2023年01月24日

無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒

無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社

 亡くなった女性小説家の方の日記です。
 おととし2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳で逝去されています。
 同作者の作品『自転しながら公転する 新潮社』を読んだのは、2021年5月のことでした。本は、いつも自分たち家族がごはんを食べる部屋にある本棚に立ててあります。(著者への癌の宣告は同年4月です)
 以下は、そのときの感想の一部です。(この本の35ページに作品「自転しながら公転する」のことが書いてあります。167ページには、タイトルの意味の種明かしらしきことも書いてあります)
 感想:自転しながら公転する
 『58ページあたりを読み終えたところで感想を書き始めてみます。全体で、478ページある作品です。
 男性の自分が読むのには場違いかなと感じながら読んでいます。恋愛小説のようです。
 冒頭は、ベトナムでベトナム人の恋人と結婚式を挙げる直前シーンから始まります。その後、過去の出来事にシーンは移ります。世界的に、地球規模で動くから、自分が自転しながら、太陽のまわりを公転するという意味合いのタイトルに思えます。
 主人公は、与野都32歳で、茨城県牛久市(うしくし)にあるショッピングモールのアパレルショップ(おしゃれ衣料品店)「トリュフ」で店員をしています。彼女は、同じショッピングモール内にある回転寿司屋で働いている羽島貫一と付き合い始めます。(彼はあとで年齢が30歳で、与野都より年下だと判明します)
 与野都は、美人ではない。ファニーフェイスだそうです。(個性的で魅力的な顔立ち)丸顔、離れた目、小さい鼻は上を向いている。そばかすあり。だけど、可愛くないわけではない。彼女の前の彼氏はひとまわり年上だった。
 与野都の母親は更年期障害で少々うつ気味で体調が悪いという事情をかかえています。更年期障害なのでホルモンの話が出てきます。女性ホルモン、男性ホルモン。ベトナムの話はまだ出てきません。』

 そのときは、生きていた人が、今はもう生きていない。この世にいない。
 2021年(令和3年)秋、作者が亡くなった頃に、自分たち夫婦は、高齢の義父と義母を立て続けに亡くし、二か月続けてのお葬式の段取りや、各種手続き、事後処理に追われていました。この本を読み始める前に、そんなことを思い出しました。

 急なご逝去(せいきょ)だったようです。
 第一章から第四章まであります。
 これから読む日記の内容は、おそらく、2021年(令和3年)の5月24日から9月27日以降ということでしょう。(亡くなったのは、10月13日です)

 去年読んだ、がん(癌)がらみの本を思い出しました。
 『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』本の中に、医療関係者と余命宣告を受けたがん患者の苦悩がありました。

 自分も長く生きてきて生活していくなか、二十代の頃から、がんの宣告を受けてから、短期間で亡くなられた人たちを何人か記憶しています。
 みなさん、泣きながら亡くなっていきました。二十代の人、(たまたま三十代で癌の宣告を受けた身近な人はいませんでした)、四十代の人、五十代の人、六十代の人、男の人もいたし、女の人もいました。みなさんくやしい思いをこらえながら、失意の中で、無念で亡くなられていったと思います。合掌しつつ(両手を合わせて死者を悼む(いたむ))、されど、自分も明日は我が身かもしれないという気持ちはあります。

 読み始めます。

 タイトルの意味は何だろう? 『無人島のふたり』です。
 日記のどこかに、その言葉が出てくるのだろうと予想します。(38ページにありました。20フィート超えの大波に襲われ……(20フィート=6mぐらい)
 この本は、著者の遺作になるのだろうか。

 胸を突くフレーズ(文章)がたくさん出てきます。
 『……言葉より先に涙が出てしまった……』
 文章づくりの職人なので、グッとくる表現が続きます。
 『……私、うまく死ねそうです。』
 『何も考えたくない』
 『寝ても寝ても眠い。』(抗がん剤という薬のかげんなのでしょう)
 『何かの間違いなのでは』という空気。
 趣旨として、突然死ぬのは、自分以外の人間だと思い込んでいた。
 『毎日11時間以上寝ている』
 夫から(著者の)葬儀はどのようにしたらよいかとたずねられる。
 『花をいっぱい…… 生きているうちにたくさんの花を愛でたい(めでたい。かわいがり、いつくしみ大切にする)。(自分の義父母のお葬式の時に、棺桶の中をお花でいっぱいにしたことを思い出してしまいました)』
 『……抜けた頭髪が少しずつ生えてきている』
 『……私の軽自動車がディーラーさんに連れていかれた……』
 
 胃薬『ガスター10』は、自分も40代のころによく飲んでいました。胃痛によく効く(きく)薬でしたが、薬局で、こんな強いクスリを常時飲んではいけないと注意されてからは飲むのをやめました。最近はこの薬を薬局の棚に見かけませんが、昔は置いてありました。

 イレウス疑い:腸の中にある内容物が、肛門側への移動が阻害される状態。

 15ページにご本人についての背中の痛みに関する記述があります。
 自分は二十代のころに内臓の病気で入院したことがあるのですが、6人部屋の大部屋にいたとき、著者と同じすい臓がんのおじさんが同室におられました。
 しきりに、背中のまんなかあたりが痛いと訴えておられました。そのときに、すい臓がんになると背中が強く痛むのだということがわかりました。
 そのおじさんは、別の部屋だったか(個室)、別の病院だったかへ移って行かれました。
 もう記憶があいまいです。

 著者は、γ―(ガンマー)GTPが1000を超えていたそうです。超異常です。たしか、ふたケタ以内ぐらいの数値が正常値だったと思います。肝機能の検査数値です。
 うーむ。体がだるいとか、どこかが痛いとか、自覚症状はなかったのだろうか。あってもがまんして無理をしていたのだろうか。前兆はありそうな気がするのです。

 文章家は、記録をしっかりととります。(書きとめておく)
 文章家は、こどものころから日記を書き続けている人が多いと思います。毎日文章を書くことで、文章による表現力を磨き、力を維持していきます。
 たばことお酒は13年前にやめられたそうですから、45歳ぐらいでやめられた計算です。話はちょっとはずれますが、先日、たばこは目の病気の原因になるという記事を読みました。
 もうひとつ読んだたばこの記事は男性有名人喫煙者で、80歳近くになっても愛煙家をやめられない。たばこが、心の支えになっているからやめられないという人の記事も読みました。
 その人は胃がんになって胃の部分切除の手術も受けておられますが、たばこをやめる気はないそうです。体の病気というよりも脳みそ、心の病気のようです。たばこはまわりにいる人のことも考えて、やめたほうがいいです。

 17ページ付近を読みながら、支え合うのが夫婦だと悟ります。(さとる。気づきがある)

 余命宣告があります。どうしたって、命は助からない。半年ぐらい。長くて、抗がん剤が効いたと仮定して9か月の命だそうです。
 セカンドオピニオンも求めます。(別のドクターの判断として)4か月。化学療法が効いたとして9か月です。
 残酷です。
 おそらく、著者ひとりだけのことではなく、がん専門病院では、余命宣告は、日常的に起きている出来事なのでしょう。
 4か月だから、30日×4か月=120日が、この本のサブタイトルなのです。(『120日生きなくちゃ日記』)
 38ページにそのフレーズ(文章部分)のことについて少しふれてあります。

 著者のお父上が、5年前にがんで亡くなっているそうです。
 がんになりやすい体質が遺伝するのだろうか。
 ご家族をがんで亡くしたことがある人は、気にして検診をきちんと受診し続けたほうがいい。

 文脈から伝わってくるのは『自分がこの世で生きていた証拠を遺して(のこして)死にたい。(作家である著者の場合、遺すのは本です)』

 58歳で亡くなった著者です。本ではご自身で、長くもなく、短くもなくと書かれています。
 ふと思い出すのは、美空ひばりさん(52歳逝去)、石原裕次郎さん(52歳逝去)です。有能な人が短命だと悲劇を感じます。

 今年読んで良かった一冊になりそうです。

 軽井沢の自宅で創作活動をする。ときおり、東京で借りているワンルームマンションを利用する。新幹線通勤です。

 先日テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で見たがんで亡くなったミュージシャンの、最後は骨と皮だけになった姿を思い出しました。途中、意識不明になるも親友の声かけで、奇跡のように体が動いたシーンが目に焼き付きました。人間の気力はすごい。
 彼がノートに書き残した(自殺する人に対するメッセージとして)その命をオレにくれ!という趣旨の表現は、自殺志願者にぜひ届いて欲しいメッセージです。

 自分自身ではなく、配偶者や子が、がんになることもあります。
 病気やけが、事故や事件、自然災害などの災難は、どれだけ注意しても避けられないのが人生です。
 若い頃に、とある洋画を観た時に記憶が残った言葉があります。趣旨として『人生では、何が起きるかは問題じゃない。何が起きても動じない度胸と自信、知恵と知識を、日頃から体験を続けて体に覚え込ませておけばいいのだ』というようなメッセージとして自分は受け取りました。そして、失敗は成功のもとなのです。失敗してもめげることはありません。失敗しないと成功できなかったりもします。

 国立がん研究センターというのは、昔訪れたことがある東京にある『築地本願寺』の近くにあることがわかりました。

 ゲラ読み:訂正箇所がないか校正用に刷った(すった)ものを内容確認のために読む。
 うざく:きゅうりとうなぎの酢の物。

 6月ころ、吐き気がひどいようです。

 アルカイックスマイル:古代ギリシャアルカイック美術の彫像のスマイル。口元だけがほほえんでいる。
 アメトーク:テレビ番組。うちも著者同様に、録画して見ています。

 本を読んでいると、まるで、著者が生きていて、目の前で本人が語ってくれているような文章です。

(つづく)

 6月10日(木)あと4か月。(10月13日死去)

 カロナール:解熱鎮痛薬(げねつちんつうやく)
 ホスピス:終末期の痛みや苦しみをやわらげて、人生の最期(さいご。命が尽きる時)を見送る。
 モンチッチ:サルに似た妖精。
 ウィッグ:かつら
 
 もうお金を天国へもっていくことはできません。
 (使えるお金は使える時に使っておきたい)
 税理士に関する事務を夫に引き継ぐ。
 4年前に死んだ愛猫の骨を造園業者に依頼して庭に埋める。
 ジューンベリー:木の名称。バラ科、果樹、白い花。
 錦木(にしきぎ):落葉樹。紅葉する。

 手書きの遺言状を書く。
 著者のお父上が、がんで亡くなったとき、遺言状がなかったので、ご遺族がとまどったそうです。(わたしも書いておこう。本では『財産があろうがなかろうが遺言状は書こう……』と書いてあります。遺言書にはあとに残る者たちへのメッセージ部分もあります。
 
 夫がいないと生活がたちいかない。

 ER:エマージェンシー ルーム。救急救命室。

 第二章 6月28日~8月26日
 まるでエンディングノートの作製です。銀行口座、ログインパスワード、葬儀の出席者名簿……
 (もう、泣いてもしょうがない)とあきらめる。
 タイトル『無人島のふたり』のことが、63ページに書いてあります。コロナ禍(か)で、なかなか人に会えません。夫婦ふたりだけの毎日です。(配偶者がいて良かった)
 日記を書いていることを編集者に知らせてあります。
 自分でも覚えているのは、この年の秋に亡くなった義母が春先からずっと入院中で、コロナ禍のために、親族でもなかなか面会がかないませんでした。
 東京オリンピックは、無理やりのように開催されて、うらめしかったことを覚えています。自分たちは入院見舞いどころか、どこにも行けませんでした。
 そんなことを思い出しました。
 本では64ページに『コロナ禍で面会禁止……孤立無援……』と書いてあります。

 創作のアイデアをいくつか紹介されています。
 自分はもう書けなくなったから、だれか書いてもらってもいいとあります。
 余命を宣告されて、勉強のための読書もやめたようなことが書いてあります。さびしいことです。
 枕元に未読本が置いてあるそうです。(わたしと同じです)

 ベクトル:方向性。向きと大きさ。

 ご自身が、がんこであるというお話も含めて、経緯、ご自身の歴史話は、しみじみします。
 
 ビストロ:食事処(どころ)、大衆食堂。

 思い出がつづられています。
 やはり、人生のイベント、ランドマーク(目印、節目)として、旅のような移動は体験しておいた方がいい。人生は知らないことを知りたいための冒険です。

 夫は英語の勉強をしている。(先日観た邦画『ぼけますから、よろしくお願いします』の90代のご主人も英語を勉強されていました)
 夫は、すごくがまんをしていると妻の目線から書いてあります。『もうすぐ別れの日が来る。(夫と)別れたくない』
 
 ウブド:インドネシア共和国バリ州の村。
 
 知床半島に行きたかったという文章が出てきます。当然ですが、昨年知床半島巡りの遊覧船が沈没した事故とのことはご存じありません。

 『……(自分は)2年ぐらいは持つんじゃないか……』
 7月にコロナ緊急事態宣言4回目が出たとあります。

 訪問診察の医師と看護師は、無人島に物資を届けてくれる本島(ほんとう)の人という感じがするそうです。コロナ禍がなければ、そこまでの孤独感はなかっただろうにとお気の毒です。
 89ページに、会いたかった人がたくさんいたというようなことが書いてあります。

 お母さんとはなにか、過去にいさかいがあったような書き方をされていますが、なんのことかはわかりません。

 病状として、嘔吐、高熱(38℃とか39℃)、だるい(倦怠感)、腹水がたまる。トイレに行くだけがやっと。つらそうです。薬漬けの体です。

 ジェラートピケ:ルームウェアのブランド。

 ご自身は、90歳ぐらいまで生きられると思っておられたようです。
 どんな人でも自分のデッドエンドはわからない。(おっしゃるとおりです)

 次の冬のオリンピック(北京オリンピック)のときには、自分は生きてはいなさそうだな……。
 せつない。

 緩和ケア(かんわケア):苦痛をやわらげる手あて。

 9月13日発売の『ばにらさま』という本が、作者にとっての作者が生きているうちの最後の本になるようです。

 114ページ、8月3日までのところまで読みました。
 人それぞれ人生の体験が違うので、共感できるところもあるし、そうでないところもあります。それぞれが『違う』ということが、ありふれたことであることがわかります。

(つづく)
 
 読み終わりました。
 深夜おふとんで目が覚めて(さめて)、最後のほうの部分をゆっくり読みました。
 そのあと、また眠りに落ちて、早朝を迎えました。
 眼が覚めて、ああ、著者は、もうこの世にいないのだと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちて、納得する)
 123ページ『この日記をもし読者の方に読んでいただける日が来るとしたら、わたしももうここにはいない……』
 今、自分が生きていることが不思議な気分になりました。人間が生き続けるためには『生命運』が必要だと思いました。

 8月、嘔吐(おうと。吐く(はく))が続いて、だんだん状態が悪くなっていく。
 腹水がたまって苦しんでおられます。2リットルも抜きます。抜いてもまたたまり始めます。シリンジで抜く。シリンジ:注射筒。
 
 124ページに2009年(平成21年)の作家角田光代さんのご友人たちとの結婚パーティのときの記念写真があります。
 著者を含めて、おふたりの女性ががんで亡くなっています。
 写真に写っている編集担当の女性は2015年(平成27年)に亡くなったそうです。
 写真を見ていて思うことは『若いということはすばらしい』
 節目、節目の集合記念写真は大事です。
 今隣にいる人が、明日も隣にいるという保障はありません。
 なるべく、けんかはしないほうがいい。

 余命宣告を受けた120日目が8月17日。8月16日の記録として『あ、今日もまだ生きているなとぼんやり思う』とあります。もっと生きたいと思いながら、ぼんやりとしているようすがわかります。

 命が静かに消えていきます。(『ブラックホールに吸い込まれるように、ひゅっと命をとられている』と表現があります。

 『がんは、見つかっても治らないがんがある』
 
 パルスオキシメーター:指をはさんで測定数値を表示する。動脈血酸素飽和度と脈拍数を調べる。
 
 自分で感情をコントロールできなくなる。
 何度か転んでしまう。(ころんでしまう)
 週単位で時間を見る→死期が近い。
 ふたりで暮らしている無人島から、夫だけが本島に帰ってしまう。
 せつなくなる文章表現が続きます。
 賢人(けんじん。夫のこと):かしこい人。夫も精神的に相当まいっています。
 
 親族や友人と生きているうちで最後の面談をする。
 痛々しい。
 書くことで、気持ちが助かるということはあります。日記は続きますが、終わりは近い。
 9月13日(月)生きているうちで最後の新刊『ばにらさま』が発売される。喜んでおられます。
 日記の文章だけを読むと、もうすぐ亡くなる人には見えません。元気そうな書きぶりです。
 
 日記は、わたしの義父が亡くなった9月のとある日を通過しました。
 どたばた騒ぎをした自分たち身内の葬儀対応を思い出します。高齢の老衰とはいえ突然の死去でした。
 
 9月下旬、日記の文章を読むと、ご本人の意識が崩れていくのがわかります。10月13日が命日です。
 人間ひとりひとりを『星』とする。星は、自転しながら公転している。作品『自転しながら公転する』の意味がわかります。人間関係のつながりなのです。

 10月4日(月)で、日記の文章は終わっています。
 意識が遠ざかっていったのでしょう。
 胸にグッとくるものがありました。  

Posted by 熊太郎 at 08:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年01月23日

同志少女よ敵を撃て 逢坂冬馬

同志少女よ敵を撃て 逢坂冬馬(あいさか・とうま) 早川書房

 書評の評判がいいので読み始めます。
 2021年第11回アガサ・クリスティー賞受賞作品:ミステリー小説の新人賞。
 2022年本屋大賞受賞作。

 まだ、読み始める前ですが、第二次世界大戦中の出来事のようです。ロシア人の戦士が英雄として描かれるとするなら、ロシアのウクライナ侵攻の今読むと、読み手としての気分は複雑です。
 今回のことで、ロシアに対する不信感があるからです。本当のことを隠して、国民の人心を操作するロシアの権力者たちです。嫌悪感しかありません。
 
 時代設定は、1940年(昭和15年)モスクワ近郊のイワノフスカヤ村から始まります。ドイツ軍がロシアの村を襲撃して村人が惨殺されます。そこから『復讐心』が生まれます。

 セラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤ:主人公の少女。貧農の娘。ソ連ではなく、帝政ロシアのままだったら一生文字も読めなかったそうです。
 1924年生まれ(日本だと大正13年)。物語のスタート当時は16歳。母親のエカチェリーナをドイツ兵に殺された。狙撃の訓練学校で学んで、狙撃手になる。さきざきのことして符丁(ふちょう。名前を表す合言葉)が『ゾーヤ』

 イリーナ・エメリヤノヴナ・アルスカヤ少尉:セラフィマをドイツ兵たちから救助したソ連の女性兵士。上級曹長(そうちょう)。狙撃の教官のトップ。黒髪。黒い瞳。白い肌。精かんな顔立ち。細身の体。長身。美しい。ドイツ兵98人を射殺した。前線の戦いで右手の指を失った。反体制将校の娘。

 ミハエル(愛称ミーシカ):セラフィマの幼なじみ。男子。

 シャルロッタ・アレクサンドロヴナ・ポポワ:モスクワ工場労働者の娘。狙撃の訓練学校の生徒。「シャルロッタ」は、フランス人みたいな名前。金髪。丸顔。頬は赤い。16歳ぐらい。身長160cmはないくらい。

 アヤ・アンサーロヴナ・マカタエワ:カザフ人女子で猟師。カザフ人は、遊牧をして大地とともに生きる自由の民族。漆黒の髪。だいだい色の肌。平板な顔。アジア風の容貌をもつやせた少女。眼光鋭く、冷え切った目をしている。14歳ぐらい。本人は、射撃の瞬間に自由を感じている。

 ヤーナ・イサーエヴナ・ハルロワ:最年長の女子生徒。28歳。グループ内では、年齢が高いためか、愛称が「ママ」

 オリガ・ヤーコヴレヴナ・ドロシェンコ:ウクライナ出身の女子生徒。コサック(軍事的共同体。トルコ人、タタール人がルーツ)の一員。<のちに戦地で自軍の逃亡兵と戦争遂行妨害者を射殺する役割を担当する人間であることが判明する。上司がハトゥナ>

 バロン:飼い犬の名前。シェパード。伝令担当候補。

 リュドミラ・パヴリチェンコ:セヴァストポリ要塞で戦っている女性狙撃兵士。ドイツ兵200人以上を狙撃して倒した。

 ポリーナ:モスクワ出身の女子生徒。狙撃兵に向かず電信隊へ変わる。

 ノーラ・パヴロヴナ・チェゴダエワ:女性狙撃兵教官。中央女性狙撃兵訓練学校の校長。スペイン内戦への参加歴あり。

 ハトゥナ:長身の女性。

 秘密警察(チェーカー。古い名称)。その後、NKVD(内部人民移民部。ソ連で、刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関(ちょうほうきかん。スパイ)を統括していた組織)。
チェーカーというのは、戦場で、戦士と同行はするけれど、同行する目的は、戦場から逃げようとする自軍の兵士に制裁を加えることが役割の人間ととらえました。

 独ソ戦争:1941年(昭和16年)-1945年(昭和20年)。ナチス・ドイツVSソ連

 ターニャ:看護師
 フョ―ドル:兵士
 ユリアン:狙撃兵
 ボクダン督戦隊(とくせんたい。前線の兵士が敵前逃亡しようとしたら、その兵士を攻撃して逃がさないようにする戦隊)
 イェーガー:ドイツ軍の狙撃手。顔に傷あり。

 ヴォルガ:ロシア西部を流れる大河。
 ケーニヒスベルク:現在はロシアのカリーニングラード(飛び地の領土)
 4ページの地図は、ウクライナが話題の今、テレビでよく出るような地図です。キエフとか、ハリコフの地名が見えます。
 
 プロローグがあって、エピローグがある。第一章から第六章までです。
 読み始めます。

 1940年(昭和15年)5月。
 イワノフスカヤ村。村人40人。
 アントーノフ:薪割り中(まきわり)。その妻が、ナターリヤ。
 セラフィマ16歳。(愛称:フィーマ)と母のエカチェリーナは鹿狩りに行く。生きるために鹿を撃って鹿をみんなで食べる。(1942年(昭和17年)4月、彼女が18歳のときに事件は起きる。当時の彼女の体重が55kg)
 エカチェリーナ:セラフィマの母。1942年のとき38歳。体重85kg。
 セラフィマの父マルク:内戦終結後、1923年(大正12年。セラフィマは1924年生まれ)に帰還し、翌年死去した。
 エレーナ:12歳。ボルコフ家の娘。兄あり。
 コルホーズ:民間の組合が運営する集団農場。ソフホーズが国営農場。
 ゲンナジー:村人農民。
 ミーシカ:16歳。エレーナの兄。ミハイル・ボリソヴィッチ・ボルコフ。金髪。アイスブルー(氷河の水の色。冷たい感じがする薄いブルー系の色)の瞳。ミハイルとセラフィマは同い年。カップルと思われているらしい。
 熊が出るらしい。
 ボリシェヴィズム:ロシアの革命家、政治家レーニンの思想(初めてソ連という社会主義国家をつくった)。ボリシェヴィキ党は、革命的な共産主義者の党。(アドルフ・ヒトラーが共産主義を否定する文章があります)

「第一章 イワノフスカヤ村」
 この部分を読み終えたのですが、不快感があります。異常な世界が描かれています。
 ドイツ軍がロシア農民を虐殺するのですが、現実には、去年1年前ぐらい、ロシア兵がウクライナで、本に書いてあるような行為を事実としてしました。
 去年の本屋大賞受賞作です。この本を読んだ人たちはどのような感想をもって、この本はすばらしいと讃えたのか不思議です。

 『スターリンは恐ろしい独裁者』スターリン:1878年(日本だと明治11年)-1953年(昭和28年)74歳没。ソ連の最高指導者。反対する人間を虐殺した。恐怖政治。

 マトヴェイ神父
 ソヴィエト:会議という意味。
 フリードリヒ先生:高校ドイツ語教師。亡命ドイツ人。元ドイツ共産党員。ナチ・ファシストが嫌い。
 『ヒトラーが総統になったのは、選挙で選ばれたのではなく軍人のヒンデンブルクが彼を首相にしたからだし……』(軍事政権は戦争をします)
 『ソ連の対独戦争は自己防衛であるとともにドイツ人民を圧政から解放する聖戦だ……』(現在のロシア大統領の理屈と共通するイメージがあります)
 帝政ロシア:ロシア帝国。1721年-1917年。
 以前読んだことがある本を思い出しました。『動物農場 [新訳版] ジョージ・オーウェル 山形浩生(やまがた・ひろお)・訳 早川書房』
 ボリシェヴィキのパルチザン:ソ連革命共産主義者の非正規軍。
 なんだか不思議な巡り合わせです。今の時代にこの小説がこの世に存在する不思議さがあります。小説の中の被害者であるロシア国民は、現実社会の今は、加害者の立場にあります。不快な気持ちが湧いてきたので速読に入ります。そして、読み終えたら、ほかの人たちの感想を読んでみます。

 フリッツの死体の数:ドイツ人の死体の数。
 認識票と階級章。NKVD:内務人民委員部

 復讐劇の始まりです。
 セラフィマが復讐する相手はドイツ兵とドイツの狙撃兵イェーガーと母を火葬したイリーナ(教官となる女性)です。セラフィマは、殺意のかたまりになります。

「第二章 魔女の巣」
 1941年6月(昭和16年)ナチス・ドイツの国防軍がソ連に侵攻した。
 ドイツ軍人の多数が、森林地域で“樹上狙撃兵(女性スナイパー)”に射殺された。
 フランツ・クライマー:ドイツ軍人

 教条主義的な共産主義者:現実を無視して、宗教の教えを機械的に適用する。あわせて、財産を共有管理する社会を目指す。

 中央女性狙撃兵訓練学校とその分校。生徒は全員ボブカット(おかっぱ)で制帽をかぶる。訓練期間は予定で1年。(人殺しの育成です)
 狙撃兵に向かない人:感情に流される。無駄口をたたく。目立ちたがる。他人を頼りにする。みんなで協力してがんばろうという人は向かない。狙撃兵は孤独です。

 ミル:角度の単位。射撃・砲撃の照準に用いる角度の単位。360度を6000ミルとする。
 カッコー:敵の狙撃兵のこと。
 フリッツ:ドイツ兵のこと。
 スターハノフ:ソ連で最も虚像英雄化された炭鉱労働者。
 サディスト:相手を虐待することで快感を味わう人。
 戦争孤児の女子たちを狙撃兵に起用する。
 戦う目的はなにか。なぜソ連は、女性兵士を戦闘に投入するのか。

 今の時勢に微妙なことが書いてあります。(78ページ)『ウクライナがソヴィエト・ロシアにどんな扱いをされてきたか、知ってる? …… ソ連にとってのウクライナってなに? 略奪(りゃくだつ)すべき農地よ(戦争をして、(ウクライナという財産を力づくで奪う)』

 狙撃のことが書いてあります。
 思い出すのは、テレビ番組『相棒』のシーンです。かっこよかった。自分の感想記録を調べたらシーズン13(2014年(平成26年))第十話「ストレイシープ」でのスナイパー(狙撃手)の寺島進さんが痛快でした。かっこいいー 異次元のスーパーマンです。

 オソアヴィアヒム:軍事教育や訓練を行うところ。

 射撃がじょうずな順に、アヤ、シャルロッタ、セラフィマ、ヤーナ、オリガ……
 イワン:牛飼い農家の主。

 スターリングラード:ソヴィエト連邦ヴォルガ川西岸。現在ヴォルゴグラード。(ウクライナの東方)
 スターリングラードの戦い:1942年6月28日-1943年2月2日(昭和17年-同18年)ソ連VSドイツ連合(ルーマニア、イタリア、ハンガリー、クロアチア)。ソ連の勝利。
 ウラヌス作戦:1942年11月19日-同月23日。ソ連軍がドイツ軍を包囲した。
 プロレタリアートの家:賃金労働者階級の家。
 デカブリストの乱:1825年。ロシアでの反乱事件。デカブリストは、反乱を起こした貴族の将校をいう。皇帝専制の打破と農奴の解放が目的だった。
 
(ふーっ。(ため息)なんというか、読んでいて、言葉がむずかしい)

 卒業試験としての模擬演習があります。以前テレビ番組「東野&岡村の旅猿」で見たサバゲー(サバイバルゲーム)みたいです。
 卒業試験のあとは、実戦です。
 
 戦う目的は『女性を守るため』もうひとつが『自由を得るため』。

 (RVGK)最高司令部予備軍所属 狙撃兵旅団 第三十九独立小隊 (狙撃手専門の特殊部隊)

 戦争で行方不明になってしまったドイツ兵の手紙があります。1942年11月(昭和17年)5月20日付けの手紙の内容では、自分たちの勝利を確信しています。しかしドイツ兵の願いはかないませんでした。読む方は複雑な気持ちになります。どちら側の人間も、なんだかよくわからない状況の中で国家に強制されて死んでいくのが戦争です。

 SS:ドイツの政党。国民社会主義ドイツ労働者党の組織。元は親衛隊。

 カフカスの赤軍:カフカス地方。コーカサス。黒海とカスピ海の間にあるカフカス山脈の南北地域。赤軍はソ連のこと。
 パルチザン:占領支配行為に対抗する非正規軍。

 ジューコフ:上級大将。全赤軍のトップ。
 ヴァシレフスキー:上級大将。ジェーコフを支える参謀長

 枢軸部隊(すうじくぶたい):第二次世界大戦時に連合国と戦った部隊。ドイツ、日本、イタリアが中心国。

 練度(れんど):熟練度。習得した度合い。

 ミハイル・トゥハチェフスキー:ソ連の過去の上級将校。軍事的天才。対立で粛清された(しゅくせい。処刑、強制収容、左遷ほか。異分子排除)

 アレクサンドル・スヴェーチン:ソ連の過去の上級将校。戦術理論の研究者。粛清(しゅくせい)された。

 ミハイル:ソ連の士官候補。曹長。主人公セラフィマの幼なじみ(ミハイルは、セラフィマと結婚するつもりだった)

 スタフカ:ソ連軍総司令部(大本営)
 カチューシャ:自走式多連装ロケットランチャーBM-13
 
 斥候(せっこう):偵察(ていさつ。調査)、監視、追跡
 政治将校:独裁主義国家で、政府が軍隊を統制するための役割を果たす役職。
 督戦隊(とくせんたい):自軍を後方から監視する。戦地から逃げ出す自軍兵士の逃亡者、降伏希望者、裏切り者を罰する。
 潰走(かいそう):戦いに敗れて逃げる。敗走。
 敵愾心(てきがいしん):あくまでも敵と戦おうとする気持ち。
 
 イーゴリ隊長:歩兵大隊の隊長。

 読んでいて胸に響いたセラフィマの言葉として『ここは、地獄なのか。』

 羆:ひぐま。
 車長用キューポラ―:「車長」は戦車の指揮をする役割の人。キューポラは、戦車のパーツ。円蓋(えんがい)ドーム。
 ペリスコープ:戦車のパーツ。潜望鏡。
 
 ロシア民謡の『カチューシャ』の歌詞が本の中で流れ始めます。壮絶な戦闘が背景にあります。
 大爆発が起こります。人がいっぱい死にます。
 女子狙撃隊に犠牲者が出ます。激戦のなかで敵を12人殺した彼女はもう生きてはいません。生き返ることもありません。

 怯懦(きょうだ):臆病(おくびょう)で気が弱い。
 ボルシェビキ:多数派。レーニンが率いた左派の一派。
 トーチカ:防御陣地。鉄筋コンクリートでできている。

 ターチャナ・リヴォーヴナ・ナタレンコ(ターニャ):イリーナの仲間。第三十九独立小隊の一員。

 現在のウクライナの首都『キーフ』の前の名称『キエフ』という単語が出てきました。
 イリヤ・エレンブルグ:詩人。キエフ生まれのユダヤ人。詩として『ドイツ人は人間ではない…… 殺すのだ…… (殺さなければ(こちらが)殺される)』

 戦いの目的は『復讐(ふくしゅう)』です。やられたら、やりかえす。人間が存在を続けていくための基本です。

 今回の戦争が始まったころ、ウクライナの年配の女性がインタビューに答えていました。『絶対に忘れない。絶対に許さない』

(つづく)

 テレビニュースでときおり耳にする『ハリコフ』という地名が出てきました。
 ソ連に対するイランの援助物資とか、石油資源の話も出てきます。なんだか、今の状況と重なります。
 ナチス・ドイツのシナリオ『電撃的勝利によって半年でソ連を崩壊させて降伏に追い込む』は、現在のロシアのウクライナに対するシナリオに重なります。

 迫撃砲(はくげきほう):簡易な構造の火砲。高い射角で大きく湾曲した弾道を描く。少人数で操作可能。
 誰何(すいか):相手がわかないとき、呼びとめて名前を問いただすこと。

 マクシム・リヴォーヴィッチ・マルコフ上級曹長。隊長:優男(やさおとこ。上品ですらりとしている)。妻と二人の娘が戦争で亡くなった。
 ボグダン:マクシムの部下。やせた小柄な男。(提督隊。逃げ出す自軍の兵士を処分する役割)口は悪いが根はいいらしい。
 フョードル・アンドレーヴィッチ・カラエフ上等兵(一等兵の上、兵長の下):身長2m近い。胸板厚く、腕太い。屈強。表情は柔和で馬のような優しい目をしている。妻帯者。
 ユリアン・アルセーニエヴィッチ・アストロフ上等兵:美少年。狙撃手。

 慧眼(けいがん):物事の本質を見抜く鋭い(するどい)力がある。
 ピオネール:共産党少年団。
 コムソモール:共産党青年団。ピオネールの指導的立場。

 4人しかいない第十二大隊:マクシム隊長、督戦隊ボグダン、妻帯者フョードル上等兵、狙撃兵美少年ユリアン(射殺した戦果23人)。
 マクシム隊長が少女狙撃手たちに声をかけました。『ありがとう、同志少女、あー……』

 チェイコフ中将
 サンドラ:夫をドイツ人に殺された。20代なかばのスターリングラード市民。
 ヒーヴィ:裏切り者。
 玩弄(がんろう):もてあそぶ。なぶりものにする。
 嗜虐的(しぎゃくてき):残虐なことを好む。
 
 読んでいて思ったことです。『悪人とは、自分が苦労して為すべきことを、他の人に苦労させてやらせようとする人のことをいう』

 ニコライ(コーリャ):6歳ぐらいの男の子。
 マーシャ:6歳ぐらいの女の子。
 戦場でもこどもたちは、ふつうに遊んでいる。廃墟で、砲弾の欠片(かけら)を拾って遊んでいる。
 遊撃(ゆうげき):あらかじめ攻撃する目標を定めず、戦況に応じて、攻撃したり、味方の援護に回ったりする。
 狙撃:ねらい撃つ。
 諧謔(かいぎゃく):おどけた。こっけいな。ユーモア。
 星屑作戦:作戦名に星をからめるソ連軍のやりかた。例として、火星作戦(マルス)

<むずかしい言葉が多く、登場人物も多く、コツコツ少しずつ読んでいます>

 狙撃をするときの距離がかなり遠くて驚かされます。
 230ページでは400m、860m、

 ターニャ:看護師。

 仇:かたき。仕返しの相手。敵。
 ラシアン弾:小銃用の弾薬。ロシアで開発された。(ラシアンはロシアンということか)
 ヒーヴィ:敵の協力者。スパイ。
 
 ヴェーラ・アンドレ・ヴナ・ザハロワ:工科大学の学生。パルチザン(非正規軍)
 アンナ・アンドレーヴナ・ザハロワ(アーニャ):同じく学生、パルチザン。ヴェーラの妹

 スパム:ソーセージの材料の缶詰。

 1942年12月12日(昭和17年)、ドイツ軍は、スターリングラードを逆包囲するソ連軍に攻撃を開始した。
 
 247ページ付近まで読んできて、自分には合わない作品だと感じました。
 ドイツもソ連もどっちもどっちです。敵も味方もありません。正義も悪もありません。とりあえず、自分が戦死するわけにはいかない。
 作戦の打合せは、先が見えないプランづくりに見えます。

 仰角(ぎょうかく):見上げた時の角度。
 モシン・ナガン:ロシア製の小銃
 サイロ:貯蔵庫。飼料、穀物、化学原料などを保管する。
 
 銃とか、狙撃にいたるまでの行為が、緻密(ちみつ)に書いてありますが、その道について素人(しろうと)の自分には何のことかわかりません。ただ、かなり遠い距離から狙撃することが脅威で驚かされます。的(まと)になる敵まで、300mとか500mとか850m、860mとか。よく弾(たま)が敵に当たるものです。そんな遠くからでも命中する。恐ろしい(おそろしい)。
 敵味方に分かれた狙撃手同士の撃ち合いは、日本刀を持つ侍同士の戦いのようでもあります。

  『セラフィマ!(楽しむな!)』
 人殺しは、戦争だと犯罪にならない。むしろ、成果となる。
 スコア:(敵を)何人殺したか。(自慢の記録になる)
 16歳女子いなか娘だったセラフィマが、人を殺せないと思っていたのに、今では、射殺した人間の数を誇っている。本人には、自分が「怪物」に近づいていく実感があるそうです。人間はいかなる環境に置かれても順応して変化していきます。

 ドイツの作戦として『冬の嵐作戦』
 ソ連軍の作戦として『土星作戦(サターン作戦)』『小土星作戦』
 12月16日ドイツマンシュタイン元帥の脱出作戦『雷鳴(ドンネル・シュラーク)』

 ハンス・イェーガー少尉:ドイツ国防軍人。(あとでわかりますが、セラフィマの村を焼き討ちした軍人です。つまり復讐されるべき人間です)

 害意(がいい):他人を傷つけようという気持ち。
 峻別(しゅんべつ):厳重に区別する。
 胡乱(うろん):あやしく、疑わしい。
 スラヴ女:中欧、東欧の女性。(この本では、ロシアの女性)
 イワン:ロシア兵を意味するドイツ側の俗語。

 ベルクマン少尉:ドイツ軍人。死去。セラフィマたちに狙撃された。

 1943年1月7日ロシア正教徒のクリスマス(昭和28年):先日のロシア大統領によるみせかけだけのクリスマス停戦が思い出される本の記事です。

 25人、狙撃で敵を殺すと剛毅勲章(ごうきくんしょう)がもらえる。
 上司が熱くなる部下を叱る。『お前のご両親が望んでいたのは、お前が生きることだ! ……』殺そうとすると殺される。

 ザイチョーノク:子うさぎ。
 ヴァシーリ・グリゴーリエヴィッチ・ザイツェフ(凄腕の狙撃兵。ウラル山脈の狩人だった)の教え子が『ザイチョーノク』と呼ばれる。

 膾炙(かいしゃ):いい意味での評判が広まる。
 プロパガンダ:特定の思想へ誘導する意図をもった宣伝活動。
 
 『お前も、私も神ではない……』(戦争では、市民全員を救うことはできないと続きます。(厳しい))
 『誰も守れなかった』『ありがとう 同志少女、セラフィマ……』

 (昨年読んだ『塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾(いまむらしょうご) 集英社』を思い出します。城主の京極高次(きょうごく・たかつぐ)が、『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』と言って決断をします。戦いにおいて、主が(あるじが)ある程度の犠牲はしょうがないと考えるのか、一兵(いっぺい)たりとも死なせないと考えるのかで、兵士の士気は変わります)

 寡兵(かへい):兵士の数が少ない。
 欺瞞(ぎまん):人をだます。ウソをつく。

 303ページ付近は、読み手の涙を誘うためのシーンがつくってある。(ゆえに自分は心が揺れない)

 ソ連軍のスローガン(気持ちを集中させる呼びかけ)『ヴォルガの向こうに、我らの土地なし』
 ちょっと読み手の自分には意味をとれません。読解力のなさなのでしょう。

 1943年1月10日、そして、同年2月5日ごろ。スターリングラード攻防戦で、ロシア軍は、ナチス・ドイツ軍に勝利しています。
 おおぜいの人間が死にました。
 この本は『平和』について考える本です。
 幼子たちも亡くなっています。
 人間の未来を自らの手で消しています。

 エイリョーメンコ大将付き政治局員ニキータ・セルゲーヴィッチ・フルシチョフ
 第四機械化軍司令ワシリー・チモフェーヴィッチ・ヴォリスキー少佐

 とある女性の『コウモリにはコウモリの生き方がある』という趣旨のセリフが良かった。
 
 バーニャ:おふろ。蒸気風呂。ロシア伝統のサウナ。

 1943年(昭和18年)連合軍全体が戦局で優位に立つ。

 ビャウィストク:ポーランド北東部の都市。
 ピオネール向け:ソ連・共産圏の少年団。
 RVGK:最高司令部予備軍
 クルスク:ロシア南西部の州都
 城塞作戦(ツイタデレさくせん)
 プロホロフカ:ロシアの都市型集落
 バグラチオン作戦:ベラルーシ―での作戦。

 人間の歴史は戦いの歴史です。日本の戦国時代を思い出します。

(つづく)
 
 第五章の部分を読み終えました。
 戦いがひとだんらくして、小休止のような雰囲気の内容でした。
 ドイツはソ連に対して劣勢です。
 ベルリンの陥落が近づいているようです。ドイツ兵はおびえています。
 ドイツはまだ降伏していません。

 戦争の話、戦果の話、どれもこれも、異常な話題ばかりです。
 男女の会話も男性同士の会話に聞こえます。
 性欲の話、いじめの話、人間の陰の部分が表面に出てきます。
 社会を形成する人間がコントロールしないと秩序が壊れます。
 読んでいて、男の理論、男の理屈で、提示された問題点の処理がうまくてできていません。

 複合的視座:物事を考える時の立場の位置、種類。多角的な視野。
 
 狙撃手は戦後どう生きるべきか。
 ①愛する人を見つける。 ②生きがいとなる趣味を見つける。
 (同感です)

 コムソモール:共産党青年団。

 ケーニヒスベルク:現在は、ロシアのカリーニングラード。リトアニアとポーランドに接したロシアの飛び地領土。1945年までドイツ帝国領内東プロイセン王国。ここが、この物語の最終戦地になるようです。384ページまで来ました。旅するように本の中を移動しています。

 自走砲兵:大砲を車両に乗せて打てる状態にしてある武器の担当兵員。(この本は、軍事用語がけっこうむずかしい。日本の戦国時代の戦法や戦争用具と共通する理解のむずかしさがあります)
 士気阻喪(しきそそう):やる気がそがれて、勢いがなくなる。
 パンツァーファウスト:戦車への拳(こぶし)。ドイツ軍が使用した携帯式対戦車擲弾(てきだん。爆発する火器)発射機。
 国民突撃隊:ドイツ市民軍。民間人の隊。
 
 日本人の侍(サムライ)である武士も外国の軍人も、人を殺すときは、感情を排除して、冷徹になります。

 類似の世界状況を描く作品として『戦場のコックたち 深緑野分(ふかみどり・のわき) 東京創元社』を読んだことがあるのを思い出しました。もう一冊同作者の『ベルリンは晴れているか』は、読んだことがありません。

 『悲劇』が書いてある作品です。
 素材は『戦争』です。
 人間の心に潜む(ひそむ)悪魔的部分をあぶりだしてあります。
 
 呪詛(じゅそ):呪い(のろい)。悪意をもって相手に災難を加える。

 夫とこどもをなくした妻は、生きる希望を失った。妻とこどもをなくした夫も、生きる希望を失うだろう。

 照準器つきのモシン・ナガン:ロシア人設計の小銃。

 うらみを晴らす目的をもって相手を殺害することは、職業軍人にとっては仕事としてやったこととされる。

 狙撃兵の鉄則として:一か所にとどまるな。自分の弾が最後だと思うな。(常におまえは、ねらわれている)

 コミュニストの女兵士:共産主義者の女兵士

 ロシアを憎んでいる民族がいます。『くたばれソヴィエト・ロシア』コサックの女子の言葉。コサック:ウクライナと南ロシアに存在した軍事的共同体。
 今の戦時の時代にこの本を読むとうーむとうなります。第二次世界大戦の被害者国が、今は、加害者国になっています。
 人間には二面性がある。二面性がない人間はいない。
 なにか、哲学の本で読みました。そのときの読書メモを見つけました。
 ニーチェ:1844年-1900年。55歳没。ドイツ・プロイセン王国の思想家。
『ツァラトゥストラはこう言った 上・下 ニーチェ著 氷上英廣訳 岩波文庫』
 ニーチェという人は、ドイツの哲学者です。記述はキリスト教の預言書のようです。ツァラトゥストラ氏は孤独です。精神世界のことが綴られていきます。
 教わらなければ人間は獣(けだもの)と同じ。
 教育の重要性を説く部分だろうと意味をとれた箇所がありました。人間のなかには、「おのれ」と「わたし」が同居している。「おのれ」は本能で、「わたし」が理性です。
 そして両者は常に争っている。人間の心を形成しているものが、「知識」と「知恵」そして「理性」です。人間は最終的に人間の手によって滅びると預言しているようです。
 
 虚仮威し(こけおどし):みせかけだけ。中身がない。
 下賜(かし):高貴な人が身分の低い人にものを与えること。
 
 そうか。指輪が『伏線』か。なるほど。うまい。

 抉った:えぐった。

(つづく)

 セラフィマとオリガの関係において、セラフィマの考えは深い。
 同志とは:同じ思想の仲間。
 セラフィマの意志は『女性を守るために相手と戦う』
 ドイツ兵がソ連の女性を襲う。
 しかし、ソ連兵もドイツの女性を襲うのです。
 セラフィマの怒りが爆発します。
 そして、いまある戦争の現実社会では、ロシア兵はウクライナの女性を襲ったのです。
 この本の意味は、今の時代において意義深い。男は女の敵です。

 収斂(しゅうれん):収縮

 かなりこったつくりで、筋立てが構築されています。
 最後のほうは、勇み足ではなかろうか。
 443ページあたり以降です。

 レニングラード:ロシア連邦の州

 懊悩(おうのう):悩みもだえる。

 良かった文章として『戦争は終わろうとしていた』
 ウクライナとロシアの戦争はいつ終わるのだろうか。
 1945年4月30日ヒトラー自殺。(昭和20年)。5月9日ドイツ降伏。ソ連勝利。

 エピローグ:1978年(昭和53年)のこととしての記述あり。

 全体を読み終えて感じたことです。
 男目線で描いた女性史という印象をもちました。女性がこの本を読んでどう感じたのかは、男のわたしにはわかりませんが、ほかの方の、特に女性の書評を読んでみます。

(その後)
 いくつもの書評・感想を読みましたが、なんだかつかみどころがありませんでした。
 女性問題を考える本として二冊ここに落としておきます。
『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』
『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』  

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2023年01月20日

ぼくんちのおべんとう 志茂田景樹

ぼくんちのおべんとう 志茂田景樹(しもだ・かげき)・作 平田景(ひらた・けい)・絵 新日本出版社

 志茂田景樹さんは昔テレビで何度か見かけましたが最近はお見かけしません。82歳になられています。
 絵本を読み終えて、ご自身の体験がベースにあるのだろうと推察しました。

 じぶんでおべんとうをつくるという内容の絵本だろうか。
 そこから読み始めました。(あたりでした)

 タクマが主人公です。
 カナエが同級生です。
 小学一年生ぐらいに見えます。
 遠足みたいな授業で、お昼ごはんです。
 自分が小学一年生のときの山登りを思い出しました。
 おべんとうは、ほかのこどもたちもみんな『おにぎり』でした。
 つくる母親によって、大きさが違ったり、形が違ったりしていたことを覚えています。
 ともだちと、おにぎりを交換したりして楽しみました。
 
 絵本は、色がきれいです。
 
 タクマがなげきます。
 おべんとうは、しょうがやき弁当で、おかずは、白ごはんのうえにぶた肉のしょうがやきが、のっけてあるだけです。(おかあさんの手ぬきみたいなことが書いてあります。毎回、しょうがやきべんとうだそうです)
 
 家に帰ると母と息子しかいません。母子家庭だろうか。
 母親は、自宅で出版の仕事をしているそうです。編集者だろうか。
 タクマは、母親に弁当のおかずについて文句を言いますが、現実社会では文句はなかなか言えません。だまってがまんします。息子は母親に気を使うのです。

 読んでいる自分は思うのです。
(弁当のおかずに文句(もんく)があったら、自分でつくれ。親を頼るな。こどもだからやらなくていいなんて甘えるなと。)
 なんとなく、こどものしつけのための教育図書を読んでいるようです。

 祖父母が登場します。
 夏休みを祖父母宅で過ごします。でもたった一週間です。(絵本では「一週間も」というような表現で書いてありますが、わたしに言わせれば、たった一週間です。もっといていいよ)
 この部分を読んでいて思ったことです。
 社会に出て気づいたのですが、祖父母と交流が深い孫というのは、長男とか長女のこどもで、きょうだいの下のほうにいくにつれて、祖父母と孫の交流が薄くなっていくのです。お墓参りに行くのは、長男・長女、次男、次女ぐらいのこどものこども(孫)です。きょうだいの下のほうのこどもと孫は祖父母との交流が薄く、祖父母のお墓参りの体験がなかったりもします。
 こちらの絵本のほうは、タクマが祖父母に会うのは、1年ぶりぐらいだそうです。お母さんは、長女ではないのでしょう。

 自分は、こどものころ、実父母の両親よりも、父方、母方、両方の祖父母宅に預けられて世話になることが多かったので、お年寄りとの交流が濃厚でした。
 今は、自分が祖父母にしてもらったように、自分の孫たちとも接しています。だから孫たちはわたしによくなついてくれています。

 タクマはおばあちゃんからおべんとうのつくりかたを習います。
 タクマは、いっしょけんめいおべんとうづくりをします。
 あたたかい心がこもっている絵本です。
 料理というのは、つくる時間が長くて、食べる時間は短い。
 
 母親だから調理が好き、女性だから料理がじょうずということはありません。
 母親でも女性でも料理がにがてな人はいます。その代わり、ほかのことがじょうずだったりもします。
 最後の絵は、おべんとうを学童保育所で食べている絵でしょう。
 もう三十年ぐらい前、うちのこどもたちも学童保育所に預けて自分たち夫婦は、共働きをしていました。
 絵を見ながら、うちもこんな時代があったとしみじみしました。
 この本は、2022年(令和4年)、去年出たばかりの絵本です。

(おまけ:もう20年以上前につくったおべんとうにまつわる思い出話の文章データがあったので、この絵本の内容に合わせて載せてみます)

『弁当のおかず』
 わたしは、小学三年生でした。
 学校でお弁当を食べていると、ひとりの男の子がわたしのお弁当を指さして「おかずが、豆しか入っとらーん」と、ばかにしました。
 そのとき、わたしはなんのことかわかりませんでした。
 すると、まわりにいたこどもたちが、わたしを取り囲んで、わたしのお弁当をながめました。
 男の子はさかんに、おそまつなおかずだとはやしたてました。
 まわりにいたこどもたちはうつむいて、何も言いませんでした。
 みんなだって、同じようなおかずじゃない。
 わたしはこの時、生まれて初めて、自分がまずしいということを知りました。
 ショックだったのは、わたしをばかにした男の子は、勉強がよくできる子で、勉強ができる子=(イコール)心のやさしい子というわたしがもっていたイメージが、音をたててくずれたことでした。
 そんなことがあってから、わたしは、お弁当を食べる時、弁当のふたで、おかずをかくして食べるクセができました。
 高校生になって、お弁当を食べている時に友人が、
「どうして、そんなへんなかっこうで食べるんだ?」と聞くので、わけを話しました。
 友人は、
「母親がつくってくれたものだ。どうどうと食べればいい」と言ってくれました。
 しかし、そのとなりにいた別の友人は、
「シャケが1匹入っているだけじゃないか。そんなもの、おかずじゃない」と言いました。

 その後、長い時が流れて、わたしのお弁当についてはげましてくれた友人は、結婚して、しっかり商売をやって家族と生活しています。
 反対に、わたしのお弁当をばかにした友人は、社会人になったわたしからお金を借りて、結局1円も返してくれず、今では、行方不明になってしまいました。
 そまつなおかずのお弁当をどう評価するかで、その人の未来が見えてくるのかもしれません。  

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2023年01月19日

とべ! ちいさいプロペラき 福音館書店

とべ! ちいさいプロペラき 小風さち(こかぜ・さち)作 山本忠敬(やまもと・ただよし)絵 福音館書店

 2000年(平成12年)第1刷の絵本です。
 読み終えて、今年2歳になる親戚の男の子にプレゼントすることにしました。
 今度会うのが楽しみです。
 前回会った時は、お互いのひとさし指をくっつけるETごっこをして盛り上がりました。(宇宙人が出てくる洋画『ET』です)

 絵を描かれた方は2003年にお亡くなりになっています。作品『しょうぼうじどうしゃ じぷた』は以前読みました。小さな消防自動車(ジープタイプ)が、最初のうちは、大きな消防車がうらやましく、自分の車体が小さいことで劣等感を感じているのですが、最後は、狭い場所の消火活動で活躍してくれます。今回も同じような展開になるのだろうか。

 ちいさなぷろぺらきが主人公です。
 おおきなジェット機が出てきます。(かっこいい)
 以前成田空港の滑走路の先にある飛行機の博物館『航空科学博物館』へ見学に行ったことがあります。絵本の絵を見ながらそのときのことを思い出しながら読みました。
 滑走路の離陸の様子は、羽田空港とか中部セントレア空港を見学した時の記憶と重なります。飛び立つジェット機の機影が目に浮かびます。

 体が大きいとか小さいとか、学校にいるうちは気になりますが、社会に出ると背の高さは関係ありません。気持ちの大きさは関係があります。能力が優先になります。

 がんばるプロペラきです。
 絵がすがすがしい。
 元気のない子どもを励ます絵本です。
 滑走路をかけて飛び立つプロペラきに勢いがあります。
 飛び立つ音が聞こえてくるようです。
 グゥーン(かっこいい)  

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2023年01月18日

ぼけますから、よろしくお願いします 信友直子 新潮文庫

ぼけますから、よろしくお願いします 信友直子(のぶとも・なおこ) 新潮文庫

 先日、この本に関する映画を観て感動しました。すばらしい。
 今度はこの本を読んでみます。単行本は、2019年(令和元年)に発行されています。こちらの文庫版は、2022年(令和4年)発行のものです。

 母:1929年生まれ(昭和4年)。この生まれ年で高等女学校卒ですから、優秀な方で、お元気だった時は、グループのリーダー的存在だったと思われます。
父:1920年生まれ(大正9年)。温厚な方です。第二次世界大戦中、陸軍で過ごす。戦争で大学には行けず。終戦後は会社で経理マンとして定年まで働く。家には本がいっぱいです。(なんとなく映画を観ている自分自分と重なります)
娘:東京大学文学部卒。映像作家。未婚。日記を書くように、コツコツと積み重ねで映像を貯めておられると察しました。フリーランス映像作家。

 タイトルは、今は亡きお母さんが、元旦を迎える2017年(平成29年)の午前0時に娘さんに言われた言葉からとったそうです。お母さんは、2014年の診断から、本当にアルツハイマー型認知症になられています。

 フジテレビ「Mr.サンデー」は、自分は知りません。フジテレビ系毎週日曜夜10時放送。(わたしは午後10時前には寝てしまいます)

 チャップリンの言葉として『人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』(名言です。だから、クヨクヨするなです。)

 最初は、中身を飛ばして「あとがきにかえて―父と母のいま」と「ひとまずのお別れ-文庫本あとがきにかえて」を読みました。(お母さんは、2020年(令和2年)6月14日に91歳で亡くなっておられます。お父さんは現在もお元気で102歳になられていると思います。
 お父さんは100歳のお祝いにファミレスのこってりハンバーグを食べたい。ドリングバーでいろいろ飲みたい。先日読んだ本『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』を思い出したのです。ちゃんとした食生活が、長生きでも幸せになることでも大事なのです。
 おいしいものを食べると人は、生きる気力が湧いてくるのです。毎日カップラーメンではだめなのです。心がすさむのです。
 父が母にかけた死に際の別れの言葉です。
 『おっ母(かぁ)、今までありがとね。あんたが女房で(にょうぼうで)、わしはほんまにええ人生じゃった』『わしもすぐ行くけん、あんたは先に行って待っとってね。またあの世でも仲良う暮らそうや』(なかなか言える言葉ではありません)母の目から涙がこぼれたとあります。(この本を読んでいる自分が病気をしたときの体験だと、母の状態として、見た目は意識不明のように見えても、本人には意識があります。体全体や体の部分を自力で動かせないだけなのです)

(さて、また最初に戻って読み始めます)
 
 母の認知症の診断までに時間を要しています。自分の体験だと、病院の検査というのはあてにならない部分もあります。複数の医療機関を受診したほうがいい。あるいは、複数回受診したほうがいい。さらに付け加えると、その病気の専門性に特化した病院を受診したほうがいい。
 2012年(平成24年)の春から言動がおかしくなっていますが、診断は2014年(平成26年)にようやく下っています。アルツハイマー型認知症です。85歳になっておられました。

 2013年のお正月。母は少々おかしくなりかけています。
 娘は2000年にソニーのハンディカムを手に入れて両親の撮影を始めています。動機はドキュメンタリーディレクター(テレビディレクター。映像作家)としての撮影練習です。両親の記録を残しておいて将来心の支えにすることも目的のひとつです。(その後の映画にする気はありません)

 わかりやすい表現力のある文章です。
 名言として『「人が老いていくこと」の無残さと、逆に「年を重ねてゆくこと」の豊かさとを……』
 これを書いている今朝がた「有吉クイズ」という番組で、認知症になったえびすよしかずさんの姿を久しぶりに見ました。昨年夏ごろのロケ風景でしたが、かなり年老いておられました。太川陽介さんと路線バスの乗り継ぎ旅をしていたころの元気さはありませんせんでしたが、あいかわらずの個性で安心しました。かわいらしくぼけれたら幸せです。
 この本の映画のシーンに、広島県呉市のバス停で、母と娘の別れのシーンがあるのですが、太川&えびすの路線バス乗り継ぎのバス停シーンと重なるような構図があって、しみじみしました。

 映画の映像では、しっかり食べるご夫婦でした。本には「肉じゃが、おでん、煮魚」の3点セットをぐるぐる回すとあります。しっかり食べることは長生きの秘訣とわかります。

 アルツハイマー型認知症:脳みそがちぢむ。脳に空洞ができる。記憶担当の「海馬」がちぢむ。メマリー:認知症の進行を抑制する薬。
 最近自分自身も記憶力が衰えています。固有名詞が出てきません。人名とか、お店の名称、地名がポンと瞬間的に口から出てきません。加えて、次は何をしようかと考えて、これをしようと決めるのですが、15分後ぐらいには、何をしようとしていたのかがわからなくなっていることがあります。だから、思いついたときに、最優先でそのことをするように心がけています。

 93歳の父が、85歳のアルツハイマー型認知症になっている母の生活のめんどうをみます。
 娘さんは、2007年45歳ぐらいのときに乳がん手術を体験されています。
 
 71ページ、父の姿がある白黒写真を見ながら、老いを迎える準備をしておこうという気持ちになりました。

(つづく)
 
 男の美学:男はこうであるべきだ。2015年(平成27年)この本の父の場合は、94歳の父が86歳の認知症の母と二人暮らしをしているわけですが、父の男の美学は、娘から介護保険サービスの利用を提案されたときに、自分が(父が)妻のめんどうをみるから介護サービスはいらないと断ることです。

 認知症の母は、腐ったものを食べて下痢をします。

 父が補聴器は嫌いだという話が出てきます。
 実は、昨年の秋、わたしも90歳近い母に補聴器を勧めましたが断られました。(その後、どうも聞こえているのに、自分の都合の悪いことは、聞こえていないふりをしているのではないかという疑いを自分はもっています。まだまだしっかりしています)

 母の脳みそがちぢんでいきます。思考能力が衰えていきます。(おとろえていきます)
 
 父は旧制第三高等学校(現在の京都大学)を目指していましたが、第二次世界大戦と親の反対で同校への進学をあきらめています。米屋の後継ぎなので、学問はいらないのです。ゆえに自分の夢を娘に託しています。

 父の貴重な言葉があります。
 『……優秀な若いもんが、南の島に行かされたきり食べ物が補給されんで、飢えやらマラリアで死んでいった……』
 (娘が東大卒後務めた一流企業を辞めて、自分の本来の希望であるテレビの制作会社で働くと言い出したときに)『ほうか。えかったのう。やりたいことをやれるのが一番じゃ』
 『……あんたが(娘が)元気でおることが、お父さんもお母さんも一番大事なんじゃけん』

 娘さんの東京からの帰省は飛行機です。昔、自分が高速道路を自家用車で走った時に、広島空港への案内表示板があったことを思い出します。

 コンサバなファッション:保守的なファッション傾向。

 読み進めていて、子の立場での気持ちとして『(親のめんどうをみることは、育児において、親から)やってもらったからやってあげるということはある。やってもらったことがないとむずかしい』
 もうひとつ思うのは『人生には、どうしたって一番つらい時期がある』
 
 2016年(平成28年)両親の映像をテレビ番組で紹介できないかの話がある。
 2015年にテレビ放送とは無縁の偶然の出来事があって、人のつながりがあって、話が発展して、ご両親が快諾されるという流れが記述されています。素材は「老老介護」「遠距離介護」「介護離職」。
 両親の娘に対する愛情が深い。あたりまえのことではあるけれど、そうできない人は多い。

 テレビディレクター:テレビ番組の制作を指揮する職業

 母のよかった言葉として『…… 明けん夜はないんじゃねえ。……』

 164ページにシルバーカーを使う父のことが出てきて、ああ、いつかは自分もシルバーカーを押すような年齢になるのだろうと思いました。(手足が弱って、スーパーで買った重たい商品を自宅まで持って帰るため。そのころ、車の免許は返納していることでしょう。著者の父君(ちちぎみ)のように90代までがんばりたい。されど、そのときにはたぶん、紙パンツをはいていることでしょう)

 地域包括支援センター(ちいきほうかつしえんせんたー):各市区町村にある高齢者介護に関する相談窓口。

 介護保険サービスの申請をしようとしても本人が拒否することが多い。(うちの90歳近い実母もそうです)この本でも苦労されています。(わたしたち夫婦自身は、老後の将来は利用するつもりでいます)

 カメラマン河合輝久さん:最初は他人に撮影されることを嫌がられた著者のご両親に受け入れられています。
 カメラマンの河合輝久さんとの最初の面談で、驚くことが起きています。(娘さんの言葉)『どうしたんお母さん、口紅つけるとるじゃない』(家にとっては何年かぶりの(他人の)来訪者だった)
 昭和4年1月5日生まれのお母さんです。(1929年生まれ)
 ちなみにお父さんは、大正9年生まれです。(1920年)
 2016年4月当時で、父親は95歳です。まじめにコツコツがんばる仕事人間だった。定年後は、毎日新聞4紙を読み、要点をまとめたり、わからない言葉を調べたりで記録を残している。(なんだか、これを書いている自分と重なります。自分も90代まで生きることができるかもしれません)
 高橋さん:女性。広島県呉市中央地域包括支援センターの職員さん。
 佐々木さん:両親の元主治医。
 広島弁で『ぼけまあね』:ぼけないようにしようね。
 要介護度:軽いほうから、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5。
 母は『要介護1』父は『非該当』。お元気な95歳男性です。
 
 小山さん:ケアマネージャー

 2016年6月末、実家の家庭訪問。介護関係スタッフがせいぞろいです。
 母は、87歳です。
 このシーンは映画で観たので、文章が映画のシーンになってよみがえります。
 母は、みんながいる前では積極的にいい顔をしますが、みんながいなくなると強烈な反発をします。デイサービスなんか行かない! ヘルパーなんか来てもらわなくていい! というきっぱりとした態度です。(よくあるパターンでしょう。家族はとても困ります)
 そして、実際にデイサービスに行ってみると母の返事は『楽しかったけん、また行きたい。行ってもええ?』です。(これもまたよくあるパターンなのでしょう)

 95歳と87歳で、ひきこもりの夫婦のときがあった。
 人間はたいへんです。
 小中学生でもひきこもりがいます。
 青少年でもひきこもりがいます。
 主婦でもひきこもりがいます。
 中年男性でもひきこもりがいます。
 散歩でも、食材の買い物でもいいから外に出たほうがいい。
 毎日なにかしらの新しい発見とか、工夫とか、自然に触れるとか、出会いがあったほうがいい。
 人からどうみられるかなんて、気にしなくていい。
 この本では、介護サービスを利用することで、社会とのつながりができて、両親に笑顔がみられるようになったとあります。
 2016年の広島の夏は猛暑だったそうです。

(つづく)

 母への感謝があります。
 著者が高校生のころ、母は毎朝4時半に起きて著者のお弁当を作ってくれた。5時半に著者を起こし、6時20分のバスに高校生である著者を乗せた。かなり早い時刻ですが、いなかはそんなものです。著者はバスから鉄道に乗り換えて、広島市内にある高校まで通っています。

 著者が乳がんになったときの母の言葉として『……何事もおもしろがらんと損よ。前向きに行こう!』
 著者がまだ小さかった時の話があります。その部分を読んでいて、わたしの母方の祖母が、わたしが幼児だったころのことを話してくれて、そうだったのかと感心したことがあるのを思い出します。(自分では記憶が残っていません)ひとつは、ラジオから流れてくるCMをまねて『ぎゅうにゅうたっぷ、にゅうたっぷ』と歌っていた。もうひとつは、祖父母がイスにのって高いところに手を伸ばして物を取ろうとしていると、幼児のわたしが、イスをおさえながら『(イスを)おさえとくからだいじょーぶだよ』と言ってくれていたとのこと。
 
 245ページにある認知症専門医の今井幸充先生の言葉は宗教家のお話のようです。『家族はその人を愛することが一番の仕事』

 ほかに心に残った言葉として『おいしいものを食べるとコロッと機嫌が直って……』おいしいものを食べなきゃダメなんです。作品『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』をまた思い出しました。

 248ページ『ホンネを言えば、私は今の母をもう、努力しないと愛することができません』の部分の関連として、以前読んだのが『認知症になった蛭子さん 蛭子能収(えびす・よしかず) 光文社』で、以下は、そのときの読後感想の一部です。『記者自身の認知症だったお母さんのお話がありのままに書いてあります。勇気ある発言もあります。わたしが思うに、両親や義父母の介護をするということは、自分や自分たち夫婦が自由に使える自分たちの時間を失うということです。もっと強く言うと、自分たちの時間を奪われるということです。ああしたい、こうしたい、あるいは、あれをしなければならない、これをやらなければならないということがやれなくなります。行きたい所へ行けないことも出てきます。そして、その状態が延々と続いて、なかなか終わりが見えないのです。いつまで続くのだろうかと、とほうに暮れるときがあります。記者は正直に「もう死んでくれ」と思ったことがありますと書かれています。わたしも不謹慎ですが「(妻による義父母の数年に渡る長い介護生活が続いて)いつまで生きるのだろうか」とため息をついたことがあります。こちらのほうが、心身ともにまいってしまいます。精神的にもしんどいのです。それが現実です。それでも、終わりは必ずきます。』
 この本ではさらに、著者の気持ちとして『母は少しずつ死んでいっていると感じる』とあります。認知症になると親の人格が変容していって、別人になる感覚があります。めんどうをみるのは、たいへんです。
 おおっぴらには言えないけれど、老いた親の介護をしている人は、たぶんみんながそんなことを感じています。

 つい数時間前のことの記憶が消えてしまう。
 仮定として、両親の父も母も、両方が認知症になったときは、かなり苦しい。
 本では、寝起きが一番混乱するとあります。今いるところがどこなのかわからない。時刻がわからない。なにをしたらいいのかわからない。本人にとっては、わからないことだらけです。
 父が母に投げかけた言葉です。『……みんなにかわいがってもらえる年寄りになれや』
 認知症の母を介護して見送った女性の言葉があります。『……「介護は、親が命がけでしてくれる、最後の子育て」って』逆転の発想をすると、折れそうな心が折れないということはあります。

 274ページ付近を読んでいて、ここに書いてあることと同じようなことが、自分たちにもあったねと妻と話が盛り上がりました。
 父から電話がかかってきて母の具合が悪いというくだりです。以下は、わたしたちのことです。
 妻「(電話の受話器に向かって)救急車を呼んで!」
 義父「救急車は、何番だったっけ?」(しばらくのやりとりのあと)
 妻「わたしが今から119番に電話をする」
 義父「そうしてくれ」
 以下、救急隊と娘の電話のやりとりが続く…… 入院先の病院へ駆けつける。

 著者のお母上は、2020年6月14日(令和2年)に91歳でご逝去されました。お悔やみ申し上げます。この本を読んだり、映画を観たりした人の気持ちをゆったりさせていただく存在として、本の中、映像の中で、今後もご活躍を期待します。  

Posted by 熊太郎 at 07:26Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年01月17日

出川哲朗の充電バイクの旅 栃木日光→茨城鹿島神宮

出川哲朗の充電バイクの旅 2023年新春4時間スペシャル 栃木日光→茨城鹿島神宮 テレビ番組

 もう半世紀以上の昔、小学4年生だったころに、茨城県の太平洋側にある市から栃木県日光の山奥へ、引っ越しトラックに乗って移動したことがあります。小学校入学後の何度目かの転校でした。
 今回の番組でのルートは、おおむねその反対ルートであり、どんなふうになるのかなあということが楽しみで視聴しました。

 最初のゲストの上川隆也さん(かみかわ・たかやさん)からは、ドラマ『大地の子』を思い出します。いいドラマでした。
 1995年(平成7年。阪神淡路大震災とかオウム真理教地下鉄サリン事件の年)NHKドラマ『大地の子(だいちのこ)』は感動のドラマでした。
 第二次世界大戦で中国に置き去りにされた日本人のこどもを中国人夫婦が養子として育てた中国残留孤児のご苦労がひしひしと伝わってきて胸を打たれました。中国の養父母と日本の実父母とどちらも大事にしたい。せつないシーンがありました。

 上川隆也さんは、実生活の話を聞くと、おとなしくて、内向的、ひきこもりのような生活を感じたのですが、さわやかで、誠実な態度には好感をもちました。硬い人、丁寧な(ていねいな)人、他人との接触がにがてな人というイメージをもちましたが、善人であることに変わりはありません。

 ふたりめのゲストのロッチ中岡さんは出川哲朗さんの親友みたいな感じです。以前奈良県橿原市(かしはらし)の中岡さんのご実家でご両親と出川さんが楽しく談笑しているシーンをこの番組で見ました。中岡さんは人望がある人です。

 森三中の大島美幸さんが三人目のゲストでした。いつも元気でまわりを明るくしてくれます。サンキューです。森三中のメンバーがこの番組に出ると雨が降るのですが、やっぱり今回も雨が降りました。

 日光東照宮は何度も行きました。
 撮影では、修学旅行らしき小学生たちが明るい。こどもたちにとってもいい記念になります。東照宮を建てることになった徳川家康さんの存在に感謝です。映像に出る紅葉の色合いがきれいでした。

 大谷石(おおやいし)→宇都宮のギョーザ→テニスプレイ→真岡(もおか)のSL(蒸気機関車。栃木県内で、こどもころ、C-11を間近で毎日のように見ていたことを思い出しました。今回のテレビ映像はC-12でした)→乗馬クラブにて(オリンピックに出場されたことがあるとか、昨年亡くなったエリザベス女王の日本語通訳をしていたことがあるとか、いろいろと驚かされました)→ステーキのお店→神社の大きなえびす像(神社には平和があります。七五三参りとかお宮参りとか、親族はちびっ子を大切にします)→はにわのお店→焼き肉レストランとお店を紹介してくださった女性の美空ひばりの歌声→見晴らしのいい「つくば温泉」→土浦市のレンコン→うなぎやさんのうなぎは、静岡県浜名湖からの取り寄せだそうです。昨年、浜名湖舘山寺(かんざんじ)で食べた、うなぎのひつまぶしがおいしかったことを思い出しました)→外国人の方の家(うなぎ工場を改装してありました)→空手の少年少女たち→郵便局の職員だった人の家→温泉入浴はちびっこが湯の中にいっぱい→雨の中のバイク乗り三人さん→鹿島神宮と盛りだくさんでした。こんなに多忙だと、やったことを忘れてしまいそうです。二泊三日の旅、おつかれさまでした。

 出川さんの新年のあいさつでした『御多忙でありますように』大島さんが訂正します『ご多幸でありますように』
ことしも楽しいシーンをたくさん見せてください。楽しみにしています。