんでしたが、著者が発信者で流行した言葉だそうです。
 こじらせ女子:物事をむずかしく考えて、人間関係をややこしくしてしまう女子のこと。めんどうくさい女という意味だそうです。考えなくていいことを考える。気にしなくていいことを気にする人だそうです。迷惑者扱いです。どのように対応(アドバイス)しても、それを受け入れる気持ちが最初からない女性のようです。

 著者は、運転免許はもっているけれど、車の運転が下手で、運転できないから東京の地理を知らない。鉄道線路で位置を把握するそうです。
 東京都の形もわからないし、自分がどのあたりに住んでいるのか、海がある方向がどちらなのか、いろいろわからないそうです。(著者の脳みその中には、どんな世界が広がっていたのだろうか。わたしとは、ずいぶん違うような気がします)

 著者は、タクシーをよく利用する人です。(わたしは、タクシー料金が高いから、めったに利用しません。自分で自分の車を運転できるからということもあります)
 
 どちらかといえば、自問自答のような文章が続きます。読み手に対してではなく、自分自身に対して語るように書いてある文章です。
 自分の背後から、何か怖い物(こわいもの)に、追いつかれて、包み込まれた(つつみこまれた)ような気分が、ご本人にあります。

『殻(から)』
 殻というのは、東京のことです。東京という殻の中に自分がいるそうです。
 著者は、協調性があるような人には見えません。マイペースです。自分のしたいことをする。したくないことはしない。そんな個性がある人です。
 福岡で、家族と仲良く暮らせない。ひとりだけで東京で暮らす。(親御さんのご苦労をお察しします)
 女子があこがれる街が、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京だそうです。東京という都市の殻を身にまといたかったそうです。『東京の女の子になるために東京に来たのだから』と書いてあります。

 されど、孤独感がただよっています。

『泡』
 詩のような文章が続きます。
 
 出張で名古屋に来た時のことが書いてあります。
 雑誌編集長との面談です。著者は、『自分の本を出したいです』と相手に申し出ます。
 
 ドンペリ:フランス。高級シャンパン。
 アルコールを飲むと吐くのに、無理してアルコールを飲むことがあるそうです。

 家庭をもたない人の話だと思って文章を読んでいます。
 場所は、夜の東京銀座、ラウンジには、外国人客がパラパラといます。
 退廃の雰囲気がただよっています。
 料金は、おひとり様1万5000円で、お客さんからは、けっこう安いという感覚で利用されているそうです。庶民から見ると、金銭感覚がおかしいけれど、どうも、庶民の立場の人が客として来ているようです。読んでいて、頭の中が混乱します。お金を貯めて、だれかのお誕生日のときに利用するそうです。

『血と肉』
 東京はすごい→24時間営業のスーパーがあるから。(いなかから上京した人間が驚くこと)

 きちんとした食生活を送れない。(いつでもものを買えるから)
 『健康は、高い値段で売られている』とあります。

 Tumblr:タンブラー。アメリカ生まれのブログサービス。
 
 健康管理ができないというような嘆きが書いてあります。自己管理ができないのです。
 もどかしさが書いてあります。

 『痛み止めだけで生きていければいい。』とあります。
 体が続く若いうちなら耐えられるけれど、42歳ぐらいになるとバッタリ倒れるパターンです。(男の厄年やくどしですが。未来が予想できてしまいます)

『マイ・ウェイ』
 歌手の藤圭子さんが歌ったマイ・ウェイです。暗い雰囲気だとあります。
 藤圭子さんは、『(自分が演じていた藤圭子を指して)あの人は、もういなくなったの』という言葉を遺して(のこして)飛び降り自殺をされてお亡くなりになった記憶です。
 自分がこどものころに、デビューされた藤圭子さんの歌を聴いて、すごみのある人だと思いました。(こわいぐらいの迫力がある人)

 才能について書いてあります。
 才能がないのに、自分はスターになれると妄想している。
 結局自分は、スターにはなれなかった。
 いろいろ書いてありますが、考えすぎです。著者は、こじらせ女子です。

『訓練』
 東京都庁のそばにある公園(新宿中央公園)に、ホームレスがたくさんいることが書いてあります。
 
 知らん顔をする東京の人たちがいます。
 東京は、知らない人と話をするハードルがかなり高い街とあります。
 他人は、いてもいないものとして扱う。
 やっかいなことに関わり合いにならないようにする。
 『東京は人口が多すぎて、人と人との距離感がおかしい……』(同感です。わたしは、東京には住めません。身近に、ひとりになれる自然(山や川、池や草木)があってほしい。東京はたまに見物に行くだけでいいところです)

 自分自身の感想として、東京の人はがまん強い。東京人であることに誇りをもっている。東京=日本という意識をもっているようにも見える。ただ、住みやすい場所とは思えません。

 著者にとっての東京は、『戦場』だそうです。
 若者は、東京にいることで、苦しんでいるように見えます。

『努力』
 わたしの願いとあります。『本をたくさん読んで、あとは寝ていたい』そうです。

 大学を出ても、正社員の職には就(つ)かなかった。あるいは、就けなかった。
 アルバイトしか仕事がなかった。フリーターになった。(なんのために大学へ行ったのだろう)
 働くのやだなーが、生きてるのやだなーになる。(ふつうは、食べていくために、いやなことをがまんして働きます。働くことは人間の本能で基本です。本能:生まれ持った行動様式・規範)

『退屈』
 『弁当屋の外に、弁当が出来上がるのを待っている女がいる。』から始まります。
 
 著者自身に、なにかを見て、『かわいい』とか、『きれい』と思う心がないとあります。かわいいという感覚を理解できない。加えて、美しさを判断できない。

 凌駕(りょうが):ほかのものと比較して、ずばぬけてレベルが高いこと。

 『好き』という感情を理解できない。『好き』という状態を考察するけれど、結論はでない。(なかなかむずかしい思考をもった方です)

『六本木の女』
 土曜の夜に六本木に行く。六本木ヒルズで、映画、ミッドタウンで買い物をする。
 都営大江戸線で、派手な(はでな)かっこうした女性を見る。
 
 買い物は、命を削って買っているという感覚があるそうです。
 年金の話や貯金の話が出ます。
 著者は、年金をもらう年齢のはるか手前で亡くなってしまいました。
 本人が気にしていた老後は、本人にはなかった。

 森瑤子(もり・ようこ):1940年(昭和15年)-1993年(平成5年)52歳没。小説家。

『女友達』
 生まれつき東京育ちの女性と、福岡育ちの自分を比較します。
 東京育ちの女性は、私立高校から大学受験をしないで大学生になっていた。自分は外部受験生という枠だった。受験しなくても大学生になれる財力がうらやましくも、うらめしくもある。世の中は平等じゃない。

 自分と同じくいなかから出てきた女性と友だちになった。
 お互いに深入りはしない。相談事はしない。恋愛話はしない。たまにしか会わない。メールの返事はお互いに遅い。映画をいっしょに観た。軽い関係が心地よかったそうです。

『居場所』
 福岡に正月帰省した。
 田んぼの中を走る鉄道列車の中で、九州弁で話す派手なかっこうをした若い女の子たちを見た。
 
 小田急線の車内で、下品な言葉遣いをする若い女性を見た。男にこびる話し方だった。(こびる:ごきげんをとる。色っぽく男にせまる)

 いずれにしても、自分はひとり(孤独)だ。

 フラワーカンパニーズ:日本のロックバンド

 嫌いだった故郷福岡について、女友達をからめて話があります。

『若さ』
 十代の頃、二十歳になる前に死にたいと思っていた。
 ブルセラブーム:ブルマーとセーラー服の混成した造語。アダルトグッズとしての意味合いがある。
 二十歳を過ぎたら、三十から先の人生は見えなかった。三十過ぎると女扱いされなかった。
 26歳でも男に拒否された。
 
『優しさ』
 著者の書き方として、まず、ポンと、読み手をひきつける文章を置きます。
 このエッセイの場合、『俺は、死ぬのがすごく怖い……』から始まります。
 福岡県人に、自滅型のタイプがあります。理屈よりも感情優先で、力まかせに生きていきます。やがて力尽きてつぶれてしまいます。(うちのオヤジがそうでした)

 完全自殺マニュアルという本が紹介されています。わたしも以前読んだことがあります。自殺のやり方が書いてあります。その本をわたしが読んだ時の感想の一部です。
 『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
 この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、注文後、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。自分が納付した年金保険料分ぐらいは取り戻してから死にたいと、あがきながら長生きしています。
 「はじめに」があります。これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。救いのある本です。 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。すごい気合が入っている文章です。

『谷間の百合』
 福岡での暮らしがイヤ。両親との暮らしがイヤ。
 逃避です。著者はただ逃避したかった。
 だけど、どこまで逃げても孤独です。

『静寂』
 この本は後半になるにつれて、狭い領域の中で深く、理屈っぽく考えるようすの内容になっていきます。
 極端にいうと、生きることがイヤというような世界に著者が入りこんでいきます。
 (考えすぎです。そこまで考えなくても人間は生きていけます)

 しんと静まり返る時があるそうです。(著者の心の中の動きとして)
 
 お風呂場で足にスクラブをかける:角質除去剤、洗顔料、洗浄剤、ごしごし洗う。

『暗闇』
 孤独の話です。
 新宿駅とか、ゆりかもめ(鉄道路線です)の中がイヤだと書いてあります。
 家に帰りたい。だれもいない静かな自分の家(部屋)に帰りたいそうです。

『越境』
 iPhoneのShazarn:シャザム。ミュージック認識。曲名やアーチスト名を教えてくれる。

 著者の脳みその中は混乱しています。

 東京は、勝ち負けを決めるところ。

『幸せ』
 読んでいて思い出した本があります。似ています。感想メモが残っていました。
 『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん) 高野悦子(たかの・えつこ) 新潮文庫』
 読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記で す。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
 日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
 記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、 わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。

 こちらの本の著者は、『普通の幸せ』について考えています。
 ご自身で自分を、欲望ばかりが過剰なわがままな人間だと定義づけておられます。

 幸せについて考える。どんな状態が、『幸せ』なのか。

 人から優しくされたことがないから、人に優しくしてあげられないということはあると思います。

『刺激』
 『東京なんてただの場所だから』、『恋愛なんて、ただの幻想だ』から始まります。
 東京に来て、お金を奪い取られて、心はかき乱された。
 東京の刺激は、いらだち(苛立ち)があることとあります。
 東京での苦痛が書いてあります。

『指』
 『男の腕が欲しい……』から始まります。誰の腕でもいいかというとそうでもないというふうに書いてあります。
 
 バングル:ブレスレット

 著者は、これが欲しいと強く主張できない自分にいらだちを感じておられます。

『東京』
 東京は、狭い区域内にとにかく人の数が多い。
 
 1年に1回、母と祖母が上京して娘である著者のようすを見に来るそうです。
 連休の二泊三日で、母たちはホテルに泊まる。
 親や親族と仲が悪いわけではないけれど、親密でいたいとは思わないようすです。
 
 著者は、なにかしら、地に足がついていない人です。

『眼差し(まなざし)』
 冷静に自分自身をみつめる文章でした。

『おわりに』
 最後の一行(いちぎょう)は、『これから、どうなるのだろう。東京も、私も、絶え間なく変わってゆく』で、終わっています。

 最終ページにこの本の成り立ちが書いてあります。
 出版社(大和書房(だいわしょぼう))のホームページに連載した『東京』に、書き下ろし(かきおろし(あらたな文章))を加えて、再編集したそうです。
 連載期間が、2013年(平成25年)6月から2014年(平成26年)7月です。
 著者は、2016年(平成28年)11月15日40歳で亡くなっています。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月18日

大河への道 邦画 2022年

大河への道 邦画 2022年(令和4年) 1時間51分 動画配信サービス

 いい映画でした。
 日本国の測量をした千葉県香取市出身伊能忠敬(いのうただたか。地元では『ちゅうけいさん』と親しみを込めて呼ぶそうです)を題材にして、内容は、名も亡き測量隊の人たちの苦労と努力が描かれていました。みなさん熱演でした。

 伊能忠敬氏が亡くなるのですが、彼の死を公表すると、江戸幕府から測量調査等のための予算が配分されなくなって、日本地図の製作が中途半端で終わってしまうのです。
 だから、伊能忠敬氏が死んだことを伏せて、事業を継続するのですが、それなりに苦労が伴います。

 先月終わった金曜夜のテレビドラマ、『不適切にもほどがある』のタイムトラベルみたいに、現代の千葉県知事や千葉県香取市役所の職員が、江戸時代である西暦1821年頃を行ったり来たりするのです。現代のメンバーと江戸時代のメンバーが重なるのです。

 なんのために地図をつくるのか。
 日本国を他国(ロシアやイギリスなど)から守るためにつくるのです。諸外国の植民地にされることを防ぐのです。軍事目的です。
 のちの世の人たちのために日本地図を完成させる。日本が欧米諸国の植民地にならないようにする。
 日本地図づくりは、開始から17年間かかっているそうです。
 『志(こころざし。目標・目的)』を貫く(つらぬく)。
 だれしも終わりの時が来る(死)。自分の志(こころざし)を継いでくれる者を育ててこの世に遺して(のこして)おきたいと思う。

 歴史上の事実として、伊能忠敬氏の死後三年たってから、地図が完成して、同時に、彼の死を公表した。
 言い出しっぺの人物が死んだことを隠して、残ったメンバーで地図づくりを続ける。幕府にばれたら死罪もありえます。(今でいうところの税金を原資にした予算の不正使用です。されど、不正をしなければ、国防という大きな組織目標を達成することができないという事情があります)。緊張感がありました。
 以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。

 勘定奉行(かんじょうぶぎょう):江戸幕府の役職。財政担当。指揮監督権あり。

 クライマックス付近の話のつくり方がうまい。
 伊能忠敬氏のはいていた草鞋(わらじ):草鞋には、「忠」の文字が埋め込まれている。
 
 江戸時代の日本は、江戸幕府の独裁国家です。
 
 名ゼリフとして、江戸幕府の要職者から、『伊能はどこだ』と問われて、『伊能は、次の間に控えております。(次の間に、大きな日本地図が広げてある)』
 美しい地図です。立派な地図です。巨大です。
 すごいなあ。いい脚本です。
 いい映画でした。
 『まこと、大儀であった。あとはゆるりと休むがよい。(ごくろうさん)』
 『恐悦至極に存じます。きょうえつしごくにぞんじます。(気を使っていただき、たいへんおそれ多いことでございます)』

 考えながらコツコツと、まずは歩きだし、歩きながら考えだす。みんなで力を合わせて、大河への道を歩いて行きましょうという呼びかけも良かった。