2018年06月22日

美しい顔 北条裕子

美しい顔 北条裕子 第61回群像新人文学賞 6月号群像

(平成30年5月15日付読書感想文)
 美しい顔とは、7年前の東日本大震災で津波によって亡くなった主人公サノ・サナエ当時17歳の母親の死に顔をさします。
 マスコミの取材に対する批判から始まります。地震・津波が素材というこの話、この素材がいつまで続くのだろうかとため息が出ます。
 書き手全体に対して言いたいのですが、これから先、小説の素材選びはどうするのだろうか。次の大災害がくるまで、東日本大震災を引っ張るのだろうか。何をどう書きたいのだろうか。

 エロっぽいものが重ねてあります。純文学はエロを必ずからめなければならないものという呪縛さえ感じます。
 書いた勇気はたいしたものです。覚悟があります。

 文字がページ全体、びっしりと書き込まれています。ここに、「行間を読む」という日本人が好んできた文化はありません。読み手のための文章ではなく、書き手のための文章です。

 もう、流し読みにします。

 とうとつに、パリ・シャンゼリゼの話が出ます。変です。ここは、日本です。

 「いいね!」 SNSのことはわからない。わかる人間は、1億2000万人のなかの、一部の人間でしかありません。

 生徒会長で人気者の広子ちゃん。「がんばろう日本」に対する嫌悪感。生き残った自分を責める自虐。二重人格部分あり。カタカナ表記の人間性をもたせない登場人物への命名。

 冒頭付近のダンボールハウスは、避難所体育館の中なのでしょう。最初は公民館に泊まったとあります。(再読した時に、場所がどこかを秘密にせず、最初から避難所ですとしたほうが、わかりやすいと思いました。)

 7歳年下の弟がいる。

 ここまで、読んできて、作者は被災者ではないなと予感します。被災者だったら書けません。この内容はつくり話です。小説家は体験がなくても上手に事実のように書く才能をもちます。

 これまで、「死」が身近になかった人の文章です。

 登場人物のひとりが、嫌なら取材を拒否すればいいというようなアドバイスを主人公に送ります。読み手として同感です。拒否しないのは、自分に陶酔しています。

 年寄りの気持ちがわからない高学歴の女子たち、規則順守にこだわる公務員気質の女子たち、主人公はそんな人物像に見えます。

 毎日、おおぜいの人たちが、病気や事故、事件、老衰で死んでいる。人は必ず死ぬ。遅いか早いかがあるだけで、「死」に特別はありません。

 内容は悲惨ですが、つくり話だから、読み手は実感をもちません。

 善意って何だろうというメッセージがあります。

 反抗期、思春期の心の動きは、うまく表現されています。

 速読が終わりました。ていねいに、再読するかどうかはわかりません。(2018年5月)

主人公 サノ・サナエ 母親 サノ・キョウカ 弟 サノ・ヒロノリ
生徒会長で人気者だった 広子ちゃん
齋藤さんと斎藤さんの奥さん齋藤由香
マスコミカメラマンであるジーンズの青年


(平成30年6月21日付感想文)
 芥川賞候補作品となりましたので再読しました。
 前回読んだときほどの嫌悪感は生まれてきませんでしたが、やはりわたしには合わない作品です。

 被災地にいる被災者へのマスコミの取材に関して、こういう感じ方もありますが、これがすべてではありません。マスコミというのは昔からそしてこれからもそういうものです。
 現実の生活感がありません。頭の中だけの世界です。
 「拙く:つたなく。漢字がすぐに読めませんでした。」
 
 母がいないなら自分も死んだ方がよかったとするのか。人助けをしようとして亡くなった母親を責めるのか。他人を助けるぐらいなら娘の自分や息子の弟を助けてほしかったとするのか。勤務先で上昇志向があった母親を責めてみるのか。憎むことも愛情、甘えることも愛情。死をもって哀しみとする。

 気に入った表現として、「口角が落ちる。」、「私は言った。反抗期だから。」

 遺体へのこだわりがあります。遺体は遺体であってそこにはもう本人はいないとする考えはいけないことなのか。

 姉17歳と弟7歳の年齢差がありすぎる。

 これはこうという思い込みが強い。


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