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2017年12月17日

ふたご 藤崎彩織

ふたご 藤崎彩織(ふじさき・さおり) 文藝春秋

 珍しい構成です。
 第一部、第二部。10ページずつくらいの固まりが18+16=34
 序章と後書きが付くつくりです。
 作者はミュージシャンのようですが、存じ上げません。
 325ページの作品です。

 彼:月島悠介が私:西山夏子のことを「(じぶんたちは)ふたごのようだ」と言っているのです。
 中学生時代のふたりから始まりました。彼がひとつ上、3年生です。
 リリー・フランキーの「東京タワー」方式の記述展開です。
 おとなになったふたりの背後にあるチューハイの缶のタワーには退廃を感じる。
 西山夏子が、「私」の一人称で進行のかじ取りをします。

 読者であるおとなにとっては、中学生の退屈な生活のシーンが続く。
 ともだちだと思っていたら、相手は自分を友達とは思っていなかった。それは、実社会では、貸したお金が戻ってこない体験をして実感する。
 
 ひとりぼっちになり始めたのは小学校2年生と主人公のなっちゃんは言う。案外、ひとりひとり全員が自分はひとりぼっちと思っていることをひとりひとりは知らない。決まりきったようにひとりぼっちの孤独感はいじめ行為につながっていく。

 自分は悪くない。悪いのは相手という人間の性(さが、本能、本質、性質)がある。

 「思春期の悩みがある」と、(生活費を)稼がなくてもいい立場に立ちながら彼らは虚空へ遠吠えをしている。

 文章にリズムがある。
なっちゃんは、女性として成長をし始めた。
 登場人物をふたりに特化してあります。ラブストーリーをつくるときの基本です。

 男性の苗字「月島」に抵抗感があります。どうしても、東京にある地名を思い浮かべてしまいます。

 セリフの連続で進行していきます。
 
 だれもかれもが頼りない。

 高校中退、本気の恋じゃない、アメリカ留学即帰国状態。(暮らしに厚みがない。生き生きとした気力がない)。ギターをもった金持ちの息子。
 読んでいると気分が沈んでいく文章です。男を捨てられない女の物語でもあります。
 ショパンのピアノ曲は知らない。
 
 132ページ、もう読むのをやめようか。不快です。流し読みに突入しました。
 154ページ、だらしない。155ページ、くだらない。
 昔、流行した、精神病だからうんぬんとか、薬物中毒みたいなこととか、もううんざり。古い。
 先日、小学生が書いた小説を読んだ。まっすぐで、成長していくエネルギーがあった。そっちのほうがいい。

 第二部へ進行

 読める文章に変化しました。184ページ、ていねいに文字を拾っていきます。
 大鳥居駅 地下1階 60畳 借り賃月10万5000円 元印刷工場 ここからバンド活動が始まる。
 整理整頓された文章の行(ぎょう)が続く。
 演奏はなかなか始まらない。スタジオ構造づくりの時間帯が長く続く。
 男のしぐさだった女性主人公が、別の女性の登場で自分が女子であることを自覚しました。嫉妬心の発生。読み手である男のわたしにはわからない女性心理が書いてあります。
 
 学び(生き方)として、自分のペースを崩さない。相手のペースにのらない。ペースとは、取り組みにかける進行時間をいう。

 音楽に関しては、楽譜が必要ない世界が書いてあります。秀でた能力を生まれながらにもっている人はそうなのでしょう。
 だけど、なかなか音楽だけでは食べていけない。
 
 月島悠介は二重人格です。魅力があるようでない。しかし、彼のような資質をもった音楽家は昔のヨーロッパにはいた。学校教育のなかった時代です。
 ここは法治国家じゃないのか。人の首に刃物を突き付けた彼月島は、警察に突き出すべきだし、精神病なら鍵のかかる病室へ入れるべきです。なぜこんなに甘やかすのか。本人のためにならない。周囲にいる人間の生命や身体を彼の暴力から守ることが最優先です。

 本気でやったから音楽で食べていけるというものではない。
 最後半部にチャンス(運)が登場します。
 グループの成り立ちの自画自賛という作品に受け取りました。

 月島の行動は、もういいかげんにしてほしい。また、もう読むのはやめようかという気持ちにさせられた241ページ付近でした。あなた(月島)の理屈はもう聞きたくない。とにかく前進優先で結果を叩き出していくのが労働社会の生業(なりわい。生活を営むための仕事)です。流し読みに入りました。

タイトル「ふたご」が内容と一致しませんでした。

イメージとして、四角い箱の中のベージュ色で塗られた内面の空間、狭い空間の中のぐるぐる回る世界。西山夏子は、月島悠介に遊ばれている。
音楽に寄りかかって生きるということにたどり着くのだろう。
なんだろう。並行して、もう1本のStoryがあります。もう1本この素材で小説を書けます。月島悠介からみた西山夏子の世界です。それが「ふたご」になる。

工場従業員を「ラジオ」と表記してありますが、読み手には、電気器具のラジオのイメージが強すぎて、とても人の名前とはピンとこない。

平成時代の小説でした。覇気がない。

印象に残った表現として、「どれだけ一人で泣いた夜があったか」、「彼が言う(ふたごのようを)否定する」、「めちゃくちゃにふりまわされた記憶しかない」、「意味をもたないように、そうですかと発音した」、「ピアノに救いを求めてしまう」、「推進力」

難しかった漢字として、「拗ねる:すねる」、「訝しそう:いぶかしそう」

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